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温かい紅茶を何とか飲んで落ち着いたベルフェリアの顔は、メアリーが施した化粧が崩れて酷い有様だった。メイク落としを取って来てくれたメアリーが、綺麗に拭き取ってくれる。
「何故そんなに肉体関係ばかり気にするんだ」
「……ひっく、だってご飯も住むところも、服とか色々用意してもらったしぃ。そういう事したいって言われたら、ひっく、断ったらダメかなってぇ…」
ベルフェリアの前世に恋愛経験はなかった。
恋愛なんてしている暇がなかったし、そもそも父親のように浮気ばかり繰り返す男性に惚れて母親のようになったらどうしよう。
恋愛依存への恐怖があった。
養護施設を出て、社会人として働くにあたって周りの恋愛事情やネットのSNSを見ると男女の付き合い方には一定のルールがあると知った。
付き合う前の微妙な男女の間であっても、男性が女性に食事を奢ったり、物をプレゼントするのは下心があることが多い。
あけすけな匿名掲示板には、男女共に下世話な話やワンチャン狙うそんな話ばかり目に付いた。
ーーつまりベルフェリアは耳年増だった。
……だからてっきり、ヴィクターがベルフェリアに沢山物や食事を与えるのはそういう下心があるからだと思っていた。
ヴィクターはベルフェリアが感じていた気持ちを聞いて、頭を抱えていた。
「……なんて捻くれた考え方だ…!」
「れ、恋愛なんて、したことないし…!でも夫婦って急に言われたら、そういうことかなって…」
ショックを受けるヴィクターに、メアリーは冷たく声をかける。
「一理ありますわね。ご主人様、尋常じゃない貢ぎっぷりですもの。ベルフェリア様が変に考えすぎてしまうのも仕方ないですよ」
「……男の甲斐性というものじゃないのか。不自由させるわけにいかない」
「足りないものを補うくらいで充分ですよ。
私もアイゴールも、何度もやり過ぎじゃないかって進言したじゃありませんか」
メアリーが、ねーとベルフェリアに同意を求めるように笑いかけるのを見て、ヴィクターはぐっと言葉を詰まらせる。
2年もかけた“花嫁”の依代である体の成長を待つ時間が永遠にも感じたヴィクター。
目が覚めてすぐに“花嫁”が不自由なく生活が始められるようにと、やたら細かく生活用品を買い揃えていた。
食事も好みが分からないからと、多種多様の大盤振る舞いでアガサに作らせた。
……使い魔たちがドン引くほど、やり過ぎだった。
良かれと思ってやったベルフェリアへの準備が全て裏目に出ていた。合理的に動いた結果、大事な彼女の気持ちを追い詰めていた。
ヴィクターは人生で初めて人間関係の構築において、後悔と反省をしていた。
「……ベルフェリア。
さっき君は“花嫁”はできない、と言ったがもう既に私の妻だ。選択肢を与えられない代わりに、不自由なく暮らして欲しくて物は用意しただけだ」
「ひっく…ん。はい」
「そうですよ、言わば慰謝料ですよ。
本来の魂が輪廻転生の輪に入っていくところを、無理やり拉致られたようなものなんですから」
……この世界にも輪廻転生なんて考えがあるんだ。
ベルフェリアは、号泣したあとのしゃっくりが止まらないのと、少し酸欠でぼんやりと現実逃避をしていた。
「私も恋愛感情は、正直よく分からない。
ただ私は君の目覚めを2年間ずっと心待ちにしていた。この事実は変わらない。
だが、私たちはまだ出会って27時間しか経っていない」
「……それは、たしかに」
「君と私の感情の大きさにズレが2年はあるんだ。
ゆっくり、時間をかけるつもりはある。
……どうやら常識や認識のズレもあるようだ。対話をしようか」
ヴィクターはとても真っ直ぐにベルフェリアを見つめた。
この人にとって自分はどういう存在なのか、自分が思っていたものと少し違うのかもしれない。そう思ったら、体の強ばりが緩むような気がしていた。
「急に泣いて…、困らせてごめんなさい」
「確かに焦ったが、困ってはいない。君の正直な訴えがこの涙なのだろう。
…ベルフェリア。君の前世の世界はどんなものだった?
どんな人生を歩んだのか、教えてくれ」
「ん、えっと…。名前とか顔はもう覚えていなくて、成人して働いて自立しようとしてました」
ベルフェリアはヴィクターに、そっと手を握られながら、ポツポツと前世の人生を口にした。
ごく一般家庭に生まれたが、両親が不仲だったこと、愛されなかったこと、そして存在すら曖昧に放置されたこと。
見かねた親戚に引き取られたが、幸せいっぱいの家庭の中に異物として入り込んだ自分という存在が、もっと惨めに感じてそれはもう荒れ狂ったこと。
…あとから知ったが、試し行動と呼ばれるもので迷惑行為をわざと行って相手の反応を見るという自分勝手な、心の防衛策だった。
「試し行動…?どんな迷惑行為をしたんだ」
「その家の歳の近い娘さんのものをわざと壊したり、大事なものを隠したり…。奥さんが作ってくれたご飯を不味いって食べなかったり、それはもう酷かったです」
「……可愛いものじゃないか。
やりたいならやってくれていい。気が済むまで受け入れよう」
「もうしませんよぉ。……それに、やった後に何を与えられるか怖いです」
ベルフェリアはドヤ顔のヴィクターに、部屋の小物の充実ぶりを思い出す。何かワガママを言えば、要望が百倍になって返ってきそうで怖くなっていた。
それに、あっという間に根を上げた親戚に養護施設に保護されてから、思い知ったのだ。
……自分はまだ恵まれていたことを。
身体障害が見つかって育児放棄になった子、親の恋人に殴られて死にかけた子。親が迎えに来てくれると喜んで家に帰った子が、数ヵ月後にはこの世にいなかったりした。
そして高校を卒業と同時に保護対象からも外され、何の後ろ盾のない社会という荒波に投げ出されたのだった。
世知辛い、といえばそうなのかもしれない。
ただアルコール中毒になった母親から離れられた前世のベルフェリアはまだ幸せだったのかもしれない。
「あっという間に事故で死んじゃったので、本当の世間の荒波は知らないんですけど、ゾッとするくらい、一人で生きていくのは怖かった……」
「……そうか」
ヴィクターも、彼女の前世の怖さとは違う孤独を感じた男だった。
愛に飢えた彼女を愛することを許されれば、自分の孤独も彼女の孤独も一緒に埋められる。
……そんな希望を抱き始めていた。
それは、どこか彼女の体を研究の延長と見ていたヴィクターの認識が、一人の女性としてベルフェリアを見つめた瞬間だった。
じっと黙って見つめてくる、赤い瞳のイケメンにソワソワするベルフェリア。
「ヴィー様?」
「いや、……なんでもない。
ところで、魔法もないのにどう実力を見せつけるんだ?」
「うーん、元々家がお金持ちとか。勉強ができるとか?」
「なるほど、あまりこちらと変わらないな。
…ふむ。生活水準はこちらより進んでいる気がするな。何か不自由があれば言ってくれ」
ベルフェリアがたまにヴィクターの質問を受けながら、覚えている限りの前世の記憶を話しつつ、メアリーに促されていつの間にか寝室に移動していた。
衝立の裏で着替えさせられ、暖かいおしぼりで身体を拭かれる。
「うーん、たまにはお風呂に入りたいです。シャワーだけでも…」
「なるほど、善処しよう」
「……それはそうと、今日も一緒に寝るんですか?」
「当たり前だろう、夫婦だぞ」
パジャマに着替えさせられたベルフェリアは、大きなベッドの上で寛ぐヴィクターに手招きされる。
…2年のズレとやらはどこへ行ったのか。
ベルフェリアは仕方なくベッドの隅に潜り込む。
ぐっと腕と腰を掴まれて、真ん中に引き寄せられた。
「ま、待ってくれるって言ったじゃないですかぁ!」
「そんな隅で寝たら落ちてしまうだろう。
それに寂しい。心の距離みたいだ」
「……ご主人様、あながち間違ってないですよ」
メアリーが片付けながらボソリと突っ込むのに、ムッとするヴィクター。
「だめだ!毎日一緒に寝るし、寝室は同室だ!
“寝室を分けて寝る夫婦は終わりのサイン”だと情報誌で見たんだ」
「……美容院で主婦が見るような雑誌を読むんですね」
「魔術師ですし、せめて参考にするなら研究論文にすればよろしいのに」
ヴィクターの夫婦に関する情報収集の幅は、フィクションのラブロマンスだけでなく、コラムのような情報誌まで多岐にわたっていた。
女性二人に非難されながらも、隣に横になるベルフェリアに布団をかけるヴィクターは満足げだった。
ベルフェリアは、本当に一緒に添い寝したいだけだと言うヴィクターに少しだけ拍子抜けだった。
尽くすのは、対価として体を求められているわけではなく、自分の心が欲しいから。……そう言われている気がした。
無条件で愛されるという現実に、ベルフェリアの胸の中は言葉に表せない、こそばゆい気持ちが芽生えていた。
……甘えすぎたら、ダメ人間になってしまいそうでちょっと怖いな。
お読みいただきありがとうございます。
一章簡潔です!
二章から、日常&恋愛パートへ。
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完結作品です↓
優しい世界甘々、体格差カップルのお話。
【完結】『魔力アレルギー』の病弱令嬢は『魔力なし』の辺境伯爵に、心も体も健やかに愛し抜かれました
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