第59話 対峙
長い期間、更新せずに申し訳ないです。
スランプという程ではありませんが、パソコンの前に座っても全くアイディアが浮かばない日々が続き、このように長い期間、更新間隔を空けるようになりました。
時間はかかりましたが何とか形となりましたので、長くはなりましたが更新致しました。
アランの相棒の座を賭けたリータとの勝負に勝利した真田は、そのまま本部建物1階にあるクエストボードの前に立っていた。
しかしその姿は勝者たる威風堂々とした姿というより、信念ごと打ち砕かれた敗者のように見えた。
呆然としている相棒である真田の様子にアランは呆れたように溜め息を吐き、真田の手を引っ張り食堂スペースへの隅と連れて行った。
「サナダ、しっかりろ。そんなんじゃ勝てるものにも勝てないぞ」
刺激が生まれた事で幾分か思考を割けるようになった真田は少し涙目になっていた。
とても先程の自信満々に勝利宣言をした同一人物とは思えない程の情けない姿だった。
訓練所でのリータとの勝負に勝った真田は、その栄誉として同性愛者という称号を勝ち取った。そして、オークランド教官達からの生暖かい視線を背中に受け、意気消沈しながら再びクエストボードの前へと戻って来た。
真田としては宿に数日間籠っておきたかったが、幾ら精神的なダメージを受けようとも目的の為に資金を調達せねばならず、その資金を調達方法は依頼を受けなければならないので、真田に不貞寝している暇など毛頭にも無かった。
故に明らかにテンションが駄々落ちになった真田は、依頼書を見ているのでは無く、ただ紙を見ているだけの抜け殻状態になっていた。
アランは何だか申し訳無さそうな表情になり。
「まあ、なんだ。勝負を嗾けた俺が言うのもなんだが、受け入れてくれと言いようが無いのが本音だ。まさかリータ達にあの場を見られていたとは、夢にも思っていなかったんだ。‥‥‥それに俺も同性愛者と思われているんだ。立場的にはお前と同じだろ」
アランはフォローしているつもりで言っているが、立ち位置が根本的に違っているのでフォローになっておらず、真田は落ち込んだままだった。
真田は同性愛を否定する気は全く無いが、勘違いして本物が来た時に否定する時の精神を鑢で削られるかのような精神的苦痛を考え、絶望の未来しか見えないのだ。
困ったなと考え込むアランは、ある提案が脳裏にふと浮かんだ。
アランはその提案に乗り気では無いが、これ以上の案も浮かばないのも事実であった。
「サナダ」
意を決したアランはスッと真田に近付き、耳元で真田にしか聞こえない程の小声で。
しかもそれは妙に艶めかしい声だった。
「仕事が終わった後だけど、勝負に勝ったお礼に何でもしてあげるね」
効果は劇的だった。
耳から届いた情報は抜け殻状態の脳を活性化するには充分で、真田は目を皿にして驚いていた。
興奮状態に陥っている真田は、声が上擦りながら。
「そ、それは本当ですか!?」
「そうよ。貴方が望む事を何でもしてあげるから、楽しみにしていてね」
アランは顔を離すと優しく微笑んだ。しかしそれはアランというよりも、アランとして男装している女性の表情だった。
「よしっ、頑張るぞぉ」
喜ぶ真田は小さくガッツポーズをすると、先程とは打って変わって軽い足取りで意気揚々とクエストボードへと向かって行った。
アランはあまりの変わりように苦笑し、真田の後へと続いた。
アランの表情と提案は覚悟の表れでもあった。
しかも普段の男口調では無く、本来の女性としての口調を使ってまでの事だ。
古今東西、男性を奮起させるのは酒か金か女だとアランは考えていた。
酒は飲めないのでどんな銘柄があるのか知らない上に、お金も真田と同等の金額しか稼げてない現状では意味が無かった。だとしたら後は女としての身体しか無かった。
幸か不幸か(アラン自身は不幸と思っている)女性としての体形には、そこそこ自信があり男性を喜ばす事が出来ると踏み、真田にあのような提案をしたのだ。
効果は絶大らしくあれ程やる気が無かった真田が、意気揚々とクエストボードで依頼書を探していた。
アランは考えが正しかった事に嬉しい反面、やっぱり男はどんな体面を取り繕うとも男なのだという愚かしさを考えずにはいられなかった。
真田とアランがクエストボードに張られている数多の依頼書を見ていると、
「アランさん、これはどうですか」
真田は手に取った1枚の依頼書をアランに渡した。
「モーセル町でグランデハバリーの群れが畑を荒らしたり、農作物を食べるなどの被害が発生、よってグランデハバリー5匹を討伐せよ。褒賞金は11万フラルで期限は来週の曜日までか」
「グランデハバリー、初心者講習の時に出現した巨大な猪ですよね。あれを5匹討伐で11万フラルとは、褒賞金がかなり低く設定されてますね」
「それは違うぞサナダ、この討伐依頼は普通サイズのグランデハバリーの討伐だ。初心者講習の時現れたのは十数年以上生き残って来た、云わば森の主のような存在だ。そう滅多に居る魔物では無い。考えてもみろ、あんな巨大な猪5匹が街に現れて、被害が農作物だけでは無いだろ。あれが5匹も現れば町は大混乱に陥り壊滅に追い遣られ、近くの街から騎士団が派遣される事案だぞ」
真田は思わず脳裏に浮かべた。
初心者講習の時に現れた、激突すれば太い樹の幹なぞ簡単に折ってしまうかのような巨体が、5匹が行儀よく農作物を食べたり、土を掘り返したりしているという光景を。
一周回って逆に平和では無いかと思わせるような不思議な光景に、真田は無いなと判断し疑問を取り下げた。
「それにこの町に行くとなると野宿になるな」
「と、言いますと?」
アランは壁に掛けられた日焼けして少し古ぼけた地図の前に移動した。それは冒険者向けに販売しているフィルド帝国全土を記した地図を襖一枚分にまでに拡大したものだった。
アランは大きく二重丸を書かれている所を指し。
「あれが帝都ユミルだろ。東に延びるレ・ドスト街道に沿って移動すると、少し南下した所に町があるだろ。そこがモーセルだ」
「そこまではどの位、かかりますか」
「徒歩だと約1日か、それをちょっと過ぎるぐらいかだな。街と街を結ぶ寄り合い馬車に乗れば約半日位で着くと思うぞ。その分、お金がかかるがな」
「1日位なら歩きましょか。一々馬車を使っていたら、必要経費がどれだけあっても足りないです。‥‥‥この依頼を受けますか、アランさん」
「別に構わないぜ、特に反対する理由は無いからな。‥‥‥受付に持って行って、クエストの受理をしてくるな」
グランデハバリーの討伐の依頼を受理した真田たちは、食堂スペースにて準備についての話し合いをしていた。
「急いで野宿の準備をして、今日の昼頃から行けば道中で野宿をして明日の昼頃に到着。今日1日を準備に使って明日の朝一番に出発すれば、その日の夕方か夜頃に到着する予定だ。‥‥‥どうする、サナダ」
机の対面に座る真田は腕を組み目を閉じて、どちらのアランの提案が効率的に動けるか考えていた。何せ命を賭けた仕事をするのだ、どんな状況でも対処しやすいようにせねばならない。
「到着した後を考えると今から準備をして、今日の昼に出発するのがいいでしょう。陽が出ている内に町に到着し、それから町の人達から聞き込み。何時頃に出て、どの位の大きさなのか。そしてどこら辺から出てくるのか。依頼に関する情報を収集しなければいけませんし」
「なら急いで準備をするとするか。チームとして必要なのは寝泊まりするテントと焚き火用の薪に発火石、食糧と煮込む鍋にそれを支える台ぐらいか。食料は行き帰りと依頼の長期を見越して5日分だ。個人で使うコップや皿といった必要な物は個別で用意しよう。足りなくなったら、現地調達をしようか」
「なら、用意するのは焚き火用の薪と4日分の食料ですね。私が使っていたテントと調理具一式がありますのでそれを使いましょ」
必要な物をメモ帳に書き記していた真田がそう提案した。
「使っていた? ‥‥‥ああそうか、お前は外国の人間だったな。来るまでに野宿の経験もあってもおかしくないな」
「野宿生活が殆どだったので、道具とかは大体揃ってます。無いとしたら焚火に使う薪と火を起こす発火石に食料ぐらいですか」
「それぐらいなら昼までには用意出来るな。じゃあ、今すぐ用意をし始めるか」
真田は頷くと席を立ち、野宿への用意をする為にアヴェドギルトを出た。
もう間もなく帝都中心部にあるストラブール大聖堂の鐘が正午を告げる頃。
真田は初心者講習で使用した茶色のロープを羽織り、アランも初心者講習で使用した道具類を袋に詰め茶色のロープを羽織るぐらいだった。
最終準備を終えた真田たちは、宿の1階受付にて女将に部屋の鍵を渡し、東の大都市へと繋がるレ・ドスト街道と帝都を別つ、東の門に居た。
やはりと云うべきか、真田たちが何時も出入りしている南の門と人と物の流れる量は然程変わらず、真田は改めて此処が帝国の首都である事を認識した。
真田たちの目の前に広がる隙間なく埋め込まれている石畳の街道は東へと果てしなく延び、その石畳の街道を多くの人々や馬車が絶え間なく行き交き、ちょっとした賑わいを見せていた。
「この街道を真っ直ぐ進むと分岐点がある筈だ。そこから南に少し進むとモーセル町に到着するぞ」
「では、行きましょうか。依頼が私達を待っています」
意気揚々と真田たちが東の門を抜け、石畳の街道を踏み出した瞬間、正午を告げるストラブール大聖堂の鐘が帝都中に鳴り響いた。
背に受けて歩く真田は、何故かその時の鐘の音が嫌に耳に残った。
帝都を出発して数時間後、真田たちは帝都周囲に広がるノーウェイの森の中を歩いていた。具体的に言い表すのならばノーウェイの森を横断するように敷き詰めた石畳の街道を歩いていた。
何処かつまらなそうな顔の真田は、人気の無い周囲を見渡してポツリと呟いた。
「しっかしまあ、物の見事に誰も居ませんねぇ」
「もうすぐ門が閉まる時間になるから、もうこの辺には俺達以外は居ないじゃないか」
アランの言葉が表すかのように周囲には、人っ子一人の姿や影が存在していなかった。
人とすれ違ったのはもう1時間以上も前の事で、それからは時折鳥の声が聞こえる森の中をただひたすらアランと歩き続けていた。
「遅くなって締め出されば、魔物が跋扈する野外で野宿だ。そうなれば危険度が格段に上がるから、冒険者では無い人達は何としてでも間に合うように急ぐのさ」
「人はそうでも、周囲に魔物も居ませんね。‥‥‥街道を少し外れればいるでしょうけど、街道の周囲に変な空白地帯が出来ているのですかね」
真田は確かめるように周囲を見回した。
森に入った時は普段のように、魔物が襲ってこないか周囲に気配を配る為に探索範囲を広げるのだが、今は街中レベルの半径数mにまで落としていた。
城壁から一歩外に出れば、そこは魔物達が生息する危険地帯。森の中も例外では無い。しかし周囲に気配を感じ取れるのは、兎や栗鼠と云った小動物の類で、直接的に危険と判断するのには程遠いのだ。
聞いていたアランは何故か得意げな表情となり、
「定期的に各街に駐屯する騎士団が、街道周辺に居る魔物討伐を行っているんだ。おと、‥‥‥師匠が言うには街道の治安の安定は、帝国の発展に欠かせないらしい。街同士に人と物が安定的かつ恒久的に行き交う事で、街の経済が発展する。それが結果的に帝国の活力に繋がる。だからこそ帝国騎士団は街道の治安の安定に力を入れ、このように誰もが安全に通れるようにしているんだっ!!」
力強くそう断言するかのように言い放った。
言っている事は基本的には正しい。
大勢の人々が自由に行き来すれば、その人達を目的とした商売が発生する。またその商売をしている人たちに商売が成り立ってくる。更にその商売をしている人たちに向けての商売が発生する。
そうやって木の年輪やバームクーヘンのように貨幣が遍く人々に拡がる事で所得が増え、そして貨幣が健康的な血の循環ように安定的に流動的に隅々まで動けば、国は発展していく。
アランの言い分は間違いでは無いのではないが、単なる受け売りで経済そのものを理解していない所為か、聞いている真田には何処か空虚さを感じさせていた。
だから。
「ふぅん、そうなのですか」
気の抜けた返事をするしかなかった。
更に時間が経ち、森を抜けた真田たちは丘陵地帯に入った。日中の時間帯ならば雄大な自然が見られ惑星の歴史に思いを馳せられるのだが、太陽からの光量が落ち全体的に灰色になりかけていて、風情も何も無かった。
真田は周囲を気にしながら。
「そろそろ野営の準備をしませんか。あまり暗くなったら、作業が困難になりますので」
「それもそうだな、そろそろ野営の準備をしようか。野営に適している所は」
周囲を見回すと近くの小川から少し離れた場所で野営をする事にした。
真田はノーシェバッカスを発動させ、亜空間に収納していた野宿に必要な道具一式を取り出した。
銀色の台形の物体、細長い長方形の黒のバック、2種類のシート、直径数十cmもある薄黄色の両手鍋、まな板や包丁等の調理道具一式、白色の皿やマグカップなどの食器類、変に機械的な錠前が一体化しているクーラーボックス、木製の肘掛と背凭れが付いている折り畳み式の緑色のチェアや木製の木の机を2つずつ、発火石が入っている茶色の麻袋、焚き火用に鉋屑や大小様々な大きさの木材が入っている麻袋だった。
真田は見ていて何だか、PCのマザーボードに真空管が混ざっているかのような、強烈なまでの違和感を感じたが。考え出すときりがないと思い違和感を強制的に捨てた。
アランは薄暗い中でも目の前に広がっている見た事の無い品物に目を奪われて、驚嘆を孕んだ視線を動かす事が出来なかった。
「本当に凄いな。これだけの荷物を持たずして、移動出来るなんて思ってもみなかったぜ。もしこれだけの量の荷物を担いで歩くだけでも大変だぞ。その上でいつ現れぬと知れない魔物や盗賊を気にしなければならない。それを周囲を気にするだけとはな。‥‥‥ノーシェバッカスだっけ? 便利な魔術を覚えているもんだな、お前は」
「それについては肯定ですね。私が野宿に必要な道具をこんなに揃えているのも、ノーシェバッカスを使えるからですね。もし使えなかったら、こんなに道具を揃える事は無かったでしょ。‥‥‥さて雑談はこれまでにして、野営の準備を早くしましょ。暗くても昼間のように見える指輪がありますが、結局は1人に押し付ける事になりますので」
「だとしたら、俺は焚き火の用意をしよう。見た事の無い道具類は俺では扱えないから、お前に頼むぞ」
真田は頷くとアランに焚き火用の薪が入っている袋を渡し、テントの設営に取り掛かった。
真田が最初にしたのは風向きを調べる事だった。これは突風によってテントが吹き飛ばされるのを防ぐのが目的だ。
もし風上にテントの入り口を向けてしまうと、面として突風の影響を多大に受けてしまい紙のように飛ばされてしまう。それを防ぐ意味合いで今どの方角から風が流れているのか調べなければいけなかった。
「(本来ならこのような見通しの良い吹き抜けの場所では無く、木々が生い茂っている森の中が良いのだろうが。今は時間が無いから仕方が無いか)」
真田は昔を思い出しながら、テントの設置場所を決めた。其処はアランが作っている焚き火と対面の場所だった。
真田は飛んで来た火の粉でテントに穴が開かないように、少し離れた場所に大きさが違う2種類のマットと黒の長方形のバックを置いた。
まずグランドシートというテントの下にひく防水性が高い発泡ポリエチレン製の緑のシートを置いた。
これはテントと地面の間に挟む事でテントの生地を傷みにくくするとのと、地面からの湿気や湿度を遮断し底冷えを防ぐ為だ。
次に真田は長方形のバックのチャックを開けると、中からオレンジと黒の2色のテントだった。それをグランドシートに覆い被さるように広げ、骨子である黒のポールを伸ばし関節部を固定し、そして中心にある白い紐をグイッと引っ張った。
煎餅座布団のようにぺしゃんこだったテントは、一瞬にして空気を入れられたかのように大きく膨らみ、数秒後には2~3人は入れるテントへと変貌した。
真田は備え付けの雨避けのトップシートをテント上部に固定した。
そうして骨子であるポールに異常がない事を確認すると、バックからペグというテントを固定するL字型の杭を数本取り出し、備え付けの金槌で抜けないように45度の角度で打ち込んだ。
全てのペグを打ち込み簡単に風で飛ばない事を確認した真田は、D型の入り口を開けると持っていたもう1つのシート、テント内部にひく黒のインナーシートをひいた。これはテントの床が汚れる事を防ぐ為だ。
流石ほぼ毎日しているなれたもので全ての工程を、一切無駄の無い動きでインスタントラーメンが出来る時間までに終わらせた。
焚き火の用意をしていたアランは目を疑うかのような映像に、驚きのあまり用意をする事も忘れて固まっていた。
真田はアウクシリアを取り出し、人為的に作り出した清水を直径十数cmの魔法陣からつる付の和鍋に注ぎ込んだ。
和鍋に注水している最中に呆然とした様子で此方を見ていたアランに、真田は呆れた口調で。
「アランさん、焚き火の用意は出来たのですか。早くしないと夕食の時間がどんどん遅くなりますよ」
ハッと、我に返ったアランは慌てて焚き火の設置に思考を裂き、焚き火の設置を終えたアランは2つの黒石をこすりつけるように激しくぶつけた。
カチッ!!、カチッ!!と石と石がぶつかり合う甲高い音が鳴るのだが、アランが求める結果になっていないのか、表情に焦りの色が見え始めていた。
真田は声をかけるべきかどうか悩みながら見ていた。
「(便利なマッチかライターを使ってもいいんだが、その後が問題だよな。この世界では無くなれば材料から作らないといけない貴重品になったんだ。使う場面をきちんと決めなければな。後は楽をし過ぎるというのも駄目だからな。楽し過ぎたら精神が鈍ってしまう。便利と楽は別物だからな)」
変わるべきか変わらないべきか真田は思い悩んでいたが、それも杞憂に終わりアランは種火を作る事に成功した。
アランは小さな種火を消さないようにゆっくり動かし、火が点きやすい乾燥した鉋屑の上に置いた。すると陽光を求めて生息範囲を拡大する植物のように、火は鉋屑をつたって徐々に燃え広がって行った。
それを見ていた真田は水の注ぎを鍋の容量に対して6割位で止め、縦約30cmに横約40cmで上底に等間隔で金属の数本の波線が溶接された銀色の台形の物体を、焚き火を覆うように設置した。
初めて見る銀色の物体にアランは研究課題を見つけた研究者のような目で見ていた。
「サナダ、何だそれは。そんなの置いたら、焚き火に風がいかないと思うぜ?」
「逆ですよ、アランさん。風防の板がある事で余計な風を入れないようにして、安定的に火を焚く事が出来るのです」
真田が出したのは高さが調節できる台形のステンレス鋼製のクッカースタンドだった。
「そんなものなのか。‥‥‥で。それは風よけの為だけに置いた訳じゃないのだろ」
「勿論、この台の上に鍋を置いて調理をするんです。」
要は焚き火を使った野外用の簡易型コンロのようなものだ。
初心者講習で使った吊り下げ式だと鍋の大きさに合わせてその都度、高さを調節しなければならない。 しかも鍋はℓ単位で水が入っており、それを吊り下げる支柱も安定性を欠く事が出来ず、突き刺せる柔らかい土か重しを付け加えるしかない。
しかしこれは。
「この台は平坦なので何処にでも安定的に置け、しかも耐え切れる重さまでの鍋ならどんな大きさでも対応出来ます」
火によって反射で煌めかせているクッカースタンドを感嘆な目で見ていた。
「これは便利だな。初心者講習の時は何気無く吊り下げ式を使ったが、改めて考えると一々設置しなければならないんだよな。確かに不便だったな。‥‥‥しかしサナダ、こんな便利なものがあったのなら、何であの時に出さなかったんだ」
「あの時は用意されていた物があったので、使わなければ用意した人に悪いですよ。それに初心者講習は予行練習のようなものです。ある物を使わないと、その時になったら困りますから」
「それもそうだな。それは明らかにお前以外は持ってなさそうだから、ある物を使わないと困るのは自分だもんな」
納得したのかアランは胸の内に溜まった溜飲を下げた。
真田は鍋をクッカースタンドの上に置くと鍋蓋を少し開けておき、沸き立つまでの間に夕食の下準備を始めた。
真田はクーラーボックスの錠前の透明な部分に人差し指を当てると、ピッ!という電子音が鳴った。瞬きの間も無くガチャッと何かが外れる音が鳴った。
蓋を開けると中には帝都で買った5日分の食料、少し萎びれた色とりどりの野菜や少し傷んだ豚のブロック肉が散乱しないようにスーパーの袋に其々入れられていた。その他にも日本で買った食欲をそそり そうな色とりどりの瑞々しい野菜と真っ赤な肉が、同じようにスーパーのレジ袋に入れられていた。
真田は同じ野菜や肉でも文明の成熟度が違うとはいえ、此処まで違うのかと思うと何だか遣る瀬無い思いを抱くのだが、そこはぐっと我慢して呑み込んだ。
発火点を超えた小さな薪に火が燃え移った事で、本命である太い薪を燃やし始めるのも時間の問題になり、やる事が無くなったアランが近付いて来た。
真田がレジ袋から様々な野菜を取り出していた。キャベツに似た楕円形の薄黄色の野菜ヴォロ、人参に似た三角錐形の赤い野菜ロート、ジャガイモに似た表面がゴツゴツした球形の薄茶色の野菜パータ、玉葱に似た紫色の野菜ボージャだった。
「それ帝都で買った野菜だろ。それを今日の夕食に使うのか」
「はい、今日は野菜とブロック肉を煮込んだポトフを作ろかと思います」
真田は折り畳み式の木の机を立てるとまな板を載せた。
そしてヴァロをセラミック製の包丁で半分にし、白い芯の部分を切り取り、使わない半分をレジ袋に入れクーラーボックスに入れた。そして皮むきの道具である白のピーラーで慣れた手付きで、2人分のロートとパータの皮を剥いた。ジャガイモ同様に此方の世界もパータに芽の部分があったので、毒があるかどうかは分からないが、真田は念の為に芽の部分をピーラーで穿じ取った。更にロートとパータを一口大の大きさに切り分けると、銀色の笊にいれた。すると紫の皮を手で毟り取り、半透明の診をヴァロのように半分に切ったボージャも笊に入れ、鍋に清水をいれたようにアウクシリアから水を魔法陣から出し、濡れないように気を付けながら、笊に入っている野菜を水洗いをした。
本職の料理人のように手際よく料理の準備している真田を、アランは感嘆な目で見ていた。
「上手いなサナダ、よく自分で料理をするのか」
「前までは1人旅でしたので全ての事を私1人でしてましたので、自然と身に付いたんですよ。食事は毎日の事ですから、美味しい物を食べたいじゃないですか。そう思うようになってからは、簡単で美味しい料理を作るようにしているのですよ」
「確かにな、美味しい料理を食べると良い気分になるもんな」
アランはその時を思い出したのか、表情を緩め何度も頷いた。
真田は野菜の簡単な水洗いを終えるとブロック肉を取り出した。そこから横数cm縦十数cm厚さ数cmの長方形に切り、それを更に食べやすいように適当な大きさに切り分けた。
残ったブロック肉はレジ袋に入れると、残った野菜と共にクーラーボックスに収納し亜空間へと転送した。
少しして暗闇が完全に支配する時間帯になり、赤々と燃える焚き火の炎は、身体の冷やす寒空の下に居る真田たちを無条件なまでの温かさと安心感を与えていた。
すると隙間から白い煙が設定した時間になった事を知らせるアラームのように、水がお湯になった事を真田たちに知らせるように勢いよく噴出し始めた。
真田が鍋蓋を取ると温かい湯気が視界を一瞬覆うと、沸々と煮えたぎるお湯が見えた。
良い温度になったと満足そうに頷いた真田は、形が崩れないように慎重に野菜と長方形の肉をお湯の中に、味付けに塩と胡椒を目分量で投入し再び蓋を閉じた。
「後は煮えるのを待つばかりですね」
そう言うと真田は折り畳まれている椅子を持ってくると、広げるかのように左右に動かした。
それは座高が低いロースタイルの椅子だった。
真田は自分の分の設置が終わると、もう一つをアラン用にと対面に設置をした。
アランは見た事の無い椅子におっかなびっくりな様子で見ていた。
「地面に座ると服が汚れますから、野外用の椅子を使って下さい。それに座ると長時間座ってお尻が痛くなる事が軽減されますから、使った方が良いですよ」
真田は困惑するアランを尻目にさっさと椅子に座ると、今日の疲れを取るかのように椅子に体重を載せた。
真田を見て安全なのだろうと思い、アランはおずおずした具合で腰を下ろしていった。
そして完全に下ろすと丈夫な座布とアルミ合金製の6本の足が地面に根差したかのようにがっしりとアランの体重を支えた。何だか地に足が付いていないかのようなふわふわとした感じに戸惑いつつも、長くて少し斜めになっている背凭れに凭れ掛かると、後部でクロスしている支柱が負荷を地面に逃がし、軋む音が出る事は無かった。
何時も使っている木の椅子では味わえない変な浮遊感をアランは楽しんでいた。
更に数十分の時間が経った後。
そろそろかと立ち上がった真田は再び鍋の蓋を開けると、湯気と共に食欲を刺激するかのような匂いが真田を一気に襲った。
グツグツと煮えたぎるポトフのスープは、表面に細かな膜を隙間なく形成させ光っていた。
真田は竹串を取り出しちゃんと火が通っているか、ロートとパータに突き刺すと特に抵抗という抵抗も無くすんなりと貫通した。そして味見とばかりに銀のスプーンを取り出し、スープを掬うと口に含んだ。
あっさりとした中に肉の旨味や野菜の旨味から染み出して濃厚な味わいに、真田は満足そうにして何度も頷いた。
真田はプラスチック製のオレンジ色のトングを使い、チャーハンや焼きそばの時に使う白い大皿に肉と野菜を1人前を取り出した。
「アランさん、料理を注ぎますので皿を貸してください。後、近くに置いている机を使って下さい。膝に置いて食べるよりはいいと思いますから」
「ああ、お願いする」
真田はアランの真田より一回り小さい木の皿に載せれるだけの肉と野菜とスープをついで渡した。
何時もなら食前の祈りをするところなのだが、アランは何故かマントの中で腕を胸の辺りでごそごそと動かしていた。
真田はそれを如何しただろうと肉を頬張りながら、銀色のフォークを持って野次馬のように何気なしに見ていた。
アランが動かしていた腕を止めると、徐々にであるが中で風船を膨らませているかのようにマントが盛り上がっていった。そして、ある程度の大きさになるとマントの隆起も止まり、アランはふぅと疲労から解放された安堵の溜め息を吐き、細長い白い布を束ねるようにして結んだ。
アランは机の上の美味しそうに湯気が立っているポトフを前にして、食前の祈りを終えると、アランは木のフォークでロートを刺すと、その半分を頬張った。
芯まで熱が通っているロートのあまりの熱さに舌が火傷しそうになり、ハフハフと口から沸騰した薬缶のように熱を出していた。
ある程度の熱が冷めたロートを白い歯で飲み込めるまで噛むと、ごっくんと食道を通して胃に流し込んだ。そして残りの半分も熱さを我慢しながら、のみ込んだ。
寒い空の下、熱い物を食べた事で一時的に血流が温まった事で幸福感を得て、目を細めて幸せそうな顔を浮かべた。
「ふぅ温まるわ。正直、初心者講習の時のようにパンと干し肉にスープだけで大丈夫と思ったけど、こうやってちゃんとした料理を食べるのも良いわ」
美味しそうに食事をしているアランを真田は研究対象を見る研究者のように具に見ていた。
見ていた真田は最初こそ驚いていたが、アランの真意を見出そうと糸のように目を細くして見ていたのだ。
「いいのですか」
それが只の確認の言葉では無かった。
ある事情で男装をしているアランが、それを仲間とはいえ他人の前でそれを解くという事がどれだけ危険な事なのかを理解しているからだ。ましてや今は隔離された部屋では無く、野外に居るのだ。夜で人の移動が大きく制限されるが、それでも人が来ないという確証は無い。
アランはフォークを机に静かに置き、そして頷いた。
「ええ、構わないわ。此処には信頼できる仲間しか居ないもの。朝のリータとの対決で貴方は言った自分を信じてくれと、そして勝利を捥ぎ取った。私の信頼に応えてくれた人の前にして、仮の姿で居るのは不自然です。ですので、本来の姿に戻っただけです」
太陽は東から昇るというかのように当然のようにアランは言った。
アランは信頼の証として行動に出た。
しかし聞いていた真田は危うさを感じ取り、無茶しやがってと小さく呟き。
「そうですか。ならば私もそのアランさんの信頼に答え、ますます頑張っていくしかないですね」
「だったら、私は次は何をすればいいのかしら。今は本来の姿をしているから‥‥‥」
「裸?」
真田のポツリと呟いた何気ない一言に、過敏に反応したアランは公衆浴場の時を思い出し、恥ずかしさのあまり赤の顔料を塗られたかのように耳まで真っ赤になった。
真田はニヤニヤとアランを意地悪そうに見ながら、ポトフを食べていた。
数十分後、真田とアランはポトフを全て食べ終え、真田は後片付けをしていた。
ポトフで使った鍋を洗い場代わりにして、重曹を使った洗剤で自分の食器とアランの食器を緑色のスポンジで洗い、それを綺麗な布で水拭きをした。
片付けを終えた真田はロースタイルの椅子に座ると、アウクシリアを取り出し内蔵する電子時計を出現させた。
緑のディスプレイを観察するように見ていた真田は、ポツリと独り言のように。
「‥‥‥18時半を過ぎた頃か。リーダー、明日は何時に出発しますか」
「えっ!? ‥‥‥ええ、出発自体は朝食を食べた後になるわ。‥‥‥その前に、何よそれ。空中に数字が浮かんでいるように見えるけど、私は幻覚でも見ているの?」
アランはアウクシリアから展開されている緑色のディスプレイを、異物を見るかのようなおっかなびっくりな様子で見ていた。
真田は見せるのは初めてだったなと何処か他人事のような様子で。
「メアリーさんから話を聞きませんでしたか、ギルトに時計があるという事を。これはあれを別の法則で作り上げたものです。しかし、これを説明しますと一昼夜を使っても難しいので、此処での説明は省きます」
「省くなよっ!」
アランからのツッコミを真田は聞こえていないように装い、そのまま続けた。
「この周辺の日の出が大体午前5時半位ですから、6時起床にしましょ。それから直ぐに朝食にして、終わり次第出発するという事で大丈夫ですか、リーダー」
「というか、サナダが言っている事しかないと思うわ。そこら辺は任せるけど、火の番はどうする? 流石に1人でするのは困難だから、交代でするしかないわね」
「それが妥当ですね、だとしたら時間で決めてするしかないですね。6時起床で考えると、‥‥‥6時間後の0時30分で交代になりますね」
「そう。ならリーダーである私が先に火の番をするから、先に寝ていてもいいわ」
「いいですか、ありがとうございます。時間になりましたら起きて来ますので、それまで宜しくお願いします」
「分かったわ。‥‥‥サナダ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい。リーダー」
真田はテントの入り口で靴を脱ぐと、脱いだ靴を持ってテントの中に入り、ジィィとファスナーの低い音を鳴らしながら入り口を閉ざした。
見ていたアランはあそこから入るのかと観察するように見ていた。
真田がテントに入って6時間後。
テントから再びジィィィと低い音が鳴り響いた。
半分睡眠状態になりかけていたアランは、突然の聞き慣れない物音にビクッ!!と身体を硬直させ、釣り上げられたかのように強引に意識を覚醒させ、物音がしたテントへと目を皿のようにして見ていた。
アランがテントを注視する中、起床した真田がひょっこりと顔を出した。
アランは見知った仲間だと分かると安堵したように胸を撫で下ろした。
「何だサナダか」
「何だとは酷い言い草ですね。人が火の番を交代しようと起きて来たのに」
近付いて来る真田にアランは申し訳無さそうにすまないと謝り。
「起きて来た事だし、交代しましょうか。‥‥‥サナダ、私の羽毛布団を出してちょうだい」
真田はノーシェバッカスを発動させ、準備段階で預かっていたアランが使用する羽毛が申し訳程度に入っている羽毛布団を取り出し、アランへと渡した。
「ありがとう。寝る時は初心者講習の時のようにマント1枚と覚悟していたけど、サナダが居て助かったわ。‥‥‥まぁ、別に温かい訳じゃないけどね」
アランは羽毛布団から伝わる冷たさにショックを受けつつも、寝床のテントへと入って行った。そして、サナダがしたように入り口で靴を脱ぎ、靴を持ってテントの中へと入って行った。
ファスナーが無いこの世界では出入り口を閉めるのに戸惑うだろうと思い、真田はテントの出入り口で屈んだ。
すると目の前のアランが、何故か戸惑いと恥ずかしさが入り交じった複雑な表情をしていた。
「あのサナダ、私はお前の事を信頼し女性扱いしてくれるのは嬉しいけど、一緒に寝るのは違うと思うのよ」
耳に届いた瞬間、真田は何を言っているんだと愕然とした表情となった。
頬を赤らめ明後日な方を向くアランは真田の変化に気付かず、更に続けた。
「決してお前の事が嫌いなわけでは無くて、こういう事はもう少し関係性が深まってから良いと思う。サナダも男だから興味があると思うけど、軽率な行動はしない方がお互いの為でもあると思うわ。しかも今は依頼の最中だし」
真田は漸くアランは勘違いをしているのだと気付いた。
真田は良かれと思いファスナーの開け閉めを実演を交えて教えようとしたのだが、その行為をアランはテントの中に入ろうとしているのだと勘違いを起こしたのだ。
真夜中で男女2人きりの状況下で、アランから見れば年頃の男が一緒にテントに入ろうとしているように見えるので、勘違いを起こすのも無理が無いと言えるのだが。
全てを理解した真田は、喜怒哀楽の感情を全て表情の奥に引っ込めたかのような無の表情となり。
未だに困惑しているアランの額にデコピンをした。
かなり強めの。
突き抜けるかのような強い衝撃を受けたアランは、耐え切れる事が出来ずテントの床に後頭部を打ち付けるかのように倒れた。
インナーシートを敷いてはいるが針の前のティッシュのような頼りなさしか無く、アランの後頭部を守るのには適していなかった。
その結果、サナダからのデコピンからの赤くなった額の痛みと地面に後頭部を打ち付けた痛みの2重の痛みに、床を頭を抱えてゴロゴロと右左と転がっていた。
真田は何事も無かったかのように入口のファスナーを閉めると、その場で地獄の底に届きそうな重たい溜め息を吐いた。
その様子を夜空から見ていた三日月は笑っているように見えるのは、気の所為だろうか。
そして時が過ぎ。
テントで寝ていたアランは、頬を伝う熱を奪う冷気によって覚醒へと促され、目を開けた。
「(‥‥‥あれ、此処は何処だろう?)」
まだ夢か現かはっきりしない曖昧な状態で、見知らぬ周囲の光景に理解が追いついていなかった。
徐々に微睡から目覚めへとステージが移行していく中で、それ自体がパスワードであるかのように自身に何が起きたのか思い出していった。
「(ああそっか、サナダのテントで寝たんだっけ。‥‥‥サナダから額に一撃を貰った後、疲れと寒さが相まって眠くなり、羽毛布団に包まりそのまま寝ちゃったんだ)」
碌に働かない頭を動かし、霞がかかった記憶を探りながら思い出していた。
特に起き上がる訳でも無く、ぼんやりと意思の無い瞳でテントのオレンジの生地を見ていた。
すると。
「アランさぁん。朝ですよ、起きて下さいぃ!!」
真田からの呼び声に応えるかのように、怠い眠気と羽毛布団を退かしながらむくりと上体を起こした。
突き抜けるかのような冷気に、意識は爆発的なまでのスピードで強制的に覚醒のステージへと上らせた。
「うう、寒いよ」
アランは寒さに身体を小刻みに震わしマントと上着を脱いだ。
そして近くに置いていた長さが数mもある白い布の端を左腕で布を固定し、その豊かな胸にきつく巻きつけ始めた。
一巻きする度に隙間が無いように布を何度も強く引っ張り、たゆんと揺れる胸を平坦近くなるまで布を巻き付けなければならない。もし布の締め付け具合が緩ければ、人と話している時や魔物との激しい戦闘中に解けてしまう可能性を孕んでいる。人と会話している時は後でフォローすればいいのだが、命懸けの戦闘中に緩めば死に直結しかねないのだ。
まだ慣れてない最初の頃は巻くだけでも時間が掛かったりしたが、今は慣れた手付きで何度も繰り返し、胸に巻きつけていた。
巻く度に遣る瀬無い気持ちが心の底から湧き上がるが、それが露見しないようにアランは布を巻き続けた。
布を巻き終え端と端を鎖骨の辺りで固く結び、上着と鋼鉄製の胸当てを装備し始めた。
するとテントに近付いてくる足音が聞こえ、ジィィィとファスナーが動く音共に。
「リーダー、起きていますか?」
朝食の準備をしていたのだが、真田は中々起きてこないアランを不審に思い来たのだ。
「サナダ、起きているわ。装備を装着していたから、少し出るのに遅れているだけよ」
「わかりました。‥‥‥では朝食を作りますので」
真田は焚き火の所へと戻ろうと立ち上がり、アランに背を向けた。
「あっ、サナダ」
「何ですか、リーダー?」
アランは振り返る真田に向かって微笑み。
「おはよう、サナダ」
虚を突かれたかのように真田は驚きの顔をしたが、直ぐに楽しそうに破顔した。
「ええ、おはようございます。リーダー」
真田とアランが朝食を終えたのは、起床してから約1時間を要した。
ライ麦パンとパータを使ったスープの朝食を食べた真田は、夕食と同様に重曹の洗剤で食器洗いを行い綺麗な布で拭き上げた。
真田は使用したワンタッチ式のテントを手際よく畳み、食器と調理道具、ロースタイルの椅子、クッカースタンド、アランが使った羽毛布団をノーシェバッカスで、何時も通りに亜空間に収納した。
様々な荷物が消えて行く様を、鍋に入れた水で焚き火の後始末をしていたアランは、便利だなと羨ましそうな顔で見ていた。
鍋を亜空間に収納し、刀の位置を微調整しながら真田はアウクシリアの電子時計を見た。
電子時計はもう間もなくAM7:30を表示しようとしていた。
「アランさん。そろそろいい時間と思いますので、出発しますか」
「そうだな。今から出発すれば、昼か少し過ぎた頃に目的地であるモーセル町に到着すると思う。‥‥‥準備も出来た事だし出発するか」
真田が同意するかのように頷くと、アランはモーセルに向けて出発した。
時折、旅人か商人とすれ違いながらレ・ドスト街道を只管歩き続けて、数時間後。
真田たちの眼前に分かれ道が見えた。東へ真っ直ぐ進む石畳の街道と土が露出している未舗装の南へ進む道だ。
真田たちが分岐点である箇所に進むと、矢印を模した木の看板が其々道に沿って建てられ、長い時が経過しているのだと一目で分かる程に、目を凝らして漸く見える擦れた黒の文字が看板に書かれていた。
屈んだ真田は木の看板を書かれている文字が読めずに、顔を近付け遠くを見るかのように目を細くした。
「これは‥‥‥‥‥‥ホルシュ、こっちはモーセルと書かれているのですかね?」
「‥‥‥‥‥‥そうだな。所々、文字が繋がっていない所があるが文字の形と前後、設置場所から考えるとそう判断するのが、妥当だろうな」
判別が困難な看板に顔を近づけ目を凝らすアランは、そう推理した。
「ですね。この道を歩いて行けば、目的地のモーセルに到着するという事ですね」
真田たちは矢印型の木の看板に従い、未舗装の南下する道をその足を進めた。
数時間後、真田たちはある町に到着した。
そこは首都ユミルとは大きく違い煉瓦製の住宅では無く、木製で1階建ての住宅が数十軒、不規則かつ道に沿って建てられている。
「ここがモーセルなのですかね」
「だと思うぞ。俺もよくは知らないが」
2人とも初見なのでいまいち確信が持てずに困惑していた。
近くに町名を書いた看板がある訳では無く、道を歩いていたらいきなり集落が出現しただけだった。
周囲に視線を動かすと、住人と思わしき日焼けした男性が鍬を持って歩いていた。
アランは近くに居た男性に近付き、数回言葉を交わし。
「サナダ、やはりここがモーセルだ。依頼した町長に合わせてくれるというが、どうする?」
「折衝はリーダーにお任せします。私は被害に遭った畑を見廻ってグランデハバリーの侵入経路を探しておきます」
「そうか。じゃあ頼むな」
男性の案内でアランは町長の家へと向かった。
真田は町の外にある畑へと向かった。
モーセルは街道から大きく外れ何か産業があるという訳では無く、畑での農業、牛や羊の畜産、近くの森の伐採の林業を細々と生業としている、フィルド帝国ではごく有り触れた田舎町だ。
畑に到着した真田は、痕跡が残ってないか畑を備に観察していた
「(この時期は森の中のエサは少ないから、頻繁に人里に出てくると思ったが、そうでもないのか?)」
冬は気温が下がり樹木は木の実を落とす事は無くなるので、餌としている動物は困窮し、冬眠か餌を求めて移動をするか2つになる。
グランデハバリーは後者で、餌を求めて人里に来たので、今回の依頼が発生したのだ。
だが、畑を見回してもその痕跡が見受けられず、複数の長い台地が形成されていた。
真田は他の畑も隈なく観察をしたが、痕跡を発見出来ずにいた。
真田が他の場所も探そうかと考え始めていたら、
「サナダァ」
町長と依頼についての折衝を終えたアランが戻ってきた。
「アランさん、話し合いはどうでしたか?」
「特に変わった事は無いさ。討伐が終わったら、確認の意味でまた訪ねてほしいだとさ。‥‥‥ただ、町長は気になる事を言っていたな」
「気になる事?」
アランはなんだか腑に落ちないといった様子で。
「討伐対象のグランデハバリーを最近見た覚えが無いんだとよ、ある日を境にぱったりと来なくなったらしい」
真田が疑問を吐露しようとした、その時だった。
首の骨を損傷する事を考慮せず、急に真田は視線を森に向けた。
何か異変を感知したのか、その表情は厳しさに溢れ、少し腰を下ろし手は刀に置いていた。
アランは突然の変化に困惑しながらも、真田に問いかけた
「如何したんだ、何か森に居るのか?」
真田は森から視線を外す事無く、慎重に言葉を選び。
「分かりません。ただ、森から嫌な気配を感じ取ったのです」
「嫌な気配?」
アランは森の方へと視線を動かした。その胸中には嵐を呼ぶかのような暗雲が色濃く立ち込めていた。
その不安はアランの想いとは裏腹に、現実となってしまった。
「アランさん、来ますっ!!」
気持ちを引き締めるかのような真田の警告と同時に、それは森の中から現れた。
それは生態系の頂点に座す竜種のような生物だった。
アランが装着する鋼鉄の鎧を紙のように容易く切り裂く鋭い爪。一軒家を容易に半壊にまで追い込む頑丈な足。オークすら骨ごと噛み砕かんばかりの強靭かつ巨大な顎。如何なる肉すら断ちきる鋭利な刃のような歯。殺意しか無く見ただけで戦意を喪失させるかのような真っ赤な瞳。一つ一つが簡単に人を死に追いやる凶器であった。
しかも全身を覆う明るい黄色であるクロムイエロー色と黒の斑点の鱗はあらゆる刃物を通さないかのように強固さを見せつけていた。
まるで全身が武器庫のような魔物に、アランは飛び込んでくる情報に処理能力が追いつかず目が釘付けになり呆然としていた。
獲物を探しているのか少し伸びた首を左右に動かしていた。
すると血のような真っ赤な瞳は、自分を見ている真田とアランを捉えた。
魔物は爪を大地に立てると、地対空ミサイルが着弾したかのような叫び声を盛大に上げた。それは魔物の狩りを始める合図と同時に、絶望を告げる鐘の音でもあった。
魔物は大地が揺れる程の足音を鳴らしながら、真っ直ぐに真田たちの元へ向かっていた。
アランは条件反射で臨戦態勢に入り、魔物へと剣を向けた。
「サ、ササササナダ。ややややるぞ」
「大丈夫ですか? 今のアランさんの状態ではゴブリンは疎か小動物すら倒せないですよ」
真田の言う通りだった。
今のアランは緊張と動揺が全身を走り、ガチャガチャと音を鳴らし剣先が小刻みに震え、一点に定まっていない。これではまともな戦闘は続行できず、アランは命を落とすか大怪我を負ってしまうのは確実だと言わざる得なかった。
迫り来る凶悪の足音を聞きながらアランは独白のように呟いた。
「だ、だ大丈夫じゃないに決まっているだろ。初心者講習の時のミノタウロスの大群を目にした時と同じ位怖くて、今すぐにでも何もかも放り出して逃げ出したいと気持ちでいっぱいだ」
町の家を震わすかのような振動が更に近付いて来た。
「だけれども。今此処で逃げれば運良く逃げる事が出来た町人、街道を歩いている旅人や商人達がその凶悪な爪の餌食になってしまう。そんなか弱い民衆を放置して、自分だけ安全な所に行く訳にはいかない!! そんな事をすれば‥‥‥」
アランは心の底から絶え間なく湧き起こる恐怖を押し込むかのように、迫り来る足音を睨み付け剣を握る拳の力を強めた。
「俺はもう二度と剣を振れなくなり、お父様に顔向けが出来なくなる。それだけは絶対に駄目なんだ!!」
自身の思いを確認するかのように心の底から激しく吐露した。
あの日、アランは固く誓ったのだ。
例え圧倒的不利に陥り自分が死ぬ事になろうとも決して信念を曲げないと。
それが残された自分に出来る唯一の事だと。
黙って聞いていた真田は嘲笑するのではなく、そうであるのが正しいかのように小さく笑い。
「ならば貴女を此処で死なせる訳にはいかないですね。今はまだ無理ですが、心身ともに強くなれば大勢の人々の力になるでしょう。‥‥‥此処は任せて下さい。剣を振るうしか能が無い私ですが、あのような化け物を倒す事は出来ます」
「えっ!?」
アランの疑問が続く事は無かった。
真田が存在を霧散させたかのように一瞬にして消えたからだ。
その直後だ。
向ってきた魔物は横からの突き刺すかのような衝撃に魔物は対応しきれずに、態勢がとれぬまま平原の方へと飛んで行った。
仕掛けたのは真田だった。
真田は素早く魔物の側面に移動すると、力強く地面を蹴り、勢いを殺さぬまま魔物の横っ腹に蹴りを入れた。
あの場所で戦えば町に被害が出る可能性があったので、一先ずは魔物を町から遠ざける必要性があったのだ。
魔物は転がるようにして大地になんとか着地し、前に立っている真田を射抜かんばかりに睨みつけた。
真っ赤な2つの瞳は全身の血が集まっているかのように赤く、見ているだけで戦意が強風の前の蝋燭の火のように簡単に消し飛んでいくかのような錯覚を覚える。
だが。
真田は腰に下げていた刀を抜き、執行人が死刑を告げるかのように剣先を魔物へ向けた。
「化け物、名も知れない魔物よ。このような場所で俺に遭遇しなければ、もう少し命を謳歌できたものを。運が悪かったな。‥‥‥ではいくぞ。当代随一の化け物がその命を刈り取る!!」
魔物は呼応するかのように鼓膜を破かんばかりの大きな鳴き声を周囲に響かせた。
開幕のベルは鳴った。
後はどちらかの命が燃え尽きるまで行われる悲しき喜劇。
ただお互いを傷つけ合い憎しみ合うだけの生産性の欠片も無い所業だとしても、お互いにこのように振る舞う事が正しいと確信して。
彼らはお互いを喰いあう。
相対する真田と魔物を見ている1人の老人がいた。
その老人はちょっとした岩石ほどの紅の宝玉が先端についた木製の棒を持ち、漆黒のロープを身に纏っていた。顔には深い皺が縦横無尽に走っており、重ねてきた年月を窺い知れた。
この老人が只者では無いのは一目瞭然だった。
何せ観察している場所は上空数百mもの位置で。
しかも単独ではなく紅いドラゴンの頭上に乗っているのだ。
地上にいる魔物よりも1回りも2回りも大きく、名の知れたドラゴンに見えるのだが老人を頭上に載せて、従順な下僕のように大人しくしていた。
老人は嬉しそうに口元を歪め、目は研究対象を目の前にした研究者のような些細な事も見逃さない注意深い目をしていた。
先に動いたのは真田だった。
まずは動きを止めようと真田は、風のような速さで右前脚に前に移動し、木の幹のかのような太い脚へと斬りこんだ。
空を斬る刀身が脚に当たった瞬間、甲高い音が鳴った。
「(硬ったぁ、まるで金属を斬ろうとしているようだ。‥‥‥これは気合い入れて取り掛からないと思わぬ怪我を負ってしまうな)」
真田は押し切ろうと全身の力を刀に乗せ、硬い鱗ごと脚を斬ろうとするが。鱗の硬度が優っているのか、刀は鱗の表面数mmを削るだけに止まっていた。
その隙を見逃す魔物ではなかった。
先程は真田が速過ぎて見失ったが、止まっている敵を見逃すほど愚鈍では無かった。
魔物は太い尻尾をギリギリまでに曲げると、左後ろ脚を軸にし周囲に土埃がたつほどにその巨体を思いっきり回転させた。
豪速球かのような速さで空気を圧し潰しながら、巨木かのような尻尾は真田へと真っ直ぐに向っていた。
高速で次第に大きくなっていく魔物の尾を視界の端で捉えた真田は、後方に身を翻しながら尻尾を回避し、魔物から距離を取った。
着地した真田は間髪おかずに魔物へと斬り込んだ。
流石に2度目はそう簡単に行かせて貰えず、鋼鉄の鎧すら易々と切り裂くかのような鋭い爪に阻まれた。
真田は刀で爪を振り払うように動かしその隙に懐に入ろうとするが、もう片方の爪が阻むように襲ってきた。
ガッキィィンッ!!と、硬い物質同士がぶつかる音が鳴り響いた。
真田は再び振り払おうとするが、弾いた魔物の右爪が再度襲ってくるのを瞳で捉えた。
真田は顔を歪ませ舌打ちをし防いでいる爪を刀を使って横に逸らせ、体勢が少し崩れた隙を狙い、腹部への斬撃へと敢行した。
やはり2度も攻撃を受けた腹部への攻撃を嫌がり、魔物は無理な体勢のまま強引にその巨体を回転させ、真田の攻撃を回避した。
再び両者、睨み合いの状況に陥り、糸を張りつめたかのような緊張感が漂っていた。
真田と魔物、両者の様子をアランは心が痛む思いで見ていた。
目の前で起きた事に呆然自失となっていたが我に返り消えた真田を探したが、見つけたアランの足を止めるのには十分な光景が目に飛び込んできた。
真田があの魔物と対等に渡り合っていた。
「(流石だな、サナダ。魔術師と騎士の混成部隊である魔術旅団でしか対応出来ないような、強大な魔物と単独で対峙できるとは。‥‥‥まるであの時のようだな)」
アランの脳裏には今でも鮮明に映っていた。
一国の戦力でしか太刀打ち出来ないかのような絶望的な状況に、臆する事なく立ち向かっていく真田の後姿を。
その後姿にアランは自身の理想を重ね合わせた。
か弱き民衆が膝を屈してしまうかのような絶望的な状況を前にしても、怯まずに敵に向かって行ける姿を。
だからこそ。
アランは遣る瀬無いのだ。
「(今の私には到底勝ち目のない強敵。立ち向かったとしても鋭い牙、爪。丸太のような尻尾の攻撃を受け死ぬ。良くて一撃を浴びせる事が出来るくらい)」
アランは確かに実力は折り紙付きだ。
だがそれは同じランクの冒険者と比較しての場合だ。
上位の冒険者と比較すれば、まだまだ新人に毛が生えた程度でしかない。
「(だからといって、強敵は真田に任せて自身は安全な場所で戦闘が終わるまで他人事のように見学。‥‥‥果たしてそれはチームといえるの。只一緒に居るだけじゃないの?)」
規模の大小を問わずチームとは社会性を持った集団だ。
人間は基本的には他の生物よりも能力的には劣っている。
犬のように野を速く走れる訳でも無く。鳥のように自由に空を飛べる訳でも無く。魚のように水の中を自由自在に泳げる訳でも無い。
それ故に人は能力差を質ではなく量いわゆる数で補い、他の生物の競争に勝ち今日の繁栄を築いている。
冒険者も同じだ。点と点では無く点と面で対処する事で、個人では対処不可能な側面を他者が補填し、強大な力を持つ魔物に打ち勝って来たのだ。
では自分はどうなのだろうとアランは自問せずにはいられなかった。
強敵は真田に自分は雑魚に専念する。
正しいという人がいるかもしれない。生命は生き残る事こそ至上命題である以上、それは否定できない事実だ。出鱈目な強さを持つ真田に難敵を任せておけば万事上手く行き、生存率はほぼ100%なのだろう。
そうすれば、順調にアランのギルトランクも上がり名声を手に入れる事が出来る。
だが、それは。
自分の理想からほど遠く、最も忌み嫌う姿ではないのかと。
「(それでは一体何のために誓いを立てたか。一体何の為に剣を振るんだ)」
ようはプライドの問題だ。
何も金銭や物品な見返りなどない、自己満足の世界。例え他人から意味が無いと莫迦にされようとも、何があろうとも貫かればならない絶対的な自己の掟。
同時に人生の岐路でもあった。
蔑ろにすればもう2度と剣が振れなくなる重要な局面。
アランは腰に下げている愛用の鋼鉄製の剣を見た。
どこにでもあるシンプルな鋼鉄製の無銘の剣だ。
冒険者になった時に購入し、数多くの魔物を討伐してきた。
アランは魔物と剣を交互に見返した。
そして決意した。
それは‥‥‥。
睨み合っていた真田と魔物は同時に動いた。
振り上げた刀と鋭利な爪は激しく激突した瞬間、ガッキィィィィィン!!と、耳を突き刺すかのような甲高い音が周囲に鳴り響いた。
真田は奥歯を噛みしめて爪を斬ろうと前に行こうとするのだが、力が拮抗しているのかあと一歩が出ない状況だった。
「(全体的に力が落ちているとはいえ、簡単には押しきれないとはこの魔物も中々の化け物っぷりだな。‥‥‥しかしこれ以上時間はかけれないのも事実、名残惜しいが決着をつけさせて貰うぞ)」
真田は魔物を切断しようと、刀に魔力を供給しようとした。
その瞬間だった。
「サナダ、援護するぞぉ!! ウォォォぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
アランの叫び声が後方から聞こえてきた。
鬼気迫るかのような形相で、剣を構え魔物へと突撃して来た。
このままでは剣が振れなくなると考え、真田の援護と打って出たのだ。
これに驚いたのは他ならぬチームメイトである真田だった。
強敵だがアランの性格を考えれば来る事は予想の範囲だった。
しかし、家を簡単に破壊できる魔物にアランを対処出来る筈も無い。
自身と相手の力量の差をはかるのも、戦う上では必要不可欠だ。
今回は一時の恥と堪え今後に生かすように動いてほしかったのが真田の偽るざる本音であった。
だから。
「駄目だ。アランさん危険だ、下がるんだ!!」
真田は大観衆に聞こえるかのよう腹の底から警告を飛ばした。
しかし、一種の興奮状態に陥っているアランの耳には届く事は無かった。
しかも完全に余計な事をしてしまったのだ。
格下の相手なら片手間で事足りるのだが、今は真田と魔物の力が均衡している状態だ。
それを崩すような真似をするとどうなるか知らない真田では無かった。
アランへ警告を行なった事でバランスが、魔物へと傾いた。
その結果。
真田の刀は魔物の爪によって弾かれた。
「(やばっ!!)」
間を置く事無く魔物は、隙だらけの胴体に重たい一撃を喰らわせた。
全身の骨が砕けるかのような尾からの衝撃に、真田は息を吐く間も無く、小さく見えるまでに飛ばされた。
「‥‥‥‥‥‥えっ!?」
見ていたアランは驚愕とばかりに目は皿のように見開き、口はあんぐりと開けて立っていた。
無理も無かった。
アランの中では真田というのは強さそのもの。
迷宮の番人たるミノタウロスの群体を単騎で討伐を成し遂げた人物。本来であれば英雄として称されても、おかしくない偉業を成し遂げたのだ。
その人物が、魔物の一撃によって何処かへと飛ばされた。
何も搦手の無い単純が故に、受けた衝撃も大きい。
真田が飛ばされた、そんな単純な事実によって、驚愕が恐怖へと変貌するのに時間はそうはかからなかった。
全身で味わっている絶望の淵にまで追いやられたかのような恐怖により、全身の震えが止まらず所持している剣をカチャカチャと音が鳴らし、アランの表情は次第に血の気が失せたかのような青白くなった。
「‥‥‥‥‥‥えっ、‥‥‥‥‥‥あっ、‥‥‥‥‥‥えっ、‥‥‥‥‥‥そっ、‥‥‥‥‥‥いや」
恐怖に思考が大部分が支配され、アランは考えを纏める事が出来なかった。
そして次の行動に移せずにいた。
圧倒的に不利な以上、逃げなければいけない。
生命は生き残る事こそが至上命題で、根源且つ最優先される行動。
そんな子供でも出来るような行動を、憂虞に拘束されるかのように憑りつかれたアランには、目の前の魔物を倒す事位に難易度が高くなっていた。
魔物は優先順位を遠くに飛ばされた真田から、近くでただ震えているだけのアランに変えた。
それは当然の変移だった。
肉食動物は弱っているか子供の獲物を優先に選ぶ傾向がある。様々な理由があるが、一番の理由は簡単に食事にありつけるからだ。
飛ばしたが自分と同程度の実力を持つ獲物とただガタガタ震えているだけの獲物では、脅威度は天と地の差があり、簡単に食事にありつけるならと、アランの方へと魔物は向かった。
ドスンドスンッ!!と、一歩、また一歩と。魔物はアランへと向かった。
恐怖に震えるアランには、それが死刑執行時間をカウントしているかのようにも聞こえた。
その時アランの中にある何かが弾け、
「あっ、あァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
雄叫びを上げながら魔物へと斬りかかった。
それは勇気と云うにはあまりにも蛮勇で、豪胆さと云うにはあまりにも消極的だった。
ある専門家が見れば、現実逃避と云うだろう。
人間にとって一番の天敵は、怪我や病気では無くストレスだ。
ストレスを許容量以上を受ければ精神が大きく歪み、いずれは死に至ってしまう。
アランは恐怖というストレスから逃れたい一心で、打って出たに過ぎず、中身が全く伴っていなかった。
だから。
魔物から赤子を捻るかのようにいなされた。
「きゃっ!!」
中身が伴っていない攻撃だったので、回避どころか受け身すら出来ず、アランは地面に倒れ込んだ。
痛む頭を抱えながら上体を起こしたアランは、剣を持っていない事に気付いた。
周囲を見渡すと、少し離れた場所に転がっているのを発見した。魔物の足による攻撃の際に剣を離してしまったのだ。
剣を離す事は剣士にとって死活問題だ。
アランは直ぐに四つん這いになり剣を取ろうとしたが、それよりも早く魔物が脚をアランの進路上に置き妨害した。
天を遮る魔物の巨体さにアランは、何も言葉を発する事が出来ず恐怖を孕んだ瞳で見続けるしか出来なかった。
魔物の血のような真っ赤な2つの瞳が、アランを捉えた。
そして口を鰐のように大きく開け、捕食しようとアランの方へと下げていった。
唐突にまでに訪れた死に、ただ見るだけしか出来ないアランの瞳には大きな雫が溜まり始めた。
そこには冒険者アランというのは存在せず、恐怖に打ち拉しがれるか弱い少女しかいなかった。
「(私、死ぬの? まだ何も成し遂げていなのに。‥‥‥そんなの嫌だ。まだ何も分かっていないのに、誓いも果たせずに死ぬなんて嫌だ。それに色々な人々に出会って様々な風景もこの目で見たい。皆と同じように美味しい物だって食べたいし、周囲の女の子と同じようにお洒落や焦がれるかのような恋だって経験したいのに!!)」
少なくとも、冒険者になってからのアランは我慢の連続だった。
目的の為に性別を偽り、早くランクアップしたいが為に無茶な事も何度もしてきた。1度に2つの依頼を受けたのは1度や2度では無く、徹夜で足元が悪い森の中で目的の魔物を追いかけた事もあった。そして疲れて帝都を歩くと、同世代の子達が同性異性の友と楽しく語らっている姿や好きな人と楽しく語り合う姿を見かけ、その度に遣る瀬無い気持ちに陥りかけるが、これも全て目的の為だと自分に言い聞かせて押し殺してきた。
だからなのだろう。
「サ、サナダァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
自分を構成する全てをかなぐり捨てた叫び声を上げたのは。
意味が無いのは自分でも無意識に理解していた。
上げたところで魔物が驚いて食べられるのが多少遅くなるだけで、何か劇的に変わる訳でも無く、自分の危機的状況が変わる訳でも無い。
それでも上げたかった。
最後の別れが無言のままではあまりにも悲しすぎる事を知っているから。
そして。
最後に真田に自分の思いを知って欲しかったから。
人の思いを理解できない魔物は特に意に介する事無く、アランに喰らいつこうと、更に口を近づけた。
水が上から下に流れるように、当たり前のようにアランだったものが魔物の胃袋や地面に転がるだけだった。
しかし、ここで不可解な事が起きた。
魔物の動きがピタリとコンクリートで固められたかのように止まったのだ。
正確には止まらざる得なかったに近いが。
周囲の場の雰囲気が180度、白から急に何の前触れも無く黒に変わったかのように、ガラリと変わってしまったからだ。
この異常事態を放置すると自分の命が落すと、本能がパトカーのサイレンのようにけたたましく警告を発していたのだ。
本能に従い魔物は獲物であったアランを放置し、爪を地面に突き刺し両脚に力を込め、体勢を低くし睨めつけるかのようにしてある方向を向いた。
それは真田が飛ばされた方向であった。
しかもその方向から突き刺すかのように純粋な殺意が飛ばされていた。
例え相手の命を刈り取り身体を細切れにしようが、決して鈍る事の無い純粋さ。人間に出すことが可能なのかと疑うほどの殺意であった。
真田は魔物に向かって、静かに歩き出した。何も足音が無く、本当は魔法によって宙に浮いているのではないかと錯覚させるほどだ。
魔物は向ってくる真田の姿を捉えていた。
敵である以上、牙や爪を使って迎撃をすればいい。
しかし、向ってくる真田から発せられている異様な雰囲気に呑まれて、魔物はその場から一歩も動けずにいた。
魔物の瞳に映る真田は遠近法によっての小ささでは無く、全く別の自分が蟻と思わせるかのように巨大のように見えていた。
次第に魔物の表情に、不安が色濃く出てきた。
初めてではないだろうか、人や魔物を隔てる事無く目に付いた生物を片っ端から喰らいつき、一時の間でもこの一帯の支配者となった魔物が怯えるのは。
それは魔物の死が間近である事を示していた。
真田はある一定にまで近づくと、少し腰を落とし刀に手を置き、軽く呼吸をした。
それだけで場の雰囲気はがらりと変わった。
あれだけ突き刺すかのような殺気が泡のように消え去り、代わりに真空のように何も無くなり澄んだ空気が漂っていた。
魔物に感情があるかどうかは分からないが、当て嵌まるとしたら驚愕だろう。
瞼を限界にまで広げ、真田の行動を一挙一動を見逃さず見ていた。そうでもしなければ死んでしまうと本能が警告を発しているのだ。
真田は足を肩幅より少し広げ左親指を使い、刀身を静かに鞘から出した。
たったそれだけでも、効果は劇的だった。
魔物は脇目もふらずに真田に向かって激走をした。
魔物はあれが何は知らない。
だけれども分かる事が、ただ一つだけあった。
それは、決してあれを抜かしてはならない。という事だけだった。
抜かれてしまえば、死ぬのは自分の方だと。
魔物は血走った目で真田を捉えながら地面を振動させ、本能の赴くままに疾走していた。
もう魔物には風景など他の者は瞳には映って無かった。
ただあるのは真田を殺さないといけないという強迫観念しか残っていない。
そして。
魔物は勢いそのままに真田を串刺しにしようと爪を立て、風を切るような速さで放った。
それと同時に足を強く踏み出した真田も刀を抜き放った。
太陽に照らされた刀身が光を反射し、鋭い一閃が魔物を襲った。
交差した真田と魔物は、背を向けたまま動かずにいた。
少しの静寂の後。真田が静かに鞘に納刀すると、魔物の頭部から尾の先にまでかけて1本の線が走った。
その線から、全身の赤い血液が噴水のように噴出した。
真っ二つにされた魔物は自立するだけの余力は無く、地面に音を立てて倒れ込んだ。
真田は一息をつくと、呆然とした様子で此方を見ているアランに近づいた。
「アランさん、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
出された真田の手を取って、アランは立ち上がったが、直ぐにぺたりと座り込んでしまった。
「‥‥‥‥‥‥あれ?」
アラン自身もなぜ自分が立てないのかわからず、首を傾げ立ち上がろうとするが、足に力が入らず再び座り込んでしまった。
アランは腕の力で再び立ち上がろうするが、それすらも出来なくなっていた。
「すまないサナダ、ちょっと体が言う事を聞いてくれないみたいだ」
いわゆる腰が抜けた状態になっていた。
限度の超えた恐怖や激しい動揺などが自律神経に作用し、筋肉を上手く動かせなくなってしまう状態に陥っていた。
真田は腰を下ろし、アランの背中に手を当てて。
「大丈夫です、それは一時的なものです。数回深呼吸して、身体を落ち着かせれば自然と治ります」
「そ、そうか」
アランは真田が言った通りに数回に分けて深呼吸を行った。
それから数分が経ち、アランの様子は一見落ち着きを取り戻したのように見えた。
アランは自分で立ち上がると、両太腿をばしなしと乱暴に叩き。
「うん、良いな。‥‥‥すまないな、サナダ。もう大丈夫だ」
アランは健在だと身体を動かしているが、真田は脚がまだ小刻みに震えているのを見逃さなかった。
恐怖の余韻が残るが無理して、立ち上がったのだ。
「(アランの性格から考えると、これ以上足を引っ張りたくはないという事か。‥‥‥それを指摘するのは無粋か)」
真田はそう結論付けると、素知らぬ顔になり。
「そうですか。でしたら、あの倒れている魔物をどうするか考えなければいけませんね」
「そうだな。取り敢えず、近くの街。ここなら帝都だろ。ギルトと騎士団に連絡して、何処かに持って行って貰うしかないだろ。俺達じゃ運搬する手段は無いしな」
「私が一っ走りに帝都に行って、ギルトに事情を説明して人を寄越して貰いましょうか」
「ああ、頼むな」
真田がアウクシリアを取り出そうとしたが、それを遮る言葉が飛んで来た。
「それを止めて貰うおうか」
不意の芯の通った声に真田は出すのを止め、アランも何処から聞こえたのか周囲を見回していた。
すると、上空から1匹の紅い竜が両翼を羽ばたかせながら、降りて来た。
それは何故竜種が生態系の頂点に座しているのか、強制的に訴えかける程の強さを内包した存在だった。
それ程の強さを持つ竜は真田から倒れている魔物を遮るかのように降り立ち、まるで至宝を運搬しているかのようにその長い首と胴体をゆっくりと丁寧に下に動かしていた。
完全に地面に伏すと、頭の上に乗っていた老人は軽快な足取りで地面に降り立った。
真田たちを射抜くかのような真剣な目で見据え。
「サナダ君。帝都に行くのを止めて貰おうか」
「御老人、何者だ。何故、私の名を知っている」
「それはいずれ分かるが、今は関係の無い話じゃ。問題は君が帝都に行くのは此方としても都合が悪いのでな、止めて貰えるか」
「それを考慮する義理は無い。私が帝都に行くかどうかは、御老人。貴方には関係の無い話だ」
「それは解析がフィルド帝国のみだったら、こ奴をどうしようが興味は無いが。あらゆる観測や分析出来る装置を持っているお主が関わると話は別じゃ。此方の機密が丸裸にされる恐れがあるからのう。機密の徹底管理は基本の事じゃろう」
「‥‥‥御老人、何の事を言っているのですか。私にはさっぱり理解出来ませんが」
真田は何も知らないと言うが、老人は可笑しそうに笑い。
「恍けても無駄じゃ。お主にはどういった薬品が使われたか、生命の設計図を解析したり出来る装置を持ち。しかも森羅万象、あらゆる事象すらも観測出来る装置を所有しているのじゃろ。そんな相手がこやつを解析するとなれば、妨害するのは当たり前の事」
真田は静かに鞘に手を置いた。
知り過ぎている。
それが真田の率直な感想だった。
「(あの機器は俺に関わった極一部しか知らないもの。当然、この世界ではまだ一度も使用した事も無いものを、何故あの爺さんがそれを知っているんだ。‥‥‥‥‥‥考えても埒が明かないから取り敢えず、半殺しにして情報を聞き出すか)」
単純で物騒な解決方法で聞き出そうとする真田は、少し腰を落とし足に力を入れた。
一瞬の内に老人に近づこうと、大地を駆けようとしたが。
「おい、2人だけで分かるように話をするな。俺にも分かるように説明してくれっ」
アランの言葉によって遮られ、真田は気が削がれ足を止めてしまった。
アランがむくれるのも無理が無い。
話していたのは完全に真田と老人だけだったので、隣にいるのに自分は居ないものと扱われ少し腹が立ったのだ。後、理解不可能な単語が行き交っていたのも、要因として挙げられる。
アランに邪魔された事で老人は些か不機嫌な様子になった。
「なんじゃ小僧、人が話し込んでいたのを邪魔をしお‥‥‥」
言いかけて老人は眉を顰めた。アランを見て記憶の何かに引っ掛かったらしい。
「小僧、前に儂と会わなかったか?」
アランは何故か一瞬身体を硬直させた。
「い、いや。俺はお前とは初対面だが」
「そんな筈は無い、君の顔に見覚えがあるんじゃよ。然も1度だけではなく、複数回に亘って会った事があると記憶している。何処でじゃったかな。5年、いや10年も前の事じゃったかな。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥おっ!!」
老人は目的の記憶を取り出したみたいで、奥歯に挟まったものが取れたかのように表情は明るくなった。
しかし何故か、次第に弱点を見つけたかのように意地の悪い顔となっていった。
「そうだな君が知らないのは無理はない。最後に会ったのはまだ母親から離れられない頃だったから、覚えてないのも仕方は無い。‥‥‥いやぁ、まさかあの小さなお嬢ちゃんが、ここまで大きくなるとは長生きもするもんだ」
アランの胸中にはどうしようもない不安が染みのようにじわりと広がっていた。
アランは思い知る事となった。不安というのは、的中率が異常に高いということを。
老人は言うのが楽しくてしょうがないとばかりに、ニタリと口元を大きく歪め。
「久しぶりじゃな。前代未聞の大事件、現皇帝襲撃するという大罪を犯した実行犯にして首謀者である前帝国騎士団長ゴードン=ロベッタの一人娘、アリシア=ロヴェッタよ」
次の話でこの章は終わりとなります。
皆さんの一時の暇潰しになるように、日々精進したいと思いますので、ご愛読の方をこれからも宜しくお願いします。
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