奈落の洞窟篇 エピローグ
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奈落の崩壊は大きな地震となって、タカヤの街に被害をもたらしていた。建物や街を囲む外壁が崩れて、怪我人も多く出た。しかし、幸いなことに、死亡者は出なかった。
ホセリエル司教は、執務室で頭を抱えていた。
地震被害への対応と報告書、震源地である奈落の洞窟周辺地域生態系の調査依頼。所属聖騎士の集団失踪と桜花の聖細剣紛失……。
そして、ノムが邪教の間者であり、自分を含めて街の大多数がその術中に堕ちていた事実は、ホセリエル一人の責任ではもう取りきれない。
せめてもの救いは、ノムに率いられてしまった聖騎士隊は、全員無事に戻ってきて、今は復興作業に従事してくれていることくらいだろうか。
タカヤの街は知らぬ間に滅びる手前にいた。その事実に、ホセリエルは自責の念が絶えない。
「ユーリ隊長はホリエル大司教のところへ戻った頃だろうか……」
すでに一通りの報告はされているはずだが、今回はあまりにも失態が大きすぎるためか、その沙汰が下るのに時間がかかっている。
「……そろそろ隠居先を探さねばなぁ」
どこか地方の孤児院か教会などが良い。
ホセリエルの心は、すでに遠方の地へ旅立つことになることも覚悟していた。
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「……どうぞ」
聖騎士たちが許可を得て入ってくるたびに、ホセリエルは気を張り、背筋を伸ばす。
死刑宣告を待つ囚人の気持ちはこのようなものだろうかと、聖騎士たちの日次報告を受け取りながら、考えてしまう。
ノムという聖騎士見習いを思い出す。なぜ、あんなにも信頼を置けたのだろうか。
彼の畏まらない対応が、心地良かったのかも知れないな。
今度から、扉は閉めずに開けておこうかと、ホセリエルは考えていた。
………
……
…
ホリエル大司教はユーリとお茶を飲んでいた。ユーリがタカヤの街で買ってきた、ドライフルーツを一粒口に入れる。
ミアがホリエルは甘いものが好きだ、と言っていたらしい。
ユーリから一連の報告と一緒に受け取り、それならばとお茶受けにださせた。
「ふむ。悪くないな……」
ユーリは緊張しているのか、動かなくなってしまったので、先に食べてみた。
「あぁ! まだ私が毒味をしておりません」
「お主が持ってきたものだろう? それとも毒を入れたのか?」
ユーリはあうあうと、口ごもる。その反応を楽しみながら、もう一つ口に入れて、紅茶を飲む。
「冗談だ。お主は随分と分かりやすいな」
ホリエルは窓から空を見上げる。
「鴉は、旅立っていったか。……鴉として育てられておったが、実は燕だったのかもしれんな」
「はっ、申し訳ございません。連れ戻すことができませんでした。この責任は……」
真面目なやつだ。
「良い。私は鴉を救って欲しいと頼んだのだ。それと、お主も無事に帰ってくることも、だな。どちらも達成しておるではないか」
「!」
ユーリは顔を真っ赤にして、熱い紅茶を一気に飲み干し、むせて咳き込んだ。
「それよりも、お主にまた頼みたいことがある」
「はっ!」
ユーリは立ち上がり、両足の踵をつけ、背筋をまっすぐ伸ばし、命令を待つ体勢をとった。
「ああ、違う違う。実は最近、茶飲み友達が減ってしまったのだ。お主には、また、どこか出かけた時に、珍しいものを見つけて買ってきて欲しいのだ。そして、年寄りの話に付き合ってくれぬか?」
ユーリはキョトンとしたあと、またすぐに直立不動の体勢をとった。
「はっ! この不肖ユーリ。ホリエル大司教のために世界各地を周り、珍味美食を集めてまいります!」
ホリエルは笑った。
「ハハ。頼んだぞ。それでは、今朝、見た夢の話でも聞いてくれるか?」
ホリエルは笑い、ユーリを席に座らせて、夢の内容を聞かせた。籠に入れられていた黒い鳥が、空を自由に飛び回るようになった夢を。
………
……
…
俺は奈落の洞窟の入り口だった場所に立ち、地面に手を当てる。
以前の入り口は埋まってしまったが、地中では今も掠奪蟻が土木作業を進めている。
この洞窟で目覚めてから、まだ、それほど経っていないのに、それでも、俺の生きた中で、一番濃密な経験をした。いや、まだこれから増えていくだろう。
立ち上がって手についた砂を払う。肩から斜め掛けにした鞄には、旅に必要なものがいろいろ入っている。天秤が刺繍されたその鞄は、見た目より多くのものが入るマジックバッグだ。
「準備できているか?」
振り返って声をかける。
眠そうな目をしたミアが、コクンと頷く。
髪を後ろでまとめてポニーテールにしている。服は鞄に入っていたワッツのものを着ている。ほとんど同じサイズだったようだ。
この間まで着ていたくノ一風の黒衣は、教会に保管されていた宝具だったらしい。ユーリに返してしまったので、今は着ていない。
「そろそろ、行こうか?」
ミアはまた頷いただけだった。ここ数日、一緒に過ごしていて、本当に無口だなと感じた。
俺はため息を吐く。
これから二人旅だというのに。
でも、うまくコミュニケーションをとっていかないとな……。
『ちがいまーすよー! 二人じゃないです! あたしたちもいます!』
『そうね。間違っているわ。そんなだと、いつか愛想を尽かされるわよ』
二人の声が頭の中に響く。
わかってるよ。外から見た様子の話だよ。
『……』
もう一人も静かに抗議してきた。
ロアとの決戦が終わったあの日を思い出す。
気を失って、目が覚めたら俺の中にシア、ワッツ、コリーの三人がいた。
ワッツの魂が俺に吸い込まれてしまいそうになるのを、救ってくれたのがシアと、コリーだった。俺にワッツの魂が取り込まれそうな瞬間、二人はワッツの魂を結界で守ってくれたのだ。そこからずっと三人が俺の中で話して、仲良くなっている。
知らない間にルームシェアされた大家の気分だ。……まあ、賑やかなのも悪くない。
『捧げられた供物の中で、力ある者たちの能力を大魔霊が宿した』
あのとき、シアはロアの言葉を聞いて、コリーの能力が俺に残っていないかを探していたそうだ。邪な力を封じる聖女の能力を。
残念ながら、俺に聖女の能力は残っていなかった。しかし、シアはコリーの残滓があるのを感じた。そして、俺に寄り合わさっていた魂の中から、かき集めて、選り分けて、再構築を試みたそうだ。
徒桜の聖剣で解放できなかったときの、次善策を探すためだったらしいが……。目の前のことしか見えていない俺は、素直にシアのことを尊敬した。
魂は液体や気体みたいなイメージを抱いていた俺は、選り分けられるなんて考えてもいなかった。シアに言わせたら、魂は非常に細かな砂粒のようなものが集まっているらしい。
完全に、とはいかなかったが、コリーの一部をまとめることに成功できたようで、それからのシアは毎日上機嫌だ。
確かに俺の中にもう一人いるのを感じる。話はできないけど、感情が伝わってくる。
ただし、ワッツとコリーの新しい体をすぐに作ることは、今の俺にはできなかった。
ロアを徒桜の聖剣で斬るのに、大量の魔力が使われたからか、それとも魔力が暴走しかけた影響なのかわからないが、俺の魔力と魔素は激減しているらしい。身体強化も平均的な聖騎士ほどに落ち着いた。
だから、シアが迷宮核に戻るのも、お預けになっている。
『それなら、みんなで旅をしましょう!』
ワッツが提案した。
『きっと世界を回れば解決策は見つかりますよ』
『……!』
『そうね。私も手伝うわ』
コリーが同意して、シアも承諾した。
ミアはユーリに前の職場に戻るよう言われていたが、断って、俺たちに同行する。
蟻たちは、間もなく冬ごもりの時期だったので、そのまま寝かせることにした。
春までには戻ってこれないだろうから、そこからは自由に生きるだろう。
「さあ、出発だ」
最初の目的地は北にある大瀑布。
ワッツ情報では、大きな滝は一度見ておくべき観光地らしい。温泉も食事も有名なら、日本人として、断る選択肢はない。
俺の中でシアがニヤリと笑ったような感覚があったが、きっと気のせいだろう。見えないからな。
楽しい旅になりそうだな。
『そうね』
………
……
…
北の大地で魔女が笑う。
お気に入りのお人形はいくつか壊れてしまったが、新しいおもちゃと遊び方を手に入れた。
奈落の洞窟が崩壊する原因となった大魔霊の魔力暴走。オリビアはあの場から逃げる際に、その跡に生まれていた新しい迷宮核を見つけ、持ち帰っていた。
力強く鮮やかに紅く輝き、奥の方にネコの瞳のような模様が見える。
「新しいことを始める時は、いくつになってもドキドキするわ」
魔女は楽しそうに独り呟く。
「そう思うでしょ? ねえ、ノムくん?」
魔女の笑い声だけが響き続けていた。
……奈落の洞窟篇 完……




