第三十六話 総理
第三十六話 総理
2027年3月16日(火) 18:00
画面に、藤堂の姿が映し出される。
正面には、一台のカメラ。
藤堂はその向こうを見つめ、静かに口を開いた。
「内閣総理大臣、藤堂真です」
ゆっくりと頭を下げる。
「まず、この混乱の中、この放送を見ている、聞いているすべての方にお礼を申し上げます」
「私は、今大阪にいます」
「この紋様が大阪上空に現れてから、政府はあらゆる手段を用いて調査を行ってきました」
「しかし」
「その正体は、分かりませんでした」
「ただ、一つ分かったことがあります」
「紋様の一部が、数字のように規則的に変化していることです」
「その数字は、およそ10分24秒ごとに変化しています。正確には10分23.8秒です」
「各機関で観測結果を精査した結果、その数字は一定の規則に従って減少しており、いわゆるカウントダウンである可能性が高いと判断しました」
「このカウントの減少が続けば0になるのは、明日3月17日12時59分40秒と予測されています」
「政府がこの可能性を把握したのは、3月10日20時15分頃です」
「しかし――」
「そのカウントが0になった時、何が起こるのか」
「……分かりません」
「何も起こらないのかもしれません」
「何かが起こるとして、その影響が大阪市だけなのか」
「大阪府なのか」
「日本なのか」
「世界にまで及ぶのか」
「残念ながら、分かりません」
「政府は今日まで、調査を続けてきました」
「しかし、どれだけ調べても、その答えを得ることはできませんでした」
「確かな情報がないまま公表することで、社会に大きな混乱を招く可能性があると考えました」
「そのため政府は、この事実を公表しないという判断をしました」
藤堂の両手が、机の上で静かに重なる。
「この判断について、すべて私が決めたことです」
「その結果、これだけの混乱を招いたことについて、責任は私にあります」
「申し訳ありませんでした」
藤堂は深く頭を下げた。
そのまま、数秒が過ぎる。
やがて藤堂は、ゆっくりと顔を上げた。
「この混乱が収束したのち、しかるべき時に、私は責任を取るつもりです」
「ただ――」
「この混乱が収束するまでは、内閣総理大臣として、全力を尽くしたいと考えています」
「たとえ明日、私自身が皆さんに言葉を届けられない状況になったとしても――」
「どうか、安心してください」
「日本には、優秀で責任感のある人たちがたくさんいます」
「その人たちが、皆さんを支えてくれると、私は信じています」
「ここで少し、私自身のことをお話しさせてください」
「私も、不安でした……」
「今、皆さんが感じているのと同じように、不安で、不安で仕方がありませんでした」
「でも今の私は、落ち着いています」
「私には、いつも支えてくれる人たちがいたからです」
「もし、不安で押し潰されそうになったら、近くにいる人に伝えてください」
「家族でも、恋人でも、友人でもいいです」
「例えば買い物に行った先の、レジの人でもいいです」
「そして、それを聞いた方は、何か返してあげてください」
「同じ不安を口にしてもいいです」
「励ますのもいいです」
「ただ、頷くだけでもいいです」
「何か、返してあげてください」
「周りに誰もいないという人も、いるでしょう」
「でも今は、自分の思いを遠くに飛ばすことができる、便利な機械があります」
「誰か一人に送るのでもいいです」
「誰かに向かって、つぶやくのでもいいです」
「その気持ちは、きっと誰かが目にしてくれます」
◇
暗闇の中、誰かが、スマートフォンに文字を打ち込んだ。
『#不安だ』
短い言葉が、投稿される。
それを見た誰かが、同じ言葉をつけて自分の思いを投稿した。
『死にたくない』
『私も怖い』
『明日どうなるんだろう』
『みんな一緒だ』
『一人じゃないよ!』
また一つ。
そして、また一つ。
『#不安だ』をつけた言葉が増えていく。
数百。
数千。
数万。
やがて、日本語ではない言葉が混ざり始めた。
『I don’t want to die.』
『I’m scared too.』
その言葉にも、『#不安だ』がついていた。
何十万、何百万もの思いが、『#不安だ』とともに世界中へ発信されていった。
◇
画面には、藤堂の姿が映っている。
「明日、何が起きるかは分かりません」
「何も起きないかもしれません」
「しかし、何かが起きた時のために、警察、消防、自衛隊、そして関係省庁は、現時点で出来る準備をすべて行っています」
「政府は、今夜も対応を続けます」
「私も、ここ大阪で……見届けます」
「以上が、現在、政府から皆さんにお伝えできることです」
「そして最後に、私からお願いがあります」
「どうか……」
「今日の夜を、大切な……大切な夜にしてください」
藤堂は、深く頭を下げた。
「……お願いします……」
「……以上です」
その言葉を最後に、放送は終了した。
◇
危機管理室に、静けさが戻った。
誰も、すぐには口を開かなかった。
「お疲れ様です」
高城が声をかける。
「ありがとう」
藤堂が答えた。
高城は、危機管理室のメンバーへ向き直る。
「みんな、ご苦労様」
「今日はもう、帰ってください」
「えっ……」
何人かが、顔を上げる。
「……みんなも、今日の夜は大切な夜にしてください」
「……分かりました」
誰からともなく、帰る準備を始める。
一人、また一人と部屋を出ていく。
やがて、危機管理室から人の姿が消えていった。
「高城くん、君も……」
高城は答えず、藤堂の顔を見る。
「総理」
藤堂が見返す。
「一緒に飲みませんか?」
藤堂が、わずかに目を見開く。
「私も、大切な夜にしたいんです」
藤堂の表情が、ふっと緩んだ。
「私もです」




