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クアットゥオル・シーズン  作者: 二郎
第5章 人々の生活
44/65

第43話 オリエンス教会 フェイズ2

 真田は昼食用のパンを赤い鳩のマークのレジ袋に入れ、教会へと戻って来た。

 買って来たのは表面に格子状の切れ目が入っている茶色のライ麦パンだった。

 パンは泊まっている宿屋ツキノクマが利用しているパン屋から調達したものだ。

 店員の少女は真田に、もう少し待てば焼きたてが出来ると言ったが、真田はどうせスープにつけて食べるのだから固くても問題ないだろうと考え、そのまま残っていた固いパンを買う事にした。

 やはり自分を含めてクリューベと孤児達の分のパンは、1つのレジ袋に入るだけの量では無く。結果的にレジ袋を両手に2つ持つ事となった。

 その2つのレジ袋の中には茶色だけでは無く、赤や黄緑といった果物が数個、入っていた。

 これは真田が子供達の土産として買ってきたものだ。

 パンだけでは栄養面で偏りが生じると考え、果実に含まれる他の栄養成分を助ける働きがあると言われているビタミン各種をバランスよく取れるように複数買って来たのだ。

 真田は『只今戻りましたよっと』と言いながら教会の扉を開け、クリューベ達が入って行った奥の部屋を覗き込んだ。

 そこには教会を一回り小さくした規模の部屋が広がっていた。

 一般家庭のように部屋の用途に応じて物が至る所に置いている訳では無く、部屋の中心にはクリューベと子供達を合わせた人数分の背凭れ付きの椅子が、数mもある大きな長方形の木製の机を囲むように置かれいた。また部屋の端に食器類を直す棚や本が申し訳程度に置かれている本棚があるぐらいで、公共施設の多目的室を思わせるような部屋の作りだった。

 部屋の床は基本的に石では無く木材で出来ているが、調理や食器類を洗う為の赤茶色の煉瓦製の炊事場だろうか、其処だけは床は燃えないように本体と同様に煉瓦になっていた。

 炊事場では天井からの吊り下げ式の鉄製の大きな鍋が一際存在感を出していた。

 鍋の中には赤、緑、黄色といった色とりどりの野菜と数合わせ程度に肉が煮込まれており、水の表面には野菜や肉のエキスが滲み出ていた。

 その中身をクリューベが裾が汚れないように気を付けながら、木製のしゃもじのようなもので掻き混ぜていた。

 アンジェリカはスープ用の木製の深皿と平皿、スプーンを炊事場へと持ってきたりして、昼食の準備を手伝っていた。

 

 「お姉ちゃん。スープはどうなの?」


 「もう少しかな。今、良い具合に野菜からお出汁が出ているから待っててね」


 「うん!」


 アンジェリカはこれから出来る上がるであろう料理を想像しながら、クリューベの横で目を輝かせながら待っていた。

 真田が視線を机の方へと動かすと、デリクや他の子供達が汚れた布で部屋の床や棚を拭いていた。

 オリエンス教会では朝の祈りの時間が終わると、シスターや子供達全員で建物や敷地の清掃を毎日欠かさ無いので、基本的には綺麗なのだが。客人である真田を迎えるので改めて掃除をしているらしい。

 真田は『別にそこまでしなくてもいいのに』と、苦笑交じりにデリクに声をかけた。


 「少年。パンを買って来たぞ」


 真田のその一言はデリクだけでは無く、部屋に居る全員の視線を集める事となった。

 クリューベを手伝っているアンジェリカ以外の子供達は、新しい玩具を手にした時のような目を輝かせて見ていた。

 

 「本当!? お兄ちゃん」


 子供達はしていた棚や床の掃除と汚れた布を放り出して、一斉に真田の所へと、ドタドタッ!!と、駆けだした。

 そしてあっという間に真田は子供達に囲まれた。

 より正確にいえば、パンを入れているビニール袋に集まっていた。

 分かっていた事とはいえ、微妙にショックを受けている真田は少し涙目だった。


 「そんなに慌てなくても大丈夫だ。パンは人数分買って来たから、1人1個ずつあるぞ」


 「「「やったぁぁあああああ!!!!」」」


 ゴールを決めたかのような歓声を上げるデリク達に、真田は微笑ましそうに笑みを浮かべていた。

 すると狼の耳をした少年が、レジ袋の中にパン以外の果物がある事に気付いた。


 「ねえねえ、見た事も無い白い袋に果物が入っているけど、これも食べていいの?」


 「ああ、いいぞ。君達に食べさせる為に買って来たんだから」


 子供達のテンションはジェットコースターのように急上昇し、


 「ありがとう、お兄ちゃん!」


 レジ袋の中から果物を取り出して、自分が仕留めた獲物ように持ち上げていた。

 真田は子供達にパンが入っているレジ袋を預けると、料理をしているクリューベに近付いた。


 「シスター。お昼はもうすぐ出来そうですか」


 「え、ええ。」


 「そうですか。‥‥‥うん、良い匂い」


 真田は鍋から立ち込める何とも香ばしい匂いに舌鼓を打っていた。


 「スープに丁度良く野菜の出汁が出ていますから、もう一煮立ち位ですかね」


 「それはお昼が楽しみだ」


 鍋が煮立つのを見ながら、クリューベは静かに口を開いた。


 「パンだけでは無く、果物まで買って来て貰って、有難う御座います。受けた恩をまだ返していないというのに」


 「ああ、気にしないで下さい。最初は仕方がありませんが、これに関しては好きでやっているだけの話ですから」


 クリューベは視線を鍋から真田へと移した。


 「難しく考える必要は無いですよ。信者の人から金銭や物品の寄付を受けるような感覚でいいと思って下さい。実際には寄付みたいなものですから」


 「それは此方としても、嬉しい申し出ですけど。‥‥‥サナダさんは宜しいのですか。偶々この教会に入っただけでしたのに。それに冒険者なのでしょ。収入は不安定と聞きますが」


 「気にしなくても大丈夫ですよ。この程度で困窮するような稼ぎはしていないですから」


 「あら? サナダさんは、その若さにして中堅位のランクにいるのですか」


 「いや、新人のランクアハトですよ」


 クリューベは思考が一瞬、止まりかけた。

 完全な部外者でアヴェドギルトのシステムや冒険者の収入などの詳しい事は分からないが、それでも帝都に居る以上、最低限の事は耳に入って来る。

 上位クラスになると、1回のクエストで見た事も無いような金額でクエストを請け負うが、新人ならば微々たる金額のクエストしかないと聞いた事があった。

 クリューベは少し慌てた様子で。


 「な、なら尚更じゃないですか。お金は大事ですよ。‥‥‥そりゃあ、寄付していただけるのは嬉しいのですが、まずは御自身の生活を第一に考えて下さい」


 クリューベのその言葉には、目に見えない重みがあった。

 お金の所為で生活がボロボロになりかけている実生活が裏付けてされていた。

 クリューベの心配を余所に真田は雑談をするかのように気楽なままだった。


 「シスターの心配は尤もですが、お金については心配ご無用です」


 真田はクリューベに近づくと、無意味なまでに声を小さくした。


 「実は帝都に来る前に一山当てましてな、当分の間は仕事をしなくてもいい程の褒賞金を貰えたのですよ。お金の有意義な使い方を知らない私が持っていても、それこそ宝の持ち腐れです。それだったら子供達の笑顔を見れるように使った方が良いかなと思いまして」


 何故かクリューベも真田と同じく声をひそませた。


 「そ、そうなんですか。で、では遠慮なく寄付を頂きますね」


 「はい。頂いてください」


 言い終わって見合う真田とクリューベは、何でこんな事を小声で話しているんだろうと思い始め、どちらからともなく小さく笑い出した。

 そんな2人をアンジェリカはとても不思議そうな顔で見ていた。

 だからポロリとこんな言葉が出た。


 「ねえ、お姉ちゃん。お兄ちゃんと付き合うの?」


 「えっ?」


 クリューベは最初は何言っているか理解が出来なかったが、言葉を反芻する事でその意味を理解した。

 それと同時に、顔は全身の血液が集まったかのように真っ赤になった。


 「な、なななな何言っているかな、アンジェリカ。だだだ、男性の方と付き合うなんて。ままま、まだ、考えてないわよ」


 クリューベは駆け足のように忙しそうに言うが、アンジェリカはマイペースそのものだった。

 

 「えっ? だって、お姉ちゃんとお兄ちゃんの2人で何だか良いカンジだったし、さっきだって2人だけしか聞こえないように、こそこそとお話ししていたから」


 「い、いや。それだけで付き合うという事には‥‥‥」


 「そうなの? 何だかお似合いに見えたから」


 子供の何気ない言葉を簡単に回避するだけの人生経験を積んでいないクリューベは、鍋をかき回しながら悶々と悶えていた。

 真田は面を食らって驚いていたが、次第に困ったなと苦笑するだけだった。

 クリューベは自分の恥ずかしさを誤魔化すかのように。


 「ささ、煮込んでいたスープが出来たから。どんどんと皿を持ってきてね!!」


 普段から順序良く並んでいるのか、食欲が身の丈以上にありそうな子供達が、目をキラキラと輝かせながら、何も文句一つ言わずにスープ皿を持って、クリューベの前に並んでいた。

 クリューベは1人1人から皿を受け取ると、不平不満が出てこないように出来るだけ均等に野菜と肉を注いでいた。

 受け取った子供はクリューベに礼を述べると、各々好きな場所へと座っていった。

 子供達が座って行く姿を見ていて、真田は嫌な予感が脳裏をよぎった。


 「(あれ? 俺の分の皿は?)」


 手持無沙汰の真田の手には子供達と同じようには皿を持っていなかった。

 てっきり誰かから渡されるだろうと考えていたのだが、如何やら甘い考えらしく。自発的に皿を取りに行かなければ、昼食にはありつけないらしい。

 真田としては自分の事は自分でするという孤児院の考えは基本的に賛成なのだが、かと言って他人の家で好き勝手にするのは、どうしても気が引けてしまい。行動に移せずにいるので、子供達の皿にスープと野菜を注いでいるクリューベの姿を微笑ましく見るかしなかった。

 並んでいた最後の子供がスープを注いで貰い、溢さないようにゆっくりとした歩調で、残っていた席に座って行った。

 これは鍋からの直接コースなのか!!と、わりと本気で真田が戦々恐々としていると、スープと野菜が入った1枚の皿が差し出された。


 「はい。これがサナダさんの分です」


 差し出したのはクリューベだった。

 最初から真田の分はクリューベが注ぐ事になっていたみたいで、鍋の近くにはもう1枚、自分用の皿が置かれていた。

 

 「ありがとうございます。シスター」


 鍋からの直接からでない事に安堵し、真田は皿を受け取った。

 中身を溢さないように丁寧に持っていくと、真田に最大の関門が待ち構えていた。

 それは何処に座るかだ。

 机の上には真田が買って来たパンとついでに買ってきた果物が、人数分に切られ他状態で皿の上に置かれていた。

 並べている椅子の殆どは、偶にしかない1人につき1個のパンという状況に目を星のように輝かせ子供達が座っており、空いている席は子供達に挟まれた対面の2つしか無かった。


 「(ええ!? あの中に入るのか。初対面同士であの中に入って行くのは中々ハードルが高いぞ!?)」


 野宿慣れをしている真田は床に座って、食べる事も出来るのだが、流石に自分以外は椅子に座って食べるという状況では、なんだか惨めな感じがして心が折れそうな予感がよぎり、何も出来ない子供のようにただ立ちつくすばかりだった。

 立ち尽くす真田を不思議に思ったのか、自分の分を持っているクリューベが声をかけた。

 

 「どうしたのですか、サナダさん。席に座らないのですか」


 「その席に座りたいのですが、何処の席に座ったらいいか」


 「何処でもいいですよ。基本的には何処に誰が座るというのは決まっていませんから。空いている席に座ってください」


 「そ、そうですか」


 真田は示す先であるクリューベと対面の席に座る事となった。

 真田が指定された席に座ると、クリューベが注目を集めるかのように咳払いをした。


 「皆、今日のお昼はサナダさんからの寄付のおかげです。お礼を言いましょ。‥‥‥せーの」


 『ありがとうございます!!!』


 「ど、どうも」


 一糸乱れない団体芸のように寸分の狂いなく礼を述べる子供達に圧倒され、真田は若干引き気味になっていた。


 「さあ、ヒュペリーオン様に祈りましょ。この教会にサナダさんを導いてくれた事と、このような食事を食べられる事に」


 クリューベは目を閉じると胸の前で手を組んだ。

 するとあれだけそわそわしていた子供達が、石像のように固まりクリューベと同じ格好をした。

 クリューベの言葉は鈴のように凛としてハッキリとしたものだった。


 「あらゆる言語を司りし我らが神、ヒュペリーオン様。貴方様の御加護のお蔭で、食事が出来る事を感謝します。ラーソン」


 『ラーソン』


 子供達が言い終えると同時に、クリューベ達は食事を始めた。

 貴族みたいに食事作法に則って静かに食べる訳では無く、顔を綻ばせながら楽しそうにスープとパンに舌鼓を打っていた。

 胸中にちくりと痛みを感じながら真田は少し微笑み、小さくいただきますと言うと、パンを千切りスープに浸して昼食を始めた。



 真田たちが昼食を取っている頃。

 大通りから少し外れた帝都の中級区にある、とある建物の2階の一室にオリエンス教会に乗り込んできた男達が居た。

 男達には教会で見せた威勢はそこにはなく、ただ親に怒られている子供のように大人しくじっとしていた。

 その部屋の壁には高名な画家が描いたと思われる風景画の油絵がかけられ、棚の上には細部まで精巧に彫られている高さが十数cmしか無い壺を担いだ女性の石像、口が広い楕円形の赤い壺等、見るからに高価な美術品が部屋の各所に置かれていた。

 しかし飾られている美術品に全体的な統一感は全く無く、部屋の主の財力を見せつけるだけの、いわゆる成金の思考の部屋だ。


 「それで、お前達は金を回収する事も無く、たった1人のガキを娼館送りにする事も無く、1人の冒険者に阻まれ、何も出来ずにおめおめと帰ってきた訳か」


 部屋の主であるゲールノート=アリングは、つまらない物を見ているかのような冷めた目で腕を組んで目の前にいる男達を見ていた。

 短い金髪で緑の瞳。白い肌。歳は中年ぐらいで、余程良い物を食べているのか饅頭のようにむくむくと太った身体をしていた。

 貴族が使っているような高価なシルク製の赤と黄色の服を着ているのだが、着用している人間の所為なのか、どうにも安っぽく見えていた。

 自身が立ち上げたアリング商会の元締めだ。

 アリング商会は消費者金融を中心に小規模ながらも帝都で展開していた。

 顧客は幅広く下級貴族から一般庶民にまで広がっていた。

 それは金を借りる際の審査が簡単である事と他では借りれないような低額からでも借りれる事が大きな要因となっていた。

 地方都市である程度の成功をおさめたのを契機に、意気揚々と帝都に乗り込んで来たのだ。

 リーダー格の男がゆっくりながらも頷いた。

 数瞬の後、ゲールノートは切れてはいけない物が切れたかのような音が聞え。


 「てめえら、ふざけているのか! ガキのお使いじゃないんだぞ!!」


 バンッ!!と、鈍い音と共に怒号が部屋中に響き渡り男達は一瞬、身体を竦めた。

 思いっきり机を叩いただけではゲールノートの怒りはおさまらず、胸中に溜まっているものを吐き出すかのように男達にぶちまけた。

 

 「お前達のその腕力は飾りか! 借りた金を返さないクズ共から金を回収する為にお前達を雇ったのだぞ! それなのに1人のガキに対して、大人数人が雁首揃えて何していたんだ!!」


 唾が飛び出ているかのような激しい怒号に、リーダー格の男は歯を食い縛って黙って聞いていた。


 「(現場を知らないからそんな事を言えるんだよ)」


 リーダー格の男の思いは、その場にいる男たち全員の思いそのものだった。

 現場にいる人間と指揮を出す人間の認識の相違が出て来るのは、どうしても避けられない。

 それは人間は自分の目で見たものしか信じない性質にあった。

 体験した人物から何度も詳細な情報を聞いても、要領が得ない態度を取ってしまう。

 しかしその光景を1度でも見たら、その限りでは無くなる。

 そこで初めて先に体験した人物と共感する事が出来るようになるのだ。

 だから危険性がある場合は、聞いている人間に如何に危険性があると思い込ませるという作業に徹するのだが、男達の場合はそれを怠ったか。それともそれが言えない状況に追い込まれていたのか、定かでは無かった。

 ゲールノートは言いたい事を言って少しスッキリしたのか、落ち着きを取り戻した様子になった。


 「‥‥‥という事で、お前達は明日から来なくていいぞ」


 ゲールノートの言葉を理解するのに、数秒の時間を有した。


 「‥‥‥ど、どういう事ですか!?」


 「そのままの意味だ。与えられた役目を満足に出来ん無能は儂の部下には必要ない」


 切り捨てるかのようなゲールノートの言葉に、男達の顔には焦りの色が滲み出ていた。

 もしこのままゲールノートに切り捨てられれば、学の無い自分が何処かへと職に就くなど不可能に近く、今まで自分達が見て来た者達と同様に路頭に迷う自分達の姿が、簡単に想像出来たからだ。

 だからこそ与えられた役目をきっちりとこなしていたのだ。

 それを何としてでも止めさせようと、男は珍しくゲールノートに喰らいついた。


 「ちょ、ちょっと待ってください。今回は偶々何も出来なかったですが、今までは払えなかった奴らを指示通りにしてきました。それをたった1回の失敗で全て無かった事にするのは」


 後ろにいる男達はリーダー格の男に同調するように、うんうんと頷いていた。


 「ボス。はっきり言って、あれは俺達で対処できる範囲を完全に超えています。俺達だって新入りじゃないんです。この世界のルールやえげつなさというものを、ある程度は理解しているつもりです」


 ですが。と、男は付け加え。


 「邪魔したガキはあれは異常です。イザコザが日常茶飯事のこの世界でもその異常さが際立つぐらいに。俺達の中で1番腕っ節が強いアイツがまるでゴミのように吹き飛ばされ、まだ目が覚めていないんです。それに触れてもいないのに2人も同じように飛んで行ったんです。そんな人間が居るなんて、聞いた事も見た事も無いです」


 「‥‥‥だから、金を回収出来なかったのは仕方が無いと?」


 男は躊躇いながらも頷いた。

 考え込むかのようにゲールノートは、椅子の背凭れに背中を預け腕を組んだ。


 「(この事態の放置して考えられる危険性は2つ。まず1つは金を借りている債務者が図に乗る事だ。‥‥‥この1件が広く知られれば、アリング商会は大した事無くどうにか出来てしまうと思われるだろう。そうなれば金の回収に遅延を及ぼす可能性が出て来るな。‥‥‥それよりも厄介なのが、同業者に対する牽制の低下だな)」


 ゲールノートは厄介な事案に知らずの内に、眉間に皺を寄せた。


 「(地方都市での成功を基盤とし、今は帝都でも順調に縄張りを拡張させている。だが、それでも帝都では新人扱いで、発言力なんて無いに等しい。しかし、それに甘んじる儂では無い。のし上がっていき、1番の座に座ってやる。‥‥‥だからこそ、大事な今はこのような些細な事でコケる訳にはいかないのだ)」


 部屋の中は耳が痛くなるほどの静寂に包まれ、自分達の人生に大きく左右するかもしれない言葉を、男達は固唾を飲んで黙って見ていた。


 「よかろう。今回はお前の言葉を信じ、この件に関しては責任を問わん」


 男達は自分達の首の皮1枚つながったことに安堵した。

 本当は信用なのでは無く他の商人達に知られる前に、何とかクリューベの件を終わらしたいという100%の打算の上なのだが、男達が気付く事は無かった。


 「だが」


 緊張の糸が目に見えてゆるんでいくかのような雰囲気を壊すかのように、ゲールノートは極めて平坦な声を出した。

 

 「次は無いと思え。貸した金を回収して来るか。シスターを娼館送りにしてくるか。何かしらの成果を挙げなければ、地獄を見るのはお前達の方だからな」


 その意味を知る男達は強張った顔で、コクコクと首の骨が折れるかのような勢いで何度も頷いた。

 男達の態度に満足したのか微笑みを浮かべた。


 「何も出来なくて無能なお前達に寛大で有能な儂が良い物を一つやろう」


 ゲールノートは言い終わると机の備え付けの引き出しから、麻の紐で括り付けている紙の束を取り出した。

 尊大に物を言ったゲールノートに若干苛つきながらも、これ以上の反論は自身の立場を悪くするだけと考え、何ともないように装い紙の束を捲るゲールノートを見ていた。


 「‥‥‥おっ、これだこれだ」


 目当ての物を見つけたのか、ゲールノートは破らないように丁寧に紙を引っ張り出した。


 「ボス、それは‥‥‥」


 「ああ、これがあれば無能なお前達でもどうにか出来るだろう」


 ゲールノートから男は、色々な文言が書かれた紙を受け取った。

 男は紙を食い入るようにまじまじと見ていた。


 「ボス、ありがとうございます。これであのガキに邪魔されずにシスターから金を取り出す事が出来ます」

 「そうかいそうかい。ならさっさと成果を示して来い」


 男は深々と腰を折ると、後ろにいた男達と共にゲールノートから渡された紙を持ち、部屋の外へと出て行った。

 部屋が再び静寂に包まれる中、ゲールノートは思考に浸っていた。


 「(あいつらにはああは言ったが、回収出来るかどうか半々だな。相手が怒り狂って無効だと騒いで紙でも破られたら、そこであいつらの優位性が無くなるからな。‥‥‥やはり別の手段を考えた方が、得策かもしれんな)」


 ゲールノートは経験則からどういった方法が合理的で効果的なのかを弾き出す為に、思考の海にますます浸って行った。



 昼食を食べ終わった真田は食器類の後片付けをクリューベに任せ、真田は暇を持て余していたデリク達に暇潰しにと、話を聞かせていた。

 

 「‥‥‥こうして紅き竜と銀の剣士は止めに入った女神様に仲良く怒られ、お互いの強さを認め合い、仲良く暮らしていきましたとさ。お終い」


 言い終わると同時に部屋は拍手で一杯となった。

 真田はそんな拍手を貰う程の話じゃないだよなと戸惑いながらも、拍手に礼をして答えていた。

 デリクは星のように目をキラキラと輝かせていた。


 「凄い凄い、お兄ちゃん楽しいお話ありがとう」


 「どういたしまして、楽しんだようで何よりだ」


 「‥‥‥でも、お兄ちゃんが言ったような竜って本当に居るの?」


 「ああ本当だとも。この地上で善悪問わず最高神と言われている神々と同時に混沌から生まれ、他の神々が畏敬の念を抱く程の古参の存在だというのに、自らが強者と認めた戦いたいという悪癖の所為で呆れられているの現状だけどな」


 真田のそれは非難しているように聞こえるが、どこか羨ましさが滲み出ていた。


 「そんな竜が居るのだから、世界というものは広大だ。私達が想像が及びつかない事だって起こり得る」


 「ほへぇー。世界って広いんだね」


 漠然とした思いで納得しているデリクを、真田は微笑ましく見ていた。


 「(まだ小さいから世界というもの理解出来てい無いんだな。まあ、無理して理解するものでも無いし、理解しようとする日が来ればそこから始めればいいだけだ。‥‥‥俺も世界を理解しているかと問われれば、判断に苦しむがな)」


 真田が自身が傲慢にならないように戒めていると、隣の椅子にクリューベが座ろうとしているのに気付いた。周囲にはクリューベの手伝いをしていた少女達も居た。

 如何やら昼食に使った食器類の後片付けが終わったようで、休憩にと椅子に座っていた。

 クリューベは視線を床から真田に移すと、申し訳無さそうにした。


 「すみません、サナダさん。昼食を買って来て貰ったばかりか、子供達の相手までして貰って」


 「別にいいですよ。私も子供の相手をするのは楽しいですから」


 真田は近くに居たアンジェリカの頭を優しく撫でた。

 それはアンジェリカをあやすというものでは無く、自身の欠けている部分を補っているように見えた。

 アンジェリカは目を閉じて気持ちよさそうにしていた。

 クリューベは胸中に溜まる疑問を吐露するかのように口を開いた。


 「あの、お話に出て来た紅き竜というのは分かりますが、でも銀の剣士はどなたなのですか。サナダさんの話ぶりからすると、話の舞台は神々が住まう天上の地。前にヒュペリーオン教の本山で、ヒュペリーオン様と共に世界の創世に関わった神々の話を勉強しましたが、銀の剣士というのは一切出てきませんでした。‥‥‥その方はどういった存在なのですか」


 「一言で表すのなら、放蕩者。ですかね」


 「放蕩者ですか」


 クリューベは意味が分からず首を傾げた。


 「ええ」


 答える真田の言葉は何処か蔑むかのようなものだった。


 「神の力を手に入れたのにそれを使わ無かった所為で、守るべき筈のたった1つの大切な『もの』を放棄する羽目になり、世界のあらゆる場所を放蕩している只の人間ですよ。‥‥‥いや、人間ですら無いか。存在している事すら間違っているというのに」


 「サナダさん?」


 明らかに様子が変わった真田をクリューベは怪訝な顔で見ていた。

 真田は話題を変えるかのように意識して明るい声を出した。


 「ああ、雰囲気がへんになってしまいましたね、すみません。‥‥‥詫びに皆に良いものを見せよう」


 「良いもの?」


 デリクの疑問に真田は答える代りにノーシェバッカスを発動させ、亜空間から全長が数十cmの動物のぬいぐるみを十数体、机に出した。

 それは子供に受け入れられるように、全体的にデフォルメ化している日本の各地のお祭りのくじ引きの露店にあるようなワニ、トラ、ライオン、クマ等のぬいぐるみだった。

 全て真田がくじ引きの露店で引き当てたものだ。

 見ていたクリューベ達は何も無い虚空から、見た事も無い物体が出てきた事に驚きの色が濃い瞳で見ていた。

 真田が驚いている子供達を少し離れさせ、ぬいぐるみを床に横一列に置いていると。


 「サナダさん、並べているそれは何ですか」


 「これは子供の玩具として作られ、中身を綿を詰めて色々な動物の形をした柔らかい人形ですよ」

 

 「それが人形ですか。そのようなものは初めて見ました」


 クリューベ達は初めて見るぬいぐるみに興味津々なのか、食い入るようにじっと見ていた。

 クリューベ達にとっては人形とは、雪のような白い肌に輝くかのような金髪。 貴族の令嬢が着るようなフリルが付いた煌びやかな服を着ており、所有者の願望を叶えるために無表情の顔をした人の形をしたものを指していた。

 それが動物で見た事も無いような色鮮やかなものが人形とは、結びつかなかった。

 アンジェリカは視線をぬいぐるみから外さず、真田へと声をかけた。


 「ねえねえ、お兄ちゃん。そのお人形さんどうするの。貰っていいの?」


 「そうだが。だけど、その前にやる事があるから待っていてくれ」


 「やること?」


 真田は再びノーシェバッカスを発動させ、魔術を発動させるのに必要なアウク

シリアを真田が認識出来てクリューベ達から見えない場所に出した。

 真田は床に置いたぬいぐるみに翳すように手を出すと、ぬいぐるみを中心に幾何学模様が描かれた魔法陣が展開された。

 そして荘厳な儀式を執り行うかのように静かに口を開いた。


 「哀れな無機なる者達よ。仮初めの骨を持って我が命に答えよ。‥‥‥エスケレート」

 

 真田が言い終わると同時に並べられた全てのぬいぐるみは淡い光に包まれた。

 オーロラのような幻想的な光景に、クリューベ達は感嘆な声を上げて驚いていた。

 ぬいぐるみを包んでいた淡い光は、ある一定の輝度をに達すると徐々に燃料が枯渇した火のように収束していき、最終的には何も無かったのように消え去った。

 それと同時に。

 ぬいぐるみに変化が起き始めた。

 文字通り置物だったぬいぐるみの脚の部分が、小刻みにだが動いていた。

 クリューベ達がぬいぐるみに起きた変化を固唾を飲んで見ていると、本物と同じ毛色をしているトラが、いきなり子供達の方へと駆け出した。


 「わぁっ!?」


 「きゃぁっ!?」


 突然の事態に子供達は構える事できず、駆けるトラを避けようとし、身体のバランスを崩し尻餅をついていた。

 トラが駆け出した事が皮切りにワニ、ライオン、クマ等の他のぬいぐるみ達が一斉にバラバラの方向に駆け出した。

 そして。

 あっという間に部屋の床はぬいぐるみ達の運動場と化した。

 よく見るとどこかぎこちない動きしているが、自分勝手に動いているぬいぐるみ同士でぶつかるというのは無いようだ。

 十数体のぬいぐるみが床を縦横無尽に走っているという自身の処理能力を超えた光景に、クリューベ達は床を擦って歩くワニのように大きく口を開けて見ていた。

 それは直ぐに真田への羨望の視線と変わった。


 「すごいすごい、お兄ちゃん!! お兄ちゃんって魔法使いさんなの!?」


 「ああ。敵を倒す戦いから洗濯や料理等の家事まで何でもござれの魔法使いだよ」


 「それじゃ、お姉ちゃんと一緒だね。お姉ちゃんも魔法を使えるんだよ」


 「ほお、そうなのか」


 真田がアンジェリカからクリューベに視線を動かした。


 「まあ、水系統の初級魔術なら」


 クリューベは何処か恥じるかのような表情をしていた。

 なまじ魔術というものを聞き(かじ)りをしているから、真田か持っている物がどれだけ凄いのか理解出来てしまい、初級程度しか出来ない自分に恥じていた。

 クリューベの様子を尻目に真田は風船のような気軽さでこう言い放った。


 「さあ、皆。欲しいぬいぐるみがあったら、自分の手で掴み取るんだ」


 呆然と聞いていた子供達は、見た事も無い物への物珍しさが手伝ってか、我に返ると一目散に自分が欲しいぬいぐるみへと走って行った。

 デリクは男の子らしくトラのぬいぐるみを追いかけ、アンジェリカは女の子らしくウサギのような可愛い系を追いかけると思いきや、ライオンという真田の予想の斜め上を行っていた。

 ドタドタドタドタドタッ!!!と、大地を固い物で押し固めるのような足音が鳴り響くと共に

 そっちいったよ!!、まてぇぇ!!と言った子供達の楽しそうな叫び声が、教会に併設された孤児院から絶え間なく響いていた。

 床が抜けおちそうな光景にクリューベは顔を顰める事無く、目の前の走り回る子供達から目を離す事無く真田に話しかけた。


 「サナダさん、ありがとうございます。あんな楽しそうな子供達の顔を久しぶりに見れました」


 「お礼を言われるほどでも無いですよ。‥‥‥私は人工的な骨や爪を与えて、ぬいぐるみ達の動きたいという意思を後押ししているだけですから」


 端的に表せば真田のした事はそれに尽きた。

 無属性補助系魔術、エスケレート。

 人形やぬいぐるみといった自立が出来ない無機物に、物体に含まれている魔素を媒介にし、術者の魔力を物体に流し込み人為的に無機物にとって最適な行動に必要な骨や爪を高密度に作り出す魔術。

 カドモニアの森防衛戦で戦ったテラン王国の魔法人形(マジックドール)に似たような構造だが、根本的に大きく違っていた。

 同じ無機物を動かす魔術だが、魔法人形(マジックドール)は核となる魔石が埋め込まれているので、無機物の意思とは無関係に人形として動かす。

 しかしエスケレートは基本的に無機物の意思を尊重した魔術だ。

 そこに術者の意思は容易に介入できず、無機物がしたい行動を阻害出来ないでいた。

 だが、術をかけた無機物が他者に危険を及ぼすと判断された際には、術者が強制的に行動を制限できる権利を有していた。

 娯楽用として開発された魔術で、戦闘の際には無機物の意思が、戦いそのものを阻害する可能性が大いに考えられ、あまり見向きされなかった魔術だ。

 真田が覚えた際には、これ使う場面が来るのかと首を傾げる程だった。

 使ったのは練習と今回で2回目で、ちゃんと作動するか真田自身、半信半疑だった。


 「えっ!? それはどう意味で‥‥‥」


 クリューベが真田の真意を問いかけようとしたら中断するかのように、言い争う声が耳に飛んで来た。

 

 「これは私が先に捕まえたから、私のなの!」

 

 「いいや、俺が先に掴まえたから、俺のだ!」


 1体のライオンのぬいぐるみの所有権をめぐって、アンジェリカと狼の耳の少年が、互いに犬歯を剝き出しにして激しく主張し合っていた。

 2人のぬいぐるみを掴む手の力は、中身の綿が押し潰されるほどだった。

 もしぬいぐるみに声が備え付けられたら、耳を裂くかのような悲鳴が部屋中に響いてだろうなと、真田はライオンのぬいぐるみに思わず同情の念を送った。


 「こらっ! 何しているの、そんな事をしちゃいけません!」


 クリューベの一喝に怯んだのか、2人の手の力が抜けたのが目に見えた。

 ほんの1瞬、ぬいぐるみが安堵の表情をしたのを見えたのは、真田の見間違いだっただろうか。

 クリューベは慌てて椅子から立ち上がり、2人に近付きぬいぐるみを取り上げた。

 腰を下ろし怒られた事により項垂れる2人の目線に合わせると、2人の行為を非難すると共に物を大切する事への意義を丁寧に言い聞かせていた。

 何処にでもあるような目の前の光景を、真田は眩しそうに目を細めて見ていた。


 ぬいぐるみ騒動が終わり、真田は静かに教会の椅子に座ってヒュペリーオン神の石像を眺めていた。

 それは久しぶりに会った人物を見ているかのような懐かしむ目のように見えた。

 物音一つしない静寂の中、真田は物言わぬ石像と対話するかのようにじっと見つめていた。

 すると。


 「サナダさん」


 静かだがはっきりとした自分を呼ぶ声に真田は、瞳に宿った全ての色を消すかのように瞬きすると、声がした方へと顔を動かした。

 大部屋へと繋がる扉から顔を出していたのはクリューベだった。

 クリューベは身体を出して扉を閉めると、真田の方へと歩き出した。

 その手には一番最後まで残ったワニのぬいぐるみを持っていた。


 「シスター。子供達の様子はどうですか」


 「皆、奥の部屋でぐっすりと眠っていますよ。余程疲れたのか、中々眠らない子もベットに入ったら直ぐに寝ましたよ」


 「確かに。あれだけ室内であれだけ騒げば、疲れて寝てしまいますよね」


 真田は繰り広げられたぬいぐるみと子供達との追いかけっこを思い出して笑っていた。

 クリューベも思い出し笑いをしていた。


 「先程は子供達に楽しい時間をありがとうございます。子供達の笑顔が見れて本当に良かったです。‥‥‥ここ最近は私が不甲斐ないばかりに、子供達の顔を曇らせてばかりだったので」


 クリューベは這い上がれない穴に落ちたかのように落ち込んでいき、表情を曇らせていた。

 真田は勢いよく椅子から立ち上がると、クリューベの両肩を離さないようにがっちりと掴んだ。

 ビクッ!!と、驚きで肩を震わせたクリューベを無視したまま、真田は続けた。


 「それは違います、シスター」


 それは静かだが、とても力強い声だった。


 「貴女は不甲斐ない訳では無い。今は状況に押し潰されて、皆が幸せになれる答えを導き出せていないだけだ。‥‥‥それに貴女は子供達を幸せにしようと抗っている」


 「そ、そんな事が何故分かるのですか」


 「それは子供達の様子を見れば、初見の私でも一目瞭然で分かります。貴女を1番見ているのは子供達です。何と状況をひっくり返そうともがき苦しんでいる貴女を見て、少しでも助けようと思った筈です。だから朝に起きたあのような出来事があったのですよ。それは不甲斐なさでは無い。本当に不甲斐ない奴は状況に押し潰され、何もしない奴の事を言うのだから」


 クリューベは何故、無暗に他人を傷つけるような事をしない子供達が、あのような凶行に走ったのか薄々気付いていた。

 だが。

 それは。

 クリューベは暗く激しい失望感に覆われたかのように項垂れ、ポツリと呟いた。

 

 「私は不甲斐ないのです」


 無風の静けさが戻った教会では、嫌に真田の耳についた。

 そして肩を掴んでいた手を真田は何も言わず、沈痛な面持ちで静かに離した。


 「そうですか。‥‥‥それではシスター。お昼御馳走になりました」


 真田は軽く頭を下げると、身体を扉の方に向け歩き出した。

 クリューベは遠ざかる真田の背中を何か言いたげな表情で見ているが、言う資格が無いと感じているのか口を閉ざしたままだった。

 真田が数少ない椅子を通り過ぎると同時に、教会の扉が静かに開け放たれた。

 クリューベは来客かと沈んだ気持ちを何とか奮い立たせて、何時ものように営業用の笑顔(ビジネススマイル)を浮かべるが、それは一瞬で霧のように霧散した。

 入ってきたのは借金取りの男達だったからだ。


 「ツィスカちゃーん、また来たよ」


 クリューベの脳裏には条件反射のように男達が教会内でした事が、今見ているかのように鮮明に映し出され。身体は震えというものが差し込まれたかのように、小刻みに動いていた。

 クリューベは思わず何かを握ろうと手を動かすが、その先には何も無く空を切った。

 何も無かった事に驚きつつも、クリューベは何かに頼ろうとした自分に内心驚きに満ちていた。

 真田は胸中に広がる不快さを必死で抑えつつ、極めて平淡にしていた。


 「何しに来たお前達。言っておくがシスター達に手を出したら、先程のような生易しいもので終わると思うなよ」


 「それは大丈夫だ。今回は俺達からは一切、手を出す事は無い。すべて上手くいけば平和的にすべてが終わるだけだ。‥‥‥用は前と変わらず、ツィスカちゃんにお金を返して貰いに来ただけだからな」


 真田たちに見せつけるかのように、男は持っていた1枚の紙を広げた。

 その紙には上から順に金を借りた日付、クリューベの名前とアリング商会の名。クリューベがアリング商会から1万フラル借りた事。そして借りた金額を借りた日から2ヵ月で分割して返す事。その金額を全額返すまでの期間内に利息が発生するを旨とした記述。それらを了承したとのクリューベのサインが書かれていた。

 男が持っていたのは日本でいう金銭(きんせん)消費(しょうひ)貸借(たいしゃく)契約書(けいやくしょ)だった。

 銀行や消費者金融などの金融機関から個人がお金を借りたとの証明となり、返済期間や利息、遅延した場合の損害金などの処置を取り決めを記載した契約書だ。

 男は契約書を何処ぞの御隠居の印籠のように掲げると、こう言い放った。


 「あんたが借りた1万フラルを返すまで発生した利息分、200万フラルを今日こそ返して貰うぞ!」


 クリューベは胸中に激しく渦巻く激情を我慢するかのように、奥歯を砕くかもしれない程に噛み締めた。


 「(そんなお金返せる訳がないのに)」


 クリューベは男達に文句を言いたくなるが、今言った所で何かが変わる訳では無いと、胸の中に文句をしまい込んだ。

 金融の知識は全く無く明るくないが、それでも1万フラル借りただけなのに、利息がその200倍の200万フラルという利息は横暴すぎると男達に抗議をしたが。そういう契約書にサインしただろうと盾に取られて、何も言えずにいた。

 これが街の中心にあるストラブール大聖堂のように、立地条件と外観の良さに引き込まれた大勢の参拝者からの拝観料、また大勢の信者からの寄付があれば返す手立てが立つだろう。

 だけれどもこのオリエンス教会はただ古いだけの小さな教会。贅を凝らした外観や信者の数も遠く及ばない。

 そんな教会で200万という大金を用意できる訳が無かった。

 どうしようもない現状に黙っているだけのクリューベに男は業を煮やしながら。


 「どうしたのかな、ツィスカちゃん。今もお金は返せないの? 別に俺達はそれでも構わないけど、今まで通り毎日来ちゃうけどそれでもいいの。それだと色んな人に迷惑をかけると思うけどなぁ」


 「ですから、言っているようにそんな大金は今すぐには用意出来ません」


 「そんな事は分かっている。だから俺達が紹介する娼館で働けばいい。男達に色んなサービスをして、その娼館の稼ぎ頭になれば直ぐに借金を返せるぜぇ」


 人を不愉快にさせるかのような撫で声をするが、男達に余裕は無かった。

もしここで失敗すれば自分達が転がり落ちるのが目に見えており、何ととしても回避する為に話の流れの主導権を握るのに虚勢を張っていた。

 事前に打ち合わせをしていたのか、他の男達の余裕の表情が崩れる事は無かった。

 しかしそんな事を知らないクリューベの心に確実に突き刺さった。


 「‥‥‥そこに行けば借金を返せるのですか」


 「ああ、それは保障するぜ」


 それはクリューベの心を揺るがすのに十分だった。

 ヒュペリーオン教ではシスターが処女である事に重要視していない。

 本山に居る枢機卿には結婚し子供を設けている人だっている。重要なのは処女という見せかけでは無く、真に信仰を尊ぶ心だと教えを説いている。

 クリューベも何時かは好きな人に処女を捧げたいと考えていた。

 それが娼館で名も知らない男に捧げる事に非常に抵抗を感じていた。

だが。


 「(このままだと私が皆に迷惑をかけてしまう)」


 そんな強迫めいた思いがクリューベの全身を支配しようとした。

 とある事情でお金が必要なのは仕方が無かった。それは別に気にしていない。

だけど、その後はどうなのだろう。

 生活費が足りないから責任者であるシスターに無断で、簡単に借りれるとの噂のアリング商会からお金を借りてしまい、借りた額は返したのに利息分が払われていないと男達が乗り込んで来た。

 それは。


 「(私が居るから)」


 お金が返せないと分かると教会内で物が壊れようとも構わず暴れ回り、教会には壊された椅子、机、蝋燭立て等の残骸が散乱した。

 それも複数に亘って。

 それは。


 「(不甲斐ない私が居るから)」


 その度に有志の信者や子供達と共に修理してきた。回避出来たであろう苦労を 重ねてしまった。

 それは。


 「(お荷物の私が居るから)」


 無暗に他人を傷つけるような事をしない子供達が、人を傷つけるような真似をした。

 それは。

 それは。

 それは。


 「不甲斐ない私がこの教会にとって邪魔でしかないから」


 この呟きは決定的だった。

 まるで大量の黒の絵の具で持って白から強引に黒に変化したかのようだった。

 今まで現実と見て来たものが、虚構でそこに元から何も無かったかのように見えなくなってしまった。

 瞳に何も映さなくなったクリューベは、金槌(かなづち)を2回全力で振り下ろされた玩具かのような遅さで首を子供達が寝ている部屋へと向けた。

 スヤスヤと楽しい夢の中に居る子供達に、クリューベは誰にも聞こえない声で小さく呟いた。

 

 「皆、今までごめんね。お姉ちゃん、やっぱり駄目だった」


 クリューベは魂を失いただ歩いているだけの渇いた歩きで、男達に向かって歩き出した。

 莫大な借金をした不甲斐ない自分が、この教会を守るためにはこうするしかないと。

 男達はそんなニヤニヤと勝利を確信した笑みを浮かべていた。

 カツカツと乾いた足音を立てるクリューベが真田の後ろ姿を見ると。


 「(すみませんサナダさん、折角助けていただいたのに。出来ればこの後もこの教会に来て、子供達の)」


 真田はクリューベの思いを中断させるかのように、左腕を水平にしその歩きを止めさせた。

 これにはクリューベは目を見開き驚きが隠せないでいた。

 男達も同様に驚ていた。


 「サナダさん、この手を除けて下さい。‥‥‥私のような不甲斐ない人間が居るから、この教会や子供達に迷惑が掛かってしまうのです!!」


 身を裂くかのような悲痛な叫びをクリューベがあげるが、クリューベの言葉を無視して男達に問いかけた。


 「その利息分を払えば、この教会には来ないのだな」


 男達は事態の展開についていけず惚けたままだった。

 真田は普段出す事の無い緊迫した声で再び問いかけた。


 「利息分200万フラルを払えば、もうお前達はこの教会に来ないのだな」


 「‥‥‥あ、ああ。俺達は利息分200万フラルを払って貰えば、この教会に来る事は無い。‥‥‥誰が好き好んでこんなオンボロ教会に来るかよ」


 「その言葉、忘れるなよ」


 真田は言い終わると同時にノーシェバッカスを発動させ、あるものを取り出した。

 それはカドモニアの森防衛戦の報酬として、半ば押し付けられた長老からの褒賞金が入っている袋だった。

 真田は基本的にはあまりお金を使う人間では無いので、普段はクエストの褒賞金で生活していた。

 褒賞金を使ったのは帝都に入る時、ギルトの加入金、宿屋の支払い位で、全体的に見れば1%も満たない金額しか使っていなかった。

 クリューベと男達が見守る中、真田は袋から1枚の金貨を取り出した。

 それはアウム大金貨で、フィルド帝国で流通している硬貨の中で最も価値が高く、1枚で10万フラルの価値がある。

 クリューベと男達が中々目にしない硬貨の出現に、食い入るように見ているが。真田はそんな事気にせずにアウム大金貨を袋から取り出してた。

 手に取ったアウム大金貨が20枚になると、男達に突きつけた。


 「ほらよ、200万フラルある。これで足りるだろ」


 「‥‥‥ああ。確かに200万フラルあるな」


 男は数え間違いが無いか慎重に確かめていた。如何やらきっちりと合ったらしい。


 「それと」


 真田は誰にも見えない速度で男から契約書を奪い取った。


 「な、何するんだてめえは!?」


 「ただの保険だ。このまま契約書を持たせてお前達を帰したら、後日改めて金払えと言い出しそうだからな。それを防ぐのに必要だからな」


 「そ、そんな事をするわけないだろ」


 男は否定をするが動揺を隠せないでいた。

 クリューベは強引にまで事を進めようとする真田を、違う生き物を見ているかのような驚愕の目で見ていた。


 「さて、利息分のお金は払った。お前達が此処に居る必要性は無い、さっさと出て行きな。‥‥‥それともなにか、私の拳を受けたいのか」

 

 真田は腰を少し下ろし、何時でも右ストレートを放てる態勢を取った。

 ちょっと真田の拳にPTSDになりかけている男達は、首を痛める事に考慮しない速さで首を振った。


 「そ、そんな事は全く無いぞ。それはお前の考えすぎだ。‥‥‥それじゃ、ツィスカちゃんまたお金に困ったら、アリング商会をよろしく!」


 男達はそんな捨て台詞を吐くと、脱兎の勢いで教会から出て行った。

 再び静寂が訪れた教会には真田とクリューベが佇むばかりだった。

 あまり目の前で起きた事態を上手く飲み込めていないクリューベは、真田に声をかけようとするがなんて声をかければいいのか分からず、口を開いたり閉じたりしていた。

 真田はふうと溜め息をつくと、契約書を丸め亜空間から取り出した輪ゴムで止め、クリューベに渡した。

 

 「はい、貴女を縛っていた契約書です。これが此処にある以上、あいつらも強く言えないですから、何処かに厳重に保管して置くといいでしょう」


 「はっ、はぁ‥‥‥」


 差し出されて思わず受け取ってしまったクリューベは、どうしていいか分からず呆けたままだった。


 「シスター、楽しい一時をありがとうございます。子供達によろしくとお伝えください。‥‥‥では、これで失礼します」


 真田は軽く頭を下げ教会から出ようとしたが、それを阻むかのように小さくとも確実に服が引っ張られた。

 真田が怪訝な顔で引っ張られた方向、後ろを向くとクリューベが真田の服を引っ張っていた。

 

 「どうしたのですか。シスター」


 「え、えっ!? ‥‥‥あ、あの。そ、その、ですね」

 

 無意識ながらも自身がした事の衝撃に驚きに満ちて、上手く言葉が出ず、単語だけを言っているだけだった。

 如何やらクリューベ自身、何故そうしたのか分かっていないようだ。


 「(なななんで私はサナダさんの服を掴んでいるの!?)」


 咄嗟の行動にクリューベは混乱にきっしていた。

 掴んだのかは明確には解らないが。


 「(もしあの時、サナダさんをそのまま帰してしまったらもう二度と会えないような気がしたから)」


 真田は嫌な顔をする事は無く、不思議そうな顔をしていた。


 「あのシスター。あんまり服を引っ張ると伸びてしまうのですが」


 真田からのやんわりとした注意を受けるが、クリューベは頬を紅潮させて俯きながらも手を離そうとしなかった。

 クリューベは今に消えそうな小さな声で。


 「あのサナダさん、お腹空いていませんか。ポトフの残りがありますので、食べて行きませんか」


 突然の全く脈絡の無い問いかけに特大の疑問符を浮かべそうになったが、真田としては別段断る理由も無いので。


 「ええ。お願いしてもいいですか」


 その言葉が成長に必要な水や肥料となったようにクリューベの顔は、満開の花のように朗らかな笑みとなった。


 「はい。今から温め直しますから、先に部屋に行ってますね!」


 ステップを刻むかのような軽い足取りで、クリューベは炊事場がある奥の部屋へと消えて行った。

 真田はそんなクリューベを、女の子ってよく分からないと首を捻っていた。


誤字脱字がありましたら、御指摘の方を宜しくお願いします。


仕事で忙しかったとはいえ、この遅筆を何とかしたい!!!


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