第三十一話 知る者
2027年3月15日(月) 13:24
大阪府庁。
窓の外では、朝から降り始めた雨が続いていた。
危機管理室では、電話の呼び出し音と職員の声が途切れることなく響いている。
「道路状況、報告します」
職員の声に、危機管理監が顔を上げた。
「東向き、京都東を先頭に渋滞。通過に約40分。西向きは中国池田を先頭に約30分、月見山を先頭に約25分です」
「事故は?」
「いずれもありません。交通量の増加です」
「大阪から出る車か」
「その可能性が高いです」
危機管理監が地図へ目を落とした。
「まだ動いてはいるな」
「はい。ただ、交通量は増え続けています」
別の職員が振り返る。
「鉄道です。新大阪を中心に利用客が増えています」
「どちらへ?」
「東京方面、福岡方面、両方です」
「駅での規制は?」
「現時点ではありません。各線とも運行は継続しています」
電話が鳴る。
別の電話も鳴る。
「はい、大阪府危機管理室です」
「――」
「分かりました。引き続き状況をお願いします」
受話器を置いた職員が声を上げた。
「小売関係です。府内各地で水、米、保存食、トイレットペーパーなどの購入が急増しています。一部店舗で品切れが出始めています」
高城が振り返った。
「物流は?」
「動いています。各社、追加配送で対応しています」
「府の備蓄を確認してください」
「放出しますか?」
「まだです」
高城は首を横に振る。
「いつでも出せるように、準備だけしておいてください」
「分かりました」
「避難所は?」
「市町村に確認しています」
「開設が必要になった場合、すぐ動けるよう準備を要請してください」
「はい」
危機管理監が資料をめくる。
「警察と消防は?」
「大阪府警、各消防本部とも通常体制を維持しています」
「明日以降、出動が増える可能性があります。人員体制の確認と、必要な準備を要請してください」
「分かりました」
「医療は?」
「府内の災害拠点病院を中心に確認を始めています」
高城が続ける。
「救急の受け入れ体制、空床、医薬品。それから非常電源も確認してください」
「はい」
「消防には救急車の稼働状況も確認を。警察には主要道路と駅周辺の警戒をお願いしてください」
「伝えます」
次々と指示が飛ぶ。
道路。
鉄道。
物流。
食料。
避難所。
警察。
消防。
医療。
何かが起きたとき、大阪が動き続けるために必要なものが、一つずつ確認されていく。
一人の職員が、手元の資料から顔を上げた。
「知事」
「はい」
「……何に備えるんですか」
室内の声が、わずかに静まった。
高城はすぐには答えなかった。
窓の向こうを見る。
雨に煙る大阪の街。
その上には、厚い雲が広がっている。
「……分かりません」
「…………」
高城は職員へ視線を戻した。
「分からないから、できることを全部やります」
職員が小さく頷いた。
「はい」
◇
2027年3月15日(月) 21:47
新聞社の一角には、まだ多くの明かりが残っていた。
相沢は机に座ったまま、パソコンの画面を見つめている。
朝から何杯目になるのか分からないコーヒーは、もう冷めていた。
スマートフォンが震える。
相沢はすぐに手に取った。
「はい、相沢です」
「――」
「……本当か?」
「――」
「いや、待ってくれ。それは確認が取れてるのか」
「――」
相沢の表情が変わった。
「いつからだ」
「――」
「日本側も?」
「――」
「……分かった」
少し間を置く。
「悪い。もう一度確認してくれ。絶対に間違いないってところまで」
「――」
「ああ。頼む」
電話を切る。
相沢はスマートフォンを机に置いた。
しばらく動かなかった。
朝から追い続けてきたものが、一本につながり始めていた。
◇
22:31
再び電話が鳴った。
「はい」
「――」
「オーストラリアは?」
「――」
「本人から?」
「――」
「……そうか」
相沢はメモを取る。
「カウントダウンだという認識で間違いないんだな」
「――」
ペンが止まった。
「それを知ったのはいつだ」
「――」
「……そんな前から?」
「――」
「分かった。ありがとう」
電話を切った。
メモの上には、いくつもの時刻と名前が並んでいる。
米軍。
オーストラリア。
複数の関係者。
それぞれ別の場所から集めた話が、同じ一点を指していた。
相沢は椅子の背にもたれた。
「あの時には知っていたのか」
誰に聞かせるでもなく呟く。
◇
23:08
相沢はパソコンの前に座っていた。
画面には、新しい原稿が開かれている。
何も書かれていない。
キーボードに手を置く。
動かない。
今日一日だけでも、大阪では人が動き始めていた。
スーパーでは商品が消え始め、高速道路では大阪を離れる車が増えている。
鉄道でも、大勢が西へ、東へ向かっている。
もしこれを出せばどうなる。
明日の朝には、さらに多くの人が動く。
いや、動くのレベルじゃない。
しかも、大阪だけじゃ済まない。
だが――。
カウントが0になったとして、何が起きる?
そこまでは誰も知らない。
相沢はキーボードから手を離した。
椅子から立ち上がる。
しばらく、その場に立ったまま動かなかった。
やがてスマートフォンを取り出した。
SNSを開く。
『政府が何も言ってないんだからデマだろ』
『本当ならとっくに避難指示が出てる』
『17日13時03分って誰が言い出したんだよ』
『明日晴れたら分かる』
『怖い』
次々と流れていく言葉を、相沢は黙って見ていた。
朝なら、自分も同じだった。
分からなかった。
だから確認した。
そして今は――知っている。
相沢は画面を閉じた。
席へ戻る。
椅子に座った。
もう一度、何も書かれていない原稿を見る。
「…………」
両手をキーボードに置いた。
◇
2027年3月16日(火) 00:08
「デスク」
少し離れた席にいた男が顔を上げる。
相沢は画面へ目をやった。
「これ、お願いします」




