第8話「マッチョと乙女心」
「何を……言ってるのかわかりません」
ここはタカハシジム。都会でも田舎でもない絶妙な立地の商店街にあるそのジムに、厳しい言葉が響いた。
「そ、そんなにですか……?」
高橋が重子にアドバイスをした翌日。店を訪れた笹原陽子に先日の出来事を相談した高橋。
陽子は混乱した。
「ええと……その新しいパーソナル会員さん――軽井沢さんは、痩せるためにこのジムに来たんですよね?」
「はい」
「それで、最終的に“マッチョになりましょう”ってアドバイスをしたら喧嘩になったと」
「はい……どうしてでしょうか……同じ女性の笹原さんなら何か分かるかと――」
「あ、あぁ……その、分かるというか何というか、どこから説明すればいいのか――」
笹原陽子は悩んだ。
先日の手書きマッチョ配布事件から分かる通り、この男はかなりズレている。とりわけ、筋トレが絡むとさらにそのズレは巨大化していく。
「い、いいですか? 心して聞いてください」
「……ゴクリ」
「まず、“痩せたい”と“マッチョになりたい”が一致しないのは、わかりますか?」
「そ、そのくらいわかります! 侮らないでください!」
「ッスーー」
陽子は感情を押し殺した。この男に悪気はない。ただ真っ直ぐ問題に取り組んでいるだけ――
「では、どうして軽井沢さんにそのような提案を?」
「彼女、リバウンドに悩んでいるんです」
「……はい」
「だから、マッチョになれば、また体型が変わっても元に戻りやすくなるので――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「マッスルメモリーの現象が――」
「止まって止まって。本当に、ストップ」
陽子は暴走する筋肉を止める。
「は、話が飛躍しすぎでは?」
「…………?」
(どうしてそんな“よくわかりません”みたいな顔ができるのかしら)
陽子は“説得”を試みようと考えた。
話を聞く限り、軽井沢重子という会員は、彼のズレの被害者になってしまった可能性が高い。
このままでは、「このジムに入ると強制的にマッチョにさせられる」という噂が立ってもおかしくない。
というより、陽子も身の危険を感じた。まだ彼女のパーソナルは始まっていない。もし、その時が来たら……自分もマッチョにさせられてしまうのか――
それに、自分の祖母がムキムキになっていく様も……いや、それぐらい健康ならそれはアリなのか……?
「イヤそんなわけないでしょ!」
「うわびっくりした」
陽子は脳内の自分に強烈なツッコミを入れた。
救わなくては――
このジムの未来は、自分にかかっている。そう予感した陽子。
この男のマッチョ至上主義的思考を変えなければ、この商店街は、マッチョに侵略されてしまう――(そんなことはない)!
「あ、あの! 高橋さんっ!」
陽子が意を決し口を開いた瞬間。
「あ、あれ?軽井沢さん?」
高橋は予定になかった来訪者に驚く。
「…………え?」
高橋の言葉につられて陽子は振り向いた。
そこにいたのは――
「高橋さん……私――わかりました!」
陽子は恐れた。
そこにいるのは、高橋の話では、“マッチョの被害者”だったはずの会員。
しかし、その姿は――
「私が間違っていました! 私が目指すべきは――」
まさに“臨戦体制”。
どんなワークアウトもかかってこいと言わんばかりの服装。
その手には、プロテインシェイカー。
「第三形態、マッチョの私っ!」
「…………軽井沢さん!!」
高橋は感動のあまり立ち上がった。
陽子は頭を抱える。
トムさんはスタンディングオベーションだ。
(ミゴトナ、クライマックスダネ……)
一体何があったのか。
陽子は知らない。マッスルメモリーとは何なのか。
重子が昨夜、何を調べ、どんな結論に辿り着いたのか。
正直、高橋もよくわかっていない。
しかし、一つだけ確かなこと――
ここに、新たなマッチョの誕生が約束されたのだ!
◇◇◇◇◇◇
「トムさん……私もマッチョにされちゃうんでしょうか」
その後、血気迫るパーソナルが始まった。
高橋と重子による共演、いや――“狂演”とも呼べるその筋トレは、再びタカハシジムに多くの見学者を呼び込んだ。
「ダイジョウブヨ。ミスタータカハシ、ミス・シゲコノナヤミ、キイタダケ」
その様子を眺めながら陽子とトムさんが話している。
「いや……それ私も聞きましたけど、強制的に筋トレに結びつけてるようにしか――」
「キョウセイテキ、ネェ……」
トムさんは重子のワークアウトに目をやる。
「“アレ”ヲミテモ、ソウカンジル?」
「……えっ」
陽子はハッとした。
すぐそこで行われている、重子のワークアウト。
「はい! プッシュ!プッシュ!プッシュ! 挙がりますよ!あと一回! 挙げて!」
高橋の鼓舞。応える重子。
彼女の体は脂肪に覆われているが、その脂肪すら“余剰資産”と思わせる確かな“覚悟”が陽子の胸を打つ。
(ど、どうして……?)
「アレガ、ミスタータカハシノ“Answer”(ものすごいいい発音で)」
「ア、アンサーって……?」
「ミス・シゲコノナヤミ、ホンシツテキナ、approach……(さらにいい発音で)」
陽子は考えた。
が、ダメだった。
「フフフ、ミス・ヨーコニハ、マダハヤカッタカナ?」
トムさんは笑った。
(わからない……この人たちが何を言っているのか)
陽子は再び高橋と重子の二人を観察する。
(でも、一つだけわかる)
(あの二人は、通じ合ったんだ)
(筋トレという、共通言語を通して――)
陽子は決意した。
この二人の結末を見届けようと。
筋トレという言語を持たぬ自分は、それしかできないと。
「オヤ、オカエリデスカ?」
「ええ。私には、まだ早いみたいですから」
「アレ? デモアシタ、ミス・ヨーコモパーソナルアルヨネ」
陽子は青ざめた。
(わ、私も……“あれ”、やるの――?」
陽子はもう一つ覚悟した。
運動不足気味の自分との決別。
マッチョの自分との出会い。
商店街のため、逃げることはできない。
(ソンナニコワイモノジャナイヨ……)
トムさんの思いも虚しく、目の据わった陽子は重い足取りでジムを後にした。




