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家譜 ~中書省員外郎 李成安の生涯  作者: 早瀬 構
第六部

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第63話

1.


 一二三三年五月。草原へ入ってほどなく、若様――成安は、ドレゲネ様とソルコクタニ様のもとへ、それぞれ挨拶を許された。


 どちらも、若様は前に一度、拝謁の機会を得ている。私と言えば、採寸で幾度かお会いしているが、同じ顔なら同じ重みかといえば、そうはゆかぬ。


 トルイ様が亡くなられてからの草原は、静かである。静かだが、平らかではない。風そのものは前と同じように吹くくせに、その風の当たりどころだけが変わっていた。


 先に通されたのは、ドレゲネ様のもとであった。


 装いは柔らかい。物腰も和やかで、客を迎える礼に一点の怠りもない。だが私は、幕へ入ってすぐ、腹の底で少しだけ身構えた。


 座の置き方が違う。


 客を遠ざけているのではない。近づけぬわけでもない。ただ、どこへ座らせれば、相手が自分の口でどこまで余計に言うか、そのあたりまで先に量ってある置き方であった。


 若様も、たぶん同じものを見たのだろう。膝をついたまま、いつもより少しだけ声を低くしていた。


 ドレゲネ様は、華北の噂を知らぬはずがない。トルイ家が南でどれほど持ち上げられ、そしてこの冬からどう傷み始めたか、その気配くらい、とっくに草の上まで届いているに決まっている。


 だが、そのことを露骨には問われぬ。


 代わりに問われたのは、燕京の荷動きはどうか、近ごろ誰が何を欲しているか、主上への献意は南でどう見えるか、そういう話であった。


 どれも市の話に見える。家の話ではない。だが、こういう女の方が、市の話をそのまま市の話では終わらせぬことくらい、私にも分かる。


 若様は答えた。答えながら、なお余計なものを載せぬようにしておられた。私は横で聞きつつ、ああ、この場では言葉そのものより、どこへ目をやるかの方が値になるのだな、と思った。


 和やかである。だが、和やかであるぶんだけ、摩擦は薄衣の下へ隠れていた。


 私は、こういう大きさが苦手である。


 怒るなら怒る、喜ぶなら喜ぶ、その方がまだ分かる。だがドレゲネ様の前では、目の前の客より、その客の持ってきた風の向きまで、もう先に見られている気がした。


 若様には、それが少し気持ち悪かったのではあるまいか。


 私にはただ、途方もなかった。


2.


 幕を辞したあと、若様はすぐには何も言われなかった。私は荷の置き場を見ながら、低く申した。


「柔らかい方でございましたな」


 若様は鼻で息を吐かれた。


「柔らかいだけなら、まだ楽だ」


 それきり黙られたが、その一言で充分であった。


 華北では、この半年あまり、トルイ家をめぐる言葉が先に走った。見映えがよい、若君方が育っている、四男家は豊作だ――そういう軽い言い方が、人の口から口へ移って、勝手に家の値を太らせたのである。


 若様はもともと、ああいう熱を嫌っておられた。軽い誉め言葉ほど、あとで手垢になることを知っているからだ。


 だが今日のドレゲネ様は、その熱そのものより、熱がどこへ寄り、どの家の周りへどんな者どもを集めるか、その先を見ておられるように、私には思えた。


 それは夫の家を気にする妻の顔とも、少し違う。


 もっと先である。いま誰の名が細り、誰の分がどこへ寄るか、その流れの先まで、もう勘定へ入っている女の顔であった。


 若様が「家の減り方を見ている」と感じたのも、たぶんそこだろう。ただ勝ち負けを嗅いでいるのではない。減った分が、どこへ回るかまで見ている。


 そう思うと、私は少し寒くなった。


 草原は、大きい。大きいが、その大きさにもいろいろある。


 トルイ様のように、自分のところへ来たものをその場その場の役へ流してしまう大きさもあれば、ドレゲネ様のように、まだ動いていない分け前の筋まで目で押さえている大きさもある。


 若様は、そういう違いを嫌でも見てしまう方だ。


 だからこそ、この草原行きは、都で聞くよりよほど高くつくのだろう。


 噂では済まぬ。


 実際の手つきが見えてしまうからである。


3.


 次いで若様は、ソルコクタニ様のもとへ通された。


 以前にも感じた大きさは、変わっておられなかった。


 だが、今日のそれは前と少し違った。前は、大きな家を縫い合わせておられる方に見えた。今日は、傷んだ布を、それでも裂かぬよう縫い止めておられる方に見えたのである。


 悲嘆は表へ溢れていない。


 礼は整い、受け答えは静かで、客へ見せるべきものと遠ざけるべきものとが、あまりに自然に分かれていた。


 私はその手つきを見て、ああ、この方のまわりでは、涙さえ勝手には流れぬのだな、と思った。


 若様もまた、前より少し深く頭を下げておられた。大きい家を前にしているというより、家が傷んだあとも、なお家として持たせている者を前にしている礼であった。


 若様が華北の噂に少しだけ触れると、ソルコクタニ様は咎めも喜びもなさらなかった。ただ静かに聞いておられた。


 その沈黙が、かえって重い。


 若様が低く申された。


「南では、家が言葉で先に

  傷むのでしょうな」


 するとソルコクタニ様は、わずかに目を伏せられた。


「こちらでは、人と物に先に出ます」


 たったそれだけであった。


 だが私は、その一言が若様の胸へ落ちる音を、横で聞いた気がした。


 都では、軽い誉め言葉が先に立ち、家はそのあとで削られる。


 だが草原では、まず人が減り、物が痩せる。言葉は、そのあとからようやくついて来る。


 違うようでいて、どちらも結局は家を削る。


 私はそのとき、無理に言葉へせぬことにした。ただ、重い。それで足りる。


4.


 二つの幕舎を辞して外へ出ると、草原の風は前と同じように乾いていた。だが私には、燕京から離れてようやく静かになった、とは少しも思えなかった。


 ここもまた、平穏ではないのである。


 ただ、重みの出る場所が違う。


 南では、言葉が先に人を焼く。家の名が勝手に太り、勝手に痩せ、その熱に寄って来る者どもの分まで、あとで家が払わされる。


 北では、現実が先に人を磨り減らす。足りぬもの、減ったもの、留めねばならぬものが先に姿を見せ、言葉はそのあとからようやく追いつく。


 若様はしばらく草の方を見ておられた。やがて、低く申された。


「届けるべきものの顔を、

  見直さねばならぬな」


 私は黙ってうなずいた。


 都にいたときなら、噂へ対して荷を出せば足りると思えたかもしれぬ。だが今は違う。誰へ何を届けるかだけでは足りぬ。どの傷みに、何をどんな名目で差し入れれば、まだ家の形が保つか――そこまで見ねばならぬ。


 若様は、もう燕京に留まって言葉だけを拾う人では足りぬところまで来ていた。


 私は荷車の脇へ戻り、結び目を見た。布はまだ切れておらぬ。塩俵も崩れてはおらぬ。


 だが家というものは、たいてい荷より先に、見えぬところから減ってゆく。


 南では口から。


 北では手元から。


 そして若様は今、その境へ立っていた。


 都の軽い熱を知り、草原の重い減り方も知ったうえで、なお何をどう届けるべきか見直さねばならぬところへ、とうとう来てしまったのである。

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