プロローグ ダイジェスト版
※本話は第1話~第39話の内容をまとめたダイジェスト版です。
通常版をお読みになる方は、第1話からお進みください。
本編から早く読みたい方は、本話を読んだあと第40話へお進みください。
2027年3月10日(水) 07:43
春の訪れを感じ始めた朝。
駅へ向かう人の流れ。赤信号で止まる車の列。通学路を歩く子どもたち。
誰もが、ごく普通の1日になると信じていた。
「……何だ、あれ」
1人の男性が足を止めた。
その声につられるように、周囲の人々も空を見上げる。
大阪上空に、巨大な円が浮かんでいた。
雲でも、煙でもない。幾重にも重なる円と、その内側を埋め尽くす精密な線。見たことのない記号が並ぶ紋様は淡く輝き、向こう側の青空が透けて見える。
まるで、空そのものに描かれた絵のようだった。
スマートフォンが一斉に向けられる。
『空に何かある』
『これ、私のところからも見える』
『誰か説明できる人いる?』
映る街並みも、撮影された場所も違う。それでも、どの映像にも同じ紋様が映っていた。
関西の3空港では離着陸が止まり、警察への通報が相次いだ。大阪府庁の危機管理室では、情報収集が始まった。
「確認できた事実だけを集めます。憶測は不要です」
職員たちが情報を集めるなか、大阪府知事の高城は官邸へ電話をつないだ。
人的、物的被害は確認されていない。だが、危険ではないという根拠もない。
報告を受けた内閣総理大臣、藤堂真は、正体不明の現象に対応するため官邸対策室を設置した。
◇
政府の要請を受け、大阪へ向かったのは海上自衛隊のP-1哨戒機だった。
接近して分かったのは、その異様さだけだった。
紋様は高度約2,500m、直径約20km。
「レーダー」
「反応なし」
「IR」
「温度差なし」
「電波放射なし。磁気異常なし。放射線、異常なし」
目で見ることはできる。カメラにも映る。だが、計測器では何の反応もなかった。
そこへ、鳥の群れが飛んできた。
鳥たちは進路を変えずに紋様へ入り、そのまま反対側へ抜けていく。羽ばたきも速度も変わらない。
「対象、通過! 異常ありません!」
だからといって、人間や航空機も安全だという保証にはならない。政府は内部への進入を認めず、P-1を帰投させた。
人類初の近接観測は、答えを得られないまま終わった。
◇
その日の午後。
大阪府庁の定点カメラを見ていた職員が、紋様のわずかな変化に気づいた。
出現直後からの画像、44枚が机に並べられる。
右端の記号は1回ごとに変わり、10種類の形を経て元へ戻る。その時、左隣の記号が1つ変わる。
「桁だ……」
「10進数……。この紋様は、数字を表しています」
最初に並んでいた4つの記号は、1000。その後、999、998と減り続けている。
「これは……何を数えている」
検証の結果、変化の間隔は、正確には10分23.8秒。
カウントダウンである可能性が高いと判断された。
そして、0になる時刻は――2027年3月17日、12時59分40秒。
残された時間は、7日。
◇
翌朝も、紋様は大阪の空にあった。
学校は休みになり、一部の企業は在宅勤務へ切り替えた。大阪を離れる家族がいる一方で、多くの人はいつもどおり会社へ向かう。
不安を感じた母親は、実家へ電話をかけた。
「そっちに行ってもいいかな」
『もちろん。いつでもおいで』
駅のホームには、普段より少ない通勤客が並んでいた。
「結局、俺たちの会社は通常勤務か……」
「まあ、仕事があるだけありがたいと思うしかないか」
電車が動き出す。乗客は一度だけ空を見上げ、またそれぞれの日常へ戻っていった。
何も起きていない。
だが、何が起きるかも分からない――
◇
政府はカウントダウンの存在を公表しなかった。
避難させるとしても、どこまで逃げればよいのか。紋様の真下か、大阪府全域か、それとも日本の外か。大阪府民全員を短期間で避難させることは現実的ではなく、そもそも紋様から離れることで安全になるという根拠さえなかった。
確かな情報のないまま数百万人を動かせば、その混乱自体が人を傷つける。
藤堂は情報を伏せ、調査と準備を続ける道を選んだ。
ただ、日本が何かを隠していることを、アメリカは見逃さなかった。
大統領特使として来日したウィリアム・ナルカミ・クロフォードは、官邸対策室に並ぶモニターのうち、1台だけ画面が消されているその謎に気づく。
「あのモニターには、何が映っているんです」
藤堂は数秒黙ったあと、職員へ告げた。
「……映してください」
黒かった画面に、変化を続ける未知の記号が現れた。
解析結果を渡されたクロフォードは、3月17日という日付を見つめた。
報告すれば軍も情報機関も動く。報告しなければ、何が起きるか分からないまま、その日を迎える。
「どうするかは、君に任せる」
藤堂の言葉を胸に、クロフォードは大統領へ連絡した。
アメリカは最悪の事態への準備を始めた。
やがて秘密を知る国が増え、政府高官や企業経営者、その家族たちが南半球へ移動し始める。在日米軍関係者の家族にも、国外退避の準備が進められた。
核心は伏せられていても、人の動きまでは隠せなかった。
◇
3月14日、深夜。
府庁で計算を手伝わされた若い職員、シゲオは、ネット上の映像から紋様の変化を見つけた。
『これ、途中で紋様が変わってる』
匿名掲示板へ投稿された短い一文をきっかけに、世界中の画像と動画が集まり始める。
『おい、これ10分24秒で変化するぞ』
『数字じゃないか』
「カウントダウン」という言葉は、瞬く間に世界へ広がっていった。
新聞記者の相沢も、その情報を追った。米軍関係者の退避、南半球へ移動する要人、複数の関係者の証言。
それぞれ別の場所から集めた事実は、同じ一点を指していた。
政府は、もっと早くから知っていた――
もし記事を出せば、混乱はさらに広がる。それでも相沢は、何も知らされないままその時を迎える人々を思い、記事を書くことを決意した。
◇
3月16日の朝。
前日までの悪天候で紋様が見えず、カウントダウンの検証ができなかった。
それが今朝、雲が晴れ始めた。
そして雲の切れ目から見えた紋様は、ネット上で予想された記号と同じだった。
朝刊にも、大きな見出しが躍る。
『政府、早期にカウントダウン把握 公表せず』
人々は一斉に動き出した。
道路は大阪を離れようとする車で埋まり、新大阪駅には人が押し寄せる。スーパーから水や米が消え、ガソリンスタンドには長い列ができた。交通事故、店舗での揉め事、駅での混乱。110番通報が増え続け、救急車は渋滞の中で立ち往生した。
混乱は大阪を越え、東京、名古屋、福岡へ広がっていく。
この混乱のなか、藤堂総理は大阪で国民への説明を決意する。
◇
同日17時。
街中の携帯電話から、緊急速報メールの警告音が鳴った。
【本日18時、内閣総理大臣から国民の皆様へ重要な説明があります】
◇
18時、藤堂は大阪から国民へ語りかけた。
※藤堂総理の会見は、ぜひ第36話でご覧ください。
◇
翌朝、大阪の街は静かだった。
相沢が書いた記者コラムが、新聞とともに家々へ届けられる。
政府が情報を公表しなかった判断は、検証されなければならない。混乱を防ぐという理由だけで、国民へ伝えないことが許されるのか。相沢の考えは変わっていなかった。
しかし、藤堂は国民の前で「分かりません」と言った。
分からないものを、分かったように語らない。それもまた、正しい政治家の姿なのかもしれない。
相沢はそう記し、最後に願った。
明日の朝も、こんな記事を書いていたい――と。
◇
大阪では、逃げる人々の列がまだ続いていた。
一方、マンションに残った老夫婦は、テレビに映る紋様を並んで眺めている。
「行かなくてよかったの?」
「どこへ?」
「息子のところ」
夫はしばらく画面を見ていた。
「もういいよ。ここが家だから」
それぞれの朝が、最後になるかもしれない日にも続いていた。
◇
2027年3月17日(水) 12:50
藤堂は誰もいない大阪府庁の危機管理室に残った。
高城は大阪府の指揮機能を高槻へ移し、浅間官房長官は東京の官邸で各機関との回線を維持する。
アメリカ。イギリス。バチカン。フランス。ドイツ。インド。オーストラリア。ブラジル。
世界中の人々が、同じ大阪の空を見ていた。
逃げた者がいる。
残った者がいる。
祈る者がいる。
家族の手を握る者がいる。
車の消えた道路。シャッターの下りた店。人気のないオフィス。
そのすべてを覆うように、巨大な紋様が浮かんでいる。
7日前から、何も答えないまま。
予測時刻まで、あと10秒。
相沢は新聞社でモニターを見つめていた。
高城は高槻で拳を握った。
浅間は東京で顔を上げた。
そして藤堂は、大阪で静かに息を吐いた。
12時59分37秒。
……3。
……2。
……1。
※カウントが0は、第40話をご覧ください。




