第4話「問いかけと、沈黙の答え」
夜の部屋は、やけに静かだった。
仲嶋颯汰は、ソファの端に座ったまま動けずにいた。
隣には穂希がいる。いつも通り、同じ空間にいるはずなのに——今日は違う。
空気が重い。
何かが“言われるのを待っている”ような静けさだった。
⸻
「なあ」
颯汰の声は、思ったより小さかった。
穂希が顔を上げる。
「……なに」
その目はいつも通り落ち着いている。
なのに、その奥に何かを隠しているようにも見えた。
颯汰は一度息を吐いてから、言葉を続ける。
「聞きたいことがある」
沈黙。
穂希は何も言わない。
その沈黙が、逆に“聞いていい”という合図のようにも思えた。
⸻
颯汰は喉を鳴らした。
「……穂希ってさ」
一拍置く。
「セクシー女優の“橋下誉”なのか?」
その瞬間、部屋の空気が止まった。
エアコンの音だけが、やけに大きく聞こえる。
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穂希は動かない。
瞬きも、視線の揺れもない。
ただ、颯汰を見ている。
数秒。
十秒。
それ以上かもしれない。
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やがて、穂希は小さく息を吐いた。
「……どこで知ったの?」
否定ではなかった。
肯定でもない。
ただ、問い返しだった。
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颯汰の胸が一気に締まる。
(やっぱり……)
確信と、同時に生まれる動揺。
「偶然だよ」
颯汰は視線を落とした。
「たまたま見た動画に、似てる人がいて……首のほくろも同じで……」
言いながら、自分でも馬鹿げていると思う。
でも止められなかった。
「それで、ずっと気になってた」
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穂希は少しだけ目を細めた。
「それだけで?」
「それだけじゃない」
颯汰は顔を上げる。
「最近の穂希、変だ」
その言葉に、穂希の表情がわずかに動く。
ほんの少しだけ。
⸻
颯汰は続ける。
「急に結婚して、普通に生活してるのに、どこか俺を遠ざけてる感じがする」
「昨日も“誰かに見られてる気がする”って言ってたよな」
「俺、全部繋がってる気がして怖いんだ」
⸻
沈黙。
穂希はしばらく俯いていた。
そして——ゆっくり口を開く。
「もし」
その声は静かだった。
「もし私が“橋下誉”だったとして」
颯汰の心臓が跳ねる。
「それが、どうするの?」
⸻
その問いは、刃物みたいだった。
確認ではない。
拒絶でもない。
ただ、“答えを試す言葉”だった。
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颯汰はすぐに答えられなかった。
少し考えて、それから言った。
「……正直、分からない」
「でも」
続ける。
「穂希が嘘ついてるなら、それは嫌だ」
「嘘じゃないなら、それもちゃんと知りたい」
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穂希の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
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長い沈黙。
やがて穂希は、視線を窓の外に向けた。
「……そう」
短い返事。
それ以上は続かない。
⸻
颯汰は耐えきれずに言った。
「否定しないんだな」
その瞬間、穂希は少しだけ笑った。
でも、それはいつもの穏やかな笑顔じゃなかった。
「否定したら、楽になる?」
「え?」
「“ただの人違いでした”って言えば、颯汰は安心する?」
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颯汰は言葉に詰まる。
確かにそうかもしれない。
でも——それだけじゃない気がした。
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穂希はゆっくり立ち上がる。
「私ね」
少し間。
「颯汰に隠してること、あるよ」
その言葉は、まっすぐだった。
逃げも、濁しもない。
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颯汰の喉が乾く。
「それって……」
「今は言えない」
穂希はそう言って、部屋の奥へ歩く。
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途中で立ち止まる。
振り返らずに、こう言った。
「でも一つだけ」
「私が誰でも」
「この結婚は、嘘じゃない」
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ドアが閉まる。
颯汰は一人残された。
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静けさの中で、彼は思う。
(嘘じゃないって、どういう意味だよ)
好きでもないのに結婚した。
冗談みたいに始まった関係。
でも穂希は、それを“嘘じゃない”と言った。
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その夜、颯汰は眠れなかった。
スマホの画面を開く。
“橋下誉”。
検索履歴の中に、その名前が残っている。
指が震える。
けれど、確かめる勇気はまだない。
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一方その頃。
別室で、穂希は鏡の前に立っていた。
髪をゆっくり束ねる。
そして、ほんの少しだけ目を伏せる。
(言うの、早かったかな)
小さく呟く。
けれどその表情は、後悔というより——覚悟に近かった。
⸻
そしてスマホが震える。
画面に表示された名前は、颯汰ではなかった。
ただ一言。
「撮影、再開できそうか?」
穂希はしばらくそれを見つめたあと、画面を消した。
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この夜から、二人の“秘密”はもう後戻りできない場所へ動き始めていた。
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