第66話 【ベーシック・インカム】とポスト・スカーシティ。働かざる者も『自分らしく』生きる世界
女神アイオーンをシステムの「名誉マスコット」として取り込み、天界のエネルギー供給すらもサブスクリプション化した日本創紀学園。
スマートグリッドによる無限のエネルギーと、AI・RPAによる生産の全自動化により、大陸はついに「欠乏」という概念が消滅した【ポスト・スカーシティ(脱希少性)経済】へと突入していた。
もはや、生きるために汗水垂らして働く必要はなくなった。
だが、この急激な変化に、ある「古い価値観」が激しく反発した。
「レクト理事長。大陸北方の鉄鋼都市『アイアン・フィスト』の領主、ドロッセル伯爵が、我々の提供する自動生産ラインをすべて破壊し、領民に『手作業による過酷な強制労働』を強いています」
理事長室で、財務顧問のアカザワがモニターに映る痛ましい映像を指し示した。
そこには、最新のゴーレムを使えば一瞬で終わる採掘作業を、血を流しながらツルハシで行う領民たちの姿があった。
「ドロッセル伯爵はこう主張しています。『人間は苦労して働いてこそ価値がある。働かざる者に食わせるなど、魂を腐らせる悪行だ』と」
「『苦労=美徳』という呪縛か。本人が好きでやる分には勝手だが、それを他人に強いて生存権を脅かすのは、ただの【システムエラー】だ」
俺は冷めたコーヒーを置き、立ち上がった。
「生存のための労働は、すでにテクノロジーによって代替された。これからの人間にとって、労働は『義務』ではなく『自己実現』へと昇華されるべきだ。アカザワ、全大陸に【ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)】のコードをデプロイするぞ」
【鉄鋼都市『アイアン・フィスト』にて】
「いいか、愚民ども! 楽をして生きるなど、神への冒涜だ! もっと働け! 手の皮が剥けるまでツルハシを振るうことこそが、お前たちの『生きている証』なのだ!」
豪華な毛皮を纏ったドロッセル伯爵が、痩せこけた領民たちをムチで打ち据えていた。
そこへ、俺とアカザワ、そして女神アイオーン(アバター姿)を連れて乗り込んだ。
「ドロッセル伯爵。その時代遅れの『根性論』による圧政は、今日で終了だ」
「何だと!? レクト、貴様か! お前がバラ撒いた『働かなくても食える』という甘い毒のせいで、世界の規律が乱れているのだ! 人間は、飢えと恐怖がなければ動かぬ生き物なのだぞ!」
「それはお前の想像力が欠如しているだけだ」
俺は空中に、全大陸共通のデジタル通貨『エール』の管理画面を投影した。
「今日から、大陸中の全市民に対し、毎月一定額の『エール』を無条件で給付する。食費、住居費、医療費……これら生存に必要なコストは、すべてこの【ベーシック・インカム】でカバーされる。もう誰一人、飢えるために嫌な仕事をする必要はない」
「馬鹿な……! そんなことをすれば、誰も働かなくなり、世界は停滞して滅びるに決まっている!」
ドロッセルが勝ち誇ったように叫ぶが、俺は静かに首を振った。
「逆だ。生存の不安から解放された人間が、次に何を始めるか……その【アセスメント】データを見てみろ」
俺が操作すると、世界中で「自分の意思」で動き始めた人々のライブ映像が映し出された。
「見てみろ。生活の心配がなくなった兵士は、ずっと描きたかった絵を描き始めた。強制労働から解放された農民は、自ら新しい品種の野菜を作るための研究に没頭している。……そして」
画面には、かつて俺が支援した元戦士の老人・ガンツが、笑顔で子供たちに剣術を教えている姿が映っていた。
「彼らは『お金のため』に働いているんじゃない。自分の才能を誰かのために使い、社会と繋がる喜びのために動いている。これこそが、俺が目指す【サービス管理責任者】としての究極の支援、すなわち『自己実現のサポート』だ」
「な、ななっ……!? 無償で、自発的に働くだと!? そんな利他的なことが、人間にできるはずが……!」
「できるさ。人間は、生存の奴隷から解放されたとき、初めて『自分らしく』生きる自由を手に入れるんだ」
「対象者の可能性を縛り付ける『根性論のバグ』は、我々がデリートする!」
背後に控えていた特務支援チームのコイケが、ドロッセルの持っていたムチを奪い取り、瞬時に物理的に裁断した。
「ドロッセル伯爵。あなたが領民から搾取していた不当な労働利益と、隠し財産の全ログ……すべて【UBIの財源】として、たった今、全大陸の市民に分配されました」
アカザワが冷徹に眼鏡を光らせる。
「ひ、ひぃぃぃっ! 私の、私の支配と特権が、平民たちに配られただとぉぉっ!」
ドロッセルは、自分が信じていた「労働による支配」が、圧倒的な「富の分配」の前に崩れ去る絶望の中で、衛兵に連行されていった。
【数日後・スマートシティにて】
「レクト理事長、UBI導入後の幸福度指数が、過去最高値を更新し続けています。犯罪率はさらに下がり、新しい芸術や技術の創出スピードは、従来の100倍に加速しました」
カメイが、輝くような笑顔で報告してくる。
「ああ。人はパンのみにて生きるにあらず。だが、パンの心配がなくなって初めて、人は『心』と『暮らし(くらし)』の豊かさを追求できるんだ」
俺は、窓の外で自由に、そして情熱的に自分の「好き」を追求する市民たちを眺めた。
「レクト様ぁ! 私もUBIで貰ったエールで、天界のネット回線を光ファイバーに増速しましたぁ! これで動画配信がサクサクですぅ!」
女神アイオーンがタブレットを抱えてはしゃいでいる。
「……神様が一番恩恵を受けてるな」
俺は苦笑しながら、最高級のコーヒーを口にした。
生存のための苦役を終わらせ、全人類を「表現者」へと変革する。
日本創紀学園がもたらした【ベーシック・インカム】は、異世界に、歴史上類を見ない「真の自由」を定着させた。
キャラクター・プロフィール
レクト
役割:主人公(日本創紀学園・理事長 兼 サービス管理責任者)
状況:ポスト・スカーシティ経済への移行に伴い、【ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)】を導入。「働かなければ死ぬ」という恐怖による支配を終わらせ、すべての人間が自分の才能と情熱に従って生きる「自己実現社会」を構築した。
アカザワ
役割:財務顧問
状況:搾取的な領主の財産を「不当利益の還付」として、スマートに全市民に再分配するシステムを構築。資本主義の極北である「脱労働社会」の完成を冷徹に、かつ満足げに見守っている。
ドロッセル伯爵(New)
役割:鉄鋼都市の領主(ざまぁ完了)
状況:「苦労こそ美徳」という価値観を盾に領民を酷使していたが、レクトのUBIによって労働力が完全に流出。資産も分配され、現在は自分が「手作業での皿洗い」という、自ら提唱した美徳(苦行)に勤しんでいる。
ガンツ
役割:元戦士の老人
状況:UBIによって生活が保証されたことで、純粋に「次世代を育てたい」という願いに専念。ボランティアで子供たちに剣を教える、幸福な隠居生活を送っている。
アイオーン
役割:名誉マスコット(女神)
状況:UBIの給付金をすべて「天界のIT環境改善」に注ぎ込む。最近は「自分らしく生きる」を履き違え、ただのゲーマー女神化しつつある。




