海へ
射出の号令と同時に、軌道ぎりぎりを周回していた収容衛星から二つの円錐状の物体が投下された。
大気圏を突破すると、両脇から申し訳程度の翼が突き出して、目標地点までを微調整していく。
「外壁破損。軽微ですが」
「嫌な場所を…」
大気摩擦の熱で結合部に亀裂が入ったという知らせに、クエンスは小さくこぼす。
わずかな傷が大事故につながる可能性もあるが、小さなエラーをいちいち気にしていたら作戦は進まない。
今更中止にできるわけもなく、突入は続行された。
「水面まで距離千、八百、五百…」
カウントダウンに合わせて一同に緊張が走る。
空気とは比べものにならないほどの質量を持つ水に突っ込む瞬間が、一番危険だ。
「着水、今」
豪、と水に空気が入り込む音がして、圧迫感が増す。
途端に、軽微だった損傷が大きく広がる音がした。
「内部に浸水。外殻持ちませんっ」
「ぎりぎりまで待て。リンクとバイタルは?」
「正常です」
オペレーターたちが騒ぐ声がするのに、身体は暗闇の中、亀裂から入った水に満たされていく。
暗い、狭い中、自由の利かないまま体が水に浸かっていく感触に、ラスカは本能的な恐怖を感じた。
息が荒くなっていく。
「構うな。さっさとパージしろ」
緊張漂うオペレーターの会話に割って入ったのはルーカスだ。
「早すぎる。もう少し深く…」
「呑気な事言ってるとやつらの餌食だぜ」
「大型反応ありっ!」
「なっ…」
別のオペレーターの声にクエンスの思考が遅れる。
想定内の予定外だが、咄嗟に反応できるほどの経験がないのだ。
「パージしろ、早く!」
「やれっ」
ルーカスの怒鳴り声に引き戻されて指示が下り、機体を覆っていた外殻が開く。
水圧が体を押しつぶし、耳がキンと鳴った。
「補助翼全速回転。一気に潜航する」
指示を続けるルーカスに、オペレーターがクエンスの顔色をうかがう。
クエンスは、小さく頷いて指揮権を渡した。
「息をしろ、ラスカ」
「はっ…ふ、…」
名を呼ばれて我に返る。
圧迫される感覚に、うまく呼吸ができない。
だけではなく、視界に映る暗い水中の景色と、身体の感覚に混乱する。
先行するライトの灯りに、遠くからぼんやりとした黒い大きな影が浮かび上がった。
巨大な魚影だと気づくと同時に、大口を開けた未知の巨大生物に襲われる妄想に恐怖する。
「心拍上昇、呼吸も乱れています。ドライバーツー、落ち着いてください」
無茶を言う。
外れた外殻の一部は変形してスクリューとなり、機体を更に水底へと押し付けていく。
遠くから悠々とこちらに近づいてくる影が一つから三つに増えた。
逃げようともがく体が重たい。
腕に、足に感じる水の重みに、ここが水中だと思い知らされる。
息ができないはずだと脳が言う。
口を開けたら水が入ってきて、息ができない。
「ラスカ!」
ルーカスが名前を呼ぶ。思えばこの星に来てラスカの名前を呼ぶのは軍人だけだった。
なぜならずっと副官として、ディルクと一緒に行動していたから。
「ラース!」
「…ふ、は…、はぁ…」
その愛称を最初に呼んだのも彼だった。
ディルクは堅物に見えて意外と情に厚く、特に同じ部隊で無茶をしがちなジャックとルーカスのことをいつも心配していた。
「落ち着け。息をしろ」
「あ、ああ…もう、大丈夫だ」
息をする。してみれば、簡単なことだった。
ラスカの身体は今、クエンスの部隊が岸部に展開した基地にある。
最新型のニューロリンク接続装置により、遠隔からボットを操縦しているのだ。
従来のコントローラー式ではない。
ボットを操縦するときと同じく、首の後ろのチップを通してボットと繋がっているため、まるでその場にいるような臨場感で、いつも操っているボットと同じ感覚で操縦できる。
無線周波を安定させるため、より強力なリンクを繋げた分、脳への負担も強い。
それに、先ほどのラスカが陥ったような、仮想現実とのリンクによる酔いもある。
リスクの高さと、装置を作るまでのリソース、なにより、リターンの少なさにより、郡部では試作段階で開発が打ち切られたはずだった。
ボットの種類は多岐にわたる。
わざわざ脳にダメージを与えるようなリスクを背負うよりも、ボットを装着して直接出向く方が、コストパフォーマンスはいい。
「ライトを追加で投下してくれ」
潜航を続けながらルーカスが言うが、クエンスが制す。
「光源は充分だろう。それより、進路を修正しろ。ずれているぞ」
「いいや、これからずれるんだ」
ラスカたちのすぐそばに、巨大な魚影が覆いかぶさる。
「な…っ」
身構える間もなく、影が巻き起こした水流の渦に飲み込まれた。
両手足についているスクリューでは到底太刀打ちのできない巨大な流れだった。
抵抗できずに巻き込まれるラスカの腰が強く引かれる。
ルーカスのフックショットがしっかりと掴んでいた。
引き寄せられ、もみくちゃになりながらも二人は距離を縮め、やがてぴったりと寄り添った。
「位置!」
怒鳴りつけるようなルーカスの声に、クエンスははっと我に返る。
「北に逸れた。深度は…」
クエンスに呼応するように、オペレーターが正確な数値を告げた。
「かなり流されたな」
「ライトもめちゃめちゃだ」
下方を見渡せば、先行していた光源が水流に巻き取られてあちこちに散っている。
いつの間にか、ラスカたちよりも上に巻き上げられたものまであった。
「地底を歩くか、海流を見つけるか…」
ルーカスが作戦を考えている間にも、二人の水深はどんどん深くなっていく。
辺りを警戒するが、水深が深すぎて地上の光が届かない。
申し訳程度にヘッドライトをつけてみるが、気休めにしかならなかった。
そのうえ、ずいぶん遠い位置に流れてしまった光源に、巨大な影が食らいつくのを見てしまって、反射的にライトを消す。
離れるとまずい。
背中を掴むルーカスの腕に絡めるように、しっかりと腰を抱き寄せると、耳をくすぐるような笑いが漏れた。
「あいつがお前を気に入ってた理由がよく分かったぜ」
「……」
あいつ、が指す人物が誰なのかすぐに分かったけれど、それ以上何を聞いても墓穴を掘るような気がして、ラスカはむっつりと黙り込むしかないのだった。
「回遊魚っつってな。大型になればなるほど長い距離を移動するのが定説だな。餌を求めて移動し続けるんだ」
まるで俺たちみたいだろ。
皮肉気に、ルーカスは笑う。
「中には自力でエラを膨らませられない種類もいてな。泳ぎ続けないと呼吸ができないらしいぜ。止まって休むことができなねぇから、脳みそを半分ずつ休ませてるとか」
「へぇ…」
便利だ。
目標深度までひたすら沈み続ける間、ルーカスの解説を聞いていた。
ラスカにとって全く興味のない生物の話題にもかかわらず、彼の話は妙に面白く、煩わしくなく耳に届き、今後全く役に立つことはないと思いつつも、雑学の一つとして頭に残しておこうなどと思える程度に、楽しい。
不思議な男だな、と改めて思った。
粗野で乱暴そうな振る舞いに見えるのに、周りを傷つけることは少ない。
よくしゃべる癖に、秘密が多く隠し事も上手い。
うるさいと感じることはなく、なんとなく耳を傾けてしまう。
自分本位で他人を利用することに頓着なさそうなふるまいのくせに、危険な状況では真っ先に仲間を助けることを優先する。
こんなにも、振る舞いと真意がちぐはぐな男を初めて見た。
古い時代にはツンデレ、なんて言われていたらしいが、それとも少し違う。
ルーカスとは少し違うが、ラスカも似たような経験を重ねてきた。
大きな体と強面、そんなつもりはないのに相手を怖がらせてしまうふるまいと、社会に根付いたイメージに縛られて、相手から勝手なイメージを押し付けられる。
誤解を解こうと必死になった時期もあったが、今はもう、適当に笑ってごまかすことが増えた。
相手からどう見られているか。
ルーカスの方は、そんなことどうでもいいように行動しているのだ。
相手が自分に対してどんなイメージを持つのか気にせずしゃべるから、粗暴に見える。
相手が自分に対してどんなイメージを持っているのか頓着せず、助ける。
究極の自分勝手。
それでいて、根が優しいと来たものだから、おもしろい。
守ってやりたくなるのだと、苦笑していた友人を思い出した。
「見えたぞ」
隣で、暗視モードを起動する音が聞こえるのに習って、自分も起動する。
わずかな明かりを増幅した不安定な視界に、黒い山の様なものが見える。
ちょっと待て、今彼は暗視モードを起動する前にあの存在に気ついてなかっただろうか。
「流されて結局元の位置に戻ったな。エネルギー残量は?」
「七十五パーセント。多少の無茶も利く」
「距離」
オペレーターの声と、位置関係を確認し、二人は互いを掴んだまま姿勢を調整する。
海底の水流は穏やかで、ほとんど負荷もなく目的地へとたどり着いた。
塵のように柔らかな土が降り積もったその山は、足をつけると思いのほかしっかりとした質量を感じる。
先行していたライトはほとんど残っておらず、辺りは暗いまま。
「サーチするか?」
「いや、ライトを待つ」
暗視モードからヘッドライトに切り替えたルーカスが、足元の塵を払って山の正体へと近づいた。
無線の奥から、息を呑む声が聞こえる。
これこそが、浮浪者たちがこの辺境まで大軍を伴って攻め込んできた理由なのだ。
ルーカスを真似て、足元の塵を払う。
慎重に、足場を確かめながら進むと、直角に切り出した端までたどり着いた。
九十度に切り立った角は、全体像が正方形、あるいは長方形であることを想像させる。
「ライト到着まで三分」
報告に、視線を地上へ向ければ、遠くから光源が沈んでくるのが見えた。
傍を悠々と泳ぎ去る巨大な影は、腹がいっぱいなのか光源に気づかなかったのか、そのまま何事もなく泳ぎ去った。
たどり着いた光源が、目標物を浮かび上がらせる。
海底の砂に埋まった巨大な箱。
遠くから見ていたならそんな姿を視界一杯に捕えていただろう。
「でかいな」
思わずつぶやいた。
当たり前すぎて返事はかえらない。
「そんで硬ぇ」
ごぅん、ごぅん、とルーカスが殴りつける音が、水を伝って鈍く届く。
わかり切ったことを報告されて、返事を返す気も起きなかった。
「引き揚げるのか?」
問いは、互いにではなく、地上で待つクエンスにかけられたものだ。
「この大きさでは無理だな」
冷静な返事がかえる。想像通りだった。
「こいつは、なんなんだ?」
ラスカの至極まっとうな問いだった。
海底に埋まった兵器を回収しに行く。
与えられる限られた情報でラスカが認識していた今回の任務内容だ。
兵器がどんなものであるかも、用途であるかも、何も知らされていなかった。
しかし、それも当然である。
埋められた兵器が、どんなものであるか誰も知らなかったのだから。
一人を除いて。
「とにかく、何か手掛かりになるものを探すか」
提案したのはルーカスだ。
「今はでっけぇ箱ってことしかわからねぇ。探ってみれば、そうだな、入り口とか見つかるんじゃねぇか?」
「そりゃ楽しそうだ」
どうする、と問いかけるように沈黙を返す。
少しの間を置いて、クエンスが、
「捜索してくれ」
と命令とも願いとも曖昧な指令が下った。




