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第十九話 第二の世界崩壊

バキバキバキバキッ――!!

空間が砕ける。

王座の間の左右へ走った巨大な亀裂は、もはや壁のひびではなかった。

世界そのものが裂けている。

そう表現するしかない。

闇が溢れ出す。

底の見えない奈落。

光すら飲み込む漆黒。

その奥で。

無数の赤い瞳がゆっくりと開いていた。

ぞわり、と背筋が粟立つ。

一つや二つではない。

百。

千。

万。

数えることすら不可能なほどの魔物たちが、闇の向こうからこちらを見ていた。

リリアの喉が小さく鳴る。

「う……そ……」

声が震えていた。

無理もない。

冒険者として生きてきた彼女ですら、こんな光景は見たことがない。

本能が告げていた。

あれは戦っていい相手ではない。

逃げるべき存在だと。

だが。

逃げ場はない。

『第二の世界崩壊を始めよう』

終焉の王が両腕を広げる。

その瞬間だった。

ゴォォォォォォォォォッ!!

闇の亀裂から魔力が噴き上がった。

いや。

魔力ではない。

もっと根源的な何か。

生き物が本能的に拒絶する死の力。

腐敗。

侵食。

終末。

あらゆる負の概念が形を持ったような力だった。

黒霧城全体が悲鳴を上げる。

壁が軋む。

床が砕ける。

天井から石片が降り注ぐ。

世界そのものが終焉の王へ呼応していた。

「始まるぞ!」

アーサーの声が響く。

その顔から笑みは消えていた。

ランキング一位。

絶対強者。

そんな男ですら剣を握る手に力が入っている。

それほどの事態だった。

「何がだ!」

シモンが叫ぶ。

アーサーは終焉の王を睨みつけた。

「百年前の続きだ!」

「世界崩壊イベントの本番がな!」

その言葉と同時だった。

闇の亀裂から最初の魔物が現れる。

巨大な腕。

黒い鱗。

山のような巨体。

レイドボス級。

いや。

それ以上。

シモンの目が見開かれる。

知っていた。

百年前に見たことがある。

「アビス・タイタン……」

終焉の王直属の軍勢。

レイド第二段階で出現するはずだった怪物。

討伐には数百人規模が必要だった。

その怪物が。

雑兵のように現れた。

続いて。

二体。

三体。

五体。

十体。

闇の向こうから際限なく這い出てくる。

リリアの顔が真っ青になった。

「む、無理です!」

「絶対無理です!」

「これ反則です!!」

涙目で叫ぶ。

だが。

シモンは笑った。

百年前から変わらない笑みだった。

絶望的な状況ほど燃える。

そういう男だった。

「確かにな」

剣を構える。

《蒼雷》が青く輝く。

バチバチと雷光が走った。

「でも」

シモンの周囲で魔力が渦を巻く。

王座の間が震える。

フェンが目を見開く。

レオンも。

アーサーも。

気付いた。

百年間見ていなかった力が戻ろうとしていることに。

「俺も一人じゃない」

シモンが右手を掲げる。

魔法陣が現れる。

巨大な召喚陣。

王座の間全体を覆うほどの規模。

リリアが目を丸くした。

「え?」

「え?」

「フェンさんだけじゃないんですか?」

フェンが苦笑する。

『主は召喚士です』

次の瞬間。

轟音。

青い光柱が天井を貫く。

王座の間を揺るがすほどの膨大な魔力。

終焉の王ですら動きを止めた。

そして。

光の中から声が響く。

『久しぶりですね』

女性の声だった。

優しく。

静かで。

それでいて不思議な力を持つ声。

まるで凪いだ海を思わせる響きだった。

光がゆっくりと収束していく。

王座の間を満たしていた蒼い輝きが一つの形を作る。

長い蒼髪。

月明かりを溶かしたような白い肌。

深海のように透き通った青い瞳。

その瞳を見た瞬間、リリアは思わず息を呑んだ。

「き、綺麗……」

無意識だった。

言葉が勝手に漏れていた。

今まで見たどんな貴族令嬢よりも。

どんな王都の美姫よりも。

目の前の存在は美しかった。

だが。

その美しさは人間のものではない。

近付けば溺れてしまいそうなほど深く。

どこか畏れすら抱かせる。

神話に登場する海の女神がいるなら、きっとこんな姿なのだろう。

蒼髪の女性は小さく微笑んだ。

その仕草だけで王座の間の空気が和らぐ。

『お久しぶりです』

柔らかな声。

その視線はシモンへ向けられていた。

百年。

途方もない時間。

それでも彼女の笑顔は変わっていなかった。

『主』

シモンも思わず笑う。

「久しぶりだな」

『はい』

ノアは嬉しそうに目を細めた。

その表情には再会を喜ぶ感情が隠し切れないほど滲んでいた。

百年前。

彼女もまた待っていたのだ。

主が戻る日を。

その時だった。

王座の間の床が濡れ始める。

誰も水を出していない。

それなのに蒼い水が溢れてくる。

波が生まれる。

小川が生まれる。

海が生まれる。

終焉の王の黒い霧がその水へ触れた瞬間――蒸発した。

シューッ、と嫌な音を立てながら消滅していく。

レオンの表情が変わる。

アーサーも息を呑む。

百年間。

終焉の王の霧をここまで抑え込める存在はほとんどいなかった。

『海は命を育みます』

ノアが静かに言う。

『そして穢れを洗い流します』

蒼い瞳が終焉の王を見る。

先ほどまでの柔らかな雰囲気は消えていた。

深海の底のような静かな威圧感。

世界を支える柱の一柱。

海の守護者。

ノア。

その存在を前にして。

終焉の王の闇が初めて大きく揺らいだ。

初めてだった。

終焉の王が明確な警戒を見せたのは。

だが。

まだ終わらない。

シモンはさらに手を掲げる。

「もう一人いるだろ」

シモンが言う。

ノアが小さく笑った。

『もちろんです』

その瞬間だった。

ゴォォォォォォォォォッ!!

王座の間の温度が一気に跳ね上がる。

熱風。

灼熱。

空気そのものが燃え始めたような錯覚。

石畳が赤く染まる。

壁が軋む。

天井の装飾が溶け落ちる。

リリアが悲鳴を上げた。

「熱い熱い熱い熱いっ!!」

慌てて髪を押さえる。

毛先がふわっと浮いた。

「燃えてません!?」

「まだ燃えてない」

「まだって何ですか!?」

半泣きだった。

その時。

王座の間の中央で炎が渦を巻く。

巨大な火柱。

まるで太陽が地上へ落ちてきたかのような光景。

終焉の王の黒い霧ですら後退する。

そして。

炎の中から巨大な影が現れた。

最初に見えたのは拳だった。

次に肩。

胸。

そして全身。

三メートルを超える巨躯。

赤銅色の肌。

燃え盛る紅蓮の髪。

溶岩のように輝く黄金の瞳。

現れただけで王座の間が震える。

まるで火山そのものが歩いてきたような存在感だった。

リリアがぽかんと口を開く。

「お、大きい……」

思わず呟く。

フェンは神々しい。

ノアは美しい。

だが目の前の存在は違う。

純粋な暴力。

純粋な力。

それを人型へ押し込めたような存在だった。

炎の巨人はゆっくり周囲を見回す。

そして。

シモンを見つけた。

一瞬。

黄金の瞳が見開かれる。

次の瞬間。

豪快な笑い声が響いた。

『がははははははははっ!!』

王座の間が震える。

壁のひびが広がる。

笑い声だけでそうなった。

リリアは思わず耳を押さえた。

「うるさいっ!?」

『百年ぶりだな!!』

炎の巨人が叫ぶ。

そして。

ドォンッ!!

地面が砕ける。

次の瞬間にはシモンの目の前にいた。

速い。

巨体からは想像できない速度だった。

巨大な手がシモンの肩を叩く。

衝撃で床が割れる。

「重い」

「がはははっ!!」

シモンも笑った。

「久しぶりだな」

『待ちくたびれたぞ相棒!!』

炎の守護者。

イグニス。

百年前。

フェンやノアと並び、最後までシモンと共に戦った守護者。

そして。

世界を支える柱の一柱。

戦いを司る炎の王だった。

その瞬間。

終焉の王の周囲で黒い霧が大きく揺らぐ。

フェン。

ノア。

イグニス。

三柱の守護者が揃った。

百年前ですら実現しなかった布陣。

だからこそ。

終焉の王は初めて一歩後ろへ下がった。

『なるほど』

低い声が響く。

『これが最後の召喚士か』

王座の間の空気が変わる。

終焉の王の周囲で黒い霧が膨れ上がる。

それに対抗するように。

フェンの風が唸る。

ノアの波が荒れる。

イグニスの炎が燃え上がる。

世界を支える守護者たちと。

世界を終わらせる災厄。

百年越しの戦いが。

今、本当の意味で始まろうとしていた。

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