06 熊の過去
夏休みに入ってすぐ、母と四姉妹はアビエスに向けて出発した。父は忙しいので王都に残る。馬車に揺られること3日。野を越え山を越え、どんどん細くなる街道の終点が、熊の故郷であった。
「ようこそアビエスへ。何もない田舎で驚かれたでしょう」
女領主は、ゼルコーヴァ家一行を別荘へ案内した。護衛やメイドを含めたら結構な大所帯なので、そこを2週間ほど借りたのである。すぐ前に美しい湖が広がっていて、浅瀬に入ることもできる。ユリアとリリアは大喜びで、水遊びを始めた。
「別荘の周囲に領民は近づきませんから。ご安心ください」
「お気遣い、痛み入ります」
母が黄金色の手土産を差し出すと、女領主は笑顔で受け取った。無理を言って、観光地でもないアビエスに押しかけた、そのお礼だ。
「どうぞ、ゆっくりお過ごしください。ソフィア様。この者が、ウォルの家を管理しています。後ほど案内いたします」
紹介されたのは、白髪の老人だった。荷解きが終わった後、母とマグダレーナは休むと言うので、ソフィアは早速、老人を呼んだ。
「今から案内してもらえる?遠いなら明日にするけど」
老人は首を振った。
「このすぐ近ぐだすから。歩いでいぐべ」
「歩くの?馬車では行けない?」
「森の中だすから。馬車じゃ無理だす」
田舎の『すぐ近く』は信用できないと聞く。ソフィアは歩きやすい靴に履き替えて、護衛を連れて別荘を出た。老人の先導で、深い森の小道を1時間ばかり行ったところに、小さな家があった。
「あれだす」
◇
入ってすぐに居間のような空間と、奥に台所があった。使い込まれた家具や道具から、質素な暮らしが想像できる。老人の話では、3年前の流行病で、相次いで両親が死亡。妹は山向こうの村に嫁いだそうだ。
「ウォルの部屋は?」と尋ねると、老人は無言で、2つしかないドアの片方を指した。
ソフィアは、軋むドアを開けた。真っ暗で何も見えない。護衛が台所にあったランプを点けた。すると、鮮やかなフレスコ画が照らし出された。
(!!)
壁一面に、植物文様に縁取られた、結婚式や戦争などの場面が描かれている。物語絵のように見えるが、どこが始まりで終わりなのか。灯りを近づけて観察すると、始祖マグナスらしき絵を見つけた。そこから、登場人物の服装を頼りに時代を下る。何代もの王の人生を経た後、同じ顔の王子が剣で戦う場面になった。
「これは誰?こんな歴史は知らない…」
思わず漏れ出た呟きに、老人が答えた。
「500年前、この地に追放された、ウォルフガング1世です」
ソフィアは心臓が飛び出るほど驚いた。訛っていない。窓のない奇妙な部屋。木こりの家に相応しくない壁画。これ以上聞かない方が良い気がしたが、好奇心が勝った。
「追放?臣籍に下ったんでしょう?」
「いいえ。弟に罪を着せられ、僅かな近習たちと共に追放されたのです。この絵は、一族の苦難を忘れぬよう、ウォルフガング1世が描かせたもの。続きをご覧ください」
目を壁に戻す。戦いに敗れた王子は、野山を流離い、ついに美しい湖のほとりに辿り着く。そして、その地の女を娶った。
その後は黒髪の男の肖像画が続く。それぞれに名前が記してあり、『ウォルフガング14世』で終わっている。痩せる前の熊だ。
「つまり、こう言いたいわけ?『こちらこそが正当な王朝だ』って?」
「そうです。継承権1位は、兄のウォルフガング1世だったのですから。弟王子は謀反人…私たちは、そう教わってきました」
「私たち?」
老人はしわ深い顔を歪ませた。
「この集落の人間は、落ち延びた近習の子孫です。王家の末も木こりとなり、日々の暮らしで精一杯…しかし!」
突然、大きな声を出され、ソフィアはビクッとした。老人の目が狂気の色を帯びた。
「謀反人の血筋は途絶えた!ザマアミロ!ハハハハハハ!」
危険を感じた護衛が取り押さえようとする。だがその前に、老人は白目を剥いて倒れてしまった。護衛は慌てて脈を確かめ、ソフィアは恐る恐る、覗き込んだ。
「死んじゃった?」
「死んではいません。別荘まで運びましょう」
「帰り道は分かる?」
しっかり者の護衛は目印を残してきたそうだ。老人を護衛に背負ってもらい、ソフィアは熊の家を出た。
◇
老人を別荘の管理人に託した後、夕食まで時間があるので、図書室に行った。そこで見つけた郷土史の本によると、500年前、この辺り一帯はマグナシルヴァ王国ではなかった。原生林と岩しかない荒れ野を、アビエス一族が開墾したそうだ。
ウォルフガング1世とやらが流れ着いて、子孫を残したという話も載っていた。よくある落人伝説みたいなものだ。本文には数行しか記されていないが、巻末に史跡の地図があった。湖の対岸に彼の墓があるらしい。
(明日にでも行ってみよう)
ソフィアは本を閉じた。そこへ、リリアが「夕食だよ」と呼びにきたので、食堂に向かった。食事中、小さな妹達は「湖に魚が沢山いた」、マグダレーナと母は「可愛い白い小鳥が遊びに来た」と教えてくれた。楽しい午後を過ごしたようだ。
「殿下のご実家はどうだった?」と母に訊かれたが、
「うーん。普通。小さかった」
曖昧に答えて、詳しい事は伏せる事にした。
◇
慣れないベッドのせいか、眠れない。ソフィアは何度も寝返りを打ちつつ、想いを巡らせていた。あの壁画と老人は、熊に何を教え込んだのか。本当は、先祖の悲願を叶えるために、父の誘いに応じたのでは。そうであれば、流罪などに甘んじる訳がない。
(最悪、反乱を起こすかも)
ゼルコーヴァ家は当然、鎮圧する側だ。後継に復帰したソフィアは、熊と戦うかもしれない。
良くない想像を振り払い、彼女は無理矢理、目を瞑った。だが浅い眠りは不吉な夢を見せた。冷たい表情の熊が、小さな王女達の亡骸を見下ろしている。その大きな手には血まみれの剣。斬られた所で、目が覚めた。
◇
翌日、管理人にあの老人の様子を尋ねたら、昏睡状態で、このまま目覚めない可能性もある、と言われた。そして別の案内人をつけてくれた。
「ウォルの御先祖の墓?ああ、湖の向ごうのね。分がった。舟でえぐべ」
今度は20代くらいの青年だった。あの老人の孫で、熊の幼馴染だという。ソフィアと護衛をボートに乗せ、大きな櫂で漕ぎながら、熊の話をしてくれた。
「アイツは昔がら相撲が強ぐでね。顔もええがら女の子さモテモテで。んだども、誰にでも優しえがら、妬まれねんだよ」
「まあ、確かに優しいわね」
「昔、捨てられだ赤ん坊拾ってぎで、『うちに置いでけれ。おいの飯半分あげでええ』って親父さ頼んだんだよ。それが妹のエマだやぁ」
「え?!」
女領主からチラと聞いたけれど、血が繋がっていないとは知らなかった。青年によると、熊は妹の結婚式を見届けた後、王都に行ったそうだ。周囲には、『王の試練を受けに行く』とだけ言っていたらしい。
「帰ってこねって事は、合格だったんだな。凄ぇ。爺っちゃの言ってだのは本当だったんだ」
「あなたは信じてなかったの?」
青年は首を振った。
「みんなホラ話さ思ってだよ…なんか、速ぇな。何だべ?」
急に漕ぐのをやめて、彼は湖を覗き込んだ。釣られて下を見た乗客は叫んだ。
「何これ?!」
なんと、夥しい数の魚が、ボートを押しているのだ。
「さあ。分がんねんだども、楽でええや」
これは何かの啓示だろうか?『早く来い』と言われているようで気味が悪い。やがて、舟は向こう岸に着いた。
◇
気を取り直して、ウォルフガング1世の墓に向かう。道を塞ぐ草木を、青年がナタで切り開きながら案内してくれた。やっと着いた墓も、半ば崩れ、草に覆われていた。
「これが墓だやぁ。なんか彫ってあるんだども、読めねべ」
ソフィアは目を凝らした。しかし、すっかり風化していて、判読はできなかった。
「もう誰も来ねんだ。んだどもえがったな。子孫が王様になるんだど」
青年は、腰に吊るした水筒の中身を墓石にかけた。ソフィアは顔を顰めた。飲みかけなんて失礼だ。彼女は、持ってきた籠から上等な葡萄酒とパンを出して墓前に並べ、目を瞑った。
(どうか、熊がクーデターを起こしませんように)
ボロいお墓は作り直します。壁画を参考に、立派な銅像も建てますから…その時、護衛が小声で呼んだ。
「お嬢様」
「何よ」
「その、鳥が…」
目を開けると、墓石の上にびっしりと白い小鳥が止まっている。つぶらな黒い目が、『否!』と言っているようで、彼女は思わず後退った。だが青年が呑気な口調で、
「これが欲しぇんだ」
供物のパンを一つ取り、小さく千切って撒くと、小鳥達は一斉に地面に下りた。夢中でパンのかけらを啄むのを見て、ソフィアは体の力を抜いた。
(ダメだ。夢のせいで過敏になってる)
その後は不思議な事もなく、これで、熊に関する調査は終了となった。
◇
あっという間に2週間が過ぎた。アビエス最後の夜、ゼルコーヴァ家は、女領主から送別の宴に招待された。
夕食会も終わる頃、「アビエスはいかがでした?」と訊かれ、ソフィア達は口々に美しい自然を褒め称えた。
「それはようございました。この地方には、独特な音楽や踊りもあるんですよ。村人が、ぜひお目にかけたいと申しています。どうぞ、中庭へ」
「面白そう!行きましょうよ!」
ユリアが席を立ち、リリアの手を引く。ソフィアとマグダレーナは慌てて後を追い、母とアビエス卿は話しながら、ゆっくりと中庭へ下りていった。
◇
広い中庭に篝火が焚かれ、多くの村人が集まっていた。踊り手らしき娘達は、手の込んだ刺繍の衣装と、ふんだんに鈴が付いた装飾品を身に着けている。
領主と客人が着席すると、早速、賑やかな音楽に合わせて踊りが始まった。村長の説明によると、500年以上前から伝わる、伝統芸能だそうな。
「村の歴史を表現しています。今、男の踊り手が加わりました。流れ着いた王子が、村娘と出会う場面です」
ソフィアはふと思った。あの老人が言ったのは、芝居のセリフか何かではないか。物語と現実が混ざったに違いない。
熊は、捨てられた赤子を妹にした。自由と引き換えに恋人を救った。野良猫同然の王女に文字を教えた。虐待されていた女生徒の未来を守った。謀反を企む悪人である筈がない。
「王子は森の番人となり、村娘と末長く幸せに暮らしました」
解説通り、舞踏はフィナーレを迎えた。最後に踊り子達が一列になってお辞儀をする。客人は拍手で称えた。すると、王子役の青年が進み出て、
「お願いだす。ウォルさ、これ届げでたんせ」
と、赤い模様が描かれた布を差し出した。それを村長が受け取って、母に渡した。近くで見たら、刺繍ではなく、たくさんの玉結びでできた猛獣の絵柄であった。
母は首を傾げた。
「これは?」
「千人針って言う矢が当だらねお守りだす。今、ウォルは戦さ行ってらって聞いで、皆で作ったんだす。アイツは優しぇがら、きっと無茶するで思うがら」
踊り子も演奏者も、皆が深く頭を下げる。ソフィアは胸が痛んだ。こんなにも多くの人に愛されているのに、陛下が回復したら流罪になるなんて。とても言えない。
彼女は、吠える猛獣をそっと撫でた。
「勇ましい熊ね。武運長久を表してるのかしら?」
「虎だすけど?」
よくよく見たら、尻尾が長い。ソフィアは「コホン」と咳払いをして、
「分かりました。必ずウォルに届けます。ありがとう、皆さん」
何事もなかったかのように、優雅に頷いた。




