第68話 【ガベージ・コレクション】と特異点。宇宙の初期化プログラム『アビス・イーター』の襲来
全大陸ウェルビーイング支援機構の設立によって、人類は「物質的な豊かさ」と「精神的な充足」の両方を手に入れた。
病や飢えは消え、誰もが自分自身の才能を発揮し、他者と共感しながら生きる究極の平和。日本創紀学園が掲げた「異世界の完全アップデート」は、ここに極まったかに見えた。
だが、システムが「完璧な最適化(100%)」に達したその瞬間、空が漆黒に染まった。
「レ、レクト様ぁぁっ! 大変ですぅぅっ!」
名誉マスコットとなった女神アイオーンが、顔を真っ青にして理事長室に飛び込んできた。
「天界のさらに上、宇宙の根源システムから『強制削除プログラム』が実行されました! 空に開いたあの黒い穴……あれは【アビス・イーター】です!」
アイオーンが指差す上空には、すべてを吸い込む巨大なブラックホールのような空間の裂け目が出現し、そこから無数の黒い幾何学模様の巨兵が降り注いでいた。
「レクト理事長! 都市の防衛システムが次々と無効化されています! 敵は魔力や物理攻撃ではなく、存在そのものの『データ領域』を削り取ってきます!」
システム管理アシスタントのミレナが、絶望的な警告音の鳴り響くコンソールを叩きながら叫ぶ。
「強制削除プログラム……宇宙の【ガベージ・コレクション(不要データ整理)】か」
俺は冷静にモニターを分析した。
コンピューターのシステムは、長期間稼働して使われなくなったメモリ(不要なデータ)を定期的に自動削除し、容量を確保する。
「この宇宙の根源システムは、『争い』や『苦難による進化』が止まった平和な世界を『もうこれ以上発展しない不要なキャッシュデータ』と判定したんだ。だから、世界ごとフォーマット(初期化)して容量を空けようとしている」
「な、なんて理不尽な仕様ですか!」
財務顧問のアカザワが、迫り来る黒い巨兵の群れを見上げて珍しく声を荒げた。
「我々がこれほど完璧に組み上げた経済圏と平和を、ただの『ゴミファイル』として一括消去するだと!?」
「対象者の平穏な日常を不当に削除する『宇宙規模のクソ仕様』は、我々が絶対に止める!」
特務支援チーム【REDANGEL】のコイケが、レオンティーナたちと共に防壁の最前線に立ち、大剣を構えた。
だが、アビス・イーターの放つ「削除の光」に触れた瞬間、都市の外壁を構成していた強固なスマート素材が、音もなく空間から「消滅」した。
「駄目です! 物理的な防御はすべて無視されます! このままでは、あと数時間で大陸全土が完全にデリートされてしまいます!」
カメイが、避難誘導の指示を出しながら悲痛な声を上げた。
「……レクト理事長。あなたの持つ『管理者権限』と『量子AI』の全リソースをぶつけても、止まりませんか?」
アカザワが問う。
俺は少しだけ沈黙し、そして不敵に笑った。
「システム単体のスペックで言えば、宇宙の根源には勝てない。俺一人の管理者権限で解決しようとするのは、いわゆる【単一障害点(SPOF)】という最悪の設計ミスだ」
「では、どうするのですか!?」
「簡単だ。この世界のシステムを、俺一人のものから『全市民のもの』へと完全に移行する」
俺は都市の全域、いや、大陸中のすべての市民の端末へ向けて、最後の全一斉送信を行った。
『全市民に告ぐ。日本創紀学園・理事長のレクトだ』
俺の声は、かつてスラムだった街角、農業区画、鉄鋼都市、そして王都のすべてのスピーカーから鳴り響いた。
『空を見ろ。宇宙の古いシステムが、平和になった俺たちの世界を「もう進化しないゴミ」と見なして消しに来た。俺一人の力では、あれは止められない』
市民たちが不安そうに空を見上げる。
『だが、俺たちはこれまで学んできたはずだ。AI家庭教師で知識をつけ、DAOで自分たちの街のルールを決め、ピア・サポートで互いの心を支え合ってきた。君たちはもう、誰かに守られるだけの弱い存在じゃない』
俺はメインコンソールに、一つの巨大な実行キーを呼び出した。
『今日、この瞬間をもって、日本創紀学園の「全カリキュラム」を修了とする。そしてこれより、この世界の【管理者権限】を、全大陸の数億人の市民、一人ひとりに均等に分割・譲渡(オープンソース化)する!』
「なっ……!? 世界のシステム権限を、数億人にパケット分割して渡すだと!?」
アカザワが驚愕に目を見開く。
「ああ。これこそが真の【特異点】だ。一部の天才や神が世界を管理する時代は終わった」
俺がエンターキーを叩き割る勢いで押し込んだ瞬間。
大陸中の全市民の端末が、かつてない眩い黄金の光を放った。
『さあ、卒業試験だ。全員で、この理不尽な宇宙の仕様を書き換えろ!』
その声に応えたのは、旧市街のハッカー・ザックだった。
「っしゃあ! 俺たちの街をゴミ扱いさせねえ! みんな、演算リソースを俺のポートに集めろ!」
「医療AIのアルゴリズムを転用して、敵の削除コードに『自己修復パッチ』を強制上書きします!」
エルがVR空間から神速のタイピングで援護する。
「ここは私たちが食い止める! 誰も死なせない!」
リナやガンツたち冒険者が、コイケたちと肩を並べ、黄金の魔力(管理者権限)を纏って黒い巨兵を次々と押し返していく。
数億人の市民が、自分の得意な分野で、自らの意思でシステムにアクセスし、世界を守るために並列処理を開始したのだ。
その膨大で圧倒的な「進化への意志」のトラフィックは、宇宙の初期化プログラムの予測計算を遥かに凌駕していた。
『ば、馬鹿な……! デリート処理が追いつかない! この世界の進化は止まっていたはずでは……!?』
空の巨大な裂け目が、市民たちの放つ黄金の光の奔流によって、逆に侵食され始めていた。
「見たか、アビス・イーター。これが『自分らしく生きる』ことを知った人間の、無限の拡張性だ」
一部の特権階級でも、神でもなく、「全員」が世界の主役となった時。
日本創紀学園の究極の伴走支援は、ついに宇宙の理すらも打ち砕こうとしていた。
キャラクター・プロフィール
レクト
役割:主人公(日本創紀学園・理事長)
状況:宇宙の初期化プログラムに対し、自身が独占していた【管理者権限】を放棄。全市民に権限を分割譲渡する『権限のオープンソース化』を決行し、数億人の並列処理によって宇宙規模のバグに立ち向かう「究極の卒業試験」を開始した。
市民たち(ザック、エル、リナ、ガンツなど)
役割:日本創紀学園の『卒業生』たち
状況:かつては保護されるだけの対象者だったが、レクトの支援によって才能を開花させ、全員が世界をアップデートする「共同管理者」へと進化した。
アビス・イーター(New)
役割:宇宙の根源システム(ラスボス)
状況:「平和=進化の停止=不要データ」と判定して世界を初期化しようとする古い仕様。しかし、数億人の市民による予測不能な進化のエネルギー(トラフィック)の前に、処理落ち(フリーズ)を起こし始めている。




