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第二話 帰る場所のない男

「聖暦四百二十八年……?」

シモンは思わず聞き返した。

目の前の少女――リリアは不思議そうに首を傾げる。

「はい。何かおかしいですか?」

おかしい。

おかしいどころの話ではない。

《エターナル・フロンティア》にそんな年号は存在しなかった。

王国の歴史や建国伝承の設定はあった。

だが一般的に使われる暦など聞いたことがない。

少なくともシモンの知る世界では。

「……」

頭が混乱する。

情報が足りない。

何が起きているのか分からない。

だが一つだけ確かなことがあった。

ここは自分の知る《エターナル・フロンティア》ではない。

シモンは額を押さえた。

落ち着け。

パニックになっても何も始まらない。

レイドでもそうだった。

状況が分からない時ほど冷静になれ。

まずは情報収集だ。

「ちなみに、ここは?」

「古代遺跡アークスです」

即答だった。

そして、その名前を聞いた瞬間、シモンは小さく息を吐く。

知らない。

完全に知らない。

地名データならかなり覚えている自信がある。

攻略組だったのだ。

主要マップはもちろん、隠しダンジョンまで把握していた。

それなのに記憶にない。

つまり――。

「やっぱりそうか……」

小さく呟く。

ここは自分の知る《エターナル・フロンティア》ではない。

まったく別の世界なのか、同じ世界でもはるかな過去なのか、未来なのか…。

そもそも現実なのか、夢なのか、いまだにゲームのプレイ中なのか。

何が何だかわからない…。

シモンの思考を遮るように、少女は歩み寄り、語りかけてきた。

「助けていただいたのに申し遅れました」

少女は慌てて姿勢を正した。

「私はリリアです。冒険者をしています」

言い終えてから、ぺこりと頭を下げる。

真面目な性格なのだろう。

だが少し慌てすぎていて、どこか危なっかしい。

「シモンだ」

「シモンさん、ですね」

リリアは小さく微笑んだ。

だが次の瞬間には困ったような顔になる。

どう接していいのか分からないらしい。

無理もない。

今のシモンはかなり怪しい。

身に着けているのは古びたレイド装備。

かつては最高級品だった。

しかし今は見る影もない。

布地は擦り切れ、金属部分は黒ずみ、装飾も欠けている。

それでも一般人から見れば異様な装備だ。

冒険者というより、遺跡から発掘された古代人に近い。

実際、その認識は間違っていないのだが。

「ひとつ聞いてもいいですか?」

リリアがおずおずと尋ねる。

「なんだ?」

「どうして遺跡の奥で眠っていたんですか?」

シモンは少しだけ考えた。

サービス終了。

世界崩壊イベント。

眩い光が視界を埋め尽くし…そして今。

「……俺にも分からない」

結局そう答えるしかなかった。

なぜこんな場所で目覚めたのか。

なぜ今も生きているのか。

シモン自身にも分からないのだから。


遺跡を出ることになった。

リリアは足を怪我している。

このまま一人で帰れる状態ではない。

「肩を貸す」

「えっ?」

リリアが目をぱちぱちさせる。

「歩けないだろ」

「い、いや、その……」

何故か急にしどろもどろになる。

「無理するな」

「す、すみません……」

恐る恐る肩へ手を回してくる。

距離が近い。

そのことに気付いたのか、リリアの耳が少し赤くなった。

だがシモンは気付かない。

そういう男だった。

二人は遺跡の出口へ向かう。

崩れた通路を進みながら、シモンは周囲を観察していた。

石壁の彫刻。

崩れた柱。

風化した紋章。

どれも異様なほど古い。

まるで何十年、あるいは何百年も放置されていたようだった。

もし、この建物が放置される前から眠っていたのなら。

一体どれくらい俺はここにいたのだろう…まさかな――。

記憶にないだけで、昨晩ここに来たのかもしれない。

このわけのわからない状況では、何が本当なのかわからない。

もし、本当にこの建物が放置される前から眠っていたのなら。

そう考えた瞬間、胸の奥が重くなる。

もしそうなら。

ギルドはない。

仲間もいない。

知っている街も。

知っている国も。

全部消えている。

帰る場所がない。

その事実が、今さらのように現実味を帯びてきた。

その時だった。

ガサッ。

物音が響く。

シモンの足が止まる。

「どうしました?」

「静かに」

リリアも息を呑む。

次の瞬間。

天井から巨大な影が落下した。

轟音。

土煙。

そして姿を現したのは巨大な蜥蜴だった。

全長三メートルほど。

黒い鱗。

鋭い爪。

黄色く濁った瞳。

リリアの顔が一瞬で青ざめる。

「シャドウリザード……!?」

リリアの顔から血の気が引く。

小さく悲鳴を漏らしながら、無意識にシモンの後ろへ下がった。

冒険者として情けないと思ったのか、

慌てて前へ出ようとする。

だが足が震えていた。

「下がってろ」

「で、でも……!」

「怪我人だろ」

「うっ……」

正論だった。

リリアは悔しそうに唇を噛みながら後ろへ下がった。

その声は震えていた。

シモンは記憶を探る。

シャドウリザード。

中級ダンジョンに出現する魔物。

レベル三十五前後。

確かに強い。

だが上位プレイヤーにとっては日常的な狩りの対象だった。

「強いのか?」

「Bランクですよ!?」

リリアが悲鳴のように答える。

シモンは少しだけ驚いた。

本来なら新人卒業レベル。

どうやらここでは違うらしい。

シャドウリザードが突進する。

だがシモンの目には止まって見えた。

遅い。

あまりにも遅い。

《エターナル・フロンティア》にて、レイドボスの攻撃を避け続けた身体が自然に動く。

一歩。

それだけで攻撃は空を切った。

「遅いな」

腰へ手を伸ばす。

だが双剣はない。

装備は失われている。

仕方なく近くに落ちていた石剣を拾った。

粗末な武器。

だが十分だった。

シャドウリザードが振り向く。

シモンは一歩踏み込む。

そして。

一閃。

石剣が黒い首を断ち切った。

巨体が崩れ落ちる。

戦闘は一瞬で終わった。

静寂。

リリアが呆然と立ち尽くしている。

「な……」

「ん?」

「な……」

リリアが口を開く。

閉じる。

また開く。

完全に思考が追いついていないらしい。

「ん?」

「何者なんですか……?」

本気で聞いていた。

その目は恐怖ではなく尊敬に近い。

少なくともリリアの知る冒険者に、こんな戦い方をする人間はいなかった。

シモンは答えられなかった。

自分でも分からない。

《エターナル・フロンティア》では普通だった。

少なくとも上位プレイヤーなら。

だが今の世界では違う。

それだけは理解できた。

その時だった。

『……主』

微かな声が聞こえた。

シモンの目が見開かれる。

聞き間違えるはずがない。

『主……』

遠い。

かすれている。

それでも分かる。

何度も共に戦った。

何度も命を預けた。

大切な相棒の声だ。

「フェン……」

思わず名前が漏れる。

リリアが不思議そうに首を傾げた。

「フェン……?」

リリアが首を傾げる。

「誰ですか?」

少しだけ不安そうな顔だった。

この数時間で分かった。

シモンは何かを隠している。

だが無理に聞くつもりはないらしい。

「……大事な相棒だ」

シモンがぽつりと答える。

リリアは少しだけ目を丸くした。

そして小さく笑う。

「会えるといいですね」

その言葉に。

シモンは初めて、この世界で救われた気がした。

そして、なにより今の声が本物なら。

フェンは生きている。

どこかで自分を呼んでいる。

胸の奥に小さな灯がともる。

フェンがいる。

それだけで十分だった。

シモンは静かに拳を握る。

まずはフェンを探そう。

それが、この訳の分からない世界で見つけた最初の目的だった

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