第7話「第三形態が、残ってるんです」
「……マッスルメモリー?」
高橋が言ったその単語。重子にとっては耳馴染みのない言葉だった。
「そうです。まずは、私の考えを聞いてください」
「軽井沢さんは、痩せた状態で多くの人の目に触れると、“維持しなくてはならない”“期待を裏切ってはいけない”というプレッシャーからリバウンドしてしまっているんです」
「……は、はい」
「ですから、もう一段……変身しちゃいましょう」
「もう一段……」
「リバウンドした状態。痩せた状態。そして――」
重子は息を呑んだ。
高橋から提案される全く新しい角度からのアプローチ。期待が高まる。
「――マッチョの状態です」
「…………はい?」
重子は耳を疑った。
今、マッチョ?マッチョと言ったのか?
「あの、今なんて」
「マッチョです」
「どういう意味」
「マッチョになってください」
まるで“いいアイデアでしょう?”と言わんばかりの高橋に、混乱する重子。
(ミスタータカハシ、サスガデスネェ〜)
トムさんもご満悦である。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!私の話、聞いてましたか!?」
重子は思いっきり素のリアクションでツッコむ。
「はい。それはもう」
「全ッ然聞いてないです! 私、いえ――私のファンは、痩せてる……スタイルの良い私を待っているんです! マッチョの私は誰も待ってません!!」
「…………??」
高橋は頭の上に?マークが出ている。
(あっ……この人――)
そんな高橋の様子を見て、重子にある予感が。
「あ、あのですね……私が言ってる“スタイルが良い”というのは、その……引き締まったウエストと、適度に強調されたバスト、ヒップ――」
「はい。はい。そうですね!」
重子は、必死に自分が思い描くダイエットした姿を高橋に伝えるが、話せば話すほど、“前提のズレ”が露呈していく。
「そ、そうだ! これ! この前見せた私の写真! これですよ!」
重子はスマホの画面を突き出す。
そこには、素晴らしく引き締まり、美しいくびれが強調された重子の姿があった。
「ファンが待っているのはこの私です!! どうですか!? 自分で言うのもなんですがかなり良いスタイルです!」
「そうですね! ですから、ここからもう一段“進化”しましょう!」
重子は頭を抱えた。
この男……高橋秀は、前提からおかしいのだ。
この男にとっては、“マッチョ”が最高到達点。
この写真の重子がさらに筋トレを続け、マッチョになった状態は“やりすぎ”ではなく“進化”なのだ。
「シゲコサン……モウ、テオクレダネ」
なぜか重子の肩を叩くトムさん。
「な、何が手遅れなんですか!? い、嫌ですよ私あなたたちみたいなマッチョになるなんて!」
「ど、どうしてですか!?」
「なんでそんな純粋に聞き返せるんですか!? 怖いんですけど!!」
「ドウドウ」
トムさんの介入で、なんとか落ち着く二人。
「ミスタータカハシ、アナタノコト、ヨクカンガエテルヨ」
「……はい? どこがですか――」
「アナタ、ヒトマエニデルト、カラダカワル。モドスノタイヘン」
「そ、そうです! でも、だからって――」
「muscle memory……(ものすごい良い発音で)」
「……え?」
「ソノコトバニツイテ、ヨクシラベテミテ……!」
トムさんはヒートアップした二人を落ち着け、この場は一旦お開きとなった。
◇◇◇◇◇◇
「ミスタータカハシ……スコシ、アツクナッチャッタネェ」
「す、すみません! トムさん……俺、何か変なこと言っちゃったみたいで――」
(ウンウン、コレハ……カレノイイトコロデモアリ、ケッテンダネェ)
「ダイジョウブヨ。ミスタータカハシ、ミス・シゲコノコト、タスケタイ。ヨクツタワッタ」
「トムさん……!」
「ツギノパーソナル、イツナノ?」
「三日後です」
「アアソウ。キット、ミス・シゲコハワカッテクレルヨ」
「そ、そうでしょうか!?」
「ソモソモ、ナンデミス・シゲコガオコッタカ、ワカッテルノ?」
「…………?」
(オーウ!サスガミスタータカハシ!)
「ソノジュンスイサ、ナクサナイデ……」
「あっあれ!? トムさん! 答えを教えてくれる流れじゃ!?」
トムさんは満足げにタカハシジムを後にした。
「け、結局何も分からずじまいだ……」
(でも、軽井沢さんをマッチョにできれば……もし仮にプレッシャーで筋分解しちゃっても“マッスルメモリー”の現象――すなわち筋核が長期間残ることで筋肉を増やしやすい。)
(マッチョとスレンダーを往復する新たなスーパーインフルエンサー誕生のきっかけになればと思ったんだけど……)
高橋は考えた。きっと、この考えのどこか……それも初歩的な部分で何か認識の齟齬が起きているのだと。
(軽井沢さんのファンは、きっとマッチョになった彼女を見たらさらに彼女のことを好きになるはずだ。それは間違いない。それなら、彼女の言葉は一体――)
高橋は少し狂っていた。
それは、彼の小学校時代にまで遡る。
高身長に恵まれたが体重が軽かった幼き高橋は、その体型を揶揄されることが多かった。
それは中学高校と進んでも彼を悩まし続けたが、大学生になったある日、高橋はジムでとある女性に脳を焼かれてしまったのだ。
彼の中での美の序列が崩れた。
それが、今回のすれ違いを産んだのだ。
◇◇◇◇◇◇
しばらくして、軽井沢重子の部屋。
「え〜っと、なんだっけ? マッスル……メモリー?」
重子はしっかりと高橋とトムの言葉を覚えていた。
変人でも、しっかりと重子の悩みに向き合ってくれたことは間違いない。
「なになに……?」
重子は調べた。マッスルメモリーとは何なのか。
「嘘……」
そして気づく。
高橋が何を言おうとしていたのか。
「これなら、もう、リバウンドを恐れなくていいの……?」
重子は悟った。
私は誘われている。
「それなら……いいのかな?」
検索ボックスに入れた単語はそのまま、ブラウザのを画像検索モードにする。
「わ、わぁ……! すごいマッチョがたくさん――」
その中には女性のマッチョもいた。
その姿は、重子が理想とする姿とはあまりにもかけ離れている――
しかし!
「だ、大丈夫! 少しだけ……一回だけだから」
「マッチョになっても……今までみたいに、すぐに元に戻るから。絶対」
何だか危ないものを使おうとしているような言い方になる重子。
「脂肪を筋肉に変えやすくするために、一度だけ、一回だけマッチョになるだけなんだから――!」
重子もまた、少し狂っている。
自認百回ダイエッター。
その輪廻から脱する希望を前にすると、判断力が鈍る。
彼女の部屋には定番からおかしなものまで大量のダイエットグッズが所狭しと置かれていた。
“革命”が起ころうとしていることに、まだ重子は気づいていない――!




