第2話「もしかして、潰れる?」
「ま、レイアウトはこんなもんかな」
トムさんの来訪からしばらく経った。
滞っていたいくつかの器具の搬入も終わり(何故か毎回見計らったようにトムさんが来て手伝ってくれた)、いよいよジムの機材が揃った。
「コノパワーラックノキズ……アイサレテイタンデスネ……」
トムさんは中古のパワーラックを磨きながら言う。
(なんか会員というか店員みたいになってるな――申し訳ないがうちに従業員を雇う余裕はないのだが……)
高橋はそんなことを思ったが、彼が勝手にやっているので止めるのも野暮というものだろう。
「さて……次にやるのは――」
引き出しから紙を出す。
入会の申込用紙――
(この前はトムさんが偶然来たけど、当然まだ会員は一人しかいない。とりあえずテナント料と水道光熱費、俺の生活費が賄えるくらいの収入は得られるようにしないとな)
スタンダード会員は月7800円。パーソナル会員は月18800円。
この価格設定は、近辺の二十四時間ジムの価格を下回るため。
なるべく近くにそういった競合がない立地を選んだが、あの勢い、いつどのタイミングで近くに爆誕するか分からない。そういう意味でもこの価格は上げられない。
ちなみに、この価格を聞いたトムさんは泣いて喜んだ。
「しかしこれって――会員何人いれば回るんだ?」
「……あなた、そんな計算もしないで始めたんですか?」
高橋がそう呟いた直後、スーツ姿の女性が現れた。
すらっとしたスタイルのいいメガネの女性。彼女はこのテナントの貸主、この建物の大家さんの孫だ。塾の講師をしながら、この商店街のいくつかの建物の大家である祖母の手伝いもしている。
「あ、笹原さん。どうも……」
「“どうも”ではありません。全く……テナント料、ちゃんと払ってもらわないと困りますからね」
「それはもちろん……!」
高橋が言うと、笹原はジムの中をぐるっと見回した。
「……オープンはまだ先と伺ってましたが、もう始めているんですね」
「えっ……あぁ、あれはその――」
いつのまにかトムさんが来てベンチプレスを始めていた。
「いえ、会員がいるのは良いことです。それで――」
笹原はいろいろとジムの経営方針について尋ねた。
「この価格設定なら、スタンダード会員四十名、パーソナル会員十名程度がボーダーでしょうか」
「い、意外と多いですね……」
「何度も言いますが、こういった計算は店を“出す前に”やるものですよ?」
「価格、見直したほうがいいですかね?」
「いえ、それはこのままの方が私も通いやす――」
笹原はそう言うと「ゴホン」と咳払う。
「とにかく、オープンまでに少なくとも二〜三十人は集めるのがいいと思います。運転資金はどのくらい持っているんですか?」
「…………運転資金?」
「はい」
「…………」
「……冗談ですよね?」
「…………」
「開業にあたって、銀行とか……その、いろいろ相談とかしてますよね?」
「…………」
「あ、あの! 黙ってるの怖いんですけど!」
「退職金――」
「……へ?」
「退職金で、いろいろ買ったので。あとは――サラリーマン時代に貯めた貯金と、積立投資してた株を売って――」
(おばあちゃん、なんでこんな経営設計の人に貸しちゃったの――?)
頭を抱える笹原。
「あ、あの! 大丈夫ですから! 今から宣伝して、会員集めますので!」
「…………“脳筋”って言葉の意味が本当の意味でわかった気がします」
「それ、褒めてます?」
「ホメテルワケナイデショ!」
何故かトムさんがベンチプレスしながらツッコんできた。器用な人である。
「とにかくです!はい、入会申込用紙、貸してください!」
笹原が催促するままに紙を渡すと、彼女はテキパキと必要事項を書いていく。
「もう一枚いいですか?」
しばらくして、笹原は二枚の申し込み用紙を渡してきた。
「ひとまず、これで私と大家の――私の祖母が入会します」
「え!? いいんですか?」
高橋は驚いた様子で紙を見る。
そこには、目の前に座る笹原陽子とその祖母である笹原ウメの名前が書かれていた。
「…………この商店街、ちょっと危ないんですよ」
「あ、危ない?」
笹原は少しだけ表情を暗くした。
「ウチが持ってるテナントはまだいいんですけど、空きが増えてて」
「高橋さんみたいな同年代の若い人が店を出してくれるのは、貴重なんです」
「な、なるほど――」
「だから! そういう意味でもすぐに潰れたりされたら困るんです!」
「つ、潰れる!?」
「そうです!だから――」
笹原は一瞬だけ間を置いて続ける。
「応援……してます。私も、少し運動不足気味なので、使わせてもらいますね」
「ぜ、ぜひ!!有酸素のマシンも置きましょうか!」
「今は出費を増やさないでください!!」
「あ、そうだ……さすがにおばあさんの分は――」
「…………」
そう高橋が言うと、笹原は声のトーンを落とした。
「それは、ちょっと後で相談させてください」
高橋にはある予感があった。
孫が祖母をジムに入会させる“相談”。
その内容はある程度予想できる。
「……わかりました。いつでもお待ちしてますよ」
「はい……では、振込口座のご連絡、お待ちしてます」
そう言うと、笹原はジムを後にした。
「ナンダカ、タイヘンソウデスネ〜」
いい感じに胸筋がパンプしたトムさんが言う。
「あ、いや……ハハ……開業した後のこと、あんまり考えてませんでした」
「ジャ、ウチノミセ、コウコクオクトイイヨ」
「えっ!? ちょ、ちょっとそこまでしていただくのは――」
「イイノイイノ!ソノカワリ、ジムニ“ワリビキケン”オイテ!」
(な、なるほど……うちで鍛えて、“トムズグリル”でたらふく肉を割引で食べる……か)
「わ、わかりました!! トムさんに損をさせないように頑張ります!!」
こうして、高橋の挑戦が始まった。
現在、パーソナル会員が三人。
目標は遠い――!




