1-4『魔神官ロアの油断』
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忌々しい。
つい数刻前まで、思うがままに力を奮い、計画を順調に進められていたというのに……邪魔が入るとは。
しかも、王国や教会かと思えば同業者。魔に属する者とは……。
狙いはあの大魔霊だろう。
一年ほど前に召喚できた異世界の霊体。大量の生贄と大規模な儀式を準備するのには骨が折れたが、大魔霊クラス以上を喚び出せたとあれば、その甲斐もあったというものだ。
今でも思い出すと、肌が粟立つ。
あれは、魔神の力を顕現させたかのような、無尽蔵とも思えるほどの魔力を有していた。大国が保有する大精霊クラスでさえ歯牙にもかけぬ。
おそらくは周囲にいた他の霊体を巻き込んで一つに寄り合わさったのだろう。
あれほどの力を持つほどに魂が溢れかえっていたとなると、天災か戦争の直後だったかも知れぬ。運が良かった。
召喚直後は何をしても反応がなく、存在するだけで大量の魔力を撒き散らしておったから、放っておけば一年と持たず自然消滅していただろう。
なんとか操ることには成功したが、まだまだ燃費は悪いままだ。村や街を襲う時以外は低位活動状態にしなければならない。そのタイミングを狙うには、手引きする者が必要なはずだ。
「まさか信徒に紛れているとは……」
信徒には死の誓約がかけられている。本来なら裏切ることはない。だというのに……。いや、今思えば、おそらく裏切り者もあの魔女のストックだったのだろう。忌々しい。
「……小娘三人を消すには過剰だったか?」
召喚できる最大数の餓鬼玉による範囲殲滅魔術・邪嵐は、使い方次第では村や小さな町一つを廃墟に変える。
「……まぁ、どこにネズミが潜んでいるのか分からんからな」
先ほど、くノ一に負わされたキズが痛む。ストックは最後、と言っていた言葉を鵜呑みにする気は無いが、どこに潜んでいたとしても、もはや骨すら残っていないだろう。
視界を埋め尽くしていた餓鬼玉の密度が薄まってきている。範囲内の餌を食い尽くし、共食いを始めたのだろう。
適度に減った頃を見計らい、呼び戻して、再び黒衣の内側に纏う。
──刹那、ズブっと身体を貫く衝撃が走ったかと思うと、下腹部に生温い感触が伝わる。
「?! ぐあぁぁぁ!」
いつの間にか懐に現れた黒い塊から、人の手が伸びていて、腹部に短刀を突き刺していた。激痛に襲われながらも、それが先ほどのくノ一だと理解する。
「っ、ばがな、餓鬼どもが、エサを見逃すはずは……」
黒い塊を振り払う反動で、よろめき倒れそうになるのを手をついて防ぐ。しかし、腕には力がこもらず額を地面に打ち付ける。
「おやおやおやぁ? やったわねミア。予想以上に致命的な一撃なんじゃないの?」
黒い塊の影からオリビアがゆっくりと現れ、ニヤッと嗤う。黒い塊はユラリと歪んで、中からくノ一が現れた。手に持っていた短刀を一振りして、血糊を払う。
「……(コクン)」
ミアは喋らず、首肯だけして短刀を構え直す。
「うーん、シアはヤラレチャッタかな? できれば魔核は回収したかったけど、残念。まぁ、封印の方は無事みたいだし、良しとしましょ」
オリビアは乱れた髪をかきあげながら周囲を見渡す。辺りに生えていたはずの石筍も、それに貫かれていた聖騎士たちの死体も、もとから何もなかったように消えていた。
「……きっ、貴様らぁ、ゴミの分際で!」
「あはは、お腹に穴が開いて、あたしとおそろい!」
ケタケタと笑うオリビアの声に、痛みで消えかけていた怒りが再燃する。
「ナメるな! 餓鬼どもよ、我が身を貪り喰らえ!」
餓鬼玉を腹部に集め、刺された傷を覆うように喰らわせる。餓鬼の牙が傷口を喰むたびに、灼かれるような痛みが走る。
「グッ、ガッ……も、亡者よ、我が血肉に、還れ」
腹に喰いつく餓鬼の魂だけを消滅させると、刺された腹部には腐臭のする死骸が貼り付いて傷を塞いだ。手荒だが、応急処置としては十分だ。
「うーぁ、痛そう」
オリビアは仕掛けてこない。警戒しているのか、それとも動けないのか。ともあれ、まだ隠密の能力が読めない以上、今のうちに防御を固めたほうがよいか。
「魂の苦痛を糧に 肉を捨て骨を纏え……邪鎧」
餓鬼玉が全身を覆い、強酸を吐き出して自滅していく。溶解した後に死骸が黒く硬質化して、肌に癒着した。これで、生半可な斬撃などを通すことはないはずだ。
「……降り続け 雨よ 桜火を散らし 静寂を我が身に宿せ……桜雨護」
オリビアが唱えると、鍾乳石から垂れていた水滴の落ちる間隔が早くなり、洞窟の天井一帯から降り出した。そのうち幾らかの水滴が宙で留まり、オリビアの周りをゆっくりと漂い始める。辺りは濃霧がかったように視界が悪くなった。
「……影渡り」
ミアの身体が足下の影に沈むのが見えた。そのまま地面を滑るように影が動く。
なるほど、珍しい能力を持っている。
「──黒犬召喚」
焼け爛れた皮膚を持つ醜い三匹の猟犬を召喚し、ミアの影を追わせる。体高が大人の背丈ほどもある黒犬は、己が消滅するまで獲物を追うのをやめない。洞窟の暗闇だろうが霧で視界が妨げられていようが、そして影の中に潜もうが、必ず喉元に喰らいつくだろう。
「チッ。……五月雨よ 集いて濁流 疾く流れゆけ……梅雨濁」
チョロチョロと地面を流れていた水流が集まり、水の大蛇となって鎌首を持ち上げる。ミアの影を追っていた三匹の黒犬を背後から丸飲みにする。
水蛇の腹の中は流れが激しいのか、腹の中で揉みくちゃにされた黒犬たちが次第に形を失い、水を濁らせる。
「……黒犬召喚×2」
三匹一組の黒犬を、さらに二度召喚する。合計で六匹。二匹をミアの影を追わせ、二匹を水蛇、残りでオリビアの左右に挟み込ませる。
オリビアのニヤケ顔が引き攣ったのを見て、少しだけ溜飲が下がる。しかし、絶望と呼ぶにはまだ遠いな。希望などないことを理解できるまで喚び続けよう。
「黒犬……」
──パッキイィィィン!
ガラスが割れるような甲高い音が響いた。召喚を中断して振り返り、音の正体を確認する。
どうやら、黒犬の追加はもう必要はないようだ。
先ほどまで宙に浮いていた赤い宝玉が、粉々になって地面に散らばっている。封印されていたはずの魔霊が、蜃気楼のように揺らめいていたかと思うと、一瞬ののちに受肉して地に降り立った。
赤黒い肌、黒く長い髪、碧眼。焔のような紅の衣を纏い、薄っすらと輝いてみえる。
「……あ〜あ、ココまでかしら。次はもう少し準備しないとねぇ」
オリビアが諦めたようにため息をつく。先ほどまではまだ何か奥の手を持っていたのかもしれないが、それも、あれの前では意味のないものだと理解しているのだろう。
「次があるような口振りだが、逃げ出せると思っているのか? この私と、この大魔霊から」
大魔霊の側に立つだけで、纏っている餓鬼玉がチリチリと焼かれて異臭を放つ。
「……ふん。どんな方法だったかは知らんが、これを封じておくには檻が脆弱すぎたようだな」
どうやら封印を自力で破ったようだ。コレを閉じ込めておくのは容易ではない。我らでさえ完全に制御する術を見つけておらぬのだ。これ以上、小娘どもに拘っている暇などない。
とはいえ、報いは受けてもらわねばならんな。
「さて、選ばせてやろう。犬の餌となるか、骨も残さず灰となるか……魔神様への供物が嫌なら四肢を落として飼ってやっても……」
話していると、不意に視界が揺らめいて定まらず、まるで世界が歪んだような錯覚に陥る。肌が粟立ち、背筋が凍るような、冷たい汗が吹き出る。
『──憤懣の炎』
一瞬の静寂の後、閃光と衝撃波が身体を貫き、次の瞬間には洞窟の壁まで吹き飛ばされていた。
刹那ほど遅れて灼熱の業火が辺りを包む。
纏っていた餓鬼玉は消滅し、邪鎧は炭のように脆く崩れた。
「ぐはぁっ」
何が起こったのか理解できず、呼吸すらままならず、ただ地に伏して血反吐を吐く。
『憤懣の炎』
その言葉を発する主が大魔霊なのだと、気付いたと同時に、第二の熱波に襲われて、再び壁に叩きつけられる。
「──!」
僅かに残っていた邪鎧は全て砕け散り、業火が皮膚を焼き焦がした。新しい防御呪文の発動句どころか、呼吸すら肺を焦がす。ただ、ありったけの魔力を全身から放出し続けることで炎に抗う。
『憤懣の炎』
そうした抵抗を嘲笑うように、大魔霊の声が絶望を告げる。魔力の枯渇と酸素不足で、意識が薄れていく。無駄に抗ったことを少しだけ後悔する。最初の炎で逝けたら、どれほど楽だったろうかと。
しかし、既に身体の半分が炭化し、生き延びられる可能性は、万に一つもないことを悟りつつも、それでも、魔力による抵抗を繰り返す。
意識が闇に溶け落ちる瞬間、オリビアの笑い声が響いていた。
………
……
…




