第3話「脳筋にデザインができると思うのか?」
笹原がジムを訪れてから数日経った。
ジムから歩いて数分。駅前でビラを配っているが、その反応は芳しくなかった。
「……なんですかこれ」
偶然通りかかった笹原陽子にそう言われた高橋は配っているビラに目を落とす。
「やっぱり、まずいですかね」
「まずいというかなんというか……それ以前の問題では――」
高橋が持っていたのはマッキーペンで各月学会員の価格が書かれた白い紙。
ご丁寧になんともいえない“味”のあるマッチョのイラストが隅に描かれてる。
「これ、一枚ずつ手で描いてるんですか」
笹原はもはや笑いを堪えているレベルで手書きのマッチョの絵を確認していく。
ビラを捲るたび、少しずつ違うマッチョが現れる。
「あの、笹原さん――」
高橋の呼びかけをよそに、笹原はビラをパラパラとめくっていく。
「……あれ、聞こえてない?」
「…………はっ!?」
最後のマッチョを確認し終えると、笹原はやっと我にかえった。
「と、とにかくですね! これではどこでなんの募集をしているかわかりません!」
「そ、そうでしょうか……? このマッチョイラストがあればジムの会員募集だって――」
「ブフッ!」
ついに笹原は吹き出してしまった。彼女は高橋のマッッチョイラストにハマってしまっている。
「笹原さん……? そ、そんなにダメですかこれ――」
「……誰かデザインを頼める人、いないんですか?」
「それが、いろいろ調べてみたんですが結構値段張るんですよね……AIに作ってもらおうともしたんですが、なかなかしっくりくるデザインにならなくて……」
「そ、それで……手書きでこれを……?」
「はい」
「ご自分で……その――マッチョのイラストを?」
「はい……」
「一枚一枚……書いたんですか……?」
「…………はい」
「…………ふぅ」
笹原は大きく深呼吸をした。先日から抱いていた疑念。高橋秀という男、笹原はこういった人間を知らなかった。
人間というのは、もう少し……なんというか、大人になるにつれ曲がっていくものだと思っていた。
いや、違う……曲がっているのだとしたら、それは高橋の方かもしれない。そう思った。
「変な人ですね」
笹原は笑う。
「ひ、ひどい!」
「とにかく、このビラ、どうにかしたほうがいいですよ!」
そう言うと笹原はビラを一枚貰って駅へ向かった。
「…………もう入会してるのにビラ、持ってくのか」
高橋はそんな笹原の後ろ姿を見送る。
その後、笹原宅の冷蔵庫に、切り抜かれた謎のマッッチョのイラストがマグネットで貼り付けられることになるが、それはまた別の話だ。
「……あ、そういえば“あいつ”デザイナーだったな――」
笹原が見えなくなったところで、高橋はある人物を思い出していた。
スマホを取り出す。
(東京からこっちに出てきて……忙しくて連絡とってなかったな)
その画面、連絡先に入っていた名前は堀井愛華。
高橋の幼馴染であり、社会人になってからも連絡を取り合う仲。いわゆる腐れ縁。
そんな彼女が、今の高橋には必要だった。
◇◇◇◇◇◇
「愛華さん、電話なってますよ」
ここは東京。とあるオフィス。
カラフルなオフィス用品が彩る前衛的な空間の一角、堀井愛華は仕事の真っ最中だった。
「いいのいいの、バカからの連絡だから」
「……彼氏さんですか?」
「そんなわけないでしょ。そうだったら真っ先に出てるって」
「うーん、愛華さん、どうして彼氏作らないんですか?可愛いし、仕事できるし……」
「変なこと言ってないで手、動かしなさいよ。納期やばいんでしょそれ」
「はーい」
愛華の手元にあるスマホ。着信画面に表示されているのは“脳筋”の文字。
(……私に何も言わずに東京から出てって――今更なんの連絡よ全く……!)
愛華は怒っていた。
小中、高校と同じ学校に通い、大学時代も交流があった二人。
社会人になってからもお互いの労働環境を知らせ合い、愚痴を言い合った仲。
愛華にとって、それは“友達以上”の関係だった。
しかし、ある日突然姿を消した高橋。
彼のSNSアカウントで、高橋が離れた場所でジムを開業することを知ったのだ。
愛華はその理由を知っている。
彼が本当にやりたかったこと。
彼の中に、“忘れられない存在”がいることも。
(……本当に、その人に会うために――ほんと脳筋よね)
再び、スマホが鳴った。
そんな男が、いまさら自分になんの用なのか。
愛華は高橋が自分に対して恋愛感情を持っていないことを知っている。
というより、幼い頃からずっと……高橋にはそういった浮いた話が一切なかった。
彼が……辛い時期を過ごしていた時も、愛華は知っている。
「……もしもし」
『あー! よかった出てくれたスマン堀井! 忙しくて連絡全然してなかったよな!」
いつものハイテンション。
この男は――こっちの気を知りもしないで――
「何の用? こっち、結構忙しいんだけど」
つい語気が強まってしまう愛華。
「あ……そうなのか……じゃあ、厳しいか――俺の店のビラ、作ってくれないかなと思って……」
愛華は考えた。
この男は……本当に、本当に何も考えていないのだ。
引っ越すなら一言言って欲しかったとか、サラリーマン辞める相談とかして欲しかったとか、いろいろ――!
「堀井……?」
しかし、同時に安心もした。
彼は、自分のことを忘れてしまったわけではなかった。
ただ、忙しかっただけなのだ。
「……話だけ聞くわ」
愛華は自分がつくづく嫌になる。
この男が忘れられない存在に引っ張られているように、彼女もまた、彼に引っ張られているのだ。
その後、参考資料として会社のメール(お問い合わせ先)に、彼の特製、マッチョイラスト付きのビラの写真が送られてきた。
(何やってんのよあのバカ!!)
「お〜い、なんか面白い写真がお問合せ経由できたけど、誰か対応中の案件か」
反対側のデスクから声がする。
「……印刷して置いとくぞ」
その後、そのアバンギャルドなデザインのビラは、そのインパクトが評価されオフィスの休憩室にしばらく貼られることになったのは、また別の話だ。




