第十三話 更なる変形
「他って、どんなだよ」
ソウは手の中のフェンリルファングを見下ろした。 鉄を噛み切った牙は、欠け一つ残さず並んでいる。
「それを引き出すのも試験だ」
ソウは眉を寄せた。
魔力を通せば、牙が回る。 さらに注げば、その動きが速くなる。
だが、形は変わらなかった。
回る牙を見つめていると、横からルーンの声がした。
「ソウよ。いつもと違う願いを込めて、剣に魔力を注ぐのじゃ」
「願い? なんだそりゃ?」
「目的と言えばわかりやすいかの。例えば、遠くの敵を倒したい、とな」
ソウは顔を上げた。
空き地の向こうには、幾本もの杭が立っている。 その奥に、赤い布を巻いた木の標的が見えた。
今のフェンリルファングの刃では届かない。
「……あそこまで、届かせるってことか」
「おまえさんなら、遠くの獲物をどうする?」
「銛を投げる」
答えてから、ソウは剣へ目を戻した。
投げることはできる。だが、外したら拾いに行かなければならない。刺さったとしても、手元から武器がなくなる。
銛には縄を結ぶ。 獲物に刺さった後も、その動きを手の中で捉えておくために。
なら、この刃も。
ソウは牙の動きを止めた。
噛み砕くために注いでいた魔力を、一度緩める。 変形が解除され、鎖が刀身の内側へ沈み、牙が揃って、真っすぐな刃へ戻っていった。
その切っ先を、遠くの標的へ向ける。
欲しいのは、あそこまで届く刃だ。
届いて、なお手元から扱えるもの。 引けば戻り、振れば向きを変えられるもの。
ソウは魔力を流した。
刀身に、細い継ぎ目が生まれる。
一つ。 続いて、もう一つ。
鋼の刃が幾つもの節へ分かれ、その間を黒い芯が繋いだ。
切っ先が伸びる。
ソウが腕を少し持ち上げると、長くなった刀身が弧を描いて垂れた。 節を連ねた刃が、蛇の体のようにくねる。
変形――《ヨルムンガルド》。
リナが目を丸くした。
「今度は、へびみたい」
「そうじゃな」
ルーンが楽しそうに答える。
ソウは手首を小さく返した。
柄に近い節から順に動きが伝わり、最後に剣先が揺れる。 その重さが、掌へ返ってきた。
「……なるほどな」
もう一度、動かす。
今度は先端が引く方向へ、少しだけ腕を送った。 刃は途中でつかえず、滑らかな弧を描いた。
ソウの口元が上がる。
「こいつなら、届く」
ソウが柄を持ち上げると、連なった刃がゆっくりと揺れた。
その先端は、元の剣では届かなかった場所まで伸びている。
ボーレンは腕を組んだまま、目だけで刀身を追っていた。
「形を変えられれば終わりではないぞ。その形を、おまえが使いこなせるか。最後は、それを見せてもらう」
「いいぜ」
ソウは足を開いた。
「どうすればいい?」
ボーレンは、先ほどソウが見ていた標的を指さした。
杭の向こうには、赤い布を巻いた木の標的が三つ吊るされている。
「あの三つを落とせ」
ボーレンが言った。
「ただし、手前の杭には触れるな。おまえは、ここから動くなよ」
靴の先で、地面の線を示す。
ソウは標的を眺めた。
一つは杭の隙間から見える。もう一つは低く、最後の一つは太い杭の裏に半ば隠れていた。
「ただ間合いが伸びただけだと思うな」
ボーレンが続けた。
「先の重さに引かれる。曲がれば刃の向きも変わる。戻し損ねれば、おまえ自身を斬るぞ」
ソウは蛇腹の刃を、地面すれすれに垂らした。
手首を小さく返すと、刃が揺れる。
柄に近いところから順に動きが伝わり、最後に剣先が弧を描く。 その重さが、掌へ戻ってきた。
もう一度。
今度は、少し大きく。
ボーレンが口を開きかけたところで、ソウは頷いた。
「だいたいわかった」
「まだ振っただけだろうが」
「引かれ方がわかりゃいいんだよ」
ソウが腕を振った。
大振りではなかった。
連なった刃が地面の上を滑るように進み、杭の隙間を抜ける。 先端が持ち上がった。
一つ目の標的を吊るす縄が切れた。
一つ目の標的が落ちるより先に、ソウは柄を横へ送っていた。
刃を無理に引き戻さない。 進んだ勢いを残したまま、弧を描かせる。
蛇腹の剣が杭の脇を回り、低い位置の縄を断った。
二つ目が落ちる。
ソウは踵を動かさず、腰をひねった。
伸びた刃が、太い杭の向こうへ消える。
ボーレンの顎が上がった。
短い音がした。
三つ目の標的が落ちた。
ソウは戻ってくる刃のために、体の横を空けた。
剣先が自分へ向かう前に腕を送り、勢いを前へ逃がす。
蛇腹の刃が、低く一周した。
その動きが緩んだところで、柄を引く。
節が寄り合うと、長い刃が、一本の剣へ収まった。
地面に落ちた標的が、最後の一つまで転がるのをやめた。
「終わったぞ」
ソウは剣を肩へ担ぎかけ、刃を見てから下ろした。
ボーレンは杭へ近づいた。
一本ずつ、表面を確かめる。
傷はない。
切られた縄を拾い上げ、ソウを見る。
「……そういう形の剣を、使ったことがあるのか」
「こんな剣はねえよ。そもそも剣自体、数日前に初めて握った」
「なら、なぜ初めから扱える」
ソウは少し考えた。
「漁してりゃ、いろいろ使うだろ。網も、縄も、銛も、竿も」
ボーレンは黙っていた。
「こいつに一番近いのは、竿か。投げるときは先の重さを使う。引くときは、どっちに力がかかってるか見る。暴れる魚を、腕だけで引っ張ったって疲れるだけだ」
ソウが剣の柄を軽く持ち上げる。
「こいつも、先が勝手に動こうとすんだろ。なら、行かせてから曲げりゃいい」
ボーレンは切れた縄へ目を落とした。
「……行かせてから、か」
髭の奥から、低い唸り声が漏れた。
台座を満たしても、息は乱れなかった。 形を変える仕組みを知ると、すぐに別の姿を引き出した。
そして、その扱いまで。
ボーレンは顔を上げ、ソウの手にある剣を見た。
ルーンが、楽しそうに目を細める。
「ほら、言ったじゃろう。ソウ以外に、おぬしの剣を使いこなせる男はおらんと」
「……そこまでは言っとらんかっただろうが」
「今、確信したのでな」
ソウが二人を見比べる。
「で、どうなんだよ」
ボーレンはもう一度、傷のない杭を見た。
やがて、太い指で髭を撫でる。
「合格だ」
ソウが歯を見せて笑った。
「なら、こいつは俺様のもんだな」
「ただし」
ボーレンは一歩、ソウへ近づいた。
「ワシも行く」
「……何?……どこにだ?」
「お前の町までだ」
ソウはボーレンを見た。
ルーンも、今度こそ黙った。
「この剣が何を斬るか。おまえがどんな使い方をするか、ワシが見る」
「店はどうすんだよ」
「閉める」
あまりにあっさり答えるので、ソウの方が困惑する番だった。
「俺様の家はサンライズだぞ。炉はどうするんだ」
「向こうで据える。当然、手伝ってもらうからな」
ボーレンは腕を組み直し、工房の裏口へ目をやった。
「持っていく工具と、置いていく物を分けねばならん。炉の火も落とす。出立まで三日は寄越せ」
「旅行ではないんじゃぞ」
ルーンが言った。
「わかっとる。向こうへ工房を移すんだ。どうせ、こいつはまた無茶をする」
「魔力を食わせりゃ直るんだろ。何が心配なんだよ」
「それも含めて見たいのだ。作ったワシも、おまえの魔力で何に変わるかまでは見ておらん。どんな形になり、どう働き、傷めばどう修復するか。全部、この目で確かめる」
リナがルーンの陰から顔を出した。
「おじいちゃんも、一緒に来るの?」
「ボーレンだ」
「ボーレンおじいちゃん?」
ボーレンは少女を見下ろした。
一度、何かを言いかけたが、髭を撫でて飲み込む。
「……そうだ」
「ルーンおばあちゃんも?」
「わらわはおばあちゃんではないと言うておろう! ついては行くがの」
工房裏の空き地に、リナの笑い声が響いた。
ソウは剣を見下ろした。
帰るための船に、一人増える。
荷物も、おそらく随分と増える。
「金、足りるかね」
「船は使わん。ワシの馬車を使う」
「馬はいるのかよ」
「馬はいないが、代わりになる女はいるだろう」
ボーレンがルーンを見た。
ルーンは、何も聞こえなかったように顔をそらした。




