第九話 墓守の告白
その夜。
俺たちはバルドの小屋へ泊まることになった。
古戦場の中央。
無数の墓標に囲まれるように建てられた小さな木造の家だった。
外から見ればただの古びた小屋にしか見えない。
だが中へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
壁一面に貼られた地図。
年代ごとにまとめられた分厚い記録帳。
磨き上げられた武器や防具。
そして棚に並ぶ無数の名簿。
そこは家ではなかった。
百年という時間を閉じ込めた資料館だった。
「全部お前が管理してるのか」
俺が尋ねると、バルドは暖炉へ薪を放り込みながら頷いた。
炎がぱちりと音を立てる。
「百年も生きるとな」
バルドは苦笑した。
「やることがなくなる」
冗談めかして言ったが、その笑顔はどこか寂しかった。
長い。
あまりにも長い時間だ。
仲間を見送り続ける百年。
それがどんなものか、俺には想像もできなかった。
暖炉の前ではリリアが毛布に包まっていた。
今日一日歩き続けたせいだろう。
瞼が何度も落ちている。
こくり。
頭が揺れる。
はっと目を開く。
こくり。
また揺れる。
そして三度目。
完全に落ちた。
身体が前へ倒れる。
「あっ」
慌てて目を覚ます。
「起きてます!」
誰も何も言っていない。
バルドが吹き出した。
俺も少し笑う。
リリアは耳まで真っ赤になった。
「だから笑わないでください……」
毛布へ顔を埋める。
どうやら本気で恥ずかしいらしい。
俺はテーブルへ腰を下ろす。
向かいにはバルド。
暖炉の炎が揺れている。
窓の外は真っ暗だった。
古戦場を吹き抜ける風の音だけが聞こえる。
「話してくれ」
単刀直入だった。
バルドは俺を見る。
そして。
何を聞きたいのか理解したように頷いた。
「フェンのことか」
「ああ」
バルドは棚から酒瓶を取り出した。
コップへ注ぐ。
琥珀色の液体が揺れる。
一口飲み。
ゆっくり息を吐いた。
「十年前だ」
静かな声だった。
「俺は黒霧城へ行った」
俺の目が細くなる。
「一人でか?」
「一人だ」
無茶だ。
だがバルドならやりかねない。
百年前からそういう男だった。
誰かの盾になるためなら、自分の命など平然と賭ける。
そういう男だ。
「レオンに会いにな」
暖炉の炎が揺れる。
俺は黙って続きを待った。
「久しぶりに昔話でもしようと思った」
バルドは少し笑う。
だがその笑みは長く続かなかった。
「最初は普通だった」
バルドが静かに言う。
暖炉の火が揺れる。
「普通?」
「ああ」
少しだけ笑った。
懐かしいものを見るように。
「レオンだった」
その一言だけで。
胸の奥が少しだけ軽くなる。
「俺のことも覚えていた」
「昔話もした」
「レイドの話もした」
「グレンの話もした」
「アルトの話もした」
バルドはそこで言葉を切る。
そして。
「お前の話もな」
俺は黙る。
百年。
百年も経っているのに。
レオンはまだ俺たちを覚えていた。
少しだけ安心した。
少なくとも。
レオンはまだレオンだった。
最初は。
「だが途中で変わった」
空気が変わる。
暖炉の熱が急に遠くなった気がした。
「変わった?」
「別人になった」
俺は眉をひそめる。
バルドは視線を落とした。
まるで今でも思い出したくない記憶のように。
「目が変わった」
「声が変わった」
「空気が変わった」
暖炉の火が小さく揺れる。
影が壁を這う。
「まるで別の誰かが中にいるみたいだった」
沈黙。
俺は嫌な予感を覚えていた。
百年前。
そういう敵を知っている。
精神侵食。
寄生。
憑依。
ゲームでは何度も登場した設定だ。
だが。
今は違う。
ここはゲームではない。
現実だ。
「レオンの身体の中には二人いる」
バルドが低く言った。
「百年前のレオン」
そして。
「黒霧城の王だ」
俺は静かに息を吐く。
予想より悪い。
ずっと悪い。
「その王って何なんだ」
「分からん」
バルドは首を振った。
「だが一つだけ言える」
真剣な目だった。
百年を生きた男の目。
「世界崩壊イベントと関係がある」
俺の身体が強張る。
その言葉を待っていた。
百年前。
最後のレイド。
終焉の王。
世界崩壊イベント。
サービス終了。
そして俺の目覚め。
全部が一本の線で繋がり始めていた。
「レオンは何て言ってた」
俺が尋ねる。
バルドは少し迷った。
そして静かに口を開く。
「俺たちは負けたんじゃない」
部屋が静まり返る。
暖炉の音だけが響く。
「まだ終わっていない」
その言葉に背筋が寒くなる。
「終焉の王は生きている」
その言葉が落ちた瞬間。
部屋の温度が下がった気がした。
暖炉の火は燃えている。
なのに寒い。
終焉の王。
百年前。
数万人のプレイヤーが挑み。
世界中の戦力を集めても倒せなかった怪物。
俺たちの敗北。
そして世界の終わり。
その象徴。
本来なら。
サービス終了と共に消えるはずだった存在。
それが。
まだ生きている。
百年経った今も。
「馬鹿な……」
思わず漏れる。
だが。
百年後の世界にいる俺が、その言葉を否定できるはずもなかった。
「フェンも関係あるのか」
バルドはゆっくり頷く。
「多分な」
重い声だった。
「今の黒霧城はおかしい」
「レオンも」
「フェンも」
「城の魔物も」
「全部何かに侵されている」
沈黙が落ちる。
暖炉の炎が揺れる。
その時だった。
遠く。
夜の彼方から。
ウォォォォォォン――
遠吠えが夜空を裂く。
その瞬間。
心臓が止まりそうになった。
聞き間違えるはずがない。
フェンだ。
何千回。
何万回。
共に戦った相棒だ。
その声を忘れるはずがない。
だが。
俺の知るフェンの声ではなかった。
苦しそうだった。
悲しそうだった。
助けを求めるようだった。
泣いているようにも聞こえた。
「フェン……」
思わず名前が漏れる。
窓の外を見る。
黒霧城のある東の空。
見えないはずなのに。
そこに巨大な闇がある気がした。
そしてその闇の中心で。
フェンが俺を呼んでいる。
そんな気がしてならなかった。
毛布に包まっていたリリアも不安そうに顔を上げた。
「今の……」
俺は答えない。
答えられない。
窓の外を見る。
黒霧城のある東の空。
夜空の向こう。
見えないはずの場所から。
確かに何かが俺を呼んでいた。
そしてその呼び声は。
これまでで一番、切実だった。




