04 継承戦争
翌日からマグダレーナは休ませた。何度かロッソ家から使者が来たらしいが、『会いたければ、どうぞお越しになって』と、母が追い返したそうだ。
試験が終わると、学園は緩んだ空気に包まれた。だが、それを揺るがす大事件が起きた。隣国ミクロス王国が、マグナシルヴァの王位継承に異議を申し立ててきたのだ。
昼休みの食堂は、その噂で持ちきりだ。ソフィア達もフィリップの話を熱心に聞いた。
「ミクロスには先代陛下の王女が嫁いでいる。つまり、向こうの王子に継承権があるって主張してるんだ。もちろん五大老を始め、評議会は断固拒否。女系には継承資格が無いって、何度も伝えたけど、無視された。ただの言い掛かりだよ」
「ならば開戦だ!!」
急にエルネスト・チェドラスが割り込んできた。なぜか熊の横に陣取って、息を巻いている。
「今こそ、我が国の力を世界に示す時だ!そうだろう?!ウォルフガング!」
「おいだば関係ねべ。あど、唾飛ばすなよ」
熊は嫌そうに顔を背けるが、エルネストはしつこく言い張った。
「何を言う!お前に売られた喧嘩だ!買え!ミクロスなんぞ叩き潰せ!」
「嫌だやぁ。戦争なんて。やりだぎゃ、チェ、おめ一人でやれ」
「何だと?!」
掴み合いになりかけた時、給仕が、「王城の使いが来ました」と言いに来た。伝令史の制服を着た男が、「至急、登城してください。馬車は用意してあります」と告げたが、熊は首を振った。
「わりぇんだども、知らね人についで行ってはいげねって言われでらんだ」
顔に『面倒臭い』と書いてある。仕方なく、ソフィアは教えてやった。
「この人はちゃんとした伝令史よ。ほら、早く行きなさい」
「んじゃ、チェも一緒さ来いよ。多分、その話だんて」
エスネストは「承知した!」と立ち上がり、熊と食堂を出て行った。ソフィアの心臓は早鐘を打った。『その話』とはミクロスの件だ。
(まさか、戦に?)
よほど不安な顔をしていたのか、
「大丈夫。殿下の守護霊は戦神だから。必ず勝利する」
ヒルデガルドが相変わらず胡散臭い話をする。結局その日、二人は戻らなかった。
◇
父が帰ってきたのは、その日遅くだった。ソフィアは寝ずに待っていた。熊はどうなったのか。帰宅したばかりの父に頼んだら、書斎に連れて行かれた。
父は、書斎の椅子に乱暴に腰を下ろした。
「とうとうミクロスから宣戦布告された。すでに国境では睨み合いが始まっている。明日、ウォルフガング殿下率いる第1陣が出発する予定だ」
淡々と答える顔には、疲労が滲む。それでも訊かずにはいられない。
「何故です?彼は唯一の男系男子でしょう?戦場へ送るなんて…」
「ミクロス側から、『まず王族同士で会談を』と提案されたんだ」
「危険過ぎます!ウォルが死んだら、元も子もないじゃないですか!」
暫しの間、父は目を閉じてから娘に告げた。
「陛下に回復の兆しが見られる。それで保守派が優位になった。戦に勝たねば、殿下は王族籍を剥奪される。そう、評議会で決定された」
(!!)
怒りのあまり、眩暈がする。何という身勝手。不要になったら捨てるのか。震える声で、ソフィアは尋ねた。
「…それで。味方はいかほど?」
「国軍2万、五大老家がそれぞれ私兵1千づつ出す。ロッソ家とチェドラス家は嫡子が加わるそうだ。ジンク家はフィリップを出す。我が家とアルバ家は、嫡流を出さない代わりに、金を出す」
もう聞くべき事はない。「お疲れのところ、ありがとうございました」と言って、ソフィアは下がった。
◇
ソフィアは自室で悶々としていた。自分にできる事が、思いつかない。兵も金も父が出すし、今から刺繍を始めても間に合わないだろう。
窓に小石が当たる音がした。窓を開けて暗い庭を見下ろすと、なんと、熊がいた。どこから持ってきたのか、梯子を窓に立て掛け、登ってきた。シャツとズボンに、ベストという質素な格好だが、制服より大人っぽい。
「送れなぐてわりがったな。明日も迎えに行げなんだ。寂しぇべが、しばらぐ一人で登校してけれ」
「寂しくなんかないわよ。でも、明日、出陣するんでしょ?こんな所にいて良いの?」
「うん。どうせ支度は小姓がやってけるがら。今がら下町さ繰り出すんだども、一緒さ行がねが?」
「もうお店は閉まってるわよ?」
「飲み屋は一晩中開いでらよ。酔っ払い目当での屋台もあるし。行ごう、ソフィアぢゃん」
迷ったが、もう少し熊と話がしたい。ソフィアは頷いて、なるべく簡素なワンピースに着替えた。その上にフード付きのマントを羽織ってから、梯子を下りた。そして生垣に身を隠しつつ、敷地の外に出た。
「さあ、初めでの夜遊びだ。楽しむべ」
彼は手を差し伸べた。しっかりと手を繋いだ瞬間から、二人の初デートが始まった。
◇
熊は慣れた様子で下町に向かった。祭りのように明るい街路には、大小様々な店が並んでいる。その一軒のドアを開け、中に入ると、雑多な話し声や音楽、嗅いだことのない香辛料の匂いなどに襲われた。
すぐに、赤い顔の男たちが声をかけてくる。
「ようウォル!今日は女連れか?」
「なんで昨日は来なかったんだよ?寂しかったぜ!」
「すまねがったな。姉っちゃ、ビールど葡萄ジュースけれ。ソフィア、ここさ座れよ」
熊は、親しげに彼らと拳と拳を合わせる挨拶を交わし、注文をしてから、空いている席にソフィアを座らせた。全てが滑らかだ。
逞しい腕の女が、「お待ち!」と言って、ソフィアの前に大きなジョッキを置く。熊は数枚の銅貨を渡すと、あっという間に飲み干して、「もう一杯!」と追加を頼んだ。
「相変わらず良い飲みっぷりだ!その美人は誰だよ!」
「婚約者だやぁ。明日がら留守にするがら、デートしてらんだ」
「もしかして、あれか?ミクロスとの?」
「んだ。コテンパンにやっつけでくるよ」
それを聞いて、酔っ払い達は乾杯をし始めた。
「頑張れウォル!マグナシルヴァの勝利を祈って!」
「おう。帰ったらまだぐるよ。せばな」
熊は二杯目を飲み終え、席を立った。ソフィアも慌てて立ち上がる。そのまま酒場を出て、賑やかな街をぶらぶらした。屋台を冷やかし、時々、軽食や菓子を買って食べた。その間も、次々に「ウォル!寄ってけよ!」と声を掛けられる。もしかして、早く帰りたがっていたのは、これか。
「毎晩来てたの?」
歩きながら尋ねると、彼は笑った。
「一人で飲んでも美味ぐねもん。…評議会の事、閣下がら聞いだが?」
ソフィアは小さく頷いた。陛下が回復したら、熊との婚約は解消される。望み通りのはずなのに、何故か胸が痛い。彼女は何でもない風を装った。
「良かったじゃない。貴方だってアビエスに帰りたいでしょ?」
「そうしてゃんだども、王子が生まれるまで、どごがの島で暮らせって、言われだよ」
(?!)
衝撃に足が止まる。とても人間扱いとは思えない。ソフィアは溢れそうな涙を堪えた。なのに、熊はおどけるように言った。
「大丈夫だやぁ。おいはどごでも楽しく生ぎでげるがら。嫌になったら、筏作って抜げ出すさ。木ごりだもの」
「…」
「んだ、一づ頼みがあるんだ。猫に餌やってけねべが?」
何でも、彼にあてがわれている部屋の庭に、野良猫が来るらしい。留守の間、餌やりをしてくれと頼まれた。小姓や召使い達は猫が嫌いなので、頼めないらしい。
「人間ど同じ物でええよ。パンどがチーズ、牛乳なんかが好ぎなんだ」
「良いけど…毎日?」
「でぎれば。少し耳がとぎぇんで、大ぎな声で『ご飯だよー』って呼んでけでぐれ。そしたら食いに来るで思うがら」
ソフィアは承知した。ついでに、父の仕事場に寄って戦況を聞こう。
「ありがとな。せば、そろそろ帰るべが」
熊は引き返そうとするが、まだ肝心な事を伝えていない。無事に帰ってきてほしい。評議会がクズでごめんなさい…喉まで出かかっているのに、
「約束しなさい。また夜遊びに連れて行くって」
またしても高飛車な言い方をしてしまった。
「そんたに楽しかった?ええよ。まだえぐべな」
大きな手が、フードの上からワシワシと頭を撫でる。それから二人は屋敷に戻った。ソフィアが部屋に入るのを見届けると、熊は梯子を持って去った。出会った頃より痩せた後ろ姿から、いつまでも目が離せなかった。




