第八話 黒霧城への道
翌朝。
目を覚ました時には、グレンの姿は消えていた。
昨夜まで座っていた焚き火の前には、灰だけが残されている。
まるで最初からそこにいなかったかのようだった。
「帰っちゃったんですね」
朝食代わりの干し肉を齧りながら、リリアが少し残念そうに言う。
「そうみたいだな」
俺は周囲を見回した。
気配はない。
本気で姿を隠したグレンを見つけるのは難しい。
百年前からそうだった。
レイド中に気付けば消えている。
そして次に見た時には、誰よりも危険な場所に立っている。
そんな男だった。
「知り合いだったんですか?」
「昔な」
「どれくらい昔です?」
俺は少し考えた。
そして正直に答える。
「百年前」
「またまた」
リリアがくすりと笑った。
朝日に照らされた笑顔は妙に眩しい。
どうやら冗談だと思っているらしい。
俺もそれ以上は言わなかった。
今はまだいい。
いずれ嫌でも分かる。
その時が来れば。
二人は再び東へ向かった。
進むほど景色が変わっていく。
街道は残っている。
だが手入れはされていない。
石畳の隙間から雑草が伸び、ところどころ崩れていた。
人の往来が少ないのだろう。
黒霧城へ近付いている証拠だった。
「なんだか怖いですね」
リリアが小声で呟く。
無意識なのか、少しだけ俺との距離が近い。
「帰るか?」
「帰りません」
即答だった。
少し前までなら逃げ出していたかもしれない。
それでも付いてくるあたり、根性はある。
昼過ぎ。
俺たちは広大な荒野へ辿り着いた。
そして足を止める。
「……なんだ、ここ」
目の前に広がっていたのは異様な光景だった。
地平線の彼方まで続く荒野だった。
草一本生えていない。
生命の気配がない。
ただ風だけが吹いている。
そして。
その大地には無数の武器が突き刺さっていた。
折れた剣。
砕けた槍。
ひしゃげた盾。
朽ちた鎧。
まるで戦士たちの墓標だった。
風が吹くたび、武器同士が触れ合う。
カラン。
カラン。
誰かが弔いの鐘を鳴らしているような音だった。
リリアが思わず息を呑む。
「……すごい」
その声は小さかった。
大声を出してはいけない気がしたのだろう。
俺も同じだった。
ここには何かが残っている。
百年前の戦いの残滓が。
「古戦場です」
リリアが静かに言った。
「古戦場?」
「百年前の大崩壊でできたって言われています」
百年前。
その言葉に胸がざわつく。
俺は武器の海へ足を踏み入れた。
一歩。
また一歩。
そして。
一本の剣の前で立ち止まる。
見覚えがあった。
柄の形。
鍔の意匠。
刻まれた紋章。
忘れるはずがない。
俺はゆっくり剣を引き抜いた。
刃は錆びている。
欠けている。
だが文字だけは残っていた。
《蒼雷》
息が止まる。
ランキング四十五位。
槍使い。
攻略組。
レイドで何度も背中を預けた男。
「まさか……」
思わず声が漏れた。
リリアが心配そうに俺を見る。
「知ってる武器なんですか?」
答えられなかった。
答えたくなかった。
この武器がここにある意味を理解してしまったからだ。
持ち主は帰れなかった。
ここで終わったのだ。
百年前の戦いで。
俺は静かに剣を元の場所へ戻した。
夕方。
古戦場の中央で一軒の小屋を見つけた。
周囲には誰もいない。
それなのに人の気配だけがある。
「こんなところに住む人なんているんですね」
リリアが不安そうに呟く。
そしてさりげなく俺の後ろへ半歩下がった。
本人は隠しているつもりらしい。
俺は苦笑した。
「行くぞ」
扉へ手を伸ばす。
その瞬間だった。
「珍しいな」
背後から声がした。
俺は反射的に振り返る。
リリアも肩を震わせる。
そこには老人が立っていた。
いつからいたのか分からない。
気配を感じなかった。
俺ですら。
白髪。
深い皺。
曲がった背。
一本の杖を支えに立つ老人。
どこにでもいそうな老人だった。
だが。
俺の視線が止まる。
首元。
銀色のプレート。
夕陽を受けて鈍く光っていた。
その瞬間。
全身に鳥肌が立つ。
忘れるはずがない。
プレイヤーギルドのタグ。
百年前。
仲間たちが誇りとして身につけていた証だった。
老人が笑う。
「その顔」
懐かしそうに。
本当に懐かしそうに。
「気付いたか」
俺は目を細めた。
「転生者か」
老人は頷く。
そして懐かしそうに笑った。
「久しぶりだな」
見覚えがある。
だが思い出せない。
百年という時間は長い。
顔も声も変わる。
「誰だ?」
俺が聞く。
老人は肩をすくめた。
「今は墓守だ」
「昔は?」
少しだけ誇らしそうに。
老人は答えた。
「ランキング五十二位」
その瞬間。
記憶が繋がる。
大盾使い。
前線の壁役。
豪快な笑い声。
レイドの守護神。
「バルド……」
老人は笑った。
「正解だ」
俺は言葉を失った。
グレンとは違う。
そこにいたのは本当に百年を生きた男だった。
深い皺。
曲がった背。
震える手。
百年という時間の重みが、その姿に刻まれていた。
「シモンさん?」
リリアが心配そうに袖を引く。
俺はようやく我に返った。
バルドはそんな俺を見つめる。
そして静かに言った。
「黒霧城へ行くのか?」
「行く」
即答だった。
バルドの笑顔が消える。
「やめておけ」
グレンと同じ反応だった。
「理由は?」
俺が尋ねる。
バルドは遠くを見る。
黒霧城があるはずの東の空を。
「フェンが、おかしい」
その瞬間。
心臓が強く鳴った。
「どういう意味だ」
バルドはしばらく黙った。
やがて重い声で答える。
「十年前までは普通だった」
「今は違う」
風が吹く。
夕焼けが古戦場を血のような赤色に染める。
「何かに侵されている」
その言葉だけで十分だった。
嫌な予感がする。
黒霧城で何かが起きている。
レオンも。
フェンも。
その中心にいる。
そして俺はまだ知らない。
百年前の仲間たちが、この世界でどれほど過酷な百年を生きてきたのかを。




