第二十四話 避難の試算
2027年3月13日(土) 08:12
首相官邸、官邸対策室。
扉が開き、藤堂が入ってきた。
「アメリカからは?」
「特にありません」
官房長官が答える。
「ただ、今朝から在日米軍関係者の家族について、国外退避の準備が始まったとの情報が入っています」
「……そうか」
藤堂は席についた。
「大阪は?」
「変化ありません。紋様にも、これまでと異なる動きは確認されていません」
「分かった」
官房長官が手元の資料へ目を落とす。
「あと、与野党ともに総理の国会出席を強く求めています」
藤堂が顔を上げる。
「ただ、こちらは私が対処しておきます」
「助かる」
「それから、クロフォード特使から面会の申し込みが入っています」
「何時だ」
「先方は、こちらの都合に合わせると」
「分かった。昼から会う」
「伝えておきます」
藤堂は正面のモニターへ目を向けた。
大阪上空の紋様が、昨日と変わらぬ姿で映っている。
◇
「大阪府から、資料が上がっています」
担当者が机の上に資料を置いた。
「避難に関するシミュレーションです」
藤堂が資料へ目を落とす。
「知事が?」
「はい。11日から検討を始めていたようです」
藤堂はページをめくった。
鉄道。
道路。
バス。
船舶。
避難先となる施設。
病院、高齢者施設からの移送。
周辺府県への受け入れ。
様々な条件で試算された数字が並んでいる。
「結果は?」
「府民全員を短期間で避難させるのは、現実的ではありません」
「大阪市だけなら」
「条件次第では可能性があります。しかし――」
担当者が大阪府の地図を示した。
「紋様は大阪市の外にもかかっています」
藤堂は地図を見る。
「大阪市だけを避難させる根拠がない」
「はい」
「では、紋様の真下にいる住民を対象にした場合は?」
「同じ問題があります」
「同じ?」
「紋様の外側が安全だという根拠がありません」
藤堂の手が止まった。
「……そうか」
「仮に避難範囲を決めたとしても、数百万人規模を動かせば、鉄道や道路だけでなく、避難先となる自治体にも大きな負担が生じます」
別の担当者が続ける。
「そして、大規模な避難を開始する場合、その理由を伏せたまま実施することは困難です」
藤堂は資料を閉じた。
「国としても検討を続けよう」
「はい」
「今は、出来る準備をしておこう」
藤堂は資料に手を置いた。
「実際に避難が必要になってから考え始めるのでは遅い」
「承知しました」
官房長官が口を開いた。
「自衛隊についてはどうします」
防衛省の担当者が答える。
「大阪周辺への部隊集結も可能です」
藤堂は黙った。
モニターに映る大阪上空へ目を向ける。
数秒、考える。
「……いや」
視線を戻した。
「何が起きるか分からない場所に、救援に必要な部隊まで置くべきではない」
防衛省の担当者が頷く。
「では、京都、滋賀方面の駐屯地を中心に分散待機させます。輸送、救助、医療、道路啓開。必要となる部隊を選定し、命令があれば即座に展開できる態勢を整えます」
「時間は」
「今から準備すれば、17日までには」
「それで進めてください」
「はい」
「消防、警察、医療についても同じだ」
官房長官が藤堂を見る。
「広域応援の準備を?」
「ああ。ただし、今は動かさない」
「承知しました」
藤堂は再びモニターを見る。
大阪上空には、何事もなかったかのように紋様が浮かんでいる。
あと4日。
何が起きるのかは、誰にも分からない。
それでも、備えることはできる。
◇
2027年3月13日(土) 13:07
首相官邸、官邸対策室。
「クロフォード特使がお見えです」
「入ってもらってくれ」
扉が開いた。
クロフォードが対策室へ入る。
その視線が、壁面へ向いた。
並んだモニター。
今日は、すべての画面がついていた。
その一つには、あの記号が映っている。
クロフォードは一瞬だけ足を止めた。
そして、藤堂の前まで歩く。
「総理」
「どうぞ」
二人が向かい合って座った。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「……大統領には報告しました」
藤堂は小さく頷いた。
「……分かりました」
少し間を置く。
「それで、どうしますか?」
クロフォードは答えなかった。
視線を落とす。
「……分かりません」
藤堂は黙っている。
「本国も、対応を決めかねています」
「そうですか」
再び沈黙が落ちた。
クロフォードが壁面のモニターを見る。
記号は、今もそこにある。
「日本は?」
「準備を始めています」
「避難を?」
「まだです」
クロフォードが藤堂を見る。
「何が起きるか分からない以上、避難させる範囲すら決められない」
「……そうですね」
「ただ、必要になった時に動けるよう、出来る準備は進めています」
クロフォードはしばらく藤堂を見ていた。
やがて、静かに口を開く。
「藤堂総理は、この先どうするんですか」
藤堂はクロフォードを見る。
問いの意味を確かめるように、わずかな間があった。
「私は――」
藤堂は一度、壁面のモニターへ目を向けた。
そこには、変わり続ける記号が映っている。
そして、クロフォードへ視線を戻す。
「私は私が出来ることをするだけです」
クロフォードは何も言わなかった。




