第四十五話 魂の深淵
ヴァルクが咆哮した。
黒い肉が膨れ上がる。
無数の腕が生える。
背中から伸びた触手が壁へ突き刺さる。
まるで虚無喰らいそのものになろうとしているかのようだった。
『排除』
『排除』
『排除』
虚無喰らいの声が体内へ響く。
そのたびに。
ヴァルクの瞳から人間らしい光が失われていく。
時間がない。
シモンは蒼雷を握る。
世界樹の光が剣へ流れ込む。
青い雷光。
緑の生命光。
二つの力が混ざり合う。
『契約者』
世界樹が静かに告げる。
『彼の魂は深層へ沈んでいます』
『肉体ではありません』
『魂へ辿り着いてください』
「どうやってだ」
『切り開くのです』
簡単に言う。
だが。
世界樹らしい答えだった。
シモンは苦笑する。
「要するにいつも通りか」
『はい』
リリアが困惑していた。
「全然いつも通りじゃないですよ!?」
だが。
シモンはもう決めていた。
蒼雷を構える。
ヴァルクを見る。
百年前。
どんな無茶なレイドでも笑って突っ込んでいった男。
誰よりも仲間を信じていた男。
なら。
今度は自分の番だ。
「迎えに行くぞ」
ヴァルクの瞳が揺れた。
その瞬間。
黒い肉塊が襲い掛かる。
ドォォォォォォォン!!
巨大な拳。
空間が砕ける。
シモンは飛び込んだ。
正面から。
リリアが悲鳴を上げる。
「避けてぇぇぇぇっ!!」
だが。
避けない。
蒼雷が光る。
青い軌跡。
一閃。
巨大な腕が切断される。
黒い血が噴き出す。
だが。
再生が始まる。
異常な速度。
普通なら絶望する。
しかし。
シモンは笑った。
「やっぱりそう来るよな」
百年前。
こういう敵は何度もいた。
倒せない。
再生する。
無限復活。
だが。
必ず攻略法がある。
それがレイドだ。
世界樹が答える。
『胸です』
緑の光が示す。
ヴァルクの胸。
黒い肉の奥。
そこに小さな光があった。
本当に小さい。
風前の灯火。
だが確かにある。
ヴァルクの魂。
シモンは踏み込む。
虚無喰らいが焦る。
『近付けるな』
『近付けるな』
『近付けるな』
無数の触手。
無数の牙。
無数の腕。
全てがシモンへ殺到する。
その時だった。
「シモンさん!」
リリアだった。
杖を構えている。
震えている。
怖い。
本当に怖い。
それでも逃げない。
「風よ!」
魔法陣が展開する。
まだ未熟だ。
威力も高くない。
守護者達と比べれば子供みたいな魔法。
だが。
十分だった。
風が触手を僅かに逸らす。
その一瞬。
シモンの進路が開く。
「ナイスだ」
「えっ」
リリアの顔が真っ赤になる。
「は、はいっ!」
ちょっと嬉しい。
かなり嬉しい。
そんな場合ではないのに。
その隙に。
シモンはヴァルクの胸元へ辿り着く。
蒼雷を突き立てた。
ドォォォォォォォン!!
雷光が爆発する。
緑の光が流れ込む。
ヴァルクが絶叫した。
『ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
世界が揺れる。
肉壁が脈打つ。
虚無喰らいが咆哮する。
だが。
今度は違った。
苦痛の叫びではない。
何かが砕ける音だった。
パキッ。
小さな音。
黒い結晶が割れる。
侵食の核。
百年間ヴァルクを縛り続けていた鎖。
それが砕けた。
瞬間。
世界が変わった。
シモンの意識が沈む。
落ちる。
どこまでも。
深く。
深く。
そして。
気付けば。
草原に立っていた。
風が吹いている。
青空が広がっている。
懐かしい景色だった。
《エターナル・フロンティア》。
初心者エリア。
百年前。
全てが始まった場所。
そして。
少し離れた場所に。
大の字で寝転がる男がいた。
「よう」
ヴァルクだった。
百年前のまま。
鎧も綺麗だ。
傷もない。
若いまま。
ランキング七位の大剣使い。
攻略組の問題児。
ヴァルクは面倒そうに片手を上げた。
「迎えに来るの遅くね?」
シモンは思わず笑った。
百年間。
苦しみ続けた男との再会。
なのに。
最初の一言がそれだった。
本当に。
こいつは変わらない。
だが。
その笑顔の奥に。
百年分の疲労が見えた。
そしてシモンは理解する。
ここからが本番だ。
ヴァルクの魂を連れ戻さなければ。
百年前の仲間は。
二度と帰ってこられないのだから。




