第二話 広がる波紋
2027年3月10日(水) 07:46
最初は、誰もが見間違いを疑った。
目の錯覚かもしれない。
誰かが作った映像かもしれない。
だが、その疑いは長く続かなかった。
大阪の各地から、同じものを映した動画が次々と投稿されていく。
撮影された場所は違う。
映り込んだ街並みも違う。
それでも、空に浮かぶ巨大な紋様だけは、すべての映像に同じ姿で映っていた。
『これ、本物なのか?』
『誰か説明してくれ』
『合成じゃないよな』
『今すぐ空を見て』
投稿の数は秒単位で増え続ける。
ある映像を疑う者が、別の場所から投稿された映像を見る。
その映像を疑った者が、自ら窓を開ける。
そして空を見上げる。
◇
大阪府警通信指令室。
朝の時間帯は交通事故や交通上のトラブルに関する通報が多い。
通報を取った若い通信指令員も、いつもの朝が始まったのだと思っていた。
「110番です。事件ですか、事故ですか」
『空に変なものがあります』
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「場所を教えてください」
『場所じゃありません。空です』
思わず顔を上げる。
通信指令室に窓はない。
見えるのはモニターと電話だけだ。
「空……ですか?」
『大きな円みたいなものが浮かんでいます』
電話が切れる。
間を置かず、次の着信音が鳴った。
「110番です。事件ですか、事故ですか」
『空に何かあります』
三件目。
四件目。
五件目。
内容は、どれも似ていた。
若い指令員は隣の席を見る。
「主任。」
年配の主任が顔を上げる。
「空の通報が続いています。」
「何件だ。」
「今ので五件目です。」
主任は立ち上がり、指令画面へ近づいた。
通話記録には、短い文章が並び始めている。
『空に巨大な円』
『上空に発光する模様』
『空に正体不明の物体』
主任は数秒だけ画面を見つめた。
「全部、記録してくれ。」
「はい。」
若い指令員はうなずき、キーボードを打ち始めた。
◇
同じ頃。
関西国際空港の管制塔でも異変は確認されていた。
窓の向こうに広がる青空。
そこには、空を覆うほどの巨大な紋様が浮かんでいた。
管制責任者は窓の外を見つめたまま、小さくつぶやいた。
「……おい」
隣にいた管制官が顔を上げる。
「あれが、見えるか」
管制官は窓の外へ目を向けた。
数秒の沈黙。
「はい。見えています」
責任者はもう一度、空を見上げる。
「……見えるか」
短く息を吐く。
視線が窓からレーダー画面へ移る。
「全便、離陸を一時停止」
「了解」
「関西国際空港への進入を中止。進入予定機は空域外で待機」
「了解しました」
「各機の燃料残量を確認。待機が困難な機体は代替空港へ振り替える」
「了解」
静かだった管制室が、一斉に動き始めた。
「オーシャン217便、関西国際空港への進入を中止してください。空域外で待機願います」
『オーシャン217、了解。待機に入ります』
「燃料状況を報告してください」
『30分以上の待機が可能です』
「了解しました」
別の無線が入る。
「スカイ512便、待機可能時間を報告してください」
『約10分です』
「了解。希望する代替空港を報告してください。それまで現行ルートを維持してください」
『了解』
無線は淡々と続いていく。
誰も憶測を口にしない。
安全を最優先に、決められた手順を一つずつ積み重ねていく。
◇
一方。
テレビ局では、視聴者からの電話や映像が相次いで届いていた。
「同じ映像が何件来ています?」
「かなりの数です」
「撮影場所は?」
「ばらばらです」
「映像解析は?」
「確認中ですが……」
「どうした?」
担当者は窓の外を指差した。
報道フロアにいた数人が、一斉に視線を向ける。
誰も言葉を発しない。
投稿映像と同じ巨大な紋様が、窓の外の空に浮かんでいた。
「……本物だ」
誰かが小さくつぶやく。
その一言をきっかけに、報道フロアの空気が変わる。
「現場班を出して」
「屋上カメラを回して」
「空港にも確認を」
「警察にも連絡」
電話が鳴る。
人が走る。
モニターには新たな映像が次々と映し出される。
数分前まで、いつもと変わらない朝の番組を作っていた報道フロアは、未知の出来事を追う最前線へと変わっていった。




