第三十三話 世界樹の加護
淡い緑色の光が王座の間を満たしていた。
優しい光だった。
暖かい。
柔らかい。
それなのに。
終焉の王の黒い霧だけは確実に押し返している。
まるで春の日差しが雪を溶かすように。
ゆっくりと。
だが確実に。
終焉が後退していく。
リリアは目を丸くした。
「なんですか……これ……」
不思議だった。
さっきまで胸を押し潰していた恐怖が薄れていく。
息苦しさも消えていた。
まるで懐かしい場所へ帰ってきたような感覚。
そんな温もりがあった。
フェンが静かに呟く。
『懐かしい力です』
ノアも微笑む。
『世界樹の加護』
イグニスが腕を組んだ。
『本当に残ってやがったか』
シモンだけが事情を理解していなかった。
「だから何なんだ」
即答だった。
アーサーが頭を抱える。
レオンが苦笑する。
百年前から何も変わらない。
本人だけが自分の異常さに気付いていない。
「説明しろ」
「今か?」
「今だ」
「お前らしいな」
レオンが笑った。
その時だった。
終焉の王の黒い霧が大きく揺れる。
『黙れ』
低い声が響いた。
初めてだった。
終焉の王の声に苛立ちが混じったのは。
黒い霧が膨れ上がる。
王座の間を埋め尽くすほどの終焉。
だが。
緑の光へ触れた瞬間。
蒸発した。
侵食が消える。
終焉が浄化される。
『あり得ぬ』
終焉の王が呟く。
『世界樹は枯れた』
『百年前に』
王座の間が静まり返る。
その言葉に反応したのは世界柱だった。
黄金の瞳がゆっくり開く。
『違う』
その声は重かった。
大地そのものが語っているようだった。
『世界樹は枯れていない』
終焉の王の闇が揺らぐ。
『ならば何故』
『最後の種が残ったからだ』
シモンの胸が脈打つ。
緑色の光がさらに強くなる。
世界柱が続けた。
『契約者』
『お前は世界樹を知らぬ』
「知らん」
即答だった。
リリアも小さく手を挙げる。
「わ、私も知らないです」
世界柱は頷く。
『当然だ』
『人の歴史から失われた存在だからな』
黄金の瞳が静かに輝く。
『世界樹とは木ではない』
リリアが首を傾げる。
さっき生えていた。
どう見ても木だった。
世界柱は続ける。
『あれは姿の一つ』
『本質ではない』
王座の間に静寂が落ちた。
『世界樹とは生命そのもの』
誰も口を挟まない。
『魂の循環』
『生命の流れ』
『誕生と死』
『成長と再生』
『世界に存在する全ての命を繋ぐ大河』
『それを人は世界樹と呼ぶ』
リリアがぽかんと口を開く。
「えっと……」
少し考える。
「世界のお医者さんみたいな感じですか?」
沈黙。
世界柱が少し考える。
『近い』
「近いんだ……」
リリアは少し嬉しそうだった。
フェンが微笑む。
『分かりやすい例えです』
世界柱は続ける。
『我が世界の骨格なら』
『世界樹は血流』
『守護者たちは免疫』
フェン。
ノア。
イグニス。
三柱が静かに頷いた。
『そして』
黄金の瞳が終焉の王を見る。
『終焉は寿命を迎えた世界を閉じる管理者』
リリアが目を見開く。
「敵じゃないんですか?」
『本来はな』
世界柱の声が重くなる。
『終焉は必要な存在だった』
『寿命を迎えた世界を安らかに終わらせる役目』
終焉の王は否定しない。
ただ静かに聞いていた。
『だが百年前』
『世界が壊れた』
『世界樹は傷付き』
『守護者は離散し』
『我もまた侵食された』
黄金の胸部に刻まれた巨大な亀裂。
黒い侵食。
百年間止まらなかった崩壊。
『終焉だけが残った』
王座の間が静まり返る。
『だから終焉は結論を出した』
『この世界はもう救えないと』
終焉の王の黒い霧が揺れる。
怒りではない。
悲しみだった。
『故に終わらせる』
『それが救済だ』
世界柱は静かに首を振る。
『違う』
黄金の瞳がシモンを見る。
『契約者』
『お前が現れた』
胸の奥で光が脈打つ。
暖かい。
優しい。
生命そのもののような力。
『何故俺なんだ』
シモンが聞く。
世界柱は静かに答えた。
『最後の日』
『誰もが終わりを見ていた』
サービス終了前日。
攻略組は最終レイドへ向かっていた。
ランキング争い。
装備集め。
最後の祭り。
誰もが終わりを見ていた。
『だがお前だけが違った』
初心者エリア。
枯れかけた一本の苗木。
誰も気に留めなかった場所。
『お前は生命を見た』
シモンの脳裏に蘇る。
最後の日。
何となく立ち寄った丘。
何となく水をやった木。
本当にそれだけだった。
『世界樹は覚えていた』
黄金の瞳が優しく細められる。
『終焉ではなく』
『存続を選んだ者を』
その瞬間。
緑色の光が爆発的に広がった。
世界樹の枝が伸びる。
黄金の葉が舞う。
王座の間全体を包み込む。
そして。
世界柱の胸部へ刻まれた亀裂が。
ゆっくりと閉じ始めた。
終焉の王が初めて後退する。
『馬鹿な……』
明確な動揺だった。
『修復されている……』
百年間。
止まらなかった崩壊。
誰にも止められなかった侵食。
それが。
今。
確かに止まり始めていた。
世界柱が顔を上げる。
黄金の瞳が強く輝く。
『契約者』
『お前なら』
『世界を救える』
その瞬間だった。
終末の門の奥。
さらに深い闇の向こうから。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
世界そのものが軋むような音が響いた。
終焉の王が振り返る。
アーサーの表情が凍る。
レオンの顔色が変わる。
フェンの耳が伏せられる。
ノアの微笑みが消える。
イグニスも笑っていなかった。
世界柱が苦しそうに呟く。
『来てしまったか……』
シモンの背筋を冷たいものが走る。
終焉の王より古く。
世界柱より深い。
世界そのものの外側にいる何かが。
ゆっくりと目覚めようとしていた。




