第三十話 不安
2027年3月15日(月) 08:12
大阪の空には、朝から厚い雲が垂れ込めていた。
その向こうにあるはずの紋様は、見えない。
『カウントダウン 3月17日、13時03分』
この言葉だけが、大阪の街を駆け巡っていた。
◇
スーパーの自動ドアが開いた。
開店を待っていた人たちが、次々と店内へ入っていく。
カートに水を積む男。
米を2袋、かごに入れる女性。
レトルト食品の棚の前では、店員が段ボールを開けたそばから商品が減っていった。
「これも買っとく?」
「……うん。念のため」
その横を、お惣菜と納豆を入れた買い物かごを持つ老人が通り過ぎていく。
◇
新大阪駅。
大きなキャリーケースを引いた家族が、電光掲示板を見上げていた。
「お父さん、本当に行くの?」
「とりあえずな」
「いつ帰ってくる?」
「…………」
父親はもう一度、電光掲示板を見る。
「向こうに着いてから考えよう」
ホームへ向かう人の流れに、家族も加わった。
そのすぐ横を、スーツ姿の男たちが改札から出てくる。
「すごい人だな」
「朝からやってる、あれだろう」
「みんな大阪から出るんじゃないか?」
「まさか」
二人はそのまま、人混みの中へ消えていった。
◇
男はワイシャツの袖に腕を通した。
『インターネット上では、大阪上空の紋様がカウントダウンではないかとの情報が急速に広がっています――』
テレビのワイドショーは、朝から同じ話題を繰り返している。
ネクタイを手に取ったところで、妻が口を開いた。
「ねえ……」
「ん?」
「……今日、仕事休めないかな」
男は妻を見る。
「どうした」
「うん……不安で」
妻はそう言って、リビングにいる子供へ目を向けた。
男も、その視線を追った。
「…………」
手にしていたネクタイを見る。
「そうだな……」
◇
コンビニのレジに、商品が次々と置かれていく。
水。
おにぎり。
パン。
乾電池。
カップ麺。
「袋、大きいの2つください」
「はい」
店員が商品を詰めていく。
後ろに並んでいた若い男女も、それぞれ買い物かごを持っていた。
女性がスマートフォンを男性に見せる。
「ほら。また出てる。17日の13時03分」
「信じてんの?」
「分かんない」
「じゃあ、なんでそんな買ってんの」
女性は自分のかごを見る。
水とカップ麺が詰まっている。
「……そっちもじゃん」
男性も自分のかごを見る。
「…………」
「でしょ?」
「……まあな」
◇
オフィスの窓際に、数人が集まっていた。
窓の向こうには、厚い雲に覆われた大阪の空が広がっている。
「全然見えないな」
「雲の上にはあるんだろ?」
「あるんじゃない?」
「じゃあ、実際どうなってるか誰にも分からないってことか」
誰も答えなかった。
しばらくして、一人が自分の席へ戻る。
「仕事しよ」
残った二人も、もう一度空を見てから席へ戻った。
◇
街を歩く人が、ふと空を見上げる。
信号待ちの運転手が、フロントガラス越しに空を見る。
店先に立つ店員も。
駅へ向かう会社員も。
厚い雲の向こうにあるはずのものを探すように、空を見上げる。
だが、何も見えない。
灰色の雲が、大阪の空を覆っていた。
やがて――
ポツ。
一粒の雨が、歩道を濡らした。
ポツ。
ポツ、ポツ、ポツ――。
人々が傘を開き始める。
雨粒は次第に数を増やし、大阪の街を濡らしていった。




