第一話 空に浮かぶ円
2027年3月10日(水) 07:43
春の訪れを感じ始めた朝。
街は、いつもと変わらない時間を迎えていた。
駅へ向かう人の流れ。
赤信号で止まる車の列。
通学路を歩く子どもたち。
朝の情報番組から聞こえる天気予報。
誰もが、ごく普通の一日になると信じている。
一人の男性が足を止めた。
視線は空へ向いている。
「……何だ、あれ」
その声につられるように、周囲の人々も顔を上げる。
誰かが立ち止まり、
また一人が立ち止まり、
歩いていた人の流れが、ゆっくりと止まり始める。
空に、巨大な円があった。
雲ではない。
煙でもない。
飛行機雲でもない。
遥か上空。
青空の中に、あまりにも巨大な紋様が静かに浮かんでいる。
視界いっぱいに広がるその紋様は、どこまでが端なのかさえ分からなかった。
幾重にも重なる円。
その中を埋め尽くす、精密な線。
既知の幾何学模様とも違う。
芸術作品とも違う。
誰も見たことのない図形だった。
輪郭は淡く輝いている。
しかし眩しくはない。
向こう側の青空が透けて見える。
まるで空そのものに描かれた絵のようだった。
「映画の撮影か?」
「プロジェクションマッピング……?」
「いや、あんな大きさ、どうやって作るんだよ。」
「ママ、あれ何?」
幼い子どもが空を指差す。
母親は空を見上げたまま答えられなかった。
「……今すぐ帰るよ。」
子どもの手を強く握ると、人混みの中を足早に歩き始めた。
答えを知る者は誰もいない。
車を降りる人。
スマートフォンを向ける人。
信号が青になっても横断歩道を渡らない人。
街は静かに混乱し始めていた。
最初の動画が投稿される。
『空に何かある』
数秒後。
『これ、私のところからも見える』
さらに数秒後。
『誰か説明できる人いる?』
投稿は次々と増えていく。
映る景色は違う。
映る建物も違う。
それでも、空に浮かぶ巨大な紋様だけは、どの映像にも同じ姿で映っていた。
◇
青空に浮かぶ、巨大な紋様。
その中心には、奇妙な記号が横一列に並んでいる。
紋様全体に比べれば小さく、肉眼では形を判別することさえ難しい。
見たことのない形だった。
誰にも意味は分からない。
それでも、その記号は巨大な紋様の中心に、静かに佇んでいた。




