4-4『怨嗟の鎖』
◇◆◇◇◆◇
「──憤懣の炎」
「──降り続け 雨よ 桜火を散らし 静寂を我が身に宿せ!桜雨護!」
シアに僅かに遅れてオリビアの詠唱も終わる。
一瞬の静寂の後、閃光と衝撃波がクロレアを貫き、後ろにいたオリビアもろとも、洞窟の壁まで吹き飛ばした。
刹那ほど遅れて灼熱の業火が辺りを包む。
同時に洞窟の天井一帯から水滴が降り出し、オリビアの周りを漂い始めるが、すぐに蒸発して辺りは濃霧がかったように視界が悪くなった。
「……地獄の釜を開け 火を落と──」
うつ伏せに倒れたままのクロレアが詠唱を始めたのと同時に、シアは地を蹴り、一瞬で距離を詰めて、聖細剣をクロレアの背中に突き立てた。
「──憤懣の炎」
閃光と衝撃波がクロレアを地面に押し付け、オリビアを吹き飛ばす。さらに追撃の業火がクロレアを焼き焦がす。
「……!」
クロレアは嗚咽すら漏らすことができず、全身を焼かれて動きを止めた。
シアは聖細剣を捻り、引き抜き、さらにとどめとばかりに、もう一度背中を突き刺した。
「水剋火! 降り注ぐ桜樹の雫よ……」
天井から水滴が降り注ぐ。
空中で留まり、オリビアの周りに密集すると、オリビアはシアを指差して、くるくると回し始めた。
「──犇めき 渦巻け 打ち流せ!」
指の動きに合わせて、空中に浮いた水滴も大きな渦を巻くように回り始める。その間も降り注ぐ水滴は増し、集まり、回転も加速していく。
「桜珠水渦!」
水竜の如き大水量が、渦を巻きながらシアに襲いかかる。
「怒りの炎槍」
シアは炎の槍で応戦する。しかし、大渦に容易く掻き消されてしまったのを見て、横飛びでかわす。
水の大渦は洞窟の壁を削りながら、向きを変え、シアの後を追う。
「桜珠水渦!」
オリビアがさらに大渦を追加して放つ。
「憤懣の──んぐっ!」
突然、シアの腕に激しい衝撃が走る。エガから共有された身体へのダメージに驚き、詠唱を中断して回避に専念する。その後も全身を走る衝撃の強さに、エガの身が危ないことを悟る。
オリビアから大きく距離をとるように後ろへ飛び、地面に手をついた。
「……土剋水! 桜樹を育む母なる大地よ 溢れる涙の氾濫を その腕で抱き止めよ!波離硬!」
シアの周りの地面が盛り上がり、全方位を覆い隠す防護壁となった。
「ムダよ!」
オリビアが両手を振り下ろすと、二つの大水量の渦巻きが、まるでたまごの殻を砕くように、容易く防護壁を押し潰した。
オリビアは油断なく、シアが岩屑の下から反撃してこないか様子を見る。しかし、しばらく経っても動きはなかった。
オリビアは水滴を周囲に浮かべながら、ゆっくりと防壁の残骸へ歩いていく。水滴は無数の矢として、いつでも放てるように準備してある。
「……」
崩れた岩を足でどかす。
その下にはぽっかりと穴が開いていた。
「な、どこへ──」
──ッドドーンとオリビアの背後で爆発音が鳴る。掠奪蟻が地面に穴を開け、シアと共に飛び出してくる。
振り返るオリビアの顔は驚愕の表情で固まっていた。
「──ここよ」
シアはオリビアの肩口に向けて聖細剣を振り下ろし、袈裟斬りにする。オリビアの身体は、斜めに両断されて地に落ちた。
「かっ、は……は、あははぁ、あははははッ! やられた! やられちゃったわ。わたくしの負けよぉ」
地面に落ちた上半身だけのオリビアが笑う。
「……呆れた。まだ動くのね」
「それはそうよ。だってまだ諦められないもの」
オリビアは笑う。
「そう。でも、もうおしまい。クロレアも動けない……あなたを助ける者はいない」
シアは聖細剣を上段に構える。
「あら、それはどうかしら。お人形ならまだいるわ」
「なにを……」
シアはクロレアを視界の端に入れている。先ほどからピクリとも動いていない。
「おいでミア!」
「!」
◇◆◇
「……あなたのお姉さん、違う」
「あっ、はい、すみません」
ミアが静かに俺を睨んでくる。
俺はノムの触手から投げ出されて倒れたままの格好で謝罪する。土下寝だ。
「ノムは死んだんですか?」
「……まだ」
止めを刺そうと、ミアが短刀を構えた。
しかし、すぐに止まって小首をかしげた後、こちらを振り向いた。
「……これは、敵? ……あなたは、敵?」
ミアさん、現状を理解されずに刺したのですか? 助かったけど、一歩間違えたら俺も刺されてたのかな? 危ない。
「俺はエガ。シアの味方です」
「……ん」
どうやら、それだけで納得してくれたようだ。
「……シア、どこ?」
ミアは俺の前でしゃがみ込んで聞いてくる。
伝えて良いか悩む。
「……オリビアと、戦っています」
「……そう」
もし、ミアがシアの元に向かおうとしたら、なんとしても止める気だったが、彼女は俺の横に膝を抱えて座った。
俺も隣に座った。
「……」
「……」
間が持たない。
「あ、さっきはなんで封印解けたの?」
「……うるさい」
それは、『うるさくて不快』だったから封印を破って出てきたのか、それとも『うるさいから黙ってろ』ってことなのか?
「……たぶん頼まれてた、と思う」
頼まれたというのは、シアがオリビアとの決戦に向かう前の、あのことを言っているのだろうか?
『いってくるわ、お姉ちゃん。悪いけど、エガを、お願いね』
あの時のシアの声が聞こえていて、俺のピンチに起きてきてくれたってこと?
「……そうか、ありがとう」
俺とミアは、静かにシアの帰りを待つ。
長い沈黙の後、ミアが突然立ち上がった。
「ミア?」
「エガ……私を捕まえて」
暇だからって鬼ごっこでも始めるの?
「はやく!」
「はい!」
俺はミアを抱きしめるように捕まえる。ミアも何かに耐えるように全身に力を込めている。しかし、一歩、また一歩、歩き出す。
「ミア、強、い!」
おかしい。俺は力だけなら常人よりも強いはずなのに、ミアの歩みを止められない。
俺はミアを抱きかかえた。
「これなら!」
「──影渡り《シャドウステップ》」
俺の足が影に沈んでいく。ミアの足が地面につくと、トプンと水たまりに落ちるように全身が影に沈んだ。
影の中は真っ暗で、何も見えなかったが、ミアに抱きついている感触はあった。どこかへ向かって進んでいる感覚も。
これは、オリビアに操られている?
『シア! 緊急事態だ! ミアが復活して、ノムを倒してくれて、たぶんオリビアに操られて、そっち向かってる!』
『なんでよ!』
シアからの反応は焦りと怒り、そして悲しみだった。
………
……
…
移動する速度が上がった気がした。そして、突如、視界に明るさを取り戻したと思ったら、影から飛び出していた。
「エガ! シア!」
飛び出した先にシアがいた。ミアは俺に抱きつかれたまま、シアに斬りかかる。シアは後ろに飛んで距離をとる。ミアは追わず、その場で短刀を構える。
「あら、あなたはどちら様?」
話しかけられて後ろを見ると、上半身、正確には左の肩口から右の脇腹までになったオリビアが地面に落ちていた。
「うわ!」
俺は驚きのあまりミアから手を離してしまう。
「可愛らしい反応ですこと。あなた、人形に興味はある?」
「エガ! ミアは私が止める! オリビアにとどめを!」
シアが叫ぶように俺に指示を出す。
「くっ!」
俺は覚悟を決めて、オリビアの上半身に向かって踏み潰すように足を持ち上げる。
ミアが俺に迫り斬りかかろうとするのを、シアが間に入り止める。
全力で踏み抜こうとした足が、オリビアの手前で止まり、激痛が走る。
「ぐあっ」
「足元ご注意」
いつの間にかオリビアの周りには、拳大の水の塊がいくつか浮かんでいた。一つ一つが長い棘を持った形状をしていて、その一つが俺の足に深々と食い込んでいた。
「女性を足蹴にするような悪い子には、お仕置きが必要ねぇ……。五月雨よ 集いて濁流 疾く流れゆけ……梅雨濁」
オリビアの周りの水球が一つに集まり、水の大蛇を形作る。水蛇は大きな口を開けて、俺を飲み込んだ。
「ぐぁばぼッ……」
水蛇の腹の中で上も下もわからないほどもみくちゃにされ、俺は息を吐き出してしまう。酸素不足で目の前が暗くなり、意識が遠のく。
溺れながら、聞こえないはずの、シアとミアの声が聞こえてきた。
『ごめん、お姉ちゃん……』
『……いい。やって』
シアの慟哭と激怒と痛恨の感情が伝わってきて、俺も水の中で声をあげて叫ぶ。
『憤懣の……』
オリビアが笑う。
シアの顔が絶望に染まる。
ミアが目を瞑る。
俺は叫び──
「我は解放と自由の聖騎士、ユーリ・ジャンヌ・フープー! ホリエル大司教の導きにより、その怨嗟の鎖、今ぞ断ち切らん!」
──彼女が名乗りを挙げた。




