第四十二話 虚無の胎内
シモンは走っていた。
虚無喰らいの体内へ向かって。
世界樹が作り出した光の道を。
背後では轟音が鳴り続けている。
終焉の王。
フェン。
ノア。
イグニス。
レオン。
アーサー。
全員が虚無喰らい本体を抑えている。
その隙は長く持たない。
だから急ぐしかなかった。
「うぅぅ……」
隣を走るリリアの顔は引きつっていた。
無理もない。
景色が最悪だった。
光の道の周囲には肉壁が脈打っている。
巨大な血管。
黒い液体。
無数の瞳。
無数の口。
まるで巨大生物の内臓そのものだった。
しかも。
時折。
壁から人の顔が浮かび上がる。
苦しそうな顔。
泣いている顔。
笑っている顔。
次の瞬間には肉へ沈んでいく。
「見ちゃ駄目です……」
リリアは必死に前だけ見る。
本気で怖かった。
だが。
シモンは違った。
「違うな」
「え?」
「見ろ」
リリアが恐る恐る振り返る。
そこにいたのは。
人だった。
いや。
人だったもの。
『助けて』
『帰りたい』
『まだ死にたくない』
小さな声が聞こえる。
リリアの顔色が変わった。
「この人たち……」
世界樹が答える。
『喰われた者達です』
静かな声だった。
『世界ごと消された命』
『歴史から消された存在』
シモンの拳が握られる。
虚無喰らいは世界を食う。
生命だけではない。
記憶も。
歴史も。
存在そのものを。
だから終焉の王ですら恐れた。
「絶対に倒す」
低い声だった。
リリアも頷く。
今だけは迷いがなかった。
その時だった。
ズルリ。
肉壁が動いた。
嫌な音。
血管が脈打つ。
空間が歪む。
そして。
前方の通路を何かが塞いだ。
巨大な影。
シモンが足を止める。
「来たか」
そいつは人型だった。
黒い鎧。
長剣。
顔は見えない。
だが。
圧倒的な威圧感がある。
リリアの背筋が凍る。
「な、何ですかあれ……」
世界樹の声が響く。
『守護個体』
『核を守る存在です』
シモンが眉をひそめる。
「レイドボスか」
『近いですね』
その瞬間。
黒騎士が剣を抜いた。
ゾワリ。
空気が震える。
ただ抜いただけ。
それだけで空間に亀裂が走る。
強い。
今まで戦ってきた敵とは格が違う。
シモンが蒼雷を構える。
バチバチと青い雷光が走った。
「下がってろ」
「は、はい!」
リリアが慌てて下がる。
だが。
その瞬間。
黒騎士が消えた。
速い。
視界から消失するほど。
次の瞬間には。
シモンの目の前。
剣が振り下ろされていた。
ガァァァァン!!
火花が散る。
蒼雷が受け止める。
だが。
重い。
腕が痺れる。
床が砕ける。
後方へ滑る。
リリアが目を見開いた。
今まで。
シモンが押されるところなど見たことがない。
だが。
今は違った。
黒騎士はさらに踏み込む。
二撃目。
三撃目。
四撃目。
剣戟の嵐。
王座の間の戦いとは違う。
技術だ。
純粋な剣技。
百年以上戦い続けた達人のような動き。
シモンが笑った。
「面白い」
蒼雷が唸る。
青い雷光が爆発する。
踏み込み。
斬撃。
受け流し。
反撃。
剣と剣が激突するたび空間が震えた。
その時だった。
リリアが気付く。
黒騎士の胸。
そこに紋章があった。
見覚えがある。
百年前のギルドタグ。
そして。
その下に刻まれた名前。
かすれている。
だが読めた。
「シモンさん!!」
「何だ!」
「名前があります!!」
黒騎士が反応する。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
動きが止まった。
シモンの目が細くなる。
そして見えた。
胸のプレート。
そこに刻まれていた名前。
《ランク7 ヴァルク》
記憶が蘇る。
百年前。
攻略組。
ランキング七位。
最前線の剣士。
最終レイド参加者。
「まさか……」
シモンの顔色が変わる。
黒騎士が剣を振るう。
だが。
その動きが僅かに鈍る。
『……シモン……?』
掠れた声。
リリアが息を呑む。
シモンも動きを止める。
今。
確かに聞こえた。
『シモ……ン……』
黒騎士の身体が震える。
黒い肉が蠢く。
無数の目が開く。
そして。
苦しそうな声が漏れた。
『殺して……くれ……』
王座の間の戦いとは別の意味で。
シモンの表情が険しくなった。
虚無喰らいの核へ辿り着く前に。
百年前の仲間が。
最悪の姿で立ちはだかっていた。




