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第五話 失われた時代

ガルドの戦斧が空を切った。

訓練場に静寂が訪れる。

誰も何が起きたのか理解できていない。

ガルド本人でさえ。

確かに捉えたはずだった。

長年の経験がそう告げている。

Aランク冒険者として幾度も死線を潜り抜けてきた感覚が、今の一撃は当たると告げていた。

だが現実は違った。

気付けば俺はガルドの背後に立っていた。

木剣を肩に担いだまま。

まるで散歩でもしているような気軽さで。

「続けるか?」

その一言で空気が変わる。

観客席がざわめいた。

ガルドの表情が引き締まる。

今ので理解したのだろう。

目の前の男は強い。

それも、自分の知る常識の範囲を超えていると。

「もう一度だ」

ガルドが戦斧を握り直す。

全身から魔力が溢れ始めた。

筋肉が膨張し、血管が浮き上がる。

身体能力強化。

戦士系では最も基本的な強化技術の一つだ。

だが俺は違和感を覚えた。

俺の知る《エターナル・フロンティア》にも同じ技は存在した。

しかし何かが違う。

出力が低い。

魔力の流れも粗い。

同じ技術を無理やり再現したような不自然さがある。

本物に似ている。

だが、俺の知っているものとは違う。

「行くぞ!」

ガルドが地面を蹴る。

先ほどより速い。

観客たちが歓声を上げる。

確かに速かった。

普通の人間なら反応できないだろう。

だが。

俺の感覚では、やはり遅い。

いや、違う。

ガルドが弱いのではない。

俺の中に残っている基準がおかしいのだ。

レイドボスの攻撃。

上位プレイヤー同士の模擬戦。

一瞬の判断ミスで全滅する高難度ダンジョン。

そういうものを基準にしてしまうから、今の戦いが遅く見える。

俺は木剣を構えた。

戦斧が迫る。

重い一撃。

だが軌道は見えている。

カンッ!

乾いた音が響いた。

次の瞬間。

ガルドの戦斧が宙を舞った。

誰も反応できなかった。

戦斧は高く回転しながら飛んでいき、訓練場の外へ落下する。

沈黙。

ガルドは呆然と自分の手を見ていた。

何が起きたのか理解できていない。

俺も少し驚いていた。

思った以上に差がある。

少なくともガルドは、この町では最強格のはずだ。

周囲の反応を見れば分かる。

それなのに。

俺の知る戦闘技術とは、あまりにも噛み合わない。

いったい何が違う。

技術か。

魔力か。

それとも時代そのものか。

「終わりか?」

俺が聞く。

ガルドはしばらく黙っていた。

そして突然、豪快に笑い出した。

「参った!」

その瞬間。

訓練場が爆発したような騒ぎになる。

「負けた!?」

「ギルド長が!?」

「木剣一本で!?」

冒険者たちの顔には驚愕しかなかった。

リリアだけが少し誇らしそうな顔をしている。

何故かは分からないが。

その日の夕方。

俺はガルドに呼ばれてギルド長室へ向かった。

部屋の中には大きな机と本棚。

壁には周辺地図や魔物の討伐記録が貼られている。

賞状らしきものまで飾られていた。

いかにもギルド長の部屋という感じだ。

ガルドは椅子へ深く腰掛け、酒を飲んでいた。

「お前、何者だ?」

開口一番それだった。

「旅人だ」

「嘘つけ」

即答だった。

俺は肩をすくめる。

ガルドは頭を掻いた。

「少なくとも普通じゃねぇ」

「そうか?」

「そうだ」

ガルドは断言する。

「俺はAランク冒険者だ」

どうやら相当強いらしい。

町の反応を見ても分かる。

だが俺の知る感覚が邪魔をする。

今の基準が分からない。

「お前の動きは見たことがない」

ガルドが続けた。

「どこで習った?」

少し考える。

そして答えた。

「昔に修めた技術だ」

嘘ではない。

《エターナル・フロンティア》で身につけた戦い方なのだから。

ガルドは勝手に納得したらしい。

「失われた古流か」

便利な解釈だった。

俺も否定しない。

その時。

壁に貼られた地図が目に入った。

俺は立ち上がり、地図を見る。

知らない国名。

知らない街。

知らない地形。

ここ数日で何度も見てきた違和感だった。

俺の知っているはずの世界が、少しずつ別物へ変わっていく。

いや。

もしかすると、最初から俺が知らなかっただけなのかもしれない。

そう考えようとしても、胸の奥の違和感は消えなかった。

そして。

東部へ視線が止まる。

そこだけ黒く塗り潰されていた。

まるで、その場所だけ地図に載せることすら避けているように。

「ここは?」

ガルドの表情が曇る。

「ああ……」

嫌そうな顔だった。

「黒霧城だ」

その名前を聞いた瞬間、盗賊団の頭領の言葉を思い出す。

東の廃城。

レオンの指輪。

フェンの声。

全てが同じ方向を指している。

「危険なのか?」

俺が尋ねる。

ガルドは真剣な顔になった。

「近付くな」

即答だった。

その表情に冗談はない。

本気で忠告している。

「昔から誰も近づけない場所だ」

「昔から?」

「ああ」

ガルドは地図の黒い印を睨むように見る。

「この町じゃ百年近く前からそう伝わっている。黒霧城に近付いた者は帰らない。軍も出た。高ランク冒険者も出た。だが誰も戻らなかった」

百年近く。

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が重くなった。

百年。

確定したわけではない。

ただの伝承かもしれない。

誇張された話かもしれない。

この世界の人間がそう言っているだけかもしれない。

だが。

遺跡の風化。

知らない年号。

知らない地名。

変わった地形。

レオンの指輪。

それらが頭の中で嫌な形に繋がっていく。

もし本当に、それだけの時間が流れているのだとしたら。

俺の知る街はもうない。

俺の知る国もない。

仲間たちも。

ギルドも。

全て過去になっている。

「……百年、か」

思わず呟いた。

ガルドが怪訝そうにこちらを見る。

「どうした?」

「いや」

俺は首を振る。

まだ決めつけるな。

情報が足りない。

遺跡で目覚めてから、俺はずっと分からないことだらけだ。

今ここで結論を出せるほど、材料は揃っていない。

だが。

疑いはもう消せなかった。

俺は本当に、想像もできないほど未来の世界にいるのかもしれない。

「奴とは?」

俺が聞くと、ガルドは少し迷った。

そして低い声で答える。

「黒い鎧の剣士だ」

心臓が一度だけ強く鳴る。

「人間か?」

「分からん」

ガルドは首を振った。

「少なくとも普通の人間じゃない。昔から姿が変わらないって話だ」

姿が変わらない?

もし相手が俺と同じ立場なら。

俺と同じように姿が変わっていない理由にはなる。

「名前は?」

ガルドは少しだけ声を落とした。

「誰も知らん」

そして続ける。

「だが伝承では――」

その瞬間。

俺は立ち上がっていた。

「黒騎士レオン」

ガルドの目が見開かれる。

部屋の空気が凍り付いた。

レオン。

ランキング十一位。

魔導騎士。

何度もレイドを共に戦った仲間。

俺の知る男と条件が一致しすぎている。

東の廃城。

黒い鎧の剣士。

姿が変わらないという伝承。

そして、あの指輪。

偶然とは思えなかった。

「知ってるのか?」

ガルドが聞く。

俺はすぐには答えられなかった。

答えれば、認めることになる気がした。

レオンがそこにいるかもしれないことを。

そして、俺が知っている時代から長い年月が過ぎているかもしれないことを。

俺は窓の外へ目を向けた。

沈みかけた夕日が東の空を赤く染めている。

その遥か先。

黒霧城。

フェンの声も。

レオンの指輪も。

全てがそこへ繋がっている。

百年後。

その言葉はまだ確信にはならない。

だが、否定もできない。

俺は静かに拳を握った。

黒霧城。

そこに行けば、何かが分かる。

レオンに何があったのか。

フェンがなぜ俺を呼ぶのか。

そして。

俺が今いるこの世界が、いったい何なのか。

その答えが、きっとそこにある。


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