第35話 迷惑問題 解決
<m(__)m> フライング土下座。第二弾!!
午前中のクエストの終了の手続きを終えた真田がギルトに戻ると、何時ものように終了の手続きをしようと受付に行こうとしたが、1人の女性職員が近付いて来るのが見えた。
その人物は前にメアリーと一緒に昼食を取っていた、同僚である腰まである三つ編みの少女フィリスだった。
「サナダさん。見つけられて良かった」
「どうしたんですか」
フィリスは周囲を窺うかのような表情で、真田しか聞こえないような小さな声で。
「‥‥‥メアリーを知りませんか」
フィリスが何を言っているのか一瞬わからず、真田は怪訝な顔をした。
「ギルトに居るんじゃないんですか」
真田の言葉にフィリスは自分の予想が当たったかのような苦々しい表情をした。
それを見る真田は特に感情を込める事無く、淡々とした様子で。
「メアリーさんが攫われたんですね」
フィリスは胸にくぎを打たれたかのような衝撃を受けて、目を丸くした。
真田はやる気がごっそりと削られるかのような深い溜め息を吐いた。
「あの小僧め。とうとう、やって良い事と悪い事を区別がつかんくなったか」
独り言のように呟く真田の言葉は、フィリスに届く事は無かった。
「ギルトに居れば安全かと思ったけど、まさかそのギルトから攫うとは。完全に
油断していたな」
真田は自分の失敗を後悔するように苦虫を噛み潰したような苦々しい顔をした。
「でも誰なんでしょう。メアリーちゃんを攫ったのは。少し離れていたとはいえ、本部にはギルト長や教官たちがいる時に白昼堂々とするなんて」
「実行犯はわかりませんが、それを雇った奴ならわかりますけどね」
「‥‥‥それは誰ですか」
「確かエルサレット=グリビン子爵の息子であるデータス=グリビンだと思いますね。あいつが金にものを言わせて雇った人間が攫ったと思います」
フィリスは思いがけない人物の名にすぐに言葉が出ずに、金魚のように口をパクパクと動かしていた。
そして、やられたとばかりに天を仰いだ。
「それはメアリーちゃんが言わない筈よ。そりゃ相手が貴族なら自分たちが太刀打ち出来ないと思うよ」
「だからメアリーさんは苦しんでいたと思いますよ」
フィリスは真田の言葉に同意するかのように苦々しくも頷いた。
「状況的には最悪に近いですね。相手が貴族ならすごく厄介です。性質の悪い一般人程度なら、弱みを握っている何人かの教官を嗾ければ済む話ですけど、貴族ならそれも出来ないですね」
さらっと物騒な事を言うフィリスを真田はあえて無視をした。
聞き返すと聞いてはいけないものが返ってきそうだったからだ。
「それでギルトはどうするんですか。一応所属する職員が攫われたんですから、何かしらの対処はするですか」
「上は情報収集してから、それを精査してどう動くか決定するので、待機しておけと言ってます」
その言葉には、悔しさが滲み出ていた。
今すぐにでも探しに行きたいのだが、メアリーがいる場所のあても無いうえに、 ギルト上層部から動きを止められている以上、職員であるフィリスはどうする事も出来なかった。
「だとしたら動けるのは私だけか。‥‥‥フィリスさん、今から私が探しに行きましょうか」
「何処に居るのか見当はついているんですか」
真田は、残念ながらと、首を振った。
「全くと言っていい程無いですね。‥‥‥ですが、ここで手を拱いていても何も進展はしません。ならば帝都中を歩けば、いつかは辿り着くでしょ」
「今はそれしかないみたいですね。‥‥‥ですが決して無理をしないで下さい。君に何かあったら、メアリーが悲しみますから」
「了解。無理せずに頑張りますよ」
まるで近所の公園に散歩に出かけるような気軽さで、真田は攫われたメアリーを捜しに行った。
その真田の後ろ姿を、大丈夫かしらと、不安な表情でフィリスは見ていた。
大通りを歩く真田はボンヤリと思案しながら歩いていた。
「(さてと何処から探そうか。実際に当ては無いから、探しようが無いからな。‥‥‥まぁ、あてが出来るようにすることが可能だが、問題はその後だよな。変にこんがらがって、後々面倒が起きるのは勘弁だしな)」
今すぐメアリーの場所を探る事が出来るのだが、それを行う事によって後々発生するであろう面倒な問題とのリスクを天秤にかけ、どうするべきか考えていると。
「サナダだな」
如何にもガラの悪そうな男たちが行くてを遮った。
6人の男たちは真田より頭1つ分大きく、目つきは獣のように鋭かった。アウトローといった風貌だ。
真田は怪訝な目で行くてを遮る男たちを見ていた。
「何か用ですか。先を急いでいるんですが」
「いやなに、お前にお会いしたいという人が居るんでね。是非お会いしたいと」
「その人が何者か知りませんが、会いたいのなら自分から出向くのが礼儀です。そんな礼儀知らずな人とは会いたくはありませんので、これで失礼をします」
真田は遮る男たちの横を通って、ギルトに向かおうとしたが、またしても男たちに遮られた。
「まあそんなつれない事を言うなよ。その人は『ある少女』について話し合いたいと言われた」
真田はその言葉に、ピクッ!!と、反応した。
糸のように細くして猜疑心に満ちた目で男を見た。
「それは本当ですか」
「ああ、本当だ」
真田は男から持たされた情報がどうしたものかと、考えあぐねていた。
「(俺に対して『ある少女』というのだから彼女の事を言っているのだろう。そして会いたいというのは恐らくアイツの事と考えた方が自然だな。‥‥‥まあ、十中八九罠だろうけど、何とかしたいのは事実だからな。ここは千載一遇のチャンスだと考えた方がいいか)」
結局自分には選択肢という選択肢がない事に軽く絶望し、火中の栗を拾うような悲壮感漂う思いで。
「わかりました。その人と会いましょ」
「そうか。では俺に付いて来い」
真田は男たちに囲まれるようにして、その場所へと向かっていった。
「ここがその場所だ」
路地を何度も曲がって真田が案内されたのは、周囲と同様の木と煉瓦で出来た2階建ての建物だ。
貴族の邸宅ほどの敷地面積は無いが、それでも帝都の一般的な住宅の敷地面積よりは広く、門から家の玄関へと通じる庭には煉瓦が真っ直ぐ敷き詰められ、それに沿うように草木が植えられていた。
男たちは鉄製のアーチ型の黒の門を、キィィィ!!と、金属同士がすれ合う甲高い音を立てながら開けると、真田に入るように促した。
真田が入るとアーチ型の黒の門を男たちは如何なるものも出入りをさせないような固い意思の表わすかのように、ガシャン!!と、金属同士がぶつかる音を立て、見るからにごつそうな鍵が閉められた。
男たちは堅牢な牢屋に罪人を押し込めたかのような番人みたいにニヤニヤと気味の悪い顔をするが、真田は特に気にする事も無く、そのまま玄関へと歩みを進めた。
男たちが重厚な木製の扉を開けると、真田は開けた場所に出た。
天井や壁にかけている発光する魔石の光や外からの日の光で中は明るかった。
2階へと通じる丁字階段には見ただけでも高級品とわかる鮮やかな赤い絨毯が敷かれ、中央の壁には大きく高級品の服を着た中年の男が描かれていた。
1階の部屋に通じる扉と扉の間には、家主の財力を見せつけるかように、鮮やかに彩りされいる壺や神話上の登場人物を模った彫刻が台の上に置かれていた。
男たちは塞ぐようにして扉の前に立った。
真田は人が居ないか周囲の見回していると。
「どうだね。我が別邸は」
突如として聞こえてきた聞き覚えがある声に、自分の予想が当たっていた事に物凄く面倒臭いなと、内心鉛のような重い溜め息を吐きながら真田は声がした方を向いた。
そこには制服姿のデータスが立っていた。
その表情は自分の優位性に自信を持っていて、余裕に満ち溢れたものだ。
「何の用ですか、データス。メアリーさんについて、話があるみたいだが」
貴族の自分にあるまじき言葉遣いにデータスはぶるぶると震えていた。
「平民のお前が貴族の俺にそんな言葉遣いをするだけでも、万死に値するというのに。‥‥‥まあいい。俺の天のように広い寛大な心と我が妻を迎える祝福すべき日だから、特別に許してやろう」
「我が妻?」
真田は奥歯に物が挟まったかのような引っ掛かりを覚えると共に、嫌な予感が脳裏をかすめた。
「おい、連れて来るんだ」
近くの2階の扉からメイド姿の2人の侍女に手を添えられて連れられて来たのは、真田が良く知る人物だった。
本来此処に居る筈がない、ギルトに居る筈のメアリーだった。
だが服装が大きく違い、真田が何時も見ているギルトの制服ではなく、婚礼衣装であるウェディングドレスを着ていた。
その人物の清潔さを表すかのような純白で、手触りが滑らかな上質のシルクのウェディングドレスだ。
スカートの広がりを少し抑え、ラインがウエスト部分から裾まで直線的に走るAラインというタイプのものだ。露出を極力抑えたもので、胸元は首元まで覆うハイネックだ。顔から手先まで覆う長いベールは薄い布で作られており、グローブは二の腕まで届く長いものだ。靴は純白で爪先にはリボンが小さく細工されていた。
メアリーが着ているウェディングドレスには、職人が丹精込めて作れているのがわかるように、胸元やグローブに細かく花のような装飾が施されており、門外漢の真田ですら一目で高級品とわかる代物だ。
この年頃特有の少女特有の可愛さや女性としての美しさを、微妙なバランスで成り立たせているメアリーを際立たせているように見えた。また着せる為だけに作られたかのように、不気味なぐらいに体格に合っていた。
メアリーの表情は耐え難い絶望感に包み込まれ顎が胸につきそうなまでに項垂れていたが、1階の真田を見つけると全身に稲妻が走ったかのように驚いた。
慣れない靴によろけながらも、メアリーは木の手摺りに辿り着いた。
「サナダさんっ。どうして此処に」
「どうしてって、そこの横に居る奴の使いに案内されて此処に来たんですよ」
メアリーは大事な約束を反故されたかのような怒りを込めてデータスを睨みつけていた。
「どういうことですか、データス様!!」
鋭い声にデータスはどこ吹く風と素知らぬ顔をしていた。
試合でアマチュアと対峙するプロのような余裕綽々といった風貌で、ふてぶてしさを醸し出していた。
ギルトから攫われ、捉えられたメアリーは、データスから結婚するように迫られた。
今までのメアリーだったら、今の状況やデータスの強い押しに飲み込まれ、首を縦に動かしたかもしれない。
だが真田の言葉に受けた今のメアリーは違った。
選択肢を間違えれば命を落としかねない今の危機的状況や受けるかもしれない国家権力を振り翳しての貴族の嫌がらせに、鋭い刃物で背中を撫でられるかのような恐怖感を感じ、膝を小刻みに震えさせながらも、メアリーはデータスからの結婚の申し込みをきっぱりと断った。
驚いたデータスは何度も自分と結婚するようにと迫ったが、メアリーが首を縦に動かす事は無かった。
業を煮やしたデータスは、メアリーを攫わせた男を呼びつけ、その実力をメアリーに見せつけた。
一瞬にして部屋に在った長机が小さな木片に変わったのは、メアリーがより一層の恐怖感に身を委ねるのには十分だった。
恐怖に青ざめるメアリーにデータスは、止めとばかりに耳元でこう囁いた。
次にあの刃の向けられる先は一体どこになるのだろうな、と。
その一言にメアリーは、全てを理解し力なく項垂れた。
そしてデータスは再度メアリーに言った。自分と結婚するかと。
メアリーは小さく消え入りそうな声で、結婚する事を承諾した。
だがメアリーは最後の抵抗にと条件を突きつけた。
自分が結婚する代わりに他の人には一切手を出さないという条件を出した。
自分の思いが通じたと思って歓喜するデータスは、二つ返事でメアリーの条件をのんだ。
これからの人生は自分が思い描く中で最低で最悪のものになっていくのだろうとどうやってもこの生活から抜け出せない事に絶望に打ちのめされ、何も映す事が無くなったメアリーの碧の瞳からは一滴の雫が頬を伝って床に落ちた。
データスは冷ややかで意地の悪い微笑みに口元に浮かべて、真田を見下ろしていた。
自分の絶対的な有利性に酔っているように見えた。
「真田とか言ったな、我が妻が短い間だったが世話になった。少ないがこれを受け取ってほしい」
データスは持っていた手の平程の大きさの布袋を、真田の足元に落ちるように投げた。
放物線を描き、ガチャン!!と金属がぶつかる音を立てて、真田の足元に落ちた。
真田はそれを拾い、布袋の口を閉めている紐を緩めると、中から十数枚のアウムやソリン金貨が入っていた。
「‥‥‥これは」
「それは我が妻メアリーの身辺警護をしてくれた謝礼金だ。君は冒険者だろ。私もそれなりには理解があるつもりだ。この先、何かと金が要るとだろう。少ないが受け取って、ぶごっ‥‥‥」
豚のような声を出して、データスは最後まで自分の言葉を言いきる事は出来なかった。
金貨が詰まった布袋を鼻にぶつけられて、その衝撃に耐え切れず後ろに倒れたのだ。
メアリーは突然の事に、理解が追い付かず口をポカンとだらしなく開けていた。
傍についていた侍女たちは、メアリーと同様に驚いていたがすぐに職務を思い出し、倒れているデータスの傍に駆け寄った。
ふざけた事を言い出すデータスに軽くキレて、お返しとばかりに真田は布袋を投げ返したのだ。
流石に本気で投げると、データスが死んでしまう可能性があったので、手加減は忘れなかった。
ズキズキッ!!と鼻から発せられる激痛が走り、手で鼻を押さえながらデータスは涙目で真田を親の敵といわんばかりに怒りを込めて睨みつけた。
「き、貴様。よくもやってくれたな!!」
真田は呆れたという感じで肩をすくめた。
「ふざけた事をやれば、誰だってそうなる。データス、彼女にそれを着せるな。それは今の彼女が着るべきものでは無い」
「おかしな事を言う。将来的に妻になる人間にドレスを着せて、何か問題でもある。メアリーは自分の意志で私の妻となる事を決め、証としてドレスに袖を通した。‥‥‥なぁ、そうだろメアリー」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥はい」
メアリーは俯き小さい声ながらも同意した。
悔しそうに奥歯を噛みしめ、手は皺になる事も気にせずにドレスのスカート部分を強く握っていた。
真田はそれを看板の文字を見るように目を細くして見ていた。
「本当に結婚するですか。自分を攫った相手と」
メアリーは、ビクッ!!と、背中を刃物で撫でられたかのように全身を強張らせた。
そして何かに耐えるかのようにドレスのスカートを握力は増し、奥歯を強く噛み締めた。
真田はそれを気にする事無く続けた。
「貴女がそれで幸せというのならこれ以上、私は口を出す事はしません。幸せというものは他人から与えられるものでは無くて、自ら掴むものだと考えていますから。だから私はそいつと結婚するなとは言いません。それは私が考える貴女の幸せであって、貴女が考える貴女の幸せではありません。‥‥‥もう一度言います、メアリーさん。本当にデータスと結婚するんですか」
それを皮切りに室内は心臓が脈動する音が聞こえそうなまでに静まり返った。
データスは自信があるのか、何処か余裕がある態度で黙って俯くメアリーを見ていた。
室内の空虚な静寂を打ち破るかのように、メアリーは口を開いた。
「したくないわよ」
メアリーは小さいながらも、そうはっきりと呟いた。
「したくないわよ。こんな奴と!! 人の気持ちを一切考えずにただ自分の気持ちを他人に押し付けたり、嫌がっているのにしつこく付き纏ったりして。最後にはそれが通じらないとなると誘拐し、結婚を迫る奴となんて。私だって人並みに自分が好きな人と結婚したいですよ!!」
メアリーは険しく目尻を吊り上げ、爆発する怒りに耐え切れずに自身の思いの丈を声帯が悲鳴を上げんばかりに大声を出した。
世間体を気にして今まで出せなかった思いが、決壊したダムから流れてくる水のように止め処無く外に溢れていた。
今まで見た事の無いメアリーにデータスは目を丸くして驚いていた。
真田は何も言わずにただ黙って見ていた。
「‥‥‥でも。今の私に拒否出来るほど力がありません。例えこれが絶望の始まりだとしても、私はデータス様と結婚する事を決めたのです。だから、だから。サナダさん私の事を気に掛けなくても大丈夫です。今まで守ってくれてありがとうございます」
震える声で言うメアリーに真田は重い溜め息を吐いた。
「そんな今にも泣きそうな顔をして、気にしないで下さいと言われても気にしない程私は無神経ではないのでね。‥‥‥これは予定を変更ですね。メアリーさん、そんな奴を倒してギルトに一緒に帰りますよ!!」
堂々とした真田の宣言にメアリーの胸中には驚きよりも嬉しさが込み上げてきた。
自分のような平民の人生を指先を動かすような感覚で、いとも簡単に大きく歪める事が出来る特権階級の貴族に一歩も引かずに、出会った時と同じように自分を守ってくれている事に涙が出そうになった。
だが真田には無事に帰ってほしい。自分が見た悪夢のような光景がそのまま真田に行く事だけは何が何でも避けたかった。
メアリーは嬉しさで溢れ出て来た涙を白のグローブで拭き取ると、意識的に努めて氷のような冷たい顔をした。
「あなたに一体何が出来るというのですか。私と同じ一般庶民で、ランクもアハト。まだ新人の域を脱していないあなたに、何が出来るというのです」
今まで聞いた事の無い冬の夜風のように冷え冷えとしたメアリーの声に、真田は驚くも事も無く淡々としていた。
「確かに私は歴史を自在に動かせる程の権力を有していたり、物語の英雄のように万人を救える実力がある訳ではありません」
だが。
だけれども。
「貴女をこのような場所から元の日が当たる場所に、帰らせるだけの力はあると自負していますよ」
メアリーに雁字搦めに絡みつく糸を鋭い刃で切るかのように、真田はキッパリと言い放った。
メアリーは人を見下すような顔を維持するだけで精一杯だった。
少しでも気を緩ませたら、胸中で渦巻いている春の陽気を思わせるような温かな気持ちが、爆発的に全身に広がって表情はくしゃくしゃになり、今すぐにでも真田に抱き付き、助けてと懇願するかもしれない。
だがそれは今のメアリーにとっては最悪の選択だった。
その最悪の未来を迎えさせない為にメアリーは必死に自身の思いを押さえつけていた。
横で聞いていたデータスは、忌々しそうに真田を見下していた。
「やはり貴様が最大の障害のようだな」
それを合図に目の前の扉が音も無く静かに開けられた。
そこから1人の若い男が出てきた。
男は真田より頭1つ分大きく、贅肉の無い均整が取れた引き締まった身体をしていた。瞳はブラウンで金髪のショートヘアで、真田と似たような服を着ていた。
男の顔は一言で言えば凡庸な顔だ。帝都でよく見かける顔といった風貌だ。
眉毛や目、鼻、唇、顔を構成する一つ一つのパーツが、誰かに似ているような形や高さをしていた。
帝都に来てまだ日の浅い真田ですら、何処かで会ったかもしれないと思った。
不気味なほどまでにそう思わせるように、計算つくされた仮面をかぶっているとしか思えない程に。
また男が歩く音が異常なまでに静かだ。
真田は長年の癖で出来るだけ静かに歩ているが、目の前の男はそれすらも超えていた。
無音。
日本で人知れずに出て来る幽霊が此方に向かってきていると錯覚させてしまう程に、男は波一つも無い湖面のように、静かに歩いていた。
そしてその右手には刃渡り約30cmのシンプルな銀の鋭い短剣を持っていた。
真田はここ数年、感じなかった生命の危機というものを感じていた。
目の前の男の存在自体が危険だと、本能というべき所がけたたましく警鐘を鳴らしていた。
目の前の男は危険だと。目を離したら、やられるのは自分の方だと。
「(やばいやばいやばい、やばいな。これは久しぶりに本気を出さないといけないみたいだな)」
真田は無意識に抜刀すると同時に男を見る目が刃のように鋭く険しくなっていた。
だがそれと同時に心が躍り出そうとしていた。
カドモニアの森での魔獣サーベルベアーやカヌスウルフ。テラン王国との戦争で大軍勢を前にした時や指揮官のフェルデンと対峙した時にも一切感じなかった命のやり取り。
極限にまで肥大化させた自我が、互いを喰らい合う事が出来る事に真田は歓喜に打ち震えそうになった。
しかしその余計な感情が自分を殺す事になる事を知っている真田は抑えつけようとするが、久しぶりの事に中々心は静まらなかった。
だからこそ真田の口元はほんの少し歪んだ。
真田と男の距離が徐々に狭まっている時、上からこの空間を支配する緊張感に耐え切れなくなったメアリーの悲痛な叫びが飛んできた。
「サナダさん、逃げてっ!!」
それを合図に真田と男の距離は一瞬で、縮まった。
真田は鋭く真っ直ぐ刀を地面へと打ち込んだ。
しかし男にスラリと避けられた。
避けながらも男は持っていた短剣を天に掲げると、真田を空を切るような速さで狙った。
真田は視線で短剣の軌道を見ながら、身体の左半身を右足を軸にコンパスのように動かし、短剣を避け。そして右手1本で男の胴体に向けて、水平切りを放った。
男はクルリと短剣を手の平で回すと、短剣の切っ先で刀の切っ先を受けた。
力が均衡しているのか、真田の刀と男の短剣はピクリとも動かなかった。
だがそれも一瞬の事。真田が強引に振り払うと、返し刀とばかりに柄を両手で握り直し、刀を男へと走らせた。
男はそれを後ろに、トンッ!と、軽く飛ぶ事で回避した。
男は前のめりになり、空を切る刀の棟に短剣を当てた。短剣を滑らせる事で、刀による反撃を封じつつ無防備となった真田の首を刈り取ろうと、渾身の一撃を繰り出した。
真田は上体を反らせて、鼻の上を短剣が掠めると同時に体のバランスを取ろうと上げた右足を先程の真田同様に無防備となった男の脇腹に、叩き込もうとした。
真田の右足が迫ってきているのを視界に捉えた男は、後ろに飛び上った。新体操選手のような綺麗な後方宙返りをして、真田から距離を取り音も無く床に着地をした。
楽しそうな真田と無表情の男の間には、糸を張り詰めたような緊迫感が漂っていた。
片手で数える間に行われた両者の攻防に、2階で見ていたデータスは勿論の事。自分ではどうにも出来ない事に陥り、薄っすらと涙目だったメアリーですらも、驚きで目を丸くしていた。
2人の目には真田と男が何をしたのか、一切わかっていない。
ただわかったとすれば、真田と男の立ち位置が変わっていた事ぐらいだ。
メアリーの顔には驚愕の色が鮮明に浮かんでいた。
攫われた自分の目の前で見せられた、男のデモンストレーションはメアリーの戦う意気込みをくじくのは十分すぎるものだった。
だから真田に逃げてと叫んだ。
そんな相手に戦いを挑んでも、無残に命を落とすだけだと。
現実の理不尽さに押しつぶされて、どうしようもなかった自分に光明を、道標を示してくれた真田に死んでほしくは無かった。
だが、現実は違った。
相手より格下だと思われた真田が同等に戦っている。
先程まで行われていた光景が見ていたメアリーは驚きと共に収拾の見込みが立たないような混乱に陥りさせるのには十分だった。
「(ええっ、何が起きているの!!??)」
真田のランクの実力がどれぐらいなのかはメアリー自身よく知っている。
帝都周辺の魔物の討伐や採取、真田がしているような雑用のようなクエストだ。実力的にはゴブリンなどの低ランクの魔物を数体倒すのが限度だ。
稀に新人にしては実力が高い人物が冒険者として加入するが、それでもランクが2つ上のゼクスランク程度だ。
間違ってもドライ、ツヴァイ等の高ランクと思しき相手に、あのような大道芸人のような軽快な動きをして、対等の戦いを繰り広げるものでは無かった。
メアリーは寧ろあれは真田では無く、魔術で誰か別人が変装していると言われた方が納得できた。
メアリーは絶望に押し潰されている事を忘れて、ただ呆然と目の前の光景を見ていた。
その隣で見ているデータスは、驚きと共に手のひらの汗までわかるような焦りを感じていた。
データスはメアリーを手に入れるのには、近くに居る真田がどうしても邪魔だった。
邪魔者である真田を自分が殺してしまおうかと考えたが、相手は冒険者だ。
メアリーを賭けた決闘で、もしかしたら自分が思わぬ怪我をしてメアリーに心配をかけてしまう事が考えられ。また貴族とギルトに無用な軋轢を生みだしてしまう可能性があり、直接手を下す事を渋った。
だからとある方法を使い、真田やメアリーが所属するアヴェドギルトとは違う、もう一つの『あるギルト』にメアリーの誘拐と真田の殺害を依頼した。
安くは無い金を払ったおかげでメアリーを手に入れる事が出来たが、肝心の真田の殺害が出来ていない事に苛立ちが全身を侵食していた。
人を使い真田の事を調べさせ、まだ新人レベルだと分かった時は歓喜に打ち震え、勝利を確信した。
これでメアリーの心と身体は自分のものになると。
だが現実はデータスの思惑を大きく外していた。
明らかに新人では無い動きをしている真田に度肝を抜かれていた。
身を焦がすかのような焦燥感に駆られていた。
もしかしたら自分が雇った人間が負けるのではないかと。
そうなってしまえば、せっかく手に入れたメアリーを手放してしまう。
データスは顔に青筋を立て、木の手摺りを手が赤くなるかのように強く握り、喉が張り裂けんばかりの叫び声をあげた。
「何をしている!! 貴様にその下賤な者を殺させるために高い金を払ったのだ。負ける事なぞ、絶対に許されないのだぞ!!」
データスからの叱責かどうかは分からないが、男の瞳の色が明確に変わった。
先程は何も映していない透明だったが、今は殺意が宿っていた。
それは純粋なものだった。
普段は電気を通してしまう水が、不純物を全て取り除いて電気を通さない純度100%の真水のように。快楽や復讐といった言い訳を取り除き、無意識に呼吸をするかのように淡々と殺人を行い。また並の冒険者なら当てられただけで絶命してしまうかのような苛烈な瞳をしていた。
そんな強烈な殺意をピリピリと肌で感じている真田の心は祭りのように踊り出していた。
「(ああこの心地良さ、完全に忘れていたな。いつ自分の命を落とすかもしれないという極限の恐怖。この感覚こそ今自分が生きているんだなと思える瞬間だ)」
真田は戦いの中で自分が求めていたものに出会った事に歓喜していた。
だがその余計なものは戦いに必要ないと自制するが、余程嬉しいのか隠し切れずに薄く笑った。
真田は刀を鞘に戻し、左手で鞘を少し持ち上げ、右手を柄に触れるか触れないかの位置で握るようにした。そして右足を一歩前に出して腰を深く落とした。
居合いの構えだった。
真田は目の前の男には小細工は利かないと考え、自分が最も信頼する技。極めて単純だからこそ最速にして最大の攻撃力を持つ居合いに賭けた。
男は見た事の無い構えに少し驚いたが、すぐに元の無表情に戻った。
男は真田をけん制するように短剣をゆらゆらと漂わせて動かすと、ぴたりと狙いを定めて止まった。そして止まった瞬間、男は真田の心臓を突き刺そうと地面を蹴った。
真田は男が刀の間合いに入る一歩手前、流れるような動作で左手親指で鍔を上げ、右手で柄を固く握ると、刀を抜き放った。
互いに相手を必ず死に至らしめる技だ。
このまま相打ちかと思われたが、それを邪魔する物音が両者の行動を妨害した。
バンッ!!と、いきなり屋敷中の扉が勢いよく開けられた。
真田と男は、ピタッ!!と、互いの動きを止めた。
刀の切っ先は男の首筋に当てられ、短剣の切っ先は真田の服に当たっていた。
屋敷中の開けられた扉から出てきたのは表情すらない、目や鼻といった顔を構成するパーツすら無い、のっぺらぼうのような青白い少年の形をした半透明なものだった。
その数は膨大で、ホールに居るだけでも真田たちの4倍はいた。
屋敷の奥からは絹の裂くような悲鳴と何かが床に落ちる音が聞こえてきた。
半透明なものは、玄関の前に立っていたアウトローな6人の男たちを一撃で気絶させた。また2階で見ていたデータス達の後ろの扉から出てきた者たちは、何が起きているのか理解できていないデータスの襟首を掴むと、犯罪者のように強制的に床に叩きつけた。
数秒後。ようやく自分は誰かに倒されたのだと理解したデータスは、無礼なと文句を言おうとしたが、切れ味鋭そうな青い剣が目の前に突き立てられて、口を接着剤でつけてかのように閉口した。
権力を笠に着て横暴を働き自分を大きく見せているとはいえ、通常の生活圏内で生きているデータスにとって、剣も十分に恐怖の対象であり、完全に抵抗を諦めてた。
またメアリーの周囲も囲んでいた。その光景は絵本に描かれている魔物から1人の王女を守る騎士たちのように見えた。
時間にして10秒。たったその間に屋敷は青白い半透明なものに占拠された。
男は短剣を真田の心臓に突き立てながら、静かに真田に問いかけた。
「これは汝がした事か」
「ええ」
真田は明確にきっぱりと答えた。
「‥‥‥‥‥‥そうか」
男はそう静かに呟くと、真田の心臓に突き立ていた短剣を引っ込め、腰に掛けている魔力を帯びた金属製の鞘に入れた。
男の瞳には先程までの殺意は無く、元の無機質な瞳へと戻っていた。
真田は男はもう戦う意思は無いと判断し、刀を男の首元から離すと静かに鞘に入れた。
そして2階で未だに何が起きているのか理解できずに目を白黒させているメアリーに声をかけた。
「メアリーさん、もう戦いは終わりました。ギルトに帰りましょう」
「えっ、ええ」
メアリーは反射的に返事をするが、処理能力を超えた事態に次の行動に移せずに、固まったままだった。
真田はしょうがないなと苦笑し、2階に飛び上った。
それに合わせるようにメアリーの周囲に居た青白い半透明なものは、そこに元から無かったかのように消え去った。
固まっているメアリーを強引さを感じさせないごく自然に左腕で膝を掬い上げ、右腕で肩を持つ横抱きをした。いわゆるお姫様抱っこだ。
「きゃっ!」
可愛らしい悲鳴を上げるメアリーの視界には真田の顔が迫っていた。
とうに自身の処理能力を超えているのに、さらに真田にお姫様抱っこされてるという事態に処理能力は限界を超え、完全にオーバーヒートを起こし機能が完全に停止しフリーズを起こしていた。
耳まで真っ赤になって借りてきた猫のように大人しいメアリーを見て真田は。
「綺麗ですね」
「ふぇ? ‥‥‥きゃっ!」
真田はメアリーを横抱きしながら、静かに飛び上がり手摺りを越えて、1階に音も無く着地をした。
何が起きたのかわからず、周囲をキョロキョロと見回すメアリーを静かに立たせた。
真田は青白く半透明なものを使って、押さえつけているデータスを立たせると、逃げられないように腕を強く掴み、真田が待つ1階へと連れて行った。。
その姿は警察署に連行されている容疑者の様相を呈していた。
そして真田の前に連れて行くと、最初のように強引に床に叩きつけた。
乱暴なのは主人である真田が軽くキレている状態なので、致し無かったが。
「さてデータス。君はやっちゃいけない事をやってしまったな。いくら想いが通じないからと言って誘拐するのは駄目だ。ばれたら貴族とはいえ無事には済まんぞ」
データスは小馬鹿にするかのように鼻を鳴らした。
「平民の貴様に言われる筋合いは無いな。俺が好きなものを手にしようとして、何が悪い。それにメアリーちゃんは俺の事が好きなのに、貴様が居るから恥ずかしがっているだけだ!」
何も根拠のない事を自信たっぷりと言うデータスに、真田はほとほとと呆れ顔になっていた。
「そう思えるのはある意味才能だね。先程あれだけ嫌っている事を言われたというのに」
「何を言っているのかわからないな。‥‥‥おい、お前。此奴を消すために雇ったのだぞ。早く仕事をしないか」
データスは何もしようとしない男を仕事をするように促した。
だが事態はデータスの思いもよらない方向へ行っていた。
うつ伏せのデータスの前に上品そうな白の手の平のサイズの布袋が落ちた。
一瞬何が何だかわからなかったが、データスは思い出した。
男を雇った時に払った前金を入れた布袋だ。
データスは訳が分からないと目を白黒させて、雇った男を見ていると。
男は何処からか取り出した羊皮紙を取り出した。
「あっ!」
データスはその羊皮紙にも見覚えがあった。
データスの依頼。メアリーの誘拐や真田の始末について書かれて、その成功報酬の金額が書かれた。普段真田やメアリーが目にしている依頼書だった。
その依頼書を男はくしゃくしゃに丸めて空中に投げると、短剣を目にも映らない速さで依頼書を細かく切り刻んだ。
依頼書だったものは雪のようにパラパラと舞い落ちていた。
見ていた真田は男の芸当に感嘆な声を上げ拍手をして、メアリーは未だに恐怖の対象なのか警戒する目で見ていた。
その中でも1番驚いていたのは、やはりデータスだった。
目の前にある前金が入った布袋と舞い落ちる依頼書を見てようやく理解した。
此処には自分の味方など最初から居なかったと。
それを自覚したデータスは膝どころか全身の小刻みな震えが止まらず、生気の無い死人のような青白い顔になった。
真田は切っ先で恐慌状態のデータスを差しながら。
「さてメアリーさん、此奴のどうしますか。後腐れ無く殺しておきますか」
「それはころ‥‥‥」
メアリーは真田の言うとおりにデータスを殺してと言おうとしたが、それを寸前で止めた。
本当にそれでいいのかと疑念が生まれたのだ。
別にデータスを許した訳では無い。
恐慌状態のデータスに同情心が沸き立った訳でも無かった。
今でもあまりの自分勝手な言動で、自分の日々の生活や人生を大きく歪めたデータスを憎む気持には嘘偽りは無い。
だからといって気持ちのままに、データスを殺してしまえば。それは自分の気持ちのままに自分の日々を歪めていたデータスと同じではないか。
自分は違う。
自分はあのような傍若無人では無く、ちゃんと他者の気持ちを考えられる人間でありたかった。
あんなものとは一緒にしてほしくなかった。
ゆえに。
メアリーは胸中に渦巻く決して人には見せられないような黒い激情を必死に抑えながら。
「データス様」
メアリーの声にはもう怯えは無く、はっきりとした声だった。
「貴方様がこれ以上私に纏わり付いたり近づかない限りは、この日の事は私の胸の内に秘めておきます。‥‥‥ですが約束を破った事が分かり次第、この事をギルトに報告し、とるべき方法を取らせていただきます。いいですね」
データスは震えながらも分かったと、何度も頷いた。
メアリーを興味深く見ていた真田は感心したように頷くと、刀を鞘に戻した。
それに合わせてデータスを拘束していた青白く半透明なものは、音も無く消えた。
データスは何の前触れも無く拘束を解かれて解放されたが、孤立無援の状況で身も凍るような恐怖心から今すぐ此処から去りたいと一心で一目散に逃げ出した。
その姿は先程まであれほど偉ぶった人物とは思えない程に情けなく、腰が抜けよろついて満足に歩けないでいたが、何とか閉じられた扉を開けて外に出て行った。
真田はもう事態は収束したとばかりに、展開していた無属性魔術『ディムミーレス』を消した。
屋敷中にいた青白く半透明な者たちは、元から居なかったかのように消え去った。
メアリーはデータスが出て行った扉を不安げな様子で見ていた。
「サナダさん、約束を守ると思いますか」
「正直疑わしいですね。貴族は平民との約束なんて無いと同然と考えていますから、手法を変えて同じような事をするかもしれませんね」
「そうですか」
メアリーは時が立てばまた同じような事が起きてしまうのか、それと共に例え起きたとしても何の対処も出来ない無力な自分に悔しさに悔しさを覚えた。
「だけれども。また同じような事が起きても、また助けに来ますよ」
「サナダさん‥‥‥」
頬が紅潮しているメアリーは絶望の淵に立たされた熱心な信者に降りる神の救いのような事を言う真田を、熱を帯びた瞳で見ていた。
微笑む真田と熱病に侵されたかのようなメアリーから春のような温かさが醸し出され、何だかこのまま物語が終わるような流れだが、それを許さない人物が居た。
「そろそろ良いか」
突然聞こえてきた事務的で無機質な声に、メアリーは首が痛めそうな速さで声の主を見た。
それは男だった。
男は真田たちのやり取りを、特に何か言う訳では無く黙って見ていたが、流石に真田とメアリーにこれ以上見てられないと強引に入って来たのだ。
メアリーは完全に男の事を忘れていて、真田とのやり取りを見られて事に、先程とは違う意味で頬を紅潮させていた。
「青春を送るのは勝手だが、いい加減此方の質問に答えて貰おうか。先程の青白く半透明なものは汝がしたものか」
「ええ。そうです」
真田は証拠とばかりに無属性魔術『ディムミーレス』を発動させた。
すると真田の足下に魔法陣が展開され、その中から先程の青白く半透明なものが1体出現した。
真田は金で雇われた男たちに屋敷に連れられて来る途中、ノーシェバッカスを人知れずに発動させ、アウクシリアを取り出した。
そして気付かれないように魔術で隠し、自分と並行させていた。今はアウクシリアを隠すようにして屋敷の屋根に置いている。
ノーシェバッカスの特性で多大な質量を許容量を許す限り、亜空間に入れられると同時に。術者が認識できる範囲だが、任意での場所に亜空間内の荷物を放出、または中に収納する事が出来る。
真田がノーシェバッカスを覚える際に、それがあったからこそ覚えたと言っても過言では無い程だった。
終了とばかりに真田は床を足で叩くと、青白く半透明なものは音も無く消え去った。
メアリーは初めて見る魔術に驚きを持ってみていたが。男は感心したよう感嘆な声を上げた。
「ほう、我との戦闘中にそれを屋敷内に侵入させるとはな。それほどまでに我との戦いは楽だったという訳か」
「違いますよ。出来たのはあなたが手加減してくれていたから出来た芸当で、もしあなたが本気で私の事を殺しにかかるならば、このような事は出来ませんよ」
「ふむ、気付いていたか。‥‥‥まったく、何時か汝とは何の柵も無く、全力で戦いたいものだな」
男の提案に真田は困ったなと苦笑した。
「嬉しいお誘いではありますが、ご遠慮させていただきます。それは必ず何方かが死に、この帝都が廃墟とかしてしまいますから」
「それもそうだな。‥‥‥目的が達せられた以上、早々に退散しよう。これ以上いると厄介な連中が押し掛けて来るのでな」
「お礼は言いませんよ。私と貴方にメアリーさんを救出するという共通した目的があったとはいえ、貴方はメアリーさんを攫った。それによってあのような決断をさせてしまった。それは貴方にも一因がありますからね」
「わかっている。我も御礼が言われたくてした訳では無い。ただ旧友の孫娘が危機に晒されたのを、黙って見ている事が出来なかっただけだ。それにその守り手がどうなのか気になってな」
先程まで無表情だった男の表情は初めて崩れ、実に楽しそうに綻ばせ、メアリーの前に立つ真田を見ていた。
しかしそれも直ぐに表情の奥に引っ込み、元の無表情に戻った。
「あと、汝がアルベール=バジェットに出会ったならば、『幾ら手を出しにくい貴族とはいえ、身内ぐらいちゃんと守れ。今回の件は貸しだぞ』と、アベルが言っていたと伝えてくれ」
「分かりました。アルベール=バジェットさんに会ったら伝えておきます」
「宜しく頼むな。‥‥‥ではサナダよ。汝の戦いに神々の祝福があらん事を」
アベルと名乗った男はそう言うとぞっとするような無音の歩調で開いている扉から、外に出て行った。
「私たちもギルトに帰りましょうか。フィリスさんが心配していますし」
真田は何気なしに振り返りかえると、メアリーがそこには目を丸くして信じられないものを目にしたかのような驚いていた。
真田はそんなメアリーを怪訝な目で見ていた。
「どうしたんですか。メアリーさん?」
驚きが隠せないで弦を弾くかのような震える声で。
「あの男性が伝言へと言っていたアルベール=バジェットって。‥‥‥アヴェドギルトのギルト長ですよ」
「‥‥‥えっ!?」
真田の素っ頓狂な声がホール中に響いた。
そして自分の予想以上の厄介事に巻き込まれそうな事に、真田は頭を抱えそうになった。
「メアリーさん、大丈夫ですか」
「えっ、ええ。大丈夫です」
頬が紅潮しているメアリーは身体に伝わる衝撃に、舌を噛まないようにしながら返答した。
データスの屋敷からギルトに向かっている真田は、赤茶色の粘土瓦の極一般的な傾斜が緩い寄棟型の屋根をウエディングドレス姿のメアリーを横抱き、お姫様抱っこをして向かっていた。
何故メアリーが制服姿でギルトへの道を自身の足で歩いていないのかは、やはり今回の誘拐事件の首謀者であるデータスにあった。
結婚をメアリーに承諾させたデータスは、侍女にメアリーに事前に用意していたオーダーメイドのウエディングドレスを着せさせると共に、着ていたギルトの制服を廃棄するように命令していた。
これはデータスなりの見えない鎖だった。
日常の象徴であるギルトの制服を破棄する事によって、メアリーに今までの生活にはもう戻れないと同時に、自分は夫となるデータスの手の平の上に居る事を自覚させようとした。
またデータスは念には念を入れて、見つけられても着られないように、制服をズタズタに切り裂いた。これで見つけられても帰ろうと思わせないようにした。
ギルトに帰ろうとした時、このままでは帰れないとメアリーは着替えようとしたが、屋敷中を捜したが女物の服は無く、ようやく探し出せたのがズタズタに切り裂かれた制服だった。
メアリーは着る服が無いと自分が愛用していた制服が見るも無残になっている事に、泣きそうになったが、真田が強引に身体を寄させて、頭を優しく擦り、泣き止んだ。
その副反応として、メアリーはパニック状態となりオーバーヒートになりかけたが。
勿論。男である真田に女物の服を持っている訳では無く、残っていた使用人たちの服も予備は無く、結局はウエディングドレス姿で帰る事となった。
夜の見えないような暗さならまだしも、白昼堂々と明るい時にこのような恥ずかしい格好で道を歩きたくないとメアリーが言うので。真田はお姫様抱っこをして、人目がつきにくい屋根の上を歩く事にした。
メアリーは落ちないように真田の首に腕を回して、隙間が無いくらいに身体に密着していた。
結婚式をする前提だったので薄っすらとだが、化粧をして普段接しているメアリーよりも綺麗になっており、顔が目と鼻の先にあって多少はドギマギするのだが。そんな事をおくびにも出さずに真田は涼しい顔で、屋根から足を踏み外さないように慎重になりながらも素早く移動していた。
屋根の上を歩けば、衝撃で瓦同士が当たって高い音を立てるのだが、真田が瓦に着地する際に衝撃を最低限にまでに減らしているので、人には聞こえないまでに小音だった。
大通り沿いの家を行くと誰かに見られる可能性があったので、少し遠回りしながらギルトに向かっていた。
慣れない事態にメアリーはパニック状態だったが、時間が経つにつれ落ち着きを取り戻し、気持ちに余裕が生まれてきた。
そして、ふとある疑問が頭を過ぎった。
「あの、サナダさん」
それは自分の疑念を確かめるような探りを入れる声だった。
「先程の戦いを見て思ったのですが、サナダさんは新人とは思えない程に高い実力を身につけているじゃないですか。何故それを生かそうとしないのですか」
真田は屋根の上でピタリと足を止めた。そして何も言わずに黙って、遠くの空を見ていた。
メアリーはそんな真田の態度に若干の疑問を抱きつつ、更に続けた。
「サナダさんの実力があれば、直ぐにアハトからズィーベン、ゼクスとランクが上がっていきますよ。もしかしたら星の数ほど居るような冒険者の中でも、たった数人しか居ない最上位のアインスになれるかもしれないというのに。‥‥‥でも受けるクエストは誰でもできるような雑用ばかり。どうしてですか」
真田は認めたくない現実を直視するかのように、少し苦々しそうにしていた。
「‥‥‥メアリーさん。力と云うものはそんなに良いものではありません。振るった私の力だって所詮、殺人の技術。誰かを殺す事があっても、誰かを守れるような事は無いのですから」
「そんな事はありません。データスの魔の手に落ちそうだった私を守ってくれた訳じゃないですか!」
真田の独白するかのような言葉に耳が劈くかのような大声でメアリーは否定をした。
「そうですか。それならば力を振るった甲斐がありましたよ」
真田が嬉しそうに微笑むが何処か悲しげなものだった事が、メアリーにとってとても印象的だった。
「私は家具職人や料理人のような人々の生活に役立つ仕事をしたかったのですが。如何せん剣を振るうしか才能が無く、とてもではありませんが職人にはなれそうにないので。せめてこの力を使って、人々の生活に役立ちそうな雑用のようなクエストを受けているんですよ。‥‥‥わかっていただけましたか、メアリーさん」
「その意思は立派ですけど。‥‥‥でも勿体無いような」
「ただの自己満足ですから。メアリーさんがそう思うのも無理は無いですね。‥‥‥さっ、ギルトに帰りましょう。フィリスさんが待っていますよ」
話を強引に断ち切るかのように真田はその歩みを再開した。
見えない何かを振り払うかのように歩く真田に、メアリーは何も言えずに黙っている事しか出来なかった。
そして真田とメアリーは無機質な赤茶色の絨毯に消えて行った。
自分たちの大切な日常に戻るかのように。
少しネタバレになりますが、真田と戦ったアベルという男に関しては攫われたメアリーに関連します。
作中に言っていた台詞からある程度推測できると思いますが。
一体どんな人物か楽しみです。
真田君にとっては厄介な相手ですが。
誤字脱字矛盾がありましたら、ご指摘の方を宜しくお願いします。




