3-7『戦闘準備』
◇◆◇◇◆◇
「買い出し、ですか?」
「そうよ。掠奪蟻の餌が足りなくなりそうなの。すぐに無くなるわけではないのだけど、いずれ尽きるわ」
シアがワッツに糧秣の調達を依頼している。
確かに蟻を戦力に加えられたのは大きいが、あの大所帯を養うには、相当な量が必要だろうからな。でも、すぐに必要でないなら、ことが済んだ後でも良いような……。
「今後、この洞窟内で自給自足できるように、湿気と低温を好むきのこ類の菌床も欲しいわ。大きく育つ奴を何種類か……。あと豆苗も」
「……」
ワッツは顔を顰めながらメモをとる。納得できていなさそうな顔だ。
「タカヤの街には近づかない方が良いわ。迂回して、聖教会本部のあるサツヤマか、ちょっと遠いけど西の方にも大きな街があるわね。そちらから仕入れてくれる?」
ノムや聖騎士がこちらに向かっているのなら、確かに他へ向かうしかない。でも、それだとワッツが買って帰るのはいつになるんだ?
「あとは……毛布やベッドなんかも必要ね。冒険者が使うような、何か洞窟内でも快適に過ごす為の道具があれば見繕ってくれるかしら?」
「……蟻用のですか?」
ワッツはメモから顔を上げずに呟くように問いかける。唇を噛みながら、今にも破裂しそうな感情を、必死に抑えている。
「……あなたたちと、私の姉の分よ。なるべく快適に過ごせる場所を作るつもりだけど、そうは言っても洞窟だから、長くは過ごせないでしょう」
シアの言葉にワッツは顔をあげた。涙が目の端に滲んでいる。
「別に邪魔者扱いしているわけじゃないわ。この戦いの後に必要になるの。だから、今のうちに手配しておいてくれる?」
そうか。シアはワッツを避難させようとしているのか。自分の鈍さに嫌気がさす。勝手に、一緒に戦うものだと思っていたが、ワッツは行商人で、ここにいるべきではない。当たり前だ。
「小さめの蟻がいるから、連れていきなさい。こちらが全て終わったら合図させるわ。帰り道で荷物を持たせても良い」
ワッツは振り返り、俺の顔を見た。
俺は頷いた。
「!」
ワッツは泣きそうな顔のまま、洞窟の奥へ走っていった。
「ワッツ!」
「──この辺りは私の蟻しかいないわ。大丈夫よ」
追いかけようとした俺を、シアが止める。
「……わるい。俺が伝えることだった」
「別に。必要になる物資を今のうちに手配させただけよ。人質に取られても困るのは本当よ」
そう言って顔を背けるシアの後ろ姿に、感謝の気持ちを念話で伝える。
………
……
…
ワッツはその日のうちに奈落の洞窟を出発した。話をしようと思っていたが、その必要はなかったようだ。
「あたしは必ず、すぐに戻りますからね!」
満面の笑みで宣言する。
頼まれたものをすぐに揃えて帰ってくるつもりらしい。親指を立てながら、振り向かずに、走り出していった。
必ず全て終わらせて、ワッツの帰りを待とう。そして、またどこかの街を探索して、美味しいものを食べて、話をしよう。
俺はシリアスな展開や涙に濡れるシーンは苦手だ。だから、俺ができる限りの笑顔で、ワッツを送り出した。
◇◆◇
なるほど、とユーリは感心した。
これがホリエル大司教が、私とこの聖剣をわざわざ派遣した理由なのか。
ホリエル大司教に予見じみた先見の明があるという噂は聞いていたが、ここまで的確に危機を予測できるものなのだろうか。
ノムを先頭にした聖騎士隊が、一糸乱れず進軍する。だが、その先陣を切るはずのホセリエル司教は出陣すらしていない。その事実にユーリ以外、誰も疑問を抱いていない。
オリビアとかいう魔女が、人々を魅了してくる可能性が高い、と聞いていたが、どうやらあの男も同じような能力を持っていたようだな。
今ならノムを後ろから斬ることは可能だろう。しかし、万が一、一刀で終わらなければ、五十名の聖騎士を敵に回す。それは避けたい。
「さあ、今日はこの辺りで野営するよ。明日は朝から動くからね。みんなよく休んでおくんだよ」
ノムが号令し、聖騎士たちが一斉に野営の準備に入る。その動きに澱みはなく、なんなら、いつもの訓練より手際が良い。
「……うん、ま、いいか」
思えば楽をできている。聖騎士たちは何も不満を口にせず、黙々と任務を遂行しているのだ。ホリエル大司教から命じられた目的に向かって、大きな支障さえなければ、このまま任せてしまおう。
ユーリは口を閉ざし、他の聖騎士たちと野営の準備を始めた。
なんだか入隊したての頃を思い出す。今ではすっかり雑用をする機会がなくなってしまったが、食事の準備をしたり、天幕を張ったり、仲間と一緒に雑魚寝をするのは、嫌いではないのだ。
できれば食事時くらい笑い合ったりしたかったものだな。よし、これが終わったら全員連れて訓練に出かけよう。北の大瀑布あたりが良いだろうか。ノムの暗示にかかった者たちは、全員滝行させて精神を鍛えてやらねば……。
ユーリは無邪気な悪戯を思いついた子どものように、口元が緩むのを手で隠す。
笑い声を噛み殺すように、具のほとんど入っていないスープを喉の奥に流し込んだ。
◇◆◇
「もう、ノムったらせっかちね。こちらはまだ集まっていないというのに……」
オリビアは暗い天幕の中で嘆息する。
せっかくこれほどの戦力が集まったというのに、このままだと油断しているノムは足元を掬われることになる。
「例えばこのわたくしに……」
オリビアはクスクス笑う。
聖騎士たちが眠っている真ん中で、オリビアは起き上がった。ノムに暗示をかけられた聖騎士らは、誰一人として気付かない。仲間が入れ替わっていようが、増えていようが……。
オリビアは隣で眠る聖騎士の頬を軽く叩いてみる。しかしピクリとも反応しないのを見て、つまらなそうに、また横になる。
おかげで私も簡単に潜り込むことができたのだけど、これは退屈ね。
近くの聖騎士の腹を枕に、脚を他の聖騎士の顔に乗せて、グッと伸びをする。
ノムはそれなりに優秀なはずなのに、いつも詰めが甘くて、手柄を誰かに攫われているのよね。
ロアにも何度か煮湯を飲まされていたはず。その恨みからか、前回の襲撃前には、私にロアの隠れ家を教えてきた。
聖騎士たちの前で、道化のように振る舞っていたはずだが、もう、正体を隠すのはやめたのかしら。今回の作戦に全てをかけちゃうなんて……ほんと浅はか。
想定外のことが起こるのなんて当たり前なのだから、第二、第三の副案は持って挑むべきよね。
「なんだか可哀想……。そうだ、これが終わったら彼をわたくしのコレクションに加えてあげましょう」
可愛らしいピエロの服を着せてあげて、雑技団にでも入れておこうかしら? あまり役には立たないかもしれないけど、そんなお人形を持っておくのも一興よね。
オリビアはクスクス笑う。
明日、ノムが私を見たらどんな顔を見せてくれるのか、想像しながら眠りについた。
◇◆◇
「なあシア。シアは迷宮核に戻ったら、何をしたいんだ?」
ミアが眠る壁の前で、俺は以前から気になっていたことをシアに問いかけた。
「別に何もないわ。ただ、戻りたいだけよ」
しかし、返ってきたのは素っ気のないものだった。
何もないか。
理由はなくても戻りたい場所はある。俺には理由があって戻りたくない場所もあるんだから、まあ、似たようなものか。
「この世界のダンジョンってどんな感じなの?」
「あなたの知っているダンジョンがどんなものか知らないけど、きっと同じようなものよ」
それって『人を食べたりするのか?』とは聞けずに、次の言葉を探していると、飲み込んだ言葉が聞こえたわけでもないはずなのに、シアが続けた。
「別に好んで誰かを襲ったりはしないわ。でも、そうね。きっと人も動物も、ダンジョン内に入ってきたら、それが栄養になるか、それとも体を壊す病原になるか、の違いよ」
それはそうか。
生まれたばかりの迷宮核は、蟻が天敵とも言っていた。シアはまだダンジョンではないけど、今は、蟻がシアに従って洞窟を作り変えている。そういう共存もあるのだろう。その一つが管理者か……。
「……人に未練はない?」
「……人として生きてみて、この国のいろんなところに行ったわ。神話の時代に魔神に折られたという世界樹や、大瀑布のある難攻不落の大迷宮。海の向こうには、山より大きな九尾と大蛇が争う大地だってあるのよ」
楽しそうに話す。怖そうなところだが、せっかくの異世界なら、一度は見てみたい。
「自分の足で歩いて、好きな場所で好きなこともした。それで世界が広いと知ることもできた。それはそれで楽しかったと思ってる」
シアはオリビアの人形にされてから、聖騎士としての人生を歩んできたのだ。その前は迷宮核としてダンジョンだった。楽しかったのに、戻りたい理由はなんだろう?
「ダンジョンは自分の中の世界を広げるの。人も動物も、自然も、全て自分の中にある。自分自身が世界そのものなのよ。どちらの生が良かったかなんて比べられない」
シアは壁に触れて、遠くを見るような表情で「でも」と続ける。
「私は人としての未練より先に、まだダンジョンとしての未練が残っているわ」
シアの美しい碧眼には、強い意志が読み取れた。その横顔に見惚れていたわけではないが、その未練が何かと聞くことはできなかった。
きっと、俺ではシアの決意を変えることはできないだろう。
俺がこの世界でまともに話せたのは、まだシアとワッツだけだ。それでも、この世界をもっと知りたいと思わせてくれた二人だ。正直、離れたくはない。
「……別に、私が迷宮核に戻っても、意思疎通はできるわよ」
「……ああ」
気の利いたセリフ一つ思いつかない自分の語彙力のなさに、情けない気持ちでいっぱいになった。
蟻たちが聖騎士の接近を感じて警戒している。
俺は生き残りたい。生き残って、シアの見た景色を俺も見てみたい。ワッツともまた話したい。
だから、強く思う。
さあ、この戦況をどうくつがえす?




