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クアットゥオル・シーズン  作者: 二郎
第4章 フィルド帝国
40/65

第39話 初心者講習 2日目昼~夜

 マリアンヌが真田と出会う少し前。

 マリアンヌは自分と同じ背丈の少女によって、右手を強引に引っ張られながらノーウェイの森の奥地を縦横無尽に走っていた。

 服装は煌びやかな舞踏会や盛大なパーティーで着る、職人が年月をかけて丹精込めて作り、公爵家の娘として相応しい宝石で彩られたドレスでは無く。外に出かけて汚れても構わない、真田やメアリーが着る服に似せたライトブルーの服を着ており、右腕には魔術道具である金の腕輪を填めていた。お気に入りの白のマントを羽織り、茶色で革製の手袋を嵌め、靴を履いていた。

腰には草が大量に入った袋を下げていた。

 しかし所詮は似せて作られた物、材質は最高級品のシルクで編まれ、肌触りは格段に違っていた。

 マリアンヌを引っ張る少女の名はエステル=バレル。マリアンヌとは幼少の時からの付き合いで、幼少期は遊び相手、時が経つと専属のメイドとなった経緯を持つ。

 赤髪のショートで紅の瞳。マリアンヌと同様の素材の蜜柑色の服を着ていた。また、関節部にアランと同じ銀色に輝くプロテクターを装着し、腰には2本の短剣を下げていた。

 余計な物を装備していないのは、その少女の気質と戦闘スタイルを如実に表していた。

 エステルは多少息を乱していたが、それも誤差の範囲内と言わんばかりに、その走りに乱れは見られなかった。

 一方で肩で息をするマリアンヌは木の根に足を取られそうになりながらも、懸命にエステルの速さに合わせていた。

 距離にしてはそんなには走っていない筈なのに、日頃の運動不足が祟ったのか心臓はけたたましいサイレンのようにけたたましく鳴り響き、口はご馳走を目の前にした子供のようにだらしなく開けて、頬は風呂上がりのように紅潮し。需要と供給のバランスをとるかのように激しく動く肺に押されて、横隔膜が肋骨に接触したかのような痛みが突き刺していた。

 マリアンヌは今すぐにでも立ち止って、胸に走る痛みを取り除きたかった。

だが、マリアンヌは走らなければならなかった。

 後ろから迫り来る8の脅威から逃れるために。

 マリアンヌ達を追いかけて来るのは黒い魔狼、ネーロウルフだ。

 走る事に特化したすらりとした体形で、全身を黒い毛で覆われていた。

 真田がカドモニアの森で出会ったカヌスウルフが小型化した魔物だと言われているが、一方でネーロウルフが突然変異で大型化してカヌスウルフになったとも言われている。

 ネーロウルフは血のような赤い瞳に各脚には4本の鋭い爪があり口の中に鋭い牙を2本隠し持ち、その鋭い牙を獲物の喉元に突き刺し、窒息死させて獲物を喰らう。

 魔物としてはゴブリン並とされ、ランクアハトの新人冒険者でも打ち取る事は可能だ。

 だが、それは1匹の場合による。

 ネーロウルフの本領は群れによる集団戦にあった。

 十数匹の集団が1個の個体かのように統率され、獲物が息絶えるまで攻撃を止める事は無い。

 調子に乗った新人冒険者がネーロウルフの集団に食い殺される事件もあるぐらいだ。

 マリアンヌは全力で走っている事での疲労感では無く、今にも死にそうな事への恐怖を碧の瞳に宿らせていた。


 「(はぁはぁはぁ。なんでこんな事に、ただ調合に使うトゲトゲ草を採取しただけなのに!!??)」


 冒険者ではないマリアンヌがノーウェイの森にいるのは、全てそこに集約されていた。

 簡単な傷薬の調合に使うトゲトゲ草のストックが無い事に気付いたマリアンヌは、エステルを伴ってトゲトゲ草が生えているノーウェイの森に採取に来ていた。

 公爵家の娘なのだから人を使えばいいのだろうが、自分がやると言って周囲の反対を押し切りマリアンヌは自ら行く事にした。

 ノーウェイの森に来たのはいいが、時期的なものかはたまた採取され尽くしたのか、何時も取っている場所に幾ら探しても無く、やむなくトゲトゲ草を求めて奥地へと入っていた。

 それがそもそもの間違いだと気付かずに。

 奥地へ入ったマリアンヌはトゲトゲ草が群生地を見つけ、品質の良いトゲトゲ草を布袋に入れていると、ネーロウルフに周囲を囲まれている事に気付いた。

 即座に採取を中断したマリアンヌの氷系の中級魔術である『フリーズスノー』で突破口を開き、ネーロウルフの特性を知っているエステルがマリアンヌを引っ張って態勢を整えようとした。

 途中、マリアンヌが走りながら追いかけて来るネーロウルフに向かって、同系統の初級魔術『アイシクルブルト』を放ち、その数を減らした。

 それでもネーロウルフは執拗なまでに追いかけて来る。

 マリアンヌは迫り来る死の恐怖に身を竦みそうになるのを堪えて、懸命に走っていた。


 「(何で、何でなの? 何も悪い事はしていないのに、何で死ぬような目に遭わなきゃならないの!!??)」


 マリアンヌはあらゆる結果には、直結する原因があると考えている。

 罪人が処罰されるのは法を犯したから。人がお金を得れるのは契約に基づいた労働をしたから。魔術師が新たな術式を発見したのは、今まで地道に努力したから。 冒険者が名声を得たのは、それに値するだけの偉業を成し遂げたから。

 だから悪事も働いていない、老いも無く、病気でもない自分が死ぬ事なんてあり得ないと考えていた。

 それは決して間違っていない考えだった。

 だけど安全という柵に囲まれた人間ならではの発想かもしれない。

 マリアンヌは貴族で公爵家の娘だ。

 何をするにしても必ず従者が付いて回る。

 真田たちが自ら動いて汗水垂らしてする事を、マリアンヌは手足を動かすかのような感覚で人にやらせる。

 自分には危険が及ばない安全な場所で、それを眺める。

 だからこそ、こう思ってしまったかもしれない。

 自分は絶対に大丈夫だと。

 そして、それが阻害させていたかもしれない。

 世界は明確な理由が無くとも、ただ運が悪かったと理不尽という名の下にその命を容易く奪い取ってしまう事を。

 とうに限界を超えているマリアンヌは、エステルの速さにつれられて走っているだけの操り人形状態だった。

 その糸が切れるのも時間の問題だった。

 走っていたマリアンヌは、急に憑き物が落ちたかのように足に力が入らなくなり、足元にあった木の根っこに足を取られて、受け身を取らないまま顔から地面に倒れた。

 左手でマリアンヌの右腕を持っていたエステルは、急な背後に引っ張られる力に対応できずにそのまま地面に尻餅をついた。


 「痛たたた」


 痛みのあまり腰を擦るエステルは、何が起きたのかと後ろを振り返るとうつ伏せに倒れているマリアンヌが見えた。

 慌ててエステルはマリアンヌを上体を起こした。


 「だ、大丈夫ですか、お嬢様」


 「ええ。ありがとう、エステル。少し鼻が痛いけど私は大丈夫よ」


 安心させえるように微笑むマリアンヌの鼻は、言う通り少し赤みがかっていた。

エステルはマリアンヌの鼻が少し赤くなっている以外は、何処にも傷が無い事に不謹慎ながらも安堵した。


 「さっ、お嬢様。此処は危険ですので早急に行かねば‥‥‥」


 この場所から離れる事を促すエステルの視界の端に、黒い物体ネーロウルフが高速で近付いて来るのが見えた。

 そしてネーロウルフは動けないマリアンヌ目掛けて、飛び込んで来た。


 「お嬢様!!」


 反射的にエステルはマリアンヌを庇うように、咄嗟に覆い被さった。

 ネーロウルフがぶつかると同時に、エステルの背中に鋭い痛みが走った。


 「うっ!!」


 エステルは激痛を我慢するかのように、奥歯を噛みしめて苦悶の表情をした。


 「エステル!!??」


 「だ、大丈夫でございます、お嬢様。少しネーロウルフとぶつかっただけです」


 主であるマリアンヌに心配をかけまいと何ともない風に言った。

 しかしエステルの背中には、くっきりと4本の血の線が走っていた。

 周囲には追いついてきたのか、エステルに攻撃したネーロウルフの他のネーロウルフがマリアンヌ達を逃げられないように囲んでいた。

 エステルは刺すかのような痛みを耐えながら、自由な左手で短剣を抜き取り、牽制とばかりに鋭い赤い刃先をネーロウルフに向けた。

 自らを死へと追いやる16の牙を前にしてもエステルは、主を守ろうと気丈に振るっていた。

 動こうとしているネーロウルフを感じれば、身体を向けて鋭い目線と刃先を向けて、牽制をしていた。

 動こうとするネーロウルフにエステルが目線と刃先で牽制して下がらせる、そんな一進一退の攻防戦が森の中で繰り広げられていた。

 エステルとネーロウルフの間に、息が詰まるかのような緊迫感の中、それは起きてしまった。

 マリアンヌが視線を逸らしてしまったのだ。

 戦いの中に於いて、相手から視線を逸らす事がどれ程の危険をもたらすのか知らない素人のマリアンヌは、無意識に視線を逸らしてしまった。

 そして視線の空白地帯に居たネーロウルフは、好機と言わんばかりに弱っているマリアンヌに向けて跳びかかった。

 噛みつこうとしているネーロウルフに気付いたエステルは、反射的に左手で持つ短剣で振り払おうとするが、間に合うかどうかギリギリだった。

 視線を戻したマリアンヌの景色には上顎20本下顎22本の計42本、自分を死に追いやる牙が広がっていた。

 突拍子も無い光景に、思考が停止して呆然とするマリアンヌは動けずにそのまま石のように固まるばかりだった。

 あと少しでマリアンヌの整った顔にネーロウルフの鋭い牙が突き刺さろうとした。


 その時だった。

 誰も居ない筈と思っていた森の奥から。


 「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 と、いう若い男の叫び声が届いた。

 ドゴッ!!!、と。

 鈍い音と共に、ネーロウルフは一瞬にしてマリアンヌの視界から消え去った。

強引に飛ばされたネーロウルフは、吹き荒れる嵐にのまれた木の葉のように進行方向にあった太い樹に当たった。

 ドッオォォーーーーーーーン!!、と爆発音のような大きな音が揺れる大木と共に森中に鳴り響いた。

 爆発音ような音に驚いた冬眠中だった鳥たちは、休眠状態だった事を忘れて一斉に空に飛び立っていった。

 数えるのが馬鹿らしくなるほどの大量の木の葉が舞い散る中、高速で横切った茶色の物体の下には横たわっているネーロウルフがいた。

 マリアンヌは何が起きたのか分からず、ネーロウルフが飛んでいった方向を見た。

 そして、近くの枝を支えにして此方を見ている黒い髪の少年と目が合った。

 その少年は驚いた表情で此方を見ていた。

 マリアンヌも驚きの表情を浮かべた。

 何をしている知っているので、此処にいる事は何ら不思議では無かった。

 だが、まさか助けられるとは思ってもみなかったからだ。


 「(あなたが助けてくれたのですか。‥‥‥サナダさん)」


 マリアンヌはただ呆然と真田を見る事しか出来なかった。



 枝を掴んで下を窺っている真田は、心に歓喜と空虚さが入り混じっていくのが感じ取れた。


 「(何とか間に合った事には嬉しのだが、助けた相手が貴族か。‥‥‥一体どうしたものか)」


 このまま囲まれているマリアンヌ達に助けに入るのは吝かでは無かったが、とある理由で貴族嫌いになった真田としては、それでは駄目だと分かっていてもどうしても躊躇いが生じていた。

 メアリー誘拐事件の時に、貴族であるエルサレット親子にあれだけの挑発的な態度は、メアリーに迷惑をかけた事もあるが、真田が貴族嫌いというのもあった。

 助けたいのに助けたくは無い。

 その火と水のように相反するものが、どちらも本音というのだから余計に性質が悪い。


 「(どちらの道を取っても結局は後悔するだろう。‥‥‥なら、後味が悪くないのを取りたいものだが)」

 

 真田は自分が渇望している事は分かっている。

 その渇望を否定する渇望が否定できないのも事実だった。

 いまいち踏ん切りがつかない真田は、困った表情でマリアンヌ達を見ていた。

 これがマリアンヌがメアリーのような平民であったのならば、真田はすかさず助けに入っただろう。

 だがマリアンヌは公爵家という、貴族の中の貴族。

 真田にとって絶対に近付きになりたくは無い人種だ。

 だけれどもその貴族たるマリアンヌ達は、今も尚ネーロウルフに囲まれ、現在進行形で命の危機に晒されていた。


 「(何か理由をつけて命の選別するのは駄目なのは、理解できる。‥‥‥だが!!)」


 どのように動けばいいか真田を迷わせていた。

 そんな時だった。

 エステルの背後に回ったネーロウルフが、エステルに飛びかかろうとした。

 それを見た真田は反射的に、幹を蹴って日本刀を抜き、エステルの背後に降りると同時にネーロウルフの首を切り落とした。

 脳からの命令が無くなったネーロウルフだった胴体は1,2歩歩いたら、自立する事が出来なくなり地面に倒れた。

 ネーロウルフの首や胴体からは、(おびただ)しい量の赤い血が流れ地面を染めていった。

 ようやく背後の異変に気付いたエステルは、振り返ると眼前に広がる猟奇的な光景に青ざめた表情で見ていた。

 日本刀を振り下ろしたままの真田は、内心しまったと自分の浅はかさを悔やんだ。


 「(やっぱりこうなるのかよぉぉぉぉーーーーー!!!!)」


 真田は自分の愚かさを振り払うかのように、刀を周囲に居るネーロウルフ達に向けて、目にも留まらぬ速さで振り放った。

 一拍の空白の後、マリアンヌ達を囲んでいたネーロウルフ達は、1匹の例外なく頭部からふさふさの尾にかけて真っ直ぐ切断された。

 一瞬で絶命したネーロウルフ達は立っているだけの力を失い、その場に亡骸を晒した。

 眼前で起きた出来事にマリアンヌ達は、言葉を失っていた。

 怒りに似た感情をネーロウルフにぶつけた真田は、多少すっきりすると同時にまだまだ自分は未熟だなと微妙に落ち込みながら、ノーシェバッカスで亜空間から青いハンカチを取り出し、刀の汚れた部分を拭いていた。

 真田は刀を鞘に戻し、呆然とネーロウルフの亡骸を見ているマリアンヌ達に近付いた。


 「大丈夫か、嬢ちゃん達」


 それに反応したのは、マリアンヌだった。

 限界を超えている身体に鞭を入れながらよろよろとエステルの力を借りな、マリアンヌは何とか立ち上がった。


 「ええ、何とか。サナダさんのお蔭で、私達は無事です」


 「そっ。助けに入った事が無駄にならずに済んだから、此方としては僥倖だ。‥‥‥ところでこんな奥地に嬢ちゃん2人で何している」


 「傷薬の調合に使うトゲトゲ草が森の入口付近に無かったので、奥地に行ったら群生しているのを見つけ、採取していたら何時の間にかネーロウルフに囲まれていたのです。何とか突破したのはいいのですが、足が木の根に引っ掛かり転倒しまい、再び囲まれてしまったのです」


 「そこに私が駆けつけて、今に至るという訳か」


 「ええ、そうなりますね。‥‥‥あ‥‥‥なた‥‥‥の‥‥‥お‥‥‥かげ‥‥‥で」


 呟くかのように小さな声を上げたマリアンヌは、糸が切れた人形のように身体から力が消え去った。

 ずり落ちていきそうになるマリアンヌを、エステルは慌てて全身に力を入れて、落ちないように支えた。

 力が入っていないマリアンヌに最悪の事態が()ぎったエステルは切羽詰まった声で。

 

 「お嬢様! お嬢様! 返事をしてください。お嬢様!」

 

 涙目のエステルが呼びかけるが、マリアンヌから反応は一切帰って来る事は無かった。


 「お嬢様! お嬢様! お嬢様!」


 エステルは反応が返って来る事を信じて声をかけていた。

 それを見ていた真田は少し面倒臭そうな声で、エステルに止めさせるように声をかけた。


 「緊張の糸が解けて気絶しているんだ。安静にしてやれ」


 「気絶?」

 

 エステルは真田が何を言っているのか理解できなかったが、耳を傾けるとスウスウと、規則正しい寝息が聞こえて来た。

 安堵したエステルはほっと胸を撫で下ろした。


 「で。これから嬢ちゃん達はどうするんだ」


 「決まっている。お嬢様を背負って屋敷の方へと戻る」


 「止めときな。その状態じゃ先程と同程度かそれ以上の事が起きるぞ。そうなれば、あんたは命の選択を迫られるぞ。気絶している嬢ちゃんを見捨てるか、2人とも仲良く死ぬかだ。‥‥‥それよりも俺達と合流して、嬢ちゃんが起きるのを待つのが賢明だ」


 「馬鹿にするな。お前のような冒険者の力を借りずとも私だけでも‥‥‥」

背中を走った激痛に我慢できずに、エステルは顔を顰めて膝を屈した。


 最初は怪訝な目で見ていたが、真田はエステルの背中に走っている痛々しい4つの真っ赤な線を見て呆れ果てていた。


 「背中にそんな傷を負っているならば尚更だ。回復魔術を使える人が居るから、化膿する前に傷を塞いで貰うぞ」


 そう言うとラグビーのタックルの要領で寝ているマリアンヌの懐に素早く入り、真田は強引に右肩で持ち上げた。

 真田はまるでマリアンヌを丸太を担いでいるかのように、右腕を添えて肩で持っていた。

 真田のいきなりの行動に面を喰らっているエステルも同様に、素早く懐に入り空いている左肩に乗せた。

 この間、2秒足らず。

 そんな時間という時間に値しない間に、真田はマリアンヌとエステルに一切の苦痛を与えずに両肩に人間を乗せるという事を素早くかつ的確にやってのけた。

 真田はマリアンヌ達の腹部を肩に乗せて、くびれに手を回して落ちないように支えていた。

 少女とはいえ人間2人を抱えているのだ。それなりの重量が両肩にかかっている筈なのだが、余程体幹がしっかりしているのか、真田が左右に揺れる事は無かった。

 視界の景色が変わった事で、ようやく自分は担がれた事を認識したエステルは、逃れようとじたばたと暴れ始めた。


 「降ろしなさい! うら若き乙女をこのような荷物を担ぐような雑な扱い方はするな!! それとどさくさに紛れて、お嬢様の変な所を触ったら殺すわよ!!」


 此処が危険な奥地である事を忘れて、恥ずかしさのあまり顔が真っ赤なエステルは大音量で怒鳴り散らした。

 至近距離で聞いている真田は、物凄く面倒臭そうな表情をしていた。


 「ちょっと聞いているのですか!? いい加減に降ろ‥‥‥」


 「口を閉じていた方が良いぞ。舌を噛みたくなければな」


 「えっ!? きゃあぁぁぁぁ!!!!」


 遮る真田の言葉を理解しようとする寸前、エステルの景色は一変した。

 物体を1個1個を認識できる光景から同色同士で壁が出来たかのような平面の風景と変わった。

 出発して直ぐに真田は、前方にアランと他の複数の気配を感じ取った。


 「(多少のずれはあると思うが、出発した時と殆ど位置が変わってないな)」


 真田はアラン達が移動していない事に安堵した。

 もし移動していたら、2人を抱えたまま森の中を探し回る事態に発展するかもと考えたからだ。

 真田はアラン達の所に近付くにつれ、減速を始めた。

 それに伴いエステルの見ている光景は、壁のような平面の光景から1本1本の認識できる線の光景に変わった。

 アラン達の前に到着する時には、普段の歩行スピードとなっていた。

 真田はアラン達に戻って来た事を告げた。


 「ただいま戻りました」


 「お、お帰り、サナダ。何か大きな音がしたから、何事かと心配したぞ」


 「ああ、あれですか。黒い犬っころを蹴ったら木の幹に当ててしまったんですよ」

 

 アランは思わず眉間に皺を寄せた。

 どう考えても真田の言う通りの事態が想像出来なかったからだ。

 出来ないものは仕方が無いと頭の隅に追いやり、先程から気になっている事を聞く事にした。


 「さっきから気になっていたんだが、肩に抱えているのはなんだ」


 驚きながらも食い入るように見ているアランが尋ねた。

 真田はあっけらかんとした調子で、器用に左肩の荷物を揺らして答えた。


 「これは黒い犬っころに囲まれていた少女たちですね。何か危そうだったので私が介入して、倒してきました」

 

 「そ、そうなのか‥‥‥」


 アランは真田が言った事態を想像したら、何故か黒い犬に囲まれて楽しそうにしている少女2人の絵しか思い浮かばなかった。

 自分の想像力不足なのだろうかと、取り敢えずアランは頷く事にした。

 そこで自分が見た事も無い光景に中てられて呆然としていたエステルは、話し声が聞こえる事気付き顔を真っ赤にして暴れ始めた。

 

 「ちょっと、人が居るのですか!? いい加減に降ろしてください!!」


 背中の絶え間無く来る衝撃に、痛くないのだろうか真田はほとほと呆れていた。

 呆れ顔の真田はエステルが肩から落ちないように、腰をしっかり持ってゆっくりと降ろしながら。


 「アシュレイさん。このお嬢さん、背中に怪我を負っていますから、回復魔術をお願いします」


 「お、おう」


 反射的に返事をしたアシュレイは、戸惑いながらもエステルに近付こうとしたが、ジョアンナがそれを遮った。


 「ちょっと待って、水系の魔術を使える私も回復魔術を使えるわ。怪我を直すのなら上着をある程度、脱がなきゃいけない。それなら同性の私が適任でしょ」


 「そうですか。ならジョアンナさん、宜しくお願いします」


 「ええ、任されたわ。‥‥‥さあ、お嬢さんこっちに行きましょ」


 ジョアンナは戸惑うエステルの腕を取って、見られないように強引に森の中に入って行きそうになったのを、何かを思い出した真田が引き止めた。


 「回復魔術をかける前にする事があるので」


 真田は右肩に抱えているマリアンヌを、高価な美術品を扱っているような優しく丁寧な手つきで降ろすと、樹を背にして寝かせると、真田はマントで隠しながら亜空間から1枚の白いタオルを取り出した。


 「ジョアンナさん、少量の水を出す事は出来ますか」


 「出来るけど。どうして?」


 「この白い布を濡らしたいからですよ。そのお嬢さんの背中の傷が黒いワンコの引っ掻き傷なら、傷口に土の汚れが付着しているかもしれません。だとしたら治しても時が経って、それが原因で病気になるかもしれませんから」


 最初は日本の薬局で売っていた消毒液を使おうかと考えていたが、それだと悪性のウイルスだけでは無く、再生しようとする細胞まで破壊してしまう。

 それを思い出した真田は、傷口を濡らしたタオルで綺麗にする事を選んだ。


 「ふーん、そうなの。‥‥‥我らの渇きを癒したまえ。『ウォーター』」


 手のひらを地面に向け、小さい魔法陣から一般家庭の蛇口から出る水量が出てた。

 真田はマントが濡れないように気を付けながら、タオルを濡らすとある程度湿り気が残す程度までに絞って、ジョアンナに渡した。


 「お嬢ちゃん。此方にどうぞ」


 ジョアンナは上半身裸になりそうなエステルを周囲から見られないように、林の中に入って行った。

 チームリーダーのハンゼルはチームメイトを引き連れて、屈んでいるジョアンナの後ろに3人並んで、壁のように立ちふさがった。

 健やかな顔で寝るマリアンヌを窺うアランが、尋ねるように口を開いた。


 「サナダ。さっきから気になっていんたが、この少女は一体誰だ。この質の良さそうな白のマントから察するに、貴族のお嬢さんか」


 アランは平民の自分では手に入らなそうな高価な白のマントから推測を立てた。

少女2人という重荷から解放されて、強張った筋肉を解すように背筋を伸ばしたり肩を回したりしながら、真田は本当にどうでもいいようなあっけらかんとした口調で。


 「そうですよ。確か公爵家の令嬢と言っていましたね」


 「そうか。公爵家の令嬢か」


 アランの言葉が終わり、森の中が静寂に包まれようとしたその瞬間。


 『えっ、えええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!』


 アラン達の全く1分の狂いも無い、耳を(つんざ)くかのような絶叫が森中に鳴り響いた。

 その絶叫に真田が起こした大音量がようやく沈静化し、再び(ねぐら)で冬眠しようとしていた鳥達が驚いて一斉に飛び立った。

 顎が外れそうなまでに口を大きく開けて驚いているアラン達に、逆に真田は驚いていた。

 いきなりの事に狼狽し顔が真っ赤なアランは真田に詰め寄った。


 「サナダ、本当にか!? 本当にこの子‥‥‥いや、この方は公爵家のご令嬢か」


 「ええ、自分で言っていましたし。前に1度、メアリーさんの誘拐事件の件でアヴェドギルトで会いましたので、その時の身体的特徴と気配が合いましたので間違いは無いかと」


 「そ、そうか」


 落ち着きが取り戻せないのかアランは、そわそわと落ち着かない様子だった。

 驚いているアラン達が何故驚いているのか分からない真田は思わず。


 「そんな驚く事ですか。この国は貴族制を敷いているのしょ。だったら公爵家の娘なんて1人か2人は居ると思いますが」


 「確かにそうだけど。そうじゃないだろ!! お前、公爵家といったらこの強大な帝国の支配者たる皇帝陛下の一族という事になるのだぞ。お前それを分かってて言っているのか!?」


 「その人の言う通りです」


 不意に聞こえて来たアランの言葉を肯定する言葉に、真田は兎も角アランすらもその言葉の主の方へと、視線を移動せざる得なかった。

 そこにはジョアンナの回復魔術を受け、背中の傷が塞がったエステルが立っていた。


 「栄えあるフィルド帝国の政治の一角を担い、代々宰相と重要な大臣を歴任するカノーヴィル公爵家を何だと思っているのですか」


 「この帝国と周辺諸国に多大な影響力を持った家柄だと認識していますが」


 「ならば何故そのように軽視するような態度を取るのです! 平民である貴方は公爵家のご令嬢であるマリアンヌ様に‥‥‥」


 真田は手でエステルの口を塞いで強引に会話を中断させた。

 顔を真っ赤にしてエステルは何とか真田の手を外そうと四苦八苦しているが、余程強く掴んでいるのか取れる気配は微塵にも無かった。

 手を退かそうとしているエステルを尻目に、真田は先程来た方向を探るように見ていた。

 何かを察したのかオークランドが近付いてきた。


 「何か居るのか」


 「1匹ですけど居るみたいですね。物凄い速さで、此方に向かって来ています」


 「何だと!? ‥‥‥はっ、これは!?」


 自分の知覚できる範囲に入ったのか、オークランドは覚えのある気配に驚きに満ちていた。


 「全員、剣を抜け!!」


 オークランドのただならない声に、ハンゼル達チームズワールトは直ぐ様に剣を抜いたり、魔力を高めたりと戦闘態勢に入った。

 アラン達のような経験が浅い新人冒険者は何が起きているのか分からないが、状況に流されるままに剣を構えた。

 危険が差し迫っていると感じたエステルは、ここから逃げようと主であるマリアンヌを背負うとしていた。

 ドドドド!!と、地面を不自然に鳴らす音が、次第に大きくなっていた。

 オークランドは事態の緊急性を拡散するように言い放った。


 「来るぞ。グランデハバリーが!!」


 猛然とした速度で木々の間から真田たちの前に現れたのは、巨大な猪だった。

 体長は約6m、高さは約3m。全身を濃い茶色の毛で覆われ、巨大な身体を支える4本の強靭な脚。平らな鼻に犬のように尖がった耳に黒の瞳をしていた。

 特徴的なのが2本の巨大で鋭い牙だった。

 人間を簡単に串刺しに出来そうな牙に、幾多の冒険者達が犠牲となって来た。またグランデハバリーはその巨大な体格とは裏腹に、4本の強靭な脚によって高速での移動を可能としている。その速さは速さに定評があるネーロウルフを簡単に追い越し、その突進力と合いまった2本の牙による攻撃は、鉄鋼の鎧をやすやすと貫く。

 アヴェドギルトではノーウェイの森で、最も警戒するべき魔物と位置付けている。

 小山のような巨体が時速数十kmの速さで、真田たちに差し迫っていた。

 冒険者としての本能が危機を察知し、オークランド達などの進路近くに居た面々は、回避しようと後ろに跳んだ。

 真田も周囲のメンバーと同様に回避行動を取ろうとしたが、それを中断する事態に気付いた。

 マリアンヌを背負って逃げようとしていたエステルが、固まって動こうとしていない。

 意識の無い人間を誰の補助無しに背負うとするのは案外難しい。

 これが寝ている幼い子供を背負うとしている親のような、単純な腕力や体格などに差があれば、それを利用して容易に出来るが。エステルとマリアンヌの背丈にあまり差は無く、腕力もエステルに軍配が上がるが、それも同世代の平均よりも少しあるぐらいで、人1人を軽々と持ち上げる事は出来ない。

 結論を言うと、マリアンヌを背負う事にもたついて、逃げ遅れてしまったのだ。

 それを見た真田の取った行動は、至極単純だった。

 呆然と固まっているエステルをマリアンヌごと、持ち上げて上へと飛んだだけだ。

 そして近くにいるエステルすら聞こえないような小さな声で呟いた。


 「いでよ。我が槍よ」


 この場に居る全員から見られない位置。


 木々の奥にノーシェバッカスの魔法陣が出現し、その中から1本の槍が出て来た。

 それは約3mもある()(やり)だった

 外見はシンプルな物で綺麗に仕上げている木製で真田が握りやすいサイズの円柱の柄に、穂先である刃は特殊な魔法金属製の刃渡り約50cmで笹の形をしている笹穂だ。

 真田は感覚で直槍が出た来た事を認識すると、ある命令を下した。


 「我が敵の心の蔵を貫け」


 ゾッとするほどの冷たい声に反応した直槍は、何も無い筈なのにカタパルトから射出されたかのように速く、遠くてグランデハバリーが見えないのに見えているかのような正確さで、グランデハバリーの心臓に一直線に向かった。

 射出されて1秒もたたない内に、地面から数十cmの位置を音速の80%で移動する直槍は、剣を通さない分厚い皮を紙同然で意味も無く、まるでそこに誘導されているかのように正確無比にグランデハバリーの心臓を突き刺した。

 あまりにも速過ぎる槍は、グランデハバリーの血が付く前にその巨体を貫通した。 

 森の中へと消えて行き、ノーシェバッカスの魔法陣の中に入って行った。

 心臓の動きに異常をきたしたグランデハバリーは、ガクガクとその巨体を不自然に動かしながら数歩前に歩いた所で止まり、腹に響く重低音を鳴らして倒れた。

 一連の光景を見ていたアラン達は、展開の速さに付いて行けずにどうリアクションしていいか分からず、剣を構えたまま呆然とするばかりだった。

 オークランドは少し違っていた。

 口から赤い血を流しながら倒れているグランデハバリーを不思議そうに見ていた。


 「(一瞬だが、何かが横切ったように見えたな。速過ぎて正確には分からなかったが、何か細長いのような物だったような)」


 自分でも認識できない程の一瞬の出来事に、オークランドはいまいち自分の考えに確信が持てなかった。

 真田は音も無く着地をすると、呆然とするエステルに声をかけた。


 「敵は倒れたぞ。そろそろ降ろすぞ、お嬢ちゃん」


 「えっ!? ‥‥‥きゃっ!!」


 そこでようやくエステルは、自分が真田によって先程と違う体勢になっている事に気付いた。

 そして真田の手が自分の何処を掴んでいるのか気付いてしまった。

 そう臀部。つまりお尻を掴まれていたのだ。

 真田は中途半端な体勢だったエステルの柔らかくも引き締まったお尻を、まるで果物を握るかのようにがっしりと掴んでいた。それはエステルが背負おうとしていたマリアンヌも同様で、白いマント越しに程よく柔らかいお尻を掴んでいた。

 エステルは人前で臀部を掴まれているという事態に、恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤にして俯いていた。

 普通なら真田も顔を真っ赤にして、急いで手を退かすのだが。何故か事務作業をしているような淡々した調子でエステル達を降ろした。

 

 「お嬢さん。怪我は無いか」

 

 あり得ないと思うが一応念の為に、真田が怪我の有無を確認しようとするが、エステルは俯いて黙ったままだった。

 不審に思う真田の目には、エステルの身体が小刻みに震えていくのが見えた。

すると。


 「この‥‥‥」


 「ん?」


 「変態野郎ぉぉ!!」


 パチィィィン!!と、怒り心頭のエステルから全力の平手打ちと共に、人前でうら若き乙女のお尻を掴む変態野郎の称号を、真田は不本意ながらも獲得した。

 

 グランデハバリーを倒した後、オークランドは自己紹介をそこそこに、エステルから真田が介入したあの時何があったのか、責任者として聴取していた。


 「‥‥‥では、ネーロウルフに囲まれている所をサナダに助けて貰ったと?」


 「ええ。多少の不本意さはありますが」


 エステルはオークランドから視線をずらしてある方向を睨んだ。

 その頬はまだ少し恥ずかしいのか薄っすらと紅潮していた。

 その方向には助けたのに何故自分がこんな目にと、ぶつくさと文句を言いながら 真田が、左頬に真っ赤な紅葉をつけてグランデハバリーの解体を手伝っていた。

 真田の直槍による超高速での突貫攻撃に、為す術も無く倒れたグランデハバリーの巨体だが、そのまま放置する事は出来ず、解体が得意なアーガトン主導で参加者全員での解体作業をしていた。

 本来なら屠畜(とちく)施設で解体作業をしなければならないのだが、今はノーウェイの森での初心者講習中で、作業に必要な機材も無く。そもそも持って帰るだけの時間も無いので、必要な量の部位だけを取り出し、後は森に住む肉食動物達に分ける事にした。

 チームズワールトと真田はサバイバルナイフを使って、慎重に頭部と足を切り取られたグランデハバリーの肉と皮を分けていた。

 アラン達講習参加者は、薪用の枝を捜しに森の中へと入って行った。

 眠っているマリアンヌは、グランデハバリーだった物から出て来る夥しい血が付かない位置の木の根元で寝かせられていた。


 「‥‥‥で、これからどうするつもりだ」


 エステルは悔しそうに奥歯を噛みしめた。


 「このままマリアンヌ様を背負って、屋敷に戻りたいのですが。ですが気絶しているお嬢様を背負いながら、無傷で帰るのは私の手に余りますので。ご迷惑でなければお嬢様が起きるまでか街道に出るまでは、一緒に行動したいのですが宜しいですか」


 「それは構わないが。それよりも此方にはランクドライのチームズワールトが居るから、彼らを護衛として出そうか」


 「此方としては助かりますけど。いいのですか、其方は依頼の最中なのでは?」


 「それは大丈夫だ。これは月に一回の初心者講習だから、依頼などでは無い。しかもここはノーウェイの森。ここで躓くよう冒険者はここには居ないからな。‥‥‥本来なら、今すぐにでも護衛をつけたいのだが、今はこのような状況だ。昼食後になるが宜しいか」


 「はい。此方は構わないません」


 「そう言っていただけると助かる」


 今後の対応を決めるとエステルとオークランドは、肉を取り出している真田たちを見学していた。

 それから数十分後、真田たちは1番量が多くて取りやすい赤身と脂身が交互に3層に重なっている三枚肉、つまりバラ肉を鉄の棒で串刺しにし、バーベキュー形式に焚き火で焼いていた。

 グランデハバリーの死体の近くで昼食を取るとは、全員の圧倒的の反対意見に流石にオークランドも取るとは言えずに、予定していた昼食場所へと移動となった。

 焚き火の周囲には3,4個のブロック化したバラ肉が刺されている人数分の鉄の棒があり、それを囲むように真田たちが座っていた。

 オークランドの見事な剣さばきでバラ肉をブロック化して、それを各自が思い思いに鉄の棒に刺していった。

 それを外から見るように離れた場所でエステルが、マリアンヌを守るように座っていた。

 最初はオークランドが焚き火に当たるように勧めたが、エステルはマリアンヌから離れられないと言って誘いを固辞し、離れた場所で座るようになった。

 時折冷たい風がネーロウルフによって破けた個所から服に入り込み、エステルの背中を優しく擦り身体を震わせていた。

 それを見ていた真田が少し面倒臭そうに頭を掻きながら、もう片手で亜空間から針や12色の糸などが入った裁縫道具が入ったプラスチック製の長方形の箱と青と白のチェックの長袖の服を取り出しエステルに近付いた。

 

 「嬢ちゃん、あんた裁縫は得意か」


 「ええ、それがなにか」


 エステルの100%警戒の色が籠った声に、真田は一切表情を動かさず裁縫箱を前に出した。


 「これでその破けた服を縫うといい、その破けた服じゃ今の時期は寒いだろ。あと裁縫している時に着る服があるから、これを着てするといい」


 真田が裁縫箱とチェック柄の服を渡そうとするのだが、エステルはその手を伸ばそうとは一切しなかった。

 その代わりにエステルは嘲るような態度で言い放った。


 「言っておきますが、公爵家との繫がりを作ろうとしても無駄ですよ。確かに私は公爵家のメイドですが、所詮はメイド。親切にしても繫がりなんて作れませんから」


 真田は心の底から呆れた表情をすると、エステルの頭にチョップをした。割と強めに。


 「痛っ!! 何をするのですか!?」


 「何をするのじゃない。何を言いだすかと思えば、そんな下らない事を。お前が公爵家のメイドだろうがそうでなかろうが、そんな小さい事情は関係無い。私は自分が行った我が儘の責任を取ろうとしているだけだ」


 「責任?」


 「ああ、危機に陥っていたとは言え、初心者講習に何も関係の無い嬢ちゃん達を助けようと思ったのは私の欲望であり我が儘だ。ならば、その我が儘を行った責任を最後まで果たすのが当然だ。だからこそ私は出来るだけの事をしようとしているだけだ。‥‥‥この服を着て似たような色の糸で縫うと良い。今は寒いからこのマントを羽織ってしなさい。ある程度の寒さを防ぐから」


 真田はキャッチセールスの販売員みたいに強引に裁縫箱と服とマントを渡すと、焚き火に当たっているアラン達の輪に合流した。

 エステルが強引に渡されたマントを渋々と羽織って背を向けて、真田たちから見られないように気を付けながら着替えていた。

 真田が座ると焚き火を挟んで目の前に座っているオークランドが、ニヤニヤと楽しそうに笑っているのが見えた。


 「相手に恩義として感じさせる事無く、手助けをするとは中々口が上手いな」


 「そんなものじゃないですよ。先程も言ったように自分の行為に責任を取ろうとしているだけです」


 「それにしても責任感が強すぎないか。少しは肩の力抜いてもいいと思うぞ」


 「少しも責任感が強くないですよ。自らが物事をするという事は、こういう事と考えていますから」


 それに、と真田は付け加えた。


 「自分のした事を中途半端で投げ出すような無責任な人物には、なりたくないですから」


 「それもそうだな」


 オークランドは真田の言葉に満足そうに頷いた。

 ボルジャーはそれを面白くなさそうに見ていた。

 それから十数分後、焚き火で焼いていたグランデハバリーのバラ肉は、綺麗に焼き色が入り、また肉からうま味成分である核酸の一種のイノシン酸が濃縮された肉汁が地面に滴り落ちていた。

 食前の祈りを終えたアラン達は自分の分を取ると、美味しそうにむしゃぶりついていた。

 真田は背負っていた布の袋から取る振りをして、亜空間からプラスチック製の青の平皿とフォークやナイフを取り出し。フォークとナイフを使って焼いたバラ肉1つを平皿に置き、それをマントを羽織って服を縫っているエステルに持って行った。


 「なんですかそれは」


 エステルは縫うのを止めて、肉を持ってきた真田を猜疑心に満ちた目見ていた。

流石に公爵家のメイドといったところか、この短時間の内に服の4つの破れの内、2つは完全に綺麗に塞いでいた。


 「何って、君の用の昼食だが?」


 エステルは抑揚が無い平坦な口調で。


 「ご親切にどうも。ですが私はお腹が空いていませんので、それはあなたが食べて下さい」


 「今は空いていないかもしれないが、このような時はある程度でも軽く胃袋に入れておいた方が良いぞ。何かあった時にお腹が空いて力が出ないでは、格好がつかないからな」


 「私の話を聞いていましたか。私はお腹が空いていな‥‥‥」


 その時だった。

 エステルの腹部から、ぐう~~~~~~!!と、情けない音が鳴った。

 その音にエステルは、ピタッ!!と、彫刻作品のように固まり、次第に血が逆流したかのように顔が真っ赤になっていった。

 不意に聞こえて来た腹の虫が鳴らした音にアラン達は、我慢できずにクスクスと忍び笑いをしていた。

 エステルは恥ずかしさのあまり、今にも逃げ出したいと駆り立てられるが、隣で眠っているマリアンヌと逃げ出したら今のは自分と認めそうになるので、奥歯を噛みしめて恥ずかしさに耐えていた。

 真田なりの優しさなのか特に表情を変える事無く、淡々とした表情だった。


 「ここに肉を置いとくから、お腹が空いたら食べてくれ」


 そう言うと真田はエステルの前に肉を載せている平皿を置くと、アラン達の所へと戻っていた。

 エステルは焼かれた肉を前に、食べるべきか食べないべきか心の中でぶつかり合って、激しい波を立てていた。


 グランデハバリーのバラ肉のバーベキューを食べ終えた真田たちは、延焼しないように焚き火に土をかけて後片付けをしていた。

 真田はエステルに貸した裁縫箱、着替えの服、マント、綺麗になっている(・・・・・・・・)青の平皿、フォークとナイフを見られないように亜空間に収納した。

 後片付けも終わり、真田たちは出発の準備を終えた。

 それなりに真田たちは騒いだはずなのだが、エステルに背負われているマリアンヌは余程深い眠りに入っているみたいで、一向に起きる気配を見せなかった。

 昼食前に話した通り、エステルは帝都に戻る事となり、チームズワールトを護衛としてつける事となった。

 だが、チーム全員をつけると不測の事態に対処出来なくなるので、チームリーダーのハンゼルとその右腕のジョアンナをつける事となった。


 「ハンゼルとジョアンナ。エステル達の帝都までの護衛、宜しく頼むな」


 「はい、任せて下さい」


 ハンゼルが自信満々にと、力強く頷いた。


 「オークランド教官。お世話になった上に、このような超一流の冒険者に護衛を付けていただき、感謝の念に堪えません。ありがとうございます」


 「いやいや、此方も当然の事をするまでだ。それに世話はサナダがしたのだから、アイツに礼を言ってやってくれ」


 エステルは何とも言えない微妙な表情をしていた。

 自分と主であるマリアンヌを助けてくれた事には感謝しているが、主を軽視するような態度にどうしても受け入れがたかった。

 エステルがどうしようかと迷っていると、真田は面倒臭そうなに溜め息を吐き。


 「お礼なんて言わんでもいい。私は私がやりたい事をやったまでで、その付属に嬢ちゃん達がいただけ。礼なんて言う必要性は無い」


 気にしなくてもいいと言っているようだが、それでも言い方というものがあるだろうと、エステルの眉間が少し険しくなった。

 何だか2人の雰囲気が悪くなりそうだったので、オークランドは強引に割って入った。


 「では、エステル。この2人が護衛につけば大丈夫だと思うが、それでも道中は警戒を怠るなよ」


 「はい。‥‥‥それでは皆さん、ご武運を」


 エステルは軽く頭を下げると、ハンゼルとジョアンナを伴って、一路帝都へと林の中に消えて行った。

 エステル達の姿が見えなくなると、オークランドは残った真田たちの方を向いた。


 「お前達、予定が少し変わったが、予定通り森の奥地の探索を再開する」


 奥地へ向かっていくのを真田たちは、続いて行った。



 それから数時間後。

 周囲に漆黒の闇が支配する時刻に、真田はオークランドと共に、焚き火の炎に赤々と顔を染めていた。

 先日と同様に真田はオークランドとアランと一緒に、夜の見張りをしていた。

 真田とオークランドは一言も喋らずに、ただ黙って焚き火を見ていた。

 他にアランがいる筈なのだが、またしてもテントを出たら手洗いに行くと言って席を外していた。

 このまま枝の快活な音だけが鳴り響くと思われたが、黙っていたオークランドが口を開いた。


 「サナダ、昼の件はどういうつもりだ。ギルトと帝国との関係性に罅を入れるつもりなのか」


 鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんと真田はしていたが、次第に可笑しそうに苦笑した。


 「これは可笑しな事を。最初に罅を入れたのは彼方だと認識していますが」


 「カディックの事か。確かにそうなのだが、かと言って此方から罅を入れたら帝国に付け入る隙を与える事となる。カディックの件を含めて、ギルト長達が帝国との折衝に入るから、今の時期はあんまり帝国を刺激するような事は控えてくれ」


 「はーい」


 真田の気の抜けた返事に、オークランドは頭を抱えそうになった。


 「ん? 何を話していたんだ」


 席を外していたアランが戻って来た。

 真田は本当に何ともないように、涼しい顔をした。


 「グランデハバリーのお肉があまり美味しくなかったから、どうやったら美味しくなるのかなと教官と話していたんですよ」


 「そうなのか。あれは味付けをしていない、ただ焼いただけだからな。味が付いたスープに浸せば変わるかもしれないな」


 「それよりも香辛料はどうですか? あれだと振り掛けるだけで味が変わると思いますが」


 「香辛料か。それもいいが、だけどそれだけの金額がこの初心者講習につくと思うか? はっきり言えば、この先どうなるか分からない新人達に、ギルトがそこまで面倒を見てくれるかどうかだな」


 「それもそうですね。だとしたらスープに浸して、煮込み料理にするしかないのですかね」


 「そうだな」


 真田とアランはどうすれば美味しく料理を食べれるか、真剣に悩んでいた。

 それを見ているオークランドは、サラッと流れるように嘘をついて、完全に誤魔化している真田を驚きの目で持って見ていた。


タクト君、セクハラをする回でした。

悩むのはマリアンヌとエステルのお尻の描写を、官能小説並にするべきだったか。

抵触しない程度にはしたいなとは筆者自身は考えておりますが(笑)

次回もまた宜しくお願いします。


誤字脱字がありましたら、ご指摘の方を宜しくお願いします。

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