第60話
1.
一二三二年十一月。冬の入口へ差しかかると、都の熱というものは、火の気より先に人の顔から抜けるらしかった。
トルイ様の死が草原から伝わってのち、燕京でまず起きたのは、大きな嘆きでも、政庁の騒然でもなかった。冷えである。
ついこのあいだまで、四男家は大豊作だの、若君方は見映えがよいだのと、口の軽い連中は好き放題に囃していた。
あの春、あの夏、都人どもはトルイ家の名を、まるで明日の利が先に生えてくる畑でも眺めるように見ていたのである。
だが人の口とは、熱を持つのも早ければ、手を引くのはなお早い。
市場の商人どもは、もう露骨であった。先月までなら「四男家へ通じる筋はございますかな」と笑って寄ってきた者が、今では塩の値と布の寸法だけを置いて、余計な一言を足さぬ。
漢人の軍閥くずれも同じである。風向きを読んでトルイ家へ寄ったはよいが、風が変われば、そのまま一歩下がる。
誰も「間違えました」とは言わぬ。ただ、笑みの深さが変わる。挨拶の順が変わる。杯を差し出す手が半拍遅れる。
政庁の漢人どもは、いっそう器用であった。成安を見れば、これまでは何かと親しげに声を掛けてきた者が、今ではきれいに一歩引いた顔をする。
露骨に避けるのではない。避けるほど下品ではない。だが、「トルイ家に近い」と見られることが、これからは別の面倒を呼ぶと、皆よく知っているのである。
若様――成安は、それを見て鼻で息を吐かれた。
「分かりやすい」
たったそれだけであった。
だが私は横で見ていて、あの方が軽蔑だけで済ませておられぬことくらい分かった。卑怯だ、と切って捨てれば胸も少しは軽かろう。
けれど、都で生きる者どもは、たいていそうして寒さを凌ぐ。家の傾きが、そのまま人の立つ場所を変える。皆、それに慣れきっているのである。
若様は、その慣れの早さを嫌っておられた。嫌っておられたが、驚いてはおられなかった。驚くほど若くもなかったのであろう。
2.
もっとも、私の腹をいちばん冷やしたのは、その冷えと並んで流れ始めた別の話の方であった。
――ソルコクタニ様は、
またどこぞへ入れられるらしい。
――主上の御子へだ。
――いや、主上ご自身が
手元へ置こうとなさったとか。
まことに、下卑た口というものは、よく回る。言っている当人らは、眉をひそめ、世も末だ、禽獣の所業だ、と言いながら、その実、いちばん面白がっているのである。
私は草原の風習を少しは知っている。若様も知っておられる。草原では、兄の死後、その寡婦を家のうちで迎え直すこと自体は、別段そこまで珍しい話でもない。しかも今回は、ソルコクタニ様がきっぱり謝絶なさったとも、もう耳へ入っていた。
だから話の当否だけなら、別に大騒ぎするほどでもない。
だが、そこがいけないのである。
風習を知らぬ者には、ただ獣じみた話として残る。知る者にとっても、「強いられる家」という印象だけが残る。どちらへ転んでも、トルイ家の名へ泥が付く。
ある日、羊串屋台で、串を焼く主人が、煙の向こうで言った。
「偉い家も難儀だねえ。
死ねば泣かれ、死んだあとまで
女房の行き先を肴にされる」
隣の客が笑った。
「人が大きければ、
残りものも大きいということだ」
若様の手が、そこで止まった。
「残りものではない」
低く、そう言われた。
客は一瞬きょとんとしたが、すぐ肩をすくめた。
「冗談ですよ」
冗談――。こういうときの人間は、たいていそれを言う。責を負う気のない言葉ほど、冗談の衣を着たがるのである。
若様はそれ以上、何も言われなかった。言ったところで、同じ泥の上へ降りるだけだと知っておられたからであろう。
だが家へ戻る道すがら、ぽつりと言われた。
「家を、一つの見世物としか見ていない」
私は返す言葉を持たなかった。まことにその通りだったからである。持ち上げるときも、傷つけるときも、都人どもは大きな家を舞台の上の細工物のように見る。
私はそのとき、嫌な寒気を覚えた。春の「豊作」だの「見込み」だのという熱も厄介であったが、今度のはもっと悪い。熱は人を寄せる。だが、この種の笑いは、寄った者どもが逃げる口実まで一緒に運んでくる。
3.
冬が深まるにつれ、その冷えは口先だけでは済まなくなった。
ある朝、韓家から回るはずの布の便が、いつもより半日遅れた。品が足りぬのではない。荷札も揃っている。だが間に立った商人が、余計な名を荷札へ書くのを嫌がったのである。
前なら「トルイ家向け」とあれば、かえって顔が立った。今は違う。顔が立つどころか、妙な目を招く。
また別の日、倉へ入るはずの薬種が、城門で妙に長く止められた。係が変わったのだ、と言えばそれまでである。だが私には分かった。変わったのは係だけではない。見る目の方である。
若様は荷札を見、帳面を見、止まった刻限を数え、それだけで言われた。
「もう始まっている」
私はうなずいた。ええ、としか言えなかった。
噂はただ人の耳を汚すだけではない。荷の順を鈍らせ、名を書きにくくし、ついには誰も責を負わぬ形で家を痩せさせる。そういう減り方へ変わってゆく。
若様はしばらく黙っておられた。怒っている顔ではなかった。むしろ逆である。どこへ手を入れれば、まだ破れが広がりきらずに済むか、その順だけを胸の内で並べておられる顔であった。
「弁明は要りませんか」
私は一応そう訊いた。訊きはしたが、半分は答えを知っていた。
若様は即座に首を振られた。
「要らぬ」
「ですが、奥向きの噂まで」
「口で払えば、同じ場へ乗る」
そこで一度、言葉を切り、荷札の端を指で揃えられた。
「こちらが費やすべきは、別のものだ」
その横顔を見て、私はああ、この方はまた一つ嫌なことを覚えたのだと思った。正しい説明をすれば足りる、という年ではもうない。正しいことを言っても、噂は噂として残る。ならば、残らぬ方を支えるしかない。
私には、若様のこういう覚え方が、いつも少し気の毒である。もっと若い者らしく怒鳴ってもよいのに、そうせず、結局は勘定の方へ戻ってしまうからだ。
4.
年の瀬が近づくと、若様は荷動きを洗い直された。
どの商路を死守するか。どの物資を先に通すか。誰の名を表へ出し、誰の名を一歩引かせるか。塩、布、薬種、乾物、冬営の細々した品まで、一つずつ順を変えてゆく。
私は横で控えを書きながら、昔の若様なら、ここでまず言葉を整えたであろうと思った。噂は誤りだ、風習はこうだ、家の内実は違う、と。正しい理を、正しい順で並べたであろう。
だが今は違う。
若様は、その一つも書かなかった。
代わりに、城門で止まりにくい荷主の名を選び、余計な目を呼ばぬ札の付け方へ変え、韓家と李家の筋を少しだけずらして、同じ品が同じ日に詰まらぬよう組み替えた。
噂への反駁は一行もない。あるのは、荷が届く形だけである。
「草原では、実際がすべてだと
申しておられましたな」
私がそう言うと、若様は筆を止めもせず、
「いまは、そうするほかない」
とだけ答えられた。
その声に、格言めいた強さはなかった。悟りでもない。嫌なものを嫌なまま呑み込み、それでもなお家を痩せさせぬ方へ手を動かす声である。
火の上で湯が小さく鳴った。外ではもう、冬の風が戸を叩いている。都人どもは明日もまた笑って言うであろう。誰がどこへ寄るか、どの家がもう冷えたか、と。
だが、その笑いのあいだを抜けて、塩が届く。布が届く。薬が切れぬ。必要なものが、必要なところへまだ落ちる。
若様は、そのための順だけを、静かに帳面へ書きつけておられた。
私はその横顔を見ながら、ようやく思った。
家を傷つけるのは、いつも大きな刃ばかりではない。軽い笑いと、少し遅れる荷と、一歩引いた人の顔。その程度のもので、家はじわじわ痩せる。
そして若様は、もう知っている。
そういう減り方は、言葉では塞げぬ。荷の届く音で、持ちこたえさせるほかないのである。




