3-1『大司教ホリエルの夢』
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大司教ホリエルは夢を見た。
暗い洞窟の奥深くで佇む炎の大魔霊の姿を。
大魔霊の慟哭で、くノ一が粉々に砕ける。
大魔霊の咆哮で、街が揺れて燃え上がる。
地面が割れて、全て奈落へと堕ちていく。
そして、割れた大地の底で、桜樹の種が紅く輝いていた。
目を覚ました時、ホリエルは汗でびっしょりと濡れていた。サイドテーブルに置いてある小さなハンドベルを鳴らす。間をおかず、部屋にシスターが入ってきて、そっと近くに寄ってきた。
「水と着替えを。それと、鴉を……」
呼ぶよう伝える前に、真っ黒な衣に身を包んだ男が、シスターの後ろに佇んでいたことに気付く。
シスターは何も言わずに、お辞儀をして下がっていった。
「……ミカエラは近日中に奈落の洞窟に現れます。しかし、同時に大魔霊の手によって命を落とすことになりそうです」
「鴉を送り、見張らせます」
ホリエルは少し考える。
その間にシスターが水の入ったグラスをそっと置いていく。一口飲むと、寝起きで鈍った思考が冴えてきた。
「……いえ、これ以上、鴉を減らすわけにはいきません。適切な能力を持つ者たちに依頼してください。ミカエラを連れ戻す必要はありません。安全が確認できてから、持ち去られた宝具のみ回収しなさい」
鴉は頭を下げて闇に消えていった。
ホリエルは汗で濡れた衣を着替えながら、ミカエラのことを思い出す。
孤児として教会に拾われた彼女は、教会の諜報員として育成された。直属の諜報員として初めて顔を合わせたときは、他のカラスと比べてあまりにも小柄なので、どこの子どもかと思ったほどだ。
だが、他の鴉と同様に、無口で表情が乏しく、何より才能を秘めた少女だった。
鴉たちはホリエルの命令で、どのような任務もこなす。日頃から厳しい鍛錬を積み、途中で命を散らすものも出る。特殊任務の精鋭。その中にあって、ミカエラの実力は群を抜くほどだった。
訓練を視察した際に、彼女の見せた冷たい瞳が、ホリエルは恐ろしいと感じたのだ。
ある日、隣国から珍しい菓子が贈られてきた。護衛を担当していた彼女に毒味させると、ほんの一瞬だけだが、彼女の表情を見たような気がした。
それからは、菓子の時間には優先して呼び出し、毒味をさせるようにしていた。
彼女が食べて、私も食べる。ただそれだけだ。
ただ、それだけで、無表情な彼女の感情を汲み取れるようになっていた。
彼女は突如として姿を消した。
しかも、教会に保管されていた宝物を盗み出し、逃走時に他の鴉たちを手にかけて。
何があったのか、理由は分からない。証拠となるものは何も残されてはいなかった。怪我を負った鴉の証言のみである。
しかし、事実なのだろうと、今は確信できている。夢で彼女が纏っていた衣こそ、盗まれた宝具だったのだから。
夢で未来が見える。
天啓、予知夢ともいうらしい。時折変わったりもする曖昧なものではあるが……。
ホリエルはこの能力で政敵との争いを生き抜いてきた。能力を知る者はごく僅か。教皇と枢機卿、あと何人かの大司教と、鴉の長だけだ。
曖昧ではある。だが教皇ですら軽々しく無視できないほどの強い影響力を持つ。
大司教でただ一人、鴉と聖騎士隊と言った教会の物理的な戦力に対し、ほぼ自由な指揮権を許されるほど強い影響力を。
彼女は近々、邪教が使役するという大魔霊と戦い、そこで敗れるのだな。
そのことを知ったホリエルの中に、悲しみではない何か別の感情が溢れ、一筋の涙を流した。
ホリエルが夢を見てから幾日か過ぎた頃、タカヤの街の司教から、手紙が届いたと報告があった。
内容は目を疑うようなものであった。
曰く『オリビアと名乗る女が、聖騎士たちを扇動し、邪教の討伐へ向かった。その際に桜花の聖細剣も持ち出されてしまった。街に残る聖騎士は僅かの為、有事の際に対応できない。助けて欲しい』とのことだ。
ホリエルが片手を挙げると、黒装束に身を包んだ男がどこからか現れて、傍らで膝をついた。
「オリビアとは?」
「……着せ替え人形の魔女と呼ばれる者の名前がオリビアと記憶しております。所属は不明ですが、奈落に入ったようです」
魔女が、奈落へ?
……もしかしたら、ミカエラも其奴に誑かされたのだろうか。
たしか、夢でミカエラは邪教の使役するという大魔霊と戦っていたな。可能性として、なくはない。
「奈落の様子は今誰が?」
「めぼしをつけていた冒険者が、ちょうどギルドの監視員として派遣されておりました。期間を延長させておくよう、指示を出しております」
冒険者の情報が書かれた書類の束が、執務机に置かれる。
「本人には別途、出入りした者などを毎日報告させておりますが……邪教の隠れ家で間違いないかと。また、女が昨日、聖騎士隊と洞窟に入ったと報告がありました」
資料に目を通しながら、ホリエルは冷たい水を飲む。邪教の隠れ家である奈落に、魔女が聖騎士を伴って?
「ミカエラは?」
「確認できておりません」
ホリエルは盆に置かれた生菓子を、楊枝で切り分けて、一口食べる。
確認はできていないが、おそらく、すでに中か……。
「もう一件。……この男に奈落を監視させている者が、我らの他にもいるようです」
「……何者だ?」
「不明ですが……おそらくタカヤの者かと」
確かにタカヤの街は奈落の洞窟から、そう離れてはいない。奈落の洞窟で何かが起こる、それを知るものが私以外にいる? それとも、ただの偶然か……。
今、聖騎士を派遣しても、災禍を防ぐことはできまい。しかし、避難支援や救助は必要だ。
「こちらから聖騎士を派遣しましょう。時期は追って通達します」
たとい、大きな災禍が起こることを予期し、善なる人々を守り導く聖騎士を未然に送り込んだとしても、神ならざる我らに全てを救うことはできない。被災した者を一人でも多く救う。そのための準備を。
その夜、ホリエルはまた夢を見た。
暗い洞窟の奥深くで佇む炎の大魔霊の姿を。
大魔霊が微笑み、くノ一が闇へと沈む。
大魔霊の咆哮で、街が揺れる。
地面が割れて、全て奈落へと堕ちていく。
そして、割れた大地の底で、桜樹の種が紅く輝いていた。
飛び起きたホリエルは、寝起きの頭を掻きむしりながら、今見た夢の意味を必死で考える。
いったい、何が起こっている? いや、何が起ころうとしている?
変わったのは、ミカエラの明確な死のイメージが消えたこと。
街への被害がなかったこと。
いや、そのあとがある。おそらく街が滅びる運命に変わりない。
思い通りにならない自身の夢にもどかしさを感じながら、それでも頭を働かせる。
最初の夢で見た大魔霊は悲しみの中、ミカエラに手をかけた。その怒りで大破壊をもたらした。
大魔霊はミカエラを意に反して害した?
鍵を握るのは、オリビアという魔女か。
ミカエラを救える可能性が、今ならまだある、のか?
……誰を送る? 必要な技能は? 数は?
「……ホセリエル司教に手紙を送ります。複数筋で手配しなさい。聖騎士と、宝剣も派遣します。必要な手続き以外は省略しなさい。そして、オリビアと言いましたか。神敵とします」
ベルを鳴らすことすらせず、ホリエルは鴉へ指示を出す。ベッドから起き上がり、急いで執務机に向かう。
予知夢はいつもあやふやで、はずれることもあるのだ。これまで意図して変えようと振る舞ったことはなかったが……できるだろうか?
ミカエラを、ミアを救いたいとホリエルは願った。一度は仕方ないと諦めた少女の命を。
そのためにできることを、為すべきことを探るのだ。
この天啓をどう覆す?




