第五十八話 虚無の心臓
ドクン。
ドクン。
ドクン。
鼓動が響く。
世界そのものが脈打っているようだった。
巨大な根が揺れる。
世界樹が軋む。
侵食された部分が黒く膨れ上がる。
まるで巨大な腫瘍だった。
いや。
それ以上だ。
世界を喰らう癌。
それが虚無喰らいだった。
アーサーの表情が初めて険しくなる。
「来るぞ」
短い言葉だった。
だが。
その声には百年前の緊張感があった。
攻略組全員の背筋が伸びる。
団長が本気で警戒する相手。
そんなものを見たことがない。
その時だった。
世界樹の根の最深部。
巨大な闇が裂けた。
ズルリ。
嫌な音。
肉でもない。
岩でもない。
世界そのものが裂ける音だった。
そして。
現れた。
全員が息を呑む。
巨大。
そんな言葉では足りない。
山脈より大きい。
城より大きい。
世界樹の根に絡み付くように存在する黒い心臓。
無数の血管。
無数の眼球。
無数の口。
その全てが脈打っている。
『――――』
声にならない声。
聞こえているのに理解できない。
理解できないのに恐怖だけが伝わる。
リリアなら気絶していた。
フェンですら顔をしかめるだろう。
終焉の王でさえ剣を構えるはずだ。
そんな存在だった。
『これが……』
カインが呟く。
『本体か』
世界樹が答える。
『違います』
全員が振り向く。
『これは心臓です』
沈黙。
誰も理解できない。
アーサーだけが苦笑した。
『そういうことか』
世界樹が続ける。
『虚無喰らいは生物ではありません』
『概念です』
『世界を終わらせる現象』
『終焉そのもの』
巨大な心臓が脈打つ。
ドクン。
その瞬間。
周囲の結晶が黒く染まる。
ドクン。
眠っていた魂が悲鳴を上げる。
ドクン。
世界樹の根が腐敗する。
『だから』
世界樹の声が重くなる。
『心臓を破壊しても終わりません』
ヴァルクが顔をしかめる。
「おいおい」
エリオスも呆れる。
「聞いてねぇぞ」
「俺も今知った」
シモンが言う。
アーサーが吹き出した。
百年ぶりだった。
本当に。
心から笑った顔だった。
「相変わらずだな」
「何がだ」
「説明聞いてない」
「重要なとこだけ聞けばいい」
「その結果が毎回大惨事だった」
攻略組から笑いが漏れる。
こんな状況なのに。
笑ってしまう。
百年前もそうだった。
絶望的なボスほど。
なぜか笑っていた。
その時だった。
巨大な心臓の中央。
黒い肉が割れる。
ズルリ。
何かが出てくる。
人影。
いや。
人だった。
黒い鎧。
漆黒のマント。
黄金の瞳。
その姿を見た瞬間。
アーサーの表情が消える。
カインも。
ヴァルクも。
エリオスも。
凍り付いた。
シモンだけが知らなかった。
「誰だ」
静寂。
そして。
アーサーが低く呟く。
「……ゼロ」
その名前が響いた瞬間。
空気が変わった。
攻略組全員の顔色が変わる。
シモンが眉をひそめる。
聞いたことがない。
百年前。
ランキング上位。
攻略組。
そのどこにもいなかった名前だ。
だが。
アーサーだけは知っていた。
百年間。
ずっと戦ってきたから。
黒い男が笑う。
静かに。
穏やかに。
まるで旧友と再会したように。
『久しぶりだ』
黄金の瞳が開く。
その瞳の奥には。
無限の闇が広がっていた。
『世界樹の契約者』
『最後の召喚士』
『攻略組』
男はゆっくりと前へ出る。
一歩。
それだけで世界が軋む。
根が腐る。
空間が崩れる。
存在そのものが異常だった。
そして。
男は微笑む。
『ようやく会えたな』
その瞬間。
世界樹が震えた。
恐怖だった。
今まで一度も見せなかった。
世界樹自身の恐怖。
『契約者』
震える声が響く。
『あれが』
『虚無喰らいの意思です』
全員の表情が変わる。
心臓ではない。
核でもない。
本体でもない。
その全てを動かしている中心。
百年前の世界崩壊イベント。
その始まり。
全ての元凶。
虚無喰らいの王。
ゼロ。
ついに。
最後の敵が姿を現した。




