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家譜 ~中書省員外郎 李成安の生涯  作者: 早瀬 構
第四部

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第39話

1.


 一二二九年九月。草原の空はよく晴れていた。こういう日に限って、人は何も曇っておらぬ顔を作る。祝う日というものは、まずそういう顔から始まる。


 クリルタイ本番である。


 諸王族はそれぞれ定まるべきところへ座り、儀礼は乱れず、称名はつつがなく重なり、祝賀の品も杯も、過不足なく運ばれた。前夜まであれほど白く、乾き、名を継がぬ空気が残っていたのが嘘のようである。


 見事なものであった。


 私はこういうとき、まず椀の置き方を見る。誰が先に手を出し、誰が半歩待ち、誰の声に周りが遅れて続くか。それでだいたい、整いが自然か、誰かの手で縫われたものか分かる。


 この日の整いは、あまりに見事すぎた。


 ジョチ家の冷えは、最後まで消えておらぬ。バトゥ様は礼も祝意も失わぬ。だが、その上へご自分の胸のうちまで載せる気はない、という遠さであった。


 チャガタイ様は、なお筋を背負った顔で座を締めておられた。遺訓はこうである、順はこうである、その理そのものを、まだご自分の骨で支えておられるように見えた。どちらも欠けてはならぬ役であったろう。


 だが、それだけではここまできれいには閉じなかったはずである。


――父上の遺訓である。


 前夜、あの一言で場を閉じたのは、やはりトルイ様であった。今日ここにある秩序は、オゴデイ様の即位を称えるものに違いない。


 だが同時に、トルイ様がご自分で引かれた線を、皆があらためてなぞり直しているようにも見えた。


 めでたく、白く、正しい。


 その白さの中で、かえってよく見えるものがあった。


 誰が座らなかったか、である。


2.


 そこへ、チンギス・カンの息子たちの末席から、也速哥様が現れた。


 私は、あの人の顔を遠くからでも見分けられる。整った衣、静かな笑み、譲る顔をして半歩退きながら、場の結び目だけを自分の指へ通してゆく、あの手つきである。


 今回も同じであった。


 白々しいほど穏やかな顔で、杯を受け、少しだけ目を伏せ、それから言われた。


「よかった……これで冥界の父上も

  喜ばれるだろう」


 誰も切れぬ。


 遺訓を立て、孝を言い、喪を祝いへつなぐ。どこにも間違いがない。間違いがないどころか、正しすぎる弔辞であった。


 だが私は、その一言で胸の内が急に冷えた。


 トルイ様が預かっておられた時間も、この家の大きさも、前夜まで半々に張りつめていた場の緊張も、みな一度に片づいてしまったのである。


 迷いも、借りも、ためらいも、すべて「父の意志を完成させるまでの過程」として畳まれてしまう。座に近かったことも、近かったのに引いたことも、その苦さごと綺麗に整理されてしまう。


 それがたまらなく嫌であった。


 トルイ様は、ご自分で背負って、ご自分で引かれたのである。座そのものを流してしまうような重い仕事を、ご自身の一言で閉じられた。その重さが、也速哥様の口へかかると、ただ綺麗に整理された過去へ変わる。


 そういうお方か。


 恨みを公益の顔で言い換え、苦い貸し借りを、後のための地均しのように処理し直す。助かった、と言う者は多いであろう。だが私は昔から、ああいう助けられ方が嫌いである。


 人の居場所だけが、静かに減ってゆくからだ。踏みにじるのではない。追い立てもせぬ。ただ、最初からそこへ収まるべきでなかったもののように、人の重みを片づけてしまう。


 私は横目で若様を見た。


 成安は何も言わなかった。だが、あの方の怒りは声量でなく精度で出る。いまはもう、その精度だけが静かに増している顔であった。


 也速哥様の言葉がどこを削り、何を過程へ追いやり、誰の働きを「当然の帰結」へ薄めたか、その一つひとつを、もう勘定へ入れてしまっている顔であった。


3.


 祝賀の白さへ、濁りが一滴落ちた。


 だがその濁りを、いつまでも場の真ん中へ置いておくわけにはいかぬ。誰もが、そう思ったはずである。あるいは誰より、オゴデイ様ご自身が。


 やがて、声が上がった。


「朕は、『カアン』である」


 その一言で、満場が粛然となった。


 私は思わず息を詰めた。父君の名が大きすぎるとき、子はたいてい、その影へ半ば入ったまま立つ。


 だが今のオゴデイ様は、ただ遺訓に座らされた顔ではなかった。父上のあとを閉じる者として、ご自分で名乗られたのである。


 前夜までは、決めてもらう冷えがあった。


 今日のその一声には、決まった者の重みがあった。


 也速哥様の片づけ方が、父の名のもとへすべてを畳み込もうとした、その上からである。オゴデイ様は「朕はカアンである」と名乗ることで、父の遺訓の完成だけではなく、ここから先の座は自分の名で立つのだと示された。


 それで場は、ようやく本当に閉じた。


 称名は揃い、祝意は広がり、白い空気はようやく祝賀の白さになった。前夜のような半々の緊張も、ここではもう表へは出ぬ。


 遅れて杯が巡り、さきほどまで硬かった顔から、ようやく一枚ぶんだけ力が抜けた。名を継がなかった声も、今度はきちんとあとへ続く。誰もがいま目の前にある秩序へ、遅れてでも身を預けたように見えた。


 だが、私は知っていた。


 整ったことと、何も残らぬことは、別である。


 むしろ整いすぎた景色ほど、後に尾を引く。


 今日の祝賀は、オゴデイ様の即位をことさらに傷つけぬよう、傷のあるところまで滑らかに覆ってしまった。


 ジョチ家の遠さも、チャガタイ様の筋の硬さも、トルイ家の大きさも、すべて過不足ない景色のうちへ収まって見えた。


 だが収まって見えるということは、消えたということではない。見える者には、何が覆われ、何がなお底に残っているかまで見えるのである。


4.


 その日の帰り、私はしばらく何も言えなかった。


 若様もまた黙っておられた。火のそばへ戻っても、すぐには湯へ手を出さぬ。こういうときのあの方は、祝賀の熱より先に、そのあと何が減るかを見ている。


 オゴデイ様の即位は正しい。


 それは疑いようもない。遺訓があり、順があり、諸家もついにこれを受けた。誰が何を言おうと、今日の座は正しく閉じたのである。


 だが、だから終わりではなかった。


 トルイ家は負けた家ではない。勝てたかもしれぬ家であり、そのうえで自ら引いた家である。そういう家は、座に就かなかったから軽くなるのではない。かえって重く残る。


 恩義も、求心も、利用価値も、みな残したまま、次の時代へ持ち越される。


 帝国にとって都合よく、しかし大きすぎる家として。


 前へ出なかったことが、そのまま安全になるわけではない。むしろ前へ出なかったからこそ、使い勝手のよい重みとして残る。座を奪わぬ忠家として、しかし座を奪えたかもしれぬ家として。


 私は火の揺れを見ながら、ようやくそれを骨で知った。前夜、トルイ様が帝国を閉じられたとき、私はその重さに呑まれた。だが今日見えたのは、その重さがこれから先、家そのものを長く削るであろうということだった。


 働けば恩になる。恩になれば借りになる。借りになれば、いずれ返させる口実が立つ。大きい家とは、そういうふうに少しずつ使われ、少しずつ恐れられ、少しずつ損耗してゆく。


 若様は前から、勝ち筋より後始末を見る人であった。馬の腹を見、空いた棚を見、帳面の余白へ、まだ名を持っているはずの損耗まで数え入れる人である。


 今夜、その目は家の上へ向いた。


 私は胸の内で、少しだけ苦く笑った。


 なんという男だろう、と思う。


 皆がめでたさを見ている日に、この人だけは、そのあと誰がどれだけ働かされ、どれだけ警戒され、どれだけ都合よく使われるかを見ている。勝った、負けた、で終われぬ先まで、もう勘定へ入れてしまっている。


 だが、たぶんそれが若様なのだ。


 祝いの席にあっても、その正しさの値段まで数えてしまう。


 そして、家を残すとは、きっとそういう後味の悪い勘定を、祝いの日から先に始めることなのだろう。

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