第9話「幼馴染、襲来!」
## 第9話「幼馴染、襲来!」
「すごいですね。軽井沢さん」
百回ダイエットしたインフルエンサー、軽井沢重子のマッチョ化計画が始まってからしばらく経った。
まだまだマッチョとは言い難いが、その最強のプロポーションは戻りつつある。ついに先日、SNSで活動再開報告をしたところ、物凄いバズり方をしている。
「そうですね! ですが、まだまだこれからです。マッチョの道は始まったばかり――」
高橋とSNSの投稿を見ていた笹原陽子は、もはやツッコむ気力もなかった。これから高橋のパーソナルトレーニングを控えているからだ。
「でも――残念ですね。軽井沢さんがここのジムに通っていることが公表できたら、このジムも、この商店街だって“聖地”に――」
「ダメですよ陽子さん。軽井沢さんは“謎多きインフルエンサー”なんですから」
SNS運用にあたって、高橋は軽井沢からあるお願いをされていた。
それは、彼女の所在を明らかにしないこと。
当然、会員の悩みに寄り添うという目標がある高橋は快諾した。商店街の発展を望む陽子としては、残念な決定だ。
「それに、今日は陽子さんの日です。軽井沢さんに負けずに頑張りましょう」
「は、はい……」
陽子はそう言うと着替えに向かう。
(よし……今日も、陽子さんは基礎的な運動から――)
高橋は陽子のために準備したメニューをおさらいする。
縄跳び、ボール投げ、スキップ。などなど。
およそ成人女性にやらせる運動ではないように思える内容が列挙されている。
(まさか――陽子さんがあそこまで“運動音痴”だったとは)
それは、軽井沢重子がマッチョ化に目覚めた翌日。陽子のパーソナルトレーニング初日の出来事――
◇◇◇◇◇◇
「まずはキング・オブ・エクササイズ、スクワットからやってみましょうか」
「は、はい!」
陽子の予想に反して、“運動不足解消”という目標を掲げた陽子に対しては優しいアプローチから始めた高橋。
「じゃあ、俺がお手本を見せますんで、真似してみてください」
「…………」
高橋はスクワットを行う。
おそらく、どこに出しても恥ずかしくない、“正しいフォーム”のスクワット。
膝を前に出しすぎず、かといって一切出さないわけではない。股関節で受けて、地面を押すように上げる。
美しいスクワットだった。
「まずは、難しく考えずやってみましょう」
高橋は言った。
その後、彼が目の当たりにしたのは――
「……ロボ?」
高橋は思わずそうこぼした。
陽子の顔が真っ赤に染まる。
「あっいや……!」
高橋は訂正しようとしたが、正しい言葉が見つからない。
陽子のスクワット……いや、“スクワットにインスパイアされた何か”は、かなりアバンギャルドなムーブだった。
(ど、どうやったら今の動きになるんだ――い、いや! だめだ! そんなふうに考えるのは失礼極まりない!)
「ゴ、ゴメンナサイィ」
真っ赤になって縮こまってしまった陽子。
「謝るのは俺のほうです!申し訳ないです、俺、陽子さんの――」
高橋は謝罪した。
そして学んだ。
自分ができる当たり前が他者の当たり前ではないことを。
「ま、まずは……楽しく体を動かすところから初めてみましょう!」
そうして、あらかじめ用意していた高橋のプランは全て白紙に戻し、陽子との楽しいボール遊びが始まった。
「い、行きますよ〜?」
ボールを構える高橋。
「…………」
両手を前に突き出し、半目になって震えている陽子。
(ど、どういう状況!?)
ボールをキャッチしようと構えているらしいのだが、どう考えても取れる気がしないフォルムの陽子。
「それ」
「あう」
高橋が放ったゆるーいボールは、無慈悲にも陽子の頭に当たった。
(手を狙ったのに――? なんで前に出てきたんだ――)
「うぅ……」
涙目になってしまった陽子。
「オーウ!ミスター・タカハシ!イジメハダメデスヨ」
「トムさん!? そんなつもりは――」
「わ、わかってます! 私がいけないんです……私、小さい頃から運動が“ちょっとだけ”苦手で――」
(ちょっとだけ……?)
(チョットダケ……?)
高橋とトムさんは心の中でシンクロした。
「ど、どうしましょうね……ハハ……」
自嘲気味に笑う陽子。
(まずい……! このままでは陽子さんが筋トレを“楽しくないもの”だと思ってしまう!)
高橋はそう思うと、思わず陽子の手を取った。
「えっ……」
「大丈夫です!」
陽子を見つめる高橋のまっすぐな目。
「俺が、陽子さんを変えて見せます!」
「…………ホントデスカ」
陽子は消え入るような声で聞く。
「はい! 任せてください!」
その陽子の声の数十倍の声量で自信満々の高橋。
「…………」
「…………」
両者、しばらく見つめ合う。
「……ワカリマシタ」
陽子は小さくそう言った。
それからというものの、高橋による陽子の運動神経改善計画は熾烈を極めた。
様々な基礎運動に関わるメニューを用意し、陽子と共に実践する。高橋は軽井沢とのパーソナルと並行してこれらの作業を行なった。
(ミスター・タカハシ、オウエンシテルヨ……!)
トムさんはそんな高橋を見守った。毎日――!
◇◇◇◇◇◇
そして、今日。
「行きますよ〜!」
「はーい!」
二人は近所の河川敷に出てキャッチボールをしている。
「いや〜、それにしても……いい感じに投げられるようになりましたね!」
「お、おかげさまで――」
なんと、陽子のパーソナルはジムを出て、外でのアクティビティにまで進化していた。
軽井沢重子の減量と並行して、陽子の運動能力もみるみる向上。今では人前でそれなりのキャッチボールができるように。
――側から見れば、年頃のカップルが仲良くキャッチボールをしているようにしか見えない。そんな微笑ましい光景。
◇◇◇◇◇◇
時は同じく、そして場所も同じくして――
「フンフフ〜ン」
ここは都会でも田舎でもない絶妙な立地の商店街から少し歩いたところにある河川敷。
高橋秀の幼馴染、堀井愛華はご機嫌で散歩をしていた。
(まさか、フルリモート勤務の許可、下りるなんてね〜)
愛華は東京のデザイナー事務所勤務。
先月出した自身の仕事をリモート化する申請が受理され、晴れて高橋と同じこの場所での新生活を間近にしていた。
「お返しってワケじゃないけど……黙ってこっちに来てやったわ!」
高橋は知らない。愛華は何も相談せずに東京を去った高橋にそこそこキレていることを。
「これで、アイツのジムにサプライズで登場すれば、さすがのアイツも私のこと、多少は意識するでしょ――!」
愛華は知らない。高橋はそこまで考えていないことを。
そして、二人は知らない――
「…………は?」
愛華は河川敷で信じがたい光景を目にした。
「あれ、秀よね――一緒にいる女の人は」
――ギリィ
信じられないほどデカい歯軋りが鳴る。
――カシャ
愛華は見知らぬ女性と楽しそうにキャッチボールする高橋を写真に収めた。
「ふーん」
愛華はその写真を眺める。目からはハイライトが完全に消えている。
「こっちに越してきて、見つけたんだ」
重ねて、二人は知らない――
「“私以外”の、大事な女の人」
このパーソナルトレーニングが、思わぬすれ違いを生むことを。




