結界師
〜10年前〜
ソフィアは1人で走っていた。
いつもなら、嫌でも周囲にいるはずの護衛は今に限ってはいない。
王都アルメトラーナが混乱する中、伝令役の報告を受けてすぐに走り出したソフィアを護衛たちは見失ってしまったのだ。
まだ10歳の彼女は背も小さく、大人ほど速くは走れない。
しかし足をもつれされながらも、自分の出しうる全力で走り続けた。
周囲はひどい有様だった。
建てたばかりの建物は無残に破壊され、残骸となっている。
だが、問題は建物などではない。
「うっ・・・」
ソフィアは込み上げる吐き気を必死に抑えた。
残骸となった建物の至る所で、ゼリー状の物体が腐臭を放っていた。
それは、デッドリースライムによって溶かされた人間の成れの果てだった。
ソフィアは足を止めずに己の頬を叩く。
「しっかりしなさいソフィア・パラド・アルメトラーナ・エドバトラ。あなたは王の娘。みんなを導く人間なのよ。そんな私が現実から目を背けてどうするの」
必死に自分に言い聞かせる。
そうしなければ、生まれ育った王都アルメトラーナが、地獄の舞台となった事実に耐えられなかった。
やがて、ソフィアは目的地である建物に到着した。病院だ。
ここには破壊された建物の下敷きになったり、逃げている途中で怪我をした人たちが集められていた。
直接デッドリースライムや分身体に襲われた人は1人もいない。みんな溶けて死んだからだ。
しかし、ソフィアの目的は運び込まれた怪我人ではなかった。
怪我人を素通りし、脇目も振らず応接室まで走っていくと、その扉を蹴破った。
「おじさま!破天さん!これはどういう事ですか!」
部屋の中は暗い雰囲気で満たされていた。
中欧のテーブルを囲む様に、ジモンゼル、破天、そしてもう1人、少女が座っていた。
レナ・フラメル。
元兵士長、ニコル・フラメルの娘で、今はジモンゼルが面倒を見ている少女だ。
同じくジモンゼルによく面倒を見てもらっているソフィアとは、本当の姉妹の様な関係だ。
レナはゆったりとフェーブのかかった金髪を肩まで伸ばした15歳になる少女だ。
その雰囲気はおっとりとしていて、一緒にいるだけで安心感を与えてくれる。
だが、今に限ってはソフィアは全く安心出来なかった。
「レナお姉さまもいらしてたんですね」
「ええ、どうしたのソフィアったら」
優しく、レナが微笑む。それがソフィアには許せなかった。
「・・・この場所にいる姉さまが知らない訳ないじゃないですか。アルメトラーナの一部破棄と魔法結界の発動の件ですよ」
「それが最良の選択だったというだけの話だ」
レナの隣で、破天がつまらなそうに答えた。
ソフィアは破天を睨む。
「ここまで甚大な被害を出しておいて、よくそんな口がきけましたね。別の都市に赴いてたらしいですけど、破天さんが最初からいればこんな事にはならなかったんですよ!それに王都アルメトラーナの一部破棄や魔法結界の発動は、次期国王であるこのソフィア・パラド・アルメトラーナ・エドバトラを差し置いて決定していい問題ではありません」
「ガキの戯言を聞く時間はない」
「っ!!ふざけるんじ・・・」
ドンッと、ソフィアはその場に押し倒された。
「はっきり言わなきゃ分かんねえのか!!だったら言ってやる!俺たちは負けたんだ!だから逃げる!まだ15のレナに結界師なんてクソな役目を押し付けてな!」
王都アルメトラーナはデッドリースライムの襲撃を受けて甚大な被害を受けた。
破天が持ち込んだ地球の知識によって発展を続けていた街は、無残にも破壊された。
破天は不幸にも、デッドリースライム襲撃の際にはアルメトラーナにいなかったのである。
何とか生き残った人々は王都アルメトラーナを縮小し、魔法結界を張る事を決めた。
魔法結界は、中から外へ魔力が漏れ出すのを防ぐ結界だ。
目も耳も鼻もないデッドリースライムは魔力で人の居場所を探す。
魔法結界を発動すればデッドリースライムから、身を隠す事ができる。
だが、この結界を維持するには、結界師という者が必要だ。
結界師に選ばれたのはレナだった。
結界師になったものは結界の維持の為に魔力を注ぎ続け、結界の外に出る事が許されなくなる。
もし外に出たら結界が維持できないからだ。
押し倒されたまま、ソフィアはレナに顔を向けた。
「それでレナお姉さまはいいんですか。姉さまの自由が奪われるだけじゃない。こんなやり方、命をかけてデッドリースライムに立ち向かった姉さまのお父さんだって喜ぶはずがありません・・・」
「なぜ?みんなの役に立てるのよ。亡くなったお父さまだって喜んでくれるわ」
「そんな訳・・・」
ゴシャァアッ
突如ジモンゼルが机を殴りつけ、衝撃に耐えられずへし折れる。
「ソフィア・・・、それ以上は言わないでくれるか」
「・・・っ!ご、ごめんなさい」
ソフィアはジモンゼルの手が震えているのに気付いた。
ニコルはジモンゼルの部下だった。
ジモンゼルは目の前でニコルが溶かされているのを見ていたのだ。
ニコルが命をかけて守ろうとした都市を一部破棄し、ニコルの娘であるレナには結界師として自由のない生活を強制する。
それをただ指をくわえて見ているしかないというのは、どれほど辛いのだろうか。
破天は、重い空気を吹き飛ばす様に笑った。
「なに、大変なのは今だけだ。もう勝つ為の算段は整えてあるからな。異世界召喚があと10年もすれば使えるようになる。そうすれば俺クラスの強さを持った地球人を呼べんだ。そしたら勝ったも同然だ」
その言葉はソフィアにとって許しがたい言葉だった。
ニコルが命をかけ、ジモンゼルが耐え、レナが自由を捨てて繋ぐ希望が見ず知らずの他人だというのだから。
「・・・あと10年、結界の中で耐え忍んで、最後は見ず知らずの他人に頼れと、そう言うんですね」
「そうだ」
わざと棘を持たせたソフィアの言葉に取り繕った返答をしなかったのは、破天なりの礼儀だった。
未熟ながらも他人の事を思いやれる優しい未来の女王様に、現実を知ってもらいたかったのだ。
破天の返答を聞いて、ソフィアは泣きそうになった。
「何もかも他人任せで、私に出来る事は何もない。じゃあ、私は何の為に・・・」
小声で呟いたその言葉は誰の耳にも届かない。
否定して欲しかった。だというのに・・・。
「分かりました。出過ぎた真似をしました。申し訳ありません」
ソフィアは頭を下げながら、決意する。
召喚者になんか頼らない。
自分がこの腐りきった世界を終わらせる、と。
その日から、ソフィアは地獄の様に過酷な訓練を始めた。
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〜現在〜
未来都市アルメトラーナは人類の数少ない住処だ。
ここから一歩外に出れば、魔物にいつ襲われてもおかしくない。
アルメトラーナの安全性は、その周囲に張り巡らされた魔法結界あってのものだ。
20年前と10年前、破天はデッドリースライムと戦い、撃退にこそ成功したが、倒す事は出来なかった。
そして最近、デッドリースライムのアルメトラーナ周辺での目撃情報が何故か格段に増えた。
デッドリースライムが近くにいるのに結界がなくなれば、アルメトラーナは終わる。
そして、レナ・フラメルはこの結界の要である結界師なのだ。
その役割の重さをレナはよく理解していた。
レナはアルメトラーナの端、結界の境界線まで来ていた。
成長したレナは胸が大きく膨らみ、腰がくびれ、10年前よりさらに美しく、女性らしさが増していた。
だが、美しい彼女に反して、レナの前に広がる光景は醜いものだった。
結界の外を見れば、人類に放棄され、朽ちていくだけの街並みが広がっている。
そこから結界の中に吹いてくる風は死んでいる様に感じられた。
レナは結界師だ。
それはある意味では王族よりも大切な存在。
当然ながら普段は多くの護衛に囲まれている。
だが、今は護衛どころか周囲に人は1人もいない。
レナは隠れてこっそりと、この場所を訪れていたのだ。
「私がここから出てしまったら・・・」
結界の外。
レナがその先に一歩を踏み出す事は、絶対に許されない。
しかし、それを理解しながらも、
「お父さま、ソフィア、ごめんなさい」
ソフィアは前に出た。結界の外へと。
これが、10年間、アルメトラーナを守り続けた結界が消滅した瞬間だった。
はるか彼方で緑の巨体が動き始めた。
ちょっと遅くなりました。
すみません。
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