第七話 漁師の腹ごしらえ
町を出てしばらくは、荷車の轍が続いていた。
だが、街道から山へ折れると、道は急に狭くなった。両側から枝が張り出し、足元には砕けた石が転がっている。
潮を含まない風が、汗ばんだ首筋を撫でた。
「船代の前に、飯代くらい借りておけばよかったのではないか?」
「先に言えよ」
「聞かれんかったからのう」
「一口くらいは、なにか食べておくか」
ソウは、その辺の木からまっすぐな枝を折り取った。先端を剣で斜めに削り、小川の岸にしゃがみ込む。
浅い流れの底で、影が揺れた。
しばらく水面を見つめていたソウが、短く腕を振る。
枝が水を貫き、小さな飛沫が上がった。
小川へ踏み入り、枝を拾い上げる。その先で、銀色の魚が尾を跳ねさせていた。
「うまいもんじゃのう」
「こっちは、ガキの頃から漁やってんだ。このくらい朝飯前だ」
ソウは魚を岸へ運ぶと、手早く締めた。剣の刃元で鱗を落とし、腹を開いて内臓を取り除く。流れで洗い、先ほどの枝を口から通した。
「あとは、焼くだけだが……」
「魔力をくれたら、わらわが魔法で焼いてやるがの?」
「なら、頼む」
ルーンが白い手を差し出した。
ソウは空いている手で、その手を掴む。
細い指は、水に浸したばかりのようにひんやりとしていた。
「少しでよいぞ。魚一匹に、昨日のような魔力はいらん」
「わかってるよ」
掌へ意識を向ける。
剣に流し込むときよりも、ずっと弱く。
触れたところから、魔力が静かに抜けていった。
ルーンは満足そうに目を細めると、手を離した。
「うむ。十分じゃ」
ルーンが身につけている宝石の一つが光ると、指先に小さな炎が灯った。
ルーンが手をかざすと、炎は魚の下へ移った。薪もないのに、宙に浮いたまま揺れている。
「ほれ。焦がさぬように回すんじゃぞ」
「勝手に焼き上がるんじゃねえのか」
「わらわは焼き加減などわからぬよ。おまえさん、普段から魚を焼いておるのじゃろう。そのくらいは働け」
ソウは枝を持ち直した。
しばらくすると、魚の皮が乾き、じりじりと縮み始めた。
滴った脂が炎に触れ、小さく弾ける。
香ばしい匂いが鼻に届いた途端、腹が鳴った。
ルーンが口元に手を添える。
「催促されておるぞ」
「俺様の腹に言え」
「聞こえるように言ったつもりじゃが」
ソウは鼻を鳴らし、魚を裏返した。
皮に焼き色がつくまで待ち、厚い身を少し割って、中まで火が通ったことを確かめる。
ルーンが指を曲げると、炎は跡形もなく消えた。
ソウは熱い身へ息を吹きかけ、かぶりついた。
「……塩が欲しいな」
「今度は塩か。注文の多い男じゃ」
そう言われながらも、食べる手は止まらなかった。
腹へ温かいものが落ちていくにつれ、体の奥に力が戻ってくる。
ルーンは岩に腰かけ、その様子を眺めていた。
「食わねえのか」
「わらわは、先ほど馳走になったからのう」
「あれだけでか」
「おまえさんの魔力は濃くて、実に美味じゃ。なかなかの御馳走じゃ」
「魚よりいいとは思えねえな」
「それは、わらわにもわからんよ」
ソウは残った身を骨から外した。
小川の音が、二人の間を流れていく。
さっきまで気になっていた空腹は、ようやく静かになっていた。
◇ ◇ ◇
山道へ戻ると、ソウの足取りは先ほどより軽くなった。
肩に担いだ剣が、木漏れ日を受けて鈍く光る。
隣を歩くルーンの靴は、相変わらずほとんど音を立てない。
「腹が満ちると、ずいぶん機嫌がよいのう」
「力が出ねえより、出た方がいいだろ」
「道理じゃな」
道が曲がる手前で、ソウは足を止めた。
下草の間に、車輪が見えた。
斜面へ落ちかけた馬車だった。
車軸が折れ、荷台は大きく傾いている。引き裂かれた幌が枝に引っかかり、風に揺れていた。
ソウは近づき、荷台を覗いた。
空だった。
周囲には木箱の蓋や、切れた縄が散らばっている。
土には幾つもの靴跡が重なり、その先に、重いものを引きずった跡が続いていた。
「事故ではなさそうじゃな」
「荷物だけ綺麗になくなってるからな」
ソウは腰を上げた。
引きずった跡は、山道を外れて木々の間へ続いている。
地図で示された方角とも合っていた。
細道をしばらく進むと、風に煙の匂いが混じり始めた。
ソウが枝を押しのける。
山肌を背に、丸太の柵が見えた。
内側には石造りの建物が一棟と、幾つもの粗末な小屋。荷車や木箱が、整理もされずに積まれている。
「さて、じゃあ、いくか」
「おまえさん、正面から行く気かの?」
「どうせ全員倒すんだろ」
「そうじゃがの」
ソウが門へ歩み寄ると、門の脇にいた見張りが、こちらに気づいた。
「誰だ、てめえら」
「お前らが、山賊だな」
男は一瞬、呆気に取られた顔をした。
それからソウの髪を見て、にやりと笑う。
「……なんだ。サンライズ人と美人の女か。今日はついてるな」
見張りの男は、腰の剣を抜き、切っ先をソウへ向けたまま、門の内側へ声を張り上げた。
「おい! 上物が二人、勝手に――」
ソウが剣を振った。
フェンリルファングの牙が唸り、男の剣へ食いつく。
鋼が軋んだ。
次の瞬間には、刀身が半ばから砕けていた。
「は?」
ソウはその胸倉を掴み、門の内側へ投げ込んだ。
男が地面を転がる。
焚き火を囲んでいた山賊たちが、一斉に立ち上がった。
「てめえ!」
「金をもらいに来た」
ソウは剣を構える。
「逃げんなよ。探すのが面倒だからな」
「おまえさん、もう少し説明せんか。その言い方だと、お前さんの方が賊じゃぞ」
ルーンが門をくぐりながら言った。
「通じてるだろ。なんでもいい」
そんな会話をしているうちに、剣を抜いた男たちが殺到してくる。
「確かに、喧嘩を売られたことだけは、よく伝わっておるようじゃ」
男達の姿をみて、ソウは不敵に笑った。
「さあ、この剣の力、もう少し試させてもらおうか」




