05 野良猫
翌日、熊は国境に向けて出発したそうだ。出陣の式典もパレードもなかった。評議会の悪意を感じる。放課後、ソフィアは『父に差し入れを届ける』という名目で王城に行った。
父は会議中だったが、軽食を受け取った秘書が、小さな声で教えてくれた。
「総大将はチェドラス将軍ですが、急遽、ロッソ公も同行することになりました。最近、保守派と近いので、わざと交渉を決裂させて、殿下の責を問うつもりかもしれません」
(死ね!保守派!没落しろ!ロッソ家!)
彼女は老害どもを呪いながら、王太子宮に向かった。小姓に頼んで庭に入れてもらうと、持ってきたバスケットから餌を取り出し、地面に置いた。そして教えられた通りに猫を呼んだ。
「ご飯よー!」
数分待っても出てこない。諦めて帰ろうとした時、茂みが揺れた。護衛が反射的に前に出ようとする。しかし、出てきたのは小さな女の子であった。見たところ、3、4歳。妙に丈の短い服から痩せた手足が覗いている。
女の子はいきなり、手掴みで食べ始めた。皿に入れた牛乳も、動物のように顔を近づけて飲み、最後の一雫まで舐め取った。食べ終わると、呆然とするソフィアを置いて、茂みに消えた。
「何?今の…」
「少なくとも猫じゃありませんね」
護衛も驚いている。浮浪児?王城に?彼女は、先ほどの小姓に金貨を握らせて、女の子の正体を探った。すると、王女の一人であることが分かった。
「母親の側室様が育児を放棄しているんです。他のお妃達も面倒を見ないので、食べ残しを漁ったりしてます。最近は、ウォルフガング殿下が、ご自分の食事を分けてやってて…」
「どうして面倒見ないの?!曲がりなりにも王女でしょ?母方の実家はどこなの?」
捲し立てるように尋ねると、小姓はそっけなく言った。
「どうも片耳が聞こえないらしくて。王子でもないし。母親もその実家も、早く死んで欲しいんじゃないですかね」
「!!」
怒り心頭に発したソフィアは、大股にその場を離れた。もう父の許可は取らない。あの子を保護する。どうやって捕まえよう…考えながら歩いていると、廊下の向こうからヒルデガルドが来た。神殿の用事で登城したのか、白い神官服を着て、父親のアルバ公と一緒だった。
「ヒルデガルド!」
ソフィアは柱の影から、そっと手招きした。それに気づいたヒルデガルドは、父親に何か言ってから、一人でこちらに来てくれた。
「何?」
「あなたの魔法で助けて欲しいの」
「良いわよ」
聖女は迷わず頷いた。
◇
二人はまず、喫茶室に行った。そこで打ち合わせをして、持ち帰りのケーキを買った。再び王太子宮に戻り、誰もいないのを見計らって庭に出ると、ケーキの箱を開けて呼びかけた。
「おやつよー!」
女の子はすぐに現れた。ケーキを物凄い勢いで平げ、立ち上がろうとしたら、パタリと倒れて眠った。ヒルデガルドの昏睡魔法入りケーキだったのだ。
「バスケットに入れて運んで」
護衛は嫌々命令に従った。誰かに見咎められるかもとドキドキしていたが、拍子抜けするほど簡単に停車場まで運べてしまった。聖女は最後まで一緒にいてくれた。馬車にバスケットを積み込み、ソフィアは頭を下げた。
「本当にありがとう。ヒルデガルド」
「どういたしまして。ところで、あなたの守護霊が『そろそろヒルダって呼んだら?』って言ってるわよ」
ソフィアは笑ってヒルダの手を取った。
「じゃあ、貴女もソフィって呼んでよ」
「そうね。守護霊もそう言ってる」
二人は笑って別れた。五大老家の馬車は、城門での検問を免除されている。悠々と城を出た後、女の子をバスケットから出した。灰色のボサボサの髪、薄汚れた服。割れた爪が痛々しい。
「旦那様に何て言うつもりです?」
呆れ顔の護衛に、ソフィアはキッパリと言った。
「この子は猫よ。誰も面倒を見ないから、私が拾ったの」
◇
目覚めた直後は怯えていたが、母が風呂に入れて妹のお下がりを着せてやると、女の子は大人しくなった。金色の髪、薄水色の瞳の可愛らしい子だ。確かに左耳の聞こえが悪そうだけれど、言葉も話せる。妹が人形遊びに誘ったら、『やる』と言っていたから。
案の定、父は頭を抱えてしまった。今度こそ、正真正銘の誘拐だ。ゼルコーヴァ家が謀反人になると言う。だがソフィアは一歩も引かなかった。
「いいえ!あの子は猫です!世話もされず、残飯を漁る王女など、いるはずがありません!」
「たとえそうでも、いつか気づかれる。その小姓を始末しない限りな!」
言い争っている最中、『至急だそうです』と言って、執事が手紙を持ってきた。封蝋にはアルバ家の白樺の紋。父は読み終えると、娘にそれを渡した。
『第24王女:出生時の記録はあるが、王族籍への登録は無し。存命であれば6歳と推定される』
最後に大神官の正式な印が押されている。『存命であれば』。つまり、あの子は幽霊なのだ。
(ありがとう。ヒルダ)
その日から、ゼルコーヴァ家の娘は4人になった。
◇
王女には名前が無かった。『おい』とか『お前』などと呼ばれていたらしい。仕方なく、父が『リリア』と名付けた。リリアはまさに野良猫だった。生活習慣もメチャクチャで、朝は起きて夜になったら寝る事から教えねばならない。何でも口に入れる癖があり、トイレも適当。それを、母が根気強く教えている。
幸い、頭の良い子なので、赤子を育てる程大変ではないらしい。妹も一緒に遊んだり、面倒を見たりしている。ソフィアは絵本の読み聞かせ係だ。驚いたことに、リリアは字を知っていた。
「ウォルが教えた」と言う。最初は大男に警戒して近づかなかったが、食べ物をくれるので、その内に話すようになったそうだ。彼が書く字を真似すると、デザートもくれるので、リリアはすぐに字を覚えた。でもその後、彼は戦争に行ってしまった。
「しばらく来れないけど、キレイなお姉さんが、食べ物を持ってきてくれるって言った」
ソフィアなら、王女を保護すると思っていたのだろう。猫の餌やりなんて騙して。小憎らしい事この上無い。
◇
学園の教師の中にも出征した人がいて、休講が多くなった。午後の授業が無くなったある日、早目に帰宅すると、玄関ホールでアビエスの女領主に会った。熊の恋人の一件以来だ。ソフィアは素知らぬ顔で挨拶をした。
「ご無沙汰しています、アビエス卿。お元気でしたか?」
「お陰様で。ソフィア様もお元気そうで何よりです」
来たばかりのようで、もう一人、老婆がいる。母は娘に「アビエス卿をお通しして」と命じて、その老婆と二階へ上がって行った。ソフィアは女領主を応接室に案内し、侍女に茶を出させた。
「今日はどういったご用件で?」
と尋ねると、女領主は侍女が出ていくのを待って、口を開いた。
「ウォルに頼まれたのよ。アビエスの産婆を連れてきてくれって」
「え?」
マグダレーナの事か。でも、まだ産み月ではないと思うが…戸惑うソフィアに、アビエス卿はやんわりと言った。
「逆よ。流すなら早い方が良いでしょう。王都の病院じゃ、色々と面倒だから」
彼女は、今頃気づいた。兄の虐待の末に身籠ったのだ。産むなんてあり得ないのに。
「田舎には多いのよ。両方請け負う産婆が。どこの令嬢か知らないけど、可哀想にね。ゼルコーヴァ夫人が意思を確認したそうだから、連れてきたわ」
ソフィアは顔を伏せた。マグダレーナを連れ帰り、医師に診せただけで安心していた。でも熊と母は違った。すべき事を知っていたのだ。自分の愚かしさ、未熟さに腹が立つ。
アビエス卿は、ソフィアの心を読んだように、「気にしないの。未婚の令嬢なら当然よ」と慰めてくれた。初対面では厳しかったが、本当は優しい人かもしれない。
「…でもウォルは知っていました。そして動いた」
「単に可哀想だったんでしょう。妹と二人暮らしだったから」
そう言えば、婚約者だというのに、熊の家族について何も知らない。もう少し聞きたかったが、母が入って来たので、それ以上は聞けなかった。
◇
翌日、試験結果が張り出された。ソフィアはどんよりと重い足取りで掲示板に向かった。あんなに頑張ったのに、熊は復学すら怪しい。もう、順位などどうでも良かった。
「ソフィア!見て!」
友人達に手を引かれ、前の方に行くと、
『総合1位:ウォルフガング・マグナシルヴァ殿下』と書かれている。いつも首席のフィリップが2位で、ソフィアが3位だった。
(忖度?いくら何でも、やり過ぎじゃない?)
同じ事を思った生徒が、通りがかった教師に食ってかかった。
「先生!あれ、嘘ですよね?」
「いや?圧倒的な点差だったよ?」
「まさか!僕らは子供の頃から勉強してるんですよ?たった数ヶ月で…」
「長く学べば良いってものじゃない。疑うなら、職員室に来なさい。彼の答案を見せてあげよう」
と呆れたように言うので、ソフィアも一緒について行った。
◇
職員室のテーブルに並べた答案に、間違いは一箇所も無かった。確かに熊の字だ。教師は興奮気味に説明した。
「殿下は天才なんだよ。私も初めて会った。見たものを瞬時に脳に刻み込み、決して忘れない。しかも、膨大な知識を応用して、アイデアを生み出すこともできる。普通は、社会性の欠如とか、色々とデメリットがある筈なのに、それも無い。まさに神童…成人してるから、ちょっと違うか。何て言ったら良いのかなぁ」
「神の才能、“神才”はどうだ?」
「まさにそれだ!」
教師達は、彼がいかに優秀な生徒であるかを論じ合う。だがソフィアはショックだった。放課後の自習など、全く必要なかったのだ。
1枚だけ、誤答も無いのに満点ではなかった。どこで減点されたのだろう。
「裏を見てごらん」
と言われたので、裏返した。
(?!)
「上手いけど、不謹慎だから減点1ね」
全面にソフィアの絵が描かれていた。大きく胸元の開いたドレスは、見合いの時のもので、谷間が強調されている。ソフィアは急いで表に返した。振り向いたら、男子学生が手で両目を覆っていた。
「…見た?」
「見てません!先生!ありがとうございました!失礼します!」
彼は職員室から走り去った。
◇
ともかく。熊は、教師が舌を巻くほどの才能と、それを隠す狡猾さを持っていた。『偶然成り上がった田舎者』という認識は、間違いであった。でも、マグダレーナやリリアへの優しさは嘘じゃない。
(どっちが本当?)
ソフィアは迷った末、学園が夏休みに入ると、アビエスに向かった。




