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第六話 黒騎士レオン

黒霧城。

その名前を聞いてから三日が経った。

俺はまだアルトに滞在していた。

理由は情報収集だ。

だが本当は、それだけではない。

百年。

ガルドが口にしたその言葉が、まだ頭から離れなかった。

本当に百年なのか。

俺は本当に、そこまで遠い時代へ来てしまったのか。

確証はない。

だが否定する材料もない。

知らない年号。

知らない地名。

変わり果てた地形。

そして、レオンの指輪。

考えれば考えるほど、嫌な予感だけが大きくなっていく。

《エターナル・フロンティア》の知識は、ほとんど役に立たない。

街の名前も。

国の名前も。

魔物の強さも。

何もかもが変わっている。

どれだけ強くても情報がなければ死ぬ。

それはかつてのレイドで嫌というほど学んだことだった。

「それで?」

向かいの席から声が飛んでくる。

リリアだった。

栗色の髪を耳にかけながら、朝食のパンを片手に身を乗り出している。

大きな瞳がこちらをじっと見つめていた。

「本当に行くんですか?」

場所は冒険者ギルドの食堂だ。

周囲の冒険者たちは、露骨に聞き耳を立てている。

黒牙盗賊団。

ギルド長との模擬戦。

この数日で少し有名になってしまったらしい。

「行く」

俺は即答した。

リリアが分かりやすく肩を落とす。

「ですよねぇ……」

予想していた反応だったらしい。

「危険なんだろ?」

「めちゃくちゃ危険です」

「じゃあ行くしかない」

「意味が分かりません!」

リリアが両手でテーブルを叩く。

周囲の冒険者たちが吹き出した。

俺も少し笑う。

久しぶりだった。

こんな空気。

かつての《エターナル・フロンティア》。

レイド攻略前の食堂を思い出す。

仲間たちと情報交換をして。

無駄話をして。

そして死地へ向かった。

あの頃と少し似ていた。

リリアは頬を膨らませながら、こちらを睨んでいる。

怖いというより、子犬が威嚇しているようだった。

「シモンさん、絶対に分かってないです」

「何をだ」

「危ない場所に行く人の顔じゃないです」

「そうか?」

「そうです」

リリアはむっとした顔でパンをかじった。

怒っているのに、食べることはやめないらしい。

少しだけおかしかった。

その日の夜。

宿屋の部屋。

俺は窓際に立ちながら夜空を見上げていた。

アルトの街は静かだった。

昼間の喧騒が嘘のように遠い。

窓の向こうでは、酒場の明かりがぽつぽつと揺れている。

俺は目を閉じた。

かつての記憶を整理する。

ランキング十一位。

レオン。

魔導騎士。

攻略組の中心人物。

そして、俺より強かった男。

何度挑んでも勝てなかった。

だが嫌いではなかった。

むしろ尊敬していた。

誰よりも冷静で。

誰よりも責任感が強かった。

レイドで崩れかけた前線を、何度立て直したか分からない。

そんな男の指輪が、盗賊の手にあった。

そして黒霧城には、黒騎士レオンという伝承が残っている。

本当にレオンなのか。

本当に生きているのか。

それとも、名前だけが残った別の何かなのか。

分からない。

だが確かめなければならない。

「レオン……」

思わず名前が漏れた。

普通ならあり得ない。

だが俺自身が、あり得ない存在だった。

その時だった。

『……主』

頭の奥へ声が響いた。

俺は反射的に顔を上げる。

「フェン」

間違いない。

風狼フェン。

俺の召喚獣。

俺のかけがえのない相棒だ。

『主……』

以前より近い。

確実に。

胸の奥で何かが震える。

懐かしさと焦りが入り混じったような感覚だった。

『待っています』

それだけだった。

だが十分だった。

声が消える。

気配も遠ざかる。

俺は窓の外を見る。

東。

黒霧城の方角。

フェンはいる。

やはりあそこだ。

レオンの痕跡も。

フェンの声も。

全てが黒霧城へ繋がっている。

なら行くしかない。

そこに答えがある。

翌朝。

俺は出発の準備を整えていた。

荷物は少ない。

食料。

水。

予備の衣類。

そして木剣。

本来なら双剣が欲しい。

だが今はないものを嘆いても仕方がない。

宿を出ようとした時だった。

「おはようございます!」

元気な声が響く。

振り返る。

予想通りだった。

リリアが立っている。

栗色の髪を後ろで軽く結び、革鎧の上から薄い外套を羽織っていた。

背中には小さな荷物。

腰には使い込まれた剣。

胸元には冒険者証らしき金属板が揺れている。

どう見ても旅支度だ。

嫌な予感しかしない。

「何してる」

「旅支度です!」

胸を張って答えた。

小柄な体で精一杯堂々としている。

そのせいで、余計に無理をしているのが分かった。

「なんで?」

「行くからです!」

「どこへ」

「黒霧城です!」

まるで名案を思いついた子供みたいな顔だった。

俺は額を押さえる。

やはりこうなったか。

「駄目だ」

即答した。

リリアが固まる。

「え?」

「危険すぎる」

「冒険者です!」

「駄目だ」

「なんでですか!」

「死ぬからだ」

今度はリリアが黙った。

しばらく俯いている。

握り締めた拳が小さく震えていた。

やがて小さな声が聞こえる。

「……強くなりたいんです」

俺は目を細める。

「何?」

リリアは顔を上げないまま言った。

「私、弱いんです」

悔しそうだった。

本当に。

「遺跡でも何もできなかった」

「盗賊にも勝てない」

「魔物にも勝てない」

「シモンさんに助けられてばかりで」

朝日が差し込む。

彼女の横顔を照らしていた。

睫毛の影が頬に落ちている。

泣きそうな顔だった。

だが涙はこぼしていない。

「だから」

リリアは顔を上げる。

真っ直ぐな目だった。

「強くなりたいんです」

俺は答えなかった。

その気持ちは分かる。

あの頃。

俺も同じだった。

強くなりたかった。

誰よりも。

ランキング上位者に追いつきたかった。

レオンやグレンの背中を、ただ見ているだけでは嫌だった。

だから必死で戦った。

だから今の自分がある。

「お願いします」

リリアが頭を下げる。

「連れて行ってください」

困った。

こういうのは苦手だ。

レイドの交渉も。

新人教育も。

ギルド運営も。

全部レオンやアルトが担当していた。

俺は戦う専門だった。

その時だった。

「行かせてやれ」

後ろから声がした。

振り返る。

ガルドだった。

腕を組みながらこちらを見ている。

「ギルド長!」

リリアの顔が明るくなる。

まるで援軍が来たと言わんばかりだった。

ガルドは頷いた。

「経験が必要だ」

「黒霧城だぞ」

俺が言う。

ガルドは笑った。

「だからだ」

そして真面目な顔になる。

「今のあいつは弱い」

リリアが露骨にショックを受ける。

だが反論できない。

事実だからだ。

「だが才能はある」

ガルドは続ける。

「怖くても足を止めねぇ。助けられたことを悔しがれる。そういう奴は伸びる」

リリアが目を丸くした。

褒められるとは思っていなかったらしい。

ガルドは俺を見る。

「誰か強い奴について行かなきゃ、見えないものもある」

「それで死んだら意味がない」

「お前なら死なせないだろ」

沈黙が落ちる。

俺はため息を吐いた。

本当に面倒なことになった。

リリアが期待に満ちた目でこちらを見ている。

犬みたいだ。

「一つだけ条件がある」

「はい!」

即答だった。

「勝手な行動は禁止」

「はい!」

「逃げろと言ったら逃げる」

「はい!」

「死にそうになったら帰る」

「……はい」

最後だけ少し声が小さかった。

俺は苦笑する。

「分かった」

その瞬間。

リリアが飛び跳ねた。

「やったー!」

栗色の髪が朝日に揺れる。

周囲の冒険者たちが笑う。

ガルドも笑った。

こうして。

俺とリリアは旅に出ることになった。

黒霧城へ。

フェンを探すために。

黒騎士レオンの正体を確かめるために。

そして。

俺が今いるこの世界の答えを探すために。

だが、この時の俺は知らなかった。

旅の途中で、もう一人の転生者と再会することを。

かつてランキング七位だった男。

大剣使い。

攻略組最強クラスの一角。

そして――

俺が一度も勝てなかった相手。

グレンと。

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