1-6『魔女オリビアの逃亡』
◇◆◇◇◆◇
彼女は優秀な探索者だった。
各地の迷宮を攻略し、迷宮核をコレクションしていた。
売れば名声と大金が手に入るというのに、彼女はただ一つとして、それを手放さなかった。
私は宝石箱の中で初めて、自分以外の迷宮核に出会った。
嬉しくて、隣の子に話しかけた。隣の子は無口だったけど、私の話をよく聞いてくれた。だから、私は飽きることなく、語り続けていた。ある日、蓋が開いて、彼女が満面の笑みを浮かべていた、その時まで。
「おはよう。お待たせ」
私たちは、赤い液体で満たされたガラスの筒が並ぶ薄暗い部屋に運ばれた。筒は全部で五本。それぞれに人族の女の子が入っている。正確な年齢は分からなかったが、物心がつくか、つかないかほどだろう。髪の色や体格は違うのに、どこか、彼女の面影を感じる。
「どう? なかなか可愛らしいでしょう?」
自慢気な彼女に、そうね、と思念で返事をする。満足気にクスクス笑って、私を優しく撫でた。そういえば、彼女にも私たちの声が聞こえていたのだと、はたと気がついた。
「五体しか造れなかったの。残りはもう少し待たなくちゃ……ザンネン」
溜息をつきながら、ポイポイッと、無造作とも思える動作で、筒の中に迷宮核を投げ入れていく。
「あなたはコレ、あなたはコッチね」
私は四番目の、金色の髪を持つ少女の筒に入れられた。
ポチャンと音を立てて、赤い液体に浸かると、自分が溶けていくのを感じた。徐々に意識が蕩けていき、消えてしまいそうになった間際に、少女の身体へと吸収されていった。
意識がはっきりした時、私は少女になっていた。
ふと、筒の外から彼女の紅い瞳がじっと覗き込んでいることに気付き、初めて感情というものを知った。
彼女が着せ替え人形の魔女とは呼ばれるようになったのは、少し経ってからだ。
◇◆◇
『まあ、ミアだけなら後で説得できる、かも』
ミアの影が消えた暗がりを眺めながら、シアがひとりごつ。
『あの子は三番目で私のお姉ちゃんだったから』
ミアもかつてはダンジョン・コアだったらしい。今はまだオリビアの命令に逆らえないが、その支配から解放されれば、彼女とは手を組めるだろうと、シアは考えているようだ。
『だから、今は、オリビアさえ逃さなければ、何も問題ないわ』
オリビアの方へ視線を戻す。
「あらぁ? 狙いは私なの? 恨んでそうな彼を追いかけてくれると思ったのに。それとも……私を恨んでるの?」
『!──憤懣の炎』
シアの放った熱波が洞窟を震わせる。オリビアは周囲の水気を集めて対抗する。
よく見ると熱波に当たる直前に、鎧は霧状の盾に変化している。消防士が放水で炎を抑えこむ様子をテレビで見たことがあるが、イメージが重なる。
『肉体を失った私への支配は切れてるはずだけど、何を隠してるかわからない。今から手段を選ばないから、エガはなるべく何も考えず、私にまかせて!』
シアが早口のように伝えてきた思念に、とりあえず頷くイメージを返す。
「……あぁ、そう。シア、あなた、まだ、そこにいるのね?」
オリビアが嗤う。
何をもってシアの存在を感じ取ったのかは不明だが、彼女は確信している。三日月の様に細く歪んだ口元と瞳で、こちらを凝視している。
『──憤懣の炎』
彼女の纏う水の鎧は熱波で蒸発しては、またすぐに元に戻ってしまい、埒が開かない。
「記憶だけ? 意識はあるの? 取り込まれているだけ? どちらでも良いわ……。そんな使い道もあるなんて、思ってもみなかったわ。素敵ねぇ」
オリビアは壁を背にして、微笑を浮かべている。立ち上がることはできないようだ。
全身に火傷を負った上に全身を強打しているうえに、腹部に穴が空いている。意識がある方がおかしいと思うが。
「……まぁ、イロイロ分かったし、今日は撤退するわ」
この状況で逃走手段を隠しているのだろうか。嫌な予感がする。
『逃すわけないでしょ! 土剋水! 桜樹を育む母なる大地よ 溢れる涙の氾濫を その腕で抱き止めよ! 波離硬』
オリビアの周囲の地面が粘土のように盛り上がり、彼女を拘束していく。水鎧が弾けて霧散し、首の下まで固められた彼女は、身じろぎ一つさえできないだろう。
『とどめ! 握りつぶす!』
右腕が熱く真っ赤に燃え上がる。
オリビアの目の前に立ち、爆炎轟く腕を振り上げて、とどめを──って、直接はなんかやだなぁ……。
忌避感が伝わったからなのか、シアが振り下ろそうとした腕がビクッと反応してしまい、一瞬の隙が生まれてしまう。
「ミア! 首を落として回収! 人形は放置して逃げなさい」
ザン!
突如、オリビアの頭上から落ちてきた黒い影が、オリビアの首を切断した。影は地に落ちた首を飲み込んで、地を滑るように遠ざかっていく。
『くっ、ミア待ちなさい!』
えっ、あれ、くノ一? 逃げてなかったのか! なんで仲間を?
違う。オリビアは首を回収しろと言った。ならまだ終わっていないのか?
答えの出ない疑問が次々と浮かぶが、一旦、頭の隅に追いやる。
ここは自分の知る世界ではないのだから、本で読んだような不可思議なことも起こり得るのだろう。
今度は見失わないように影を追いかけると、瞬く間に影の先に回り込むことができた。
影に向かって腕を伸ばす。影は形を変えて回避し、さらに逃走を図る。
『逃がさないよ』
逃がすかよ!
シアと思考が重なる。先程の躊躇いはすでにない。影を掴む方法なんて、できるのか分からないが、シアを信じて委ねるしかないのだから、余計な思考も感情も、今は邪魔になる。
追いついて、避けられて、また追いかける。
そんな鬼ごっこを繰り返しているうちに、高速移動にも慣れて、壁際に追い込むことができた。次か、次こそは、捉えられるだろう。
彼我の距離を一瞬で詰められる間合いまでにじり寄り、最後の一歩を踏み出す。
「……閃光弾」
影から小さな光球が打ち上がる。
──ッ⁈
身構える間もなく、視界が白い光に包まれる。ミアの影はもとより、洞窟内の闇という闇がかき消された。
見えない! 逃げられる!
そう思った瞬間、身体がグンと振り回される感覚と、伸ばした右手に細い何かを掴んだ感触があった。
『つかまえた』
白い閃光が収まり、掴んだのがミアの足首だったことが分かる。逆さに吊られたミアと目が合う。彼女の足首を掴む手に軽く力を込めると、小枝が折れるような音がして、ミアが苦悶の表情を見せる。
『ごめんねー。もう逃がさないよ。さっ、オリビアの首、渡してくれるかな?』
この世界では声を出さなくても、伝わるものなのだろうか。ミアはこちらを見つめたあと、首をふるふると横に振った。
否定の意思表示?
『違う? 違うって何が……』
──ズズンッ
突如、洞窟全体が震えるような音と振動が暗がりの向こうから伝わってきた。
崩落か?
ミアが顔を背ける。その視線の先には、首のないオリビアの身体を拘束しているはずの土塁が……崩れていた。
『……まさか!』
ミアが頷き、彼女の影からオリビアの首が浮き上がってきた。しかし、間も無くパシャリと水のように形を崩して流れていった。
なんだろう。つまり、これは……?
『……逃げられたわ』
さっきの地響きは、おそらくオリビアが逃亡のために、洞窟を崩したのだろう。瓦礫くらいならすぐに撤去できるのだろうが、その間に逃げられるのは間違いない。
MISSION FAILED
………
……
…
まぁ、逃げられてしまったものは仕方ない。
逃げられたことに危機感はあるが、直接手を下すことにならなかったことに安堵もしている。
ミアの足首が砕けたときの感触だけでも、嫌悪感がすごい。今すぐ離してしまいたい。
『ロアを真っ黒焦げにしたじゃない……』
前にコミックで読んだことがある。銃は殺意も罪悪感も軽減させてくれるそうだ。言わんや魔法なんて、想像すらできない。
『オリビアは戻ってくるわ』
なら、こちらも備えが必要だな。正直、俺には分からないけど、迷宮に戻ったら罠とか何かで追い返せないのか?
『私は攻略されてるのよ。今だって逃げられた。私じゃ捕らえられない……かも』
先ほどまでのハイテンションから、急転直下の落ち込み様だ。過去に何があったのかは知らないけど、何度も心折られているのだろうか。
『それに、おそらくだけど……』
シアはミアの首を掴み、顔を近づける。
「ロアはどこだ?」
口から声が出た。シアの声ではなく、俺の声とも少し違う。自分の口から出る声が、自分のものではないというのは、これほどまでに違和感を感じるものなのか。
ミアは苦しそうにしながら口を動かす。
「もう、いない」
いない? それは……この世にってこと?
さっき、影の中に入れていたのは見た。どこかに捨ててきたのか?
「脱出用、転移陣の前に、放り出して、きた。生きてたら、逃げてる、かも。でなければ、オリビアが回収した、はず」
あの状態で生き延びる? 魔法があるこの世界なら、まぁ、あり得るのだろうか? でも、オリビアが回収する理由は?
『やっぱり……』
分かっているなら説明が欲しい。
『オリビアが人形を作るためには、いろいろと必要なのよ。等級の高い迷宮核とか、それを入れる器とか、ね』
ロアが生き延びていても脅威だし、オリビアの強力な駒となって戻ってきても厄介なの、とシアの暗澹とした感情が伝わってきて、俺まで落ち込んでしまう。
このまま時間を無駄にしてもしょうがないし、今からできる対策を打とう。予定通りここに迷宮を作るか、どこか遠くへ逃げてしまうか。
『そうね。まずは、ミアを……消し炭にしないと』
……説得するんじゃなかったっけ?




