第七話 百年ぶりの再会
黒霧城へ続く街道。
俺とリリアは東へ向かっていた。
アルトを出て三日。
景色は少しずつ変わり始めている。
人が少ない。
村も少ない。
街道を行き交う旅人の姿もほとんど見なくなった。
森は深くなり、道は荒れ、空気そのものが重く感じる。
それだけ黒霧城が恐れられているのだろう。
「静かですね」
隣を歩くリリアが周囲を見回した。
いつもなら何かしら喋っているのに、今日は少し大人しい。
「そうだな」
俺が答えると、リリアは小さく頷いた。
そして。
「怖くなってきました」
正直に言った。
俺は思わず笑う。
「今さらか?」
「今さらです」
即答だった。
「昨日までは平気だったんです」
「昨日?」
「寝る前までは」
「十分今さらだな」
「自分でもそう思います」
リリアが肩を落とす。
だが、その表情はどこか吹っ切れていた。
逃げたいわけではない。
怖いだけだ。
そして怖くても進むつもりらしい。
「帰るか?」
少し意地悪を言ってみる。
するとリリアは即座に首を振った。
「嫌です」
「即答だな」
「強くなるって決めたので」
その声は真っ直ぐだった。
俺は何も言わない。
まだ弱い。
経験も足りない。
戦力として見れば足手まといだ。
だが覚悟だけは本物らしい。
だから連れてきた。
もしかすると。
昔の自分を少し思い出したのかもしれない。
俺も最初は弱かった。
レオンやグレンの背中を追い掛けていた側だったのだから。
夕方になる頃には森へ入っていた。
黒霧城方面へ向かう旅人はほとんどいない。
結果として野営が多くなる。
焚き火を起こし、簡単な食事を済ませる。
「おいしい……」
リリアがスープを飲みながら呟いた。
「ただの干し肉スープだぞ」
「シモンさん料理上手いですよ」
「そうか?」
「少なくとも私よりは」
少しだけ胸を張る。
威張るところではないと思う。
「リリア」
「はい」
「料理できないのか」
「できますよ?」
少し間があった。
嫌な予感がする。
「ちなみに何が作れる」
「焼く」
「他は」
「焼く」
「他は」
「……焼く?」
駄目だこいつ。
俺は静かに視線を逸らした。
リリアが慌てる。
「待ってください! スープも作れます!」
「本当か?」
「お湯に塩入れます!」
「それは作るとは言わない」
「えぇぇ……」
不満そうな声を出す。
少しだけ笑ってしまった。
その後。
リリアは疲れていたのか、毛布に包まるとすぐ眠ってしまった。
寝顔は年相応だった。
昼間の元気な姿が嘘みたいである。
俺は焚き火の前に座り、一人で炎を眺めていた。
百年前のことを考える。
フェン。
ノア。
イグニス。
レオン。
グレン。
アーサー。
そして終焉の王。
昨日のことのように思い出せる。
だが世界は百年進んでいる。
それはもう疑いようがなかった。
知らない年号。
変わった地形。
消えた街。
残された伝承。
そしてグレンたちの痕跡。
百年。
俺だけが取り残された。
そんな感覚が今も消えない。
「レオン……」
小さく呟く。
本当に生きているのか。
もし生きているなら。
どんな顔で会えばいい。
その時だった。
気配を感じる。
強い。
思わず背筋が伸びた。
今まで出会った誰よりも強い。
ガルドなど比較にならない。
本能が警鐘を鳴らしている。
俺は静かに立ち上がる。
右手を木剣へ伸ばした。
「出てこい」
焚き火の向こう。
森の奥で木々が揺れる。
やがて一人の男が姿を現した。
黒いローブ。
長身。
鍛え上げられた身体。
無駄のない歩き方。
ただ立っているだけなのに異様な存在感があった。
強い。
一目で分かる。
百年前。
攻略組の上位陣だけが持っていた空気だ。
男はゆっくりと歩いてくる。
まるで夜の散歩でもしているような気楽さだった。
「久しぶりだな」
低い声が響く。
聞き覚えはない。
だが次の言葉で全身が硬直した。
「ランキング二十八位」
男が笑う。
「召喚士シモン」
俺の目が細くなる。
その呼び方を知っているのはプレイヤーだけだ。
つまり。
「転生者か」
男は答えない。
代わりにフードを外した。
月明かりが顔を照らす。
その瞬間。
俺は息を呑んだ。
忘れるはずがない。
百年前。
攻略組の中心にいた男。
ランキング七位。
大剣使い。
ギルド《蒼天の翼》副団長。
そして。
俺が一度も勝てなかった相手。
「グレン……」
男は口元を歪める。
「よう」
百年ぶりとは思えない。
昔と同じ笑みだった。
「久しぶりだな」
しばらく言葉が出なかった。
目の前の男を見つめる。
間違いない。
グレンだ。
百年前。
ランキング七位。
攻略組最強クラスの一角。
大剣使い。
何度挑んでも勝てなかった男。
最後に見たのは、《終焉の王》討伐レイドだったはずだ。
「生きてたんだな」
ようやくそれだけ言えた。
グレンは肩をすくめる。
「そっちもな」
懐かしかった。
本当に。
胸の奥に溜まっていた何かが少しだけ軽くなる。
レオンの指輪を見つけた時も驚いた。
だが、それは痕跡だった。
今、目の前にいるのは本人だ。
百年前を知る人間。
俺と同じ世界を生きた仲間だった。
だが。
グレンの目は笑っていない。
どこか疲れていた。
百年という時間の重みが、そのまま刻まれているようだった。
「質問がある」
グレンが言う。
「なんだ」
「なんで今さら出てきた?」
俺は眉をひそめる。
意味が分からない。
グレンは焚き火へ視線を落とした。
炎が静かに揺れる。
「俺たちは百年生きた」
静かな声だった。
だが重い。
信じられないほど重かった。
「国を作った奴もいる」
「王になった奴もいる」
「死んだ奴もいる」
「狂った奴もいる」
炎が揺れる。
その向こうに、俺の知らない百年が見えた気がした。
「なのにお前だけ変わってない」
返す言葉がなかった。
事実だからだ。
俺の感覚では数日前。
昨日の続き。
レイドが終わった次の瞬間。
だがグレンは違う。
百年を生きた。
百年分の別れを経験した。
百年分の後悔を抱えている。
「……本当に百年なんだな」
思わず漏れる。
グレンは頷いた。
「認めたくなかったか?」
図星だった。
認めたくなかった。
だから確証を探していた。
だがもう無理だ。
知らない年号。
変わった地形。
消えた街。
レオンの指輪。
黒霧城の伝承。
そしてグレン。
ここまで揃って否定できるはずがない。
俺は本当に。
百年後の世界へ来ていた。
「分からない」
俺は正直に答える。
「気付いたら遺跡で目覚めた」
「最後の記憶は終焉の王との戦いだ」
グレンは黙って聞いていた。
「目が覚めたら知らない年号だった」
「知らない地名だった」
「気付いたら百年後だった」
グレンはしばらく黙っていた。
やがて大きく息を吐く。
「そうか」
その一言で敵意が消えた。
完全ではない。
だが納得はしたらしい。
その時だった。
「シモンさん……?」
眠そうな声が聞こえる。
リリアだった。
毛布から顔を出し、目をこすりながら起き上がる。
そしてグレンを見た瞬間。
固まった。
本能で理解したのだろう。
目の前の男が危険だと。
「だ、誰ですか……?」
グレンはリリアを見る。
「一般人か?」
「違います!」
リリアが反射的に立ち上がった。
「冒険者です!」
少し間が空く。
「……駆け出しですけど」
さらに小さくなる。
「一応ちゃんと冒険者です」
俺は思わず吹き出しそうになった。
グレンも同じだったらしい。
目を丸くしたあと。
小さく笑った。
本当に久しぶりに。
「そうか」
その笑顔は昔のグレンだった。
リリアは少し安心したらしい。
だがすぐに警戒を思い出した。
俺の後ろへ半歩下がる。
隠れているつもりらしい。
半分くらい見えていた。
「隠れてるつもりか?」
「隠れてます」
「見えてるぞ」
「気のせいです」
意味が分からない。
だが少しだけ場の空気が軽くなった。
俺たちは焚き火を囲んで話をした。
百年間のこと。
転生者たちのこと。
失われた国々のこと。
死んだ仲間たちのこと。
ランキング二位は四十年前に戦死したらしい。
ランキング十三位は王国を築いたらしい。
ランキング四十位は老衰で亡くなった。
様々な話を聞いた。
その一つ一つが重かった。
百年。
言葉では簡単だ。
だが実際は人の人生そのものだった。
俺だけが、その時間を飛ばしてしまった。
だが。
俺が一番知りたかったことは別にある。
「レオンは?」
その瞬間。
グレンの表情が曇った。
炎が揺れる。
沈黙が落ちる。
「生きてる」
少しだけ安心する。
だが続く言葉は重かった。
「生きてるが……」
グレンは焚き火を見る。
「もう昔のレオンじゃない」
空気が変わる。
「どういう意味だ」
「会えば分かる」
それ以上は話さなかった。
そして最後に立ち上がる。
「忠告しておく」
「なんだ」
「黒霧城へ行くな」
俺は苦笑する。
「無理だな」
フェンがいる。
レオンがいる。
そして百年後の世界で、初めて見つけた答えもある。
行かない理由がない。
グレンはそれを予想していたらしい。
小さく笑った。
「なら覚悟しろ」
風が吹く。
焚き火が大きく揺れた。
「今のレオンは俺より強い」
俺は目を見開く。
ランキング七位だったグレン。
ランキング十一位だったレオン。
本来ならグレンの方が上だ。
だが百年という時間が全てを変えていた。
グレンはそれだけ言うと森の闇へ消えていった。
足音すら残らない。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
残された俺は東の空を見る。
黒霧城。
その先に待つものが何なのか。
レオンに何があったのか。
まだ分からない。
だが確かなことが一つだけある。
俺はもう引き返せない。
フェンが待っている。
レオンが待っている。
そして。
百年前に終わったはずの物語の続きが、あの城にある。
俺は静かに拳を握った。
黒霧城。
そこに。
俺の知りたかった答えがある。




