12 日常へ戻る
夏休みも終わる頃、先王陛下の国葬に続いて、即位式が行われた。ソフィアは連日、王城に通っている。婚儀はまだ先なのだが、王妃の仕事があるのだ。
始業式の前日。登城ついでに王の私室を訪ねると、見知った顔が出てきた。
「ようこそいらっしゃいました」
ウォルの幼なじみの青年だ。よく見たら、新しく雇った侍従やメイドも、アビエスで見た踊り子達である。音を立てず歩く身ごなしに、ピンと来た。
「もしかして…密偵?」
茶を飲みながら尋ねると、ウォルはあっさり認めた。
「んだ。みんな、ご先祖に仕えだ近習の子孫だやぁ。なんも無ぇば、一生、普通の民どして過ごしたども、俺が戦さ行ったって聞いで、心配して来てけだのさ」
ふと、あの恋人もいるのかと思い、横目でチラチラ見ていたら、
「いねよ」
見透かしたように言われた。ソフィアはキッと婚約者を睨んだ。
「違うわよ!ロッソ公や保守派の悪事を調べ上げたのは、彼らでしょう?良い密偵だなって感心してたの!でも貴方、戦に行ってたのに、どうやって連絡を取ったの?」
「千人針の腹巻ぎ。あれは、俺たちだげに分がる暗号文なんだ」
まんまとダシにされた訳だ。ウォルは笑って、彼女の膨らんだ頬をつついた。
「ご機嫌直してぐれよ。明日がら、新学期だべ?朝、迎えに行ぐがらね」
「えっ?!学園に行くの?即位したのに?」
「行ぐよ。さすがに毎日は無理だげど、ソフィアちゃんと一緒さ卒業したいんだ」
そんな事、できるのだろうか?夜、寝ないで仕事をするつもり?…ソフィアの心配をよそに、翌朝、ウォルは本当に迎えに来た。
◇
ウォルが馬車から降りた途端、生徒達は大騒ぎだった。本来なら数十名の護衛が要るのだが、例の幼馴染み一人しか連れていない。ウォルは『凄腕の密偵だから大丈夫』だと言っていたが、押し寄せる生徒を止めもしない。
「触らないでくださいねー。一応、陛下なんで。はい、あと一歩下がって」などと、呑気に注意していた。
ウォルもウォルで、呑気に手を振っている。
「おはよう!ええ夏休みだったがぇ?…おーい!チェ!宿題やったがー?」
エルネストは、怒りながら人混みを掻き分けてきた。
「なぜ護衛が一人?!」
「見えね所にいるがら、大丈夫だやぁ。さ、ヘロドトス先生さ出しに行ごうぜ」
「謀反人の護送で忙しかったのです!つまり、できていません!」
「せば、謝りに行くべ。ソフィアちゃん、先行ってでぐれ」
二人は職員室に向かった。残されたソフィアは、友人達に挨拶をしようとしたが、皆、遠巻きにしている。
「お姉様も王妃殿下です。どう声を掛けて良いのか、分からないのしょう」
マグダレーナが小さな声で言った。ロッソ家が潰れたので、晴れて学園に復帰できたのだ。ソフィアの身代わりになったあの日、ゼルコーヴァ家を暗殺者が襲った。メイド達の戦う姿に感銘を受けたマグダレーナは、今、戦闘訓練を受けている。いずれ、ソフィアの侍女になってくれるそうだ。
「みんな!いつも通り接してちょうだい!」
と言うと、ほっとしたように友達が近づいてきた。ようやく日常が戻ってきた…と思いきや、ウォルは、教室で授業を受けるようになっていた。
◇
「えー。では出席を取ります。…ウォルフガング14世陛下」
凄まじい違和感に、ざわめきが広がる。
「はいっ!“14世”は省いでええよ」
「恐れ入ります。ソフィア王妃殿下」
「…ゼルコーヴァで結構です」
「承知いたしました」
先生はやりづらそうだが、ウォルは楽しそうに授業を受けていた。『分かる人?』と問われれば、真っ先に手を挙げ、答えてみせる。隣に座るソフィアには『いつデートすべ?』とノートに書いて見せる。後ろで護衛がニヤニヤしてるのに。
昼休みはいつも通り、皆で食堂に行った。給仕や配膳の職員にも気安く声をかけ、ヒルダやフィリップ達とお喋りを楽しんでいたが、
「せば、今日はこれで帰るよ。午後は評議会なんだ」
ウォルは席を立った。エルネストとフィリップも立ち上がった。彼らは今や、王の側近なのだ。
「行ってらっしゃい」
ソフィアは婚約者を見送った。初日は大騒ぎだったが、そのうち、『学園に通う国王夫妻』も、日常となった。
◇
ゼルコーヴァ家にも変化があった。まず、リリアとマグダレーナが正式な養女となった。そして、母とユリアも“王の試練”を開けられる事が確認され、王位継承者となったのである。現在、1位がリリア、2位が母、3位ソフィア、4位ユリアとなっている。
「死んだお婆様が王女だったなんて。全然知らなかった」
ある日の夕食後、一家団欒の場でユリアが言った。
「昔から王女の扱いが雑でね。モノみたいに下賜されたの。私は一人っ子だったから、実家は従兄が継いだのよ。もう一人の、年の離れた妹王女が、ミクロス王妃なのね?じゃあ、その息子達に継承権があるって主張も、間違いではないってこと?」
母が尋ねると、父は首を振った。
「先々王の、晩年に生まれた王女だ。こちらは『いつでも“王の試練”を開けに来い』と言っているが、恐らく来ないだろう。開かなかったら、事だからな」
男子を望むあまり堕落した後宮。いつから始まったのかは分からないが、“王の試練”を開けられた王女はいない。皆、母親とその実家へ去っていった。今、大神官が、過去に降嫁した王女の子孫を探している。でも、不思議と見つからない。
「お前達以外、いないかもしれない。そうなると…」
「父上が最強の政治家ってことよ。だって、継承権持ちが、全員家族なんですもの」
ユリアはくすくす笑いながら父の膝に乗った。つられてリリアも乗る。もうすっかりゼルコーヴァ家の娘だ。甘える二人を渋い顔で抱えながら、
「そうじゃない。身の安全に配慮しなさい、と言いたかったんだ。特にソフィア。護衛を増やしなさい。下町に行く気だろう?」
父は長女に釘を刺した。さらに次女にも言った。
「マグダレーナにも護衛をつける。これから、ソフィアと別行動も増えるだろう。しかし、ロッソ家の全員を追放した訳じゃない。戦闘訓練を受けているからと油断するなよ」
「は、はいっ」
強張るマグダレーナの手を、母がそっと握った。
「大丈夫よ。女性の護衛だから。役者みたいに格好良い人なの」
「ありがとうございます…義父上、義母上」
妹の涙に、ソフィアは胸が温かくなった。両親は娘達を大切にしてくれる。当たり前のようだが、実際は、ロッソ公のように女を下に見る人は多い。
(これからは違う。女を子を産む道具だと言う者は、いなくなる)
全てウォルのおかげだ。ソフィアはついに、彼と生涯を共にする覚悟を決めた。しかし、その前に、どうしても訊いておきたい事がある。アビエスに送った恋人についてだ。
◇
その夜。約束していた夜遊びに行こうと、ウォルがお忍びで来た。アビエスの密偵達が見守っている上、父が用意した護衛が付かず離れずついてくる。とても二人きりとは言えないが、繋ぐ手が嬉しくて、ソフィアはご機嫌であった。
「俺がいね時さ来だんだってな?」
「何で知ってるのよ。まさか、まだ飲み歩いてるの?」
「いやぁ。毎晩でねよ。たまにだやぁ。一人飯は美味ぐねんだ」
「毒味させてるんでしょうね」
ブツブツ言いながら、以前来た飲み屋のドアを開けると、歓声に包まれた。
「オオッ!今日は姫さんも一緒かい?その節は、どうも」
赤い顔の男は、あの卵を投げた少年の父親である。何が『どうも』だ。ソフィアは酔っ払いをジロリと睨んだ。
「奥さんが子供の面倒を見てるの?たまには交代しなさいよ」
「ひぇっ!女が酒を飲むって?」
「当たり前でしょ。妊娠中と授乳中以外なら良いの。あ、ウォルはビールで良い?おねーさん!葡萄ジュース1つと、ビール6つ!」
給仕の女に注文したら、ウォルが目をまん丸にしている。
「何?」
「いや。慣れでらなあで思ってよ」
ウォルは半銀貨1枚を給仕に渡した。結局、勘定は謎のままだ。ソフィアは「毒味を」とジョッキに手を伸ばしたが、
「大丈夫、大丈夫」
ウォルはガブガブ飲んでしまった。信じられない。この店の常連なのは知れ渡っているのに。呆れていると、彼は平然と言った。
「この店は、アビエスの者がやってらんだよ。んだんて、大丈夫だ」
(え?じゃあ、あの給仕の女性は…もしや、恋人?)
しかし、夕日の中で見たシルエットと違う。あんなに腕は太くなかった。彼女を目で追っているうちに、ウォルは3杯を飲み干していた。
「せば、行ぐべが?」
彼に手を引かれ、店を出た。相も変わらず人気者のウォルは、「王様!寄ってくださいよ!」とか「王妃様とデートかい?」など、行く先々で声をかけられる。親しまれているのは良い。だが、距離が近すぎてハラハラする。
ウォルは急に立ち止まった。そしてソフィアの耳元に口を寄せた。
「心配いらないよ。俺は、絶対に暗殺できないんだ」
何をバカな。普通の人間なら、殺そうと思えば、いくらでも…
「普通じゃないからね。殺そうと思った瞬間、分かるんだよ。殺意が」
嘘。
「嘘じゃない。それから、酒場の女の子は違うよ。彼女はもう、王都には来ない」




