第十話 欠けた牙
山賊の根城にあった荷車には、取り戻した荷物と、歩けない者たちを乗せた。リナもその端に座っている。
ソウが隣を歩いているか、時折、幌の陰から顔を出して確かめていた。
「いるっての」
目が合うたびに言ってやると、リナはようやく前を向く。
だが、しばらくすると、また同じところから黄金の髪が覗いた。
ソウは何も言わず、荷車に歩調を合わせた。
肩の上では、布を巻いた剣が揺れている。
欠けた刃が落ちないよう、根城にあった布で包んだものだった。
もう、牙の唸りは聞こえなかった。
◇ ◇ ◇
ギルドへ戻ると、朝と同じ女が窓口に座っていた。
「終わったぞ」
ソウが声をかけると、女は書き物から顔を上げた。
「……山賊の依頼の方ですね。終わった、というのは?」
「倒した。捕まってた連中も連れてきた」
女の視線が、ソウの肩越しに動く。
扉の前には、荷車から降りた人々が集まっていた。
服は汚れ、歩くのに肩を借りている者もいる。その中の一人を見て、女が椅子を引いた。
「あなた、街道で行方がわからなくなった――」
男が頷いた。
「こいつらが、出してくれたんだ」
途端に、窓口の向こうが慌ただしくなった。
奥から別の職員が呼ばれ、長椅子が空けられる。水が運ばれ、怪我人は先に奥へ通された。
ソウは場所を空けるように脇へ寄りながら、受付の女へ声をかけた。
「で、金は?」
「確認しますので、少々お待ちください!」
女はすでに、別の職員へ何かを伝えていた。
ソウは眉を寄せる。
「終わったって言ってんだろ」
「連れて帰った者も、荷物もあるんじゃ。少し待ってやれ」
ルーンが壁際の長椅子に腰を下ろした。
リナがその隣に座り、さらに隣の空いたところを、ぽんぽんと叩く。
「ソウおじちゃん、ここ」
「だから、おじちゃんじゃねえ」
言いながら、ソウは腰を下ろした。
膝の上に剣を置く。
リナが巻かれた布へ手を伸ばしかけたので、軽く遮った。
「触んな。刃が出てるかもしれねえ」
「剣も怪我したの?」
「……まあな」
リナは布を見つめた。
その小さな手が、自分の膝へ戻る。
やがて、荷物の持ち主を確かめる声が聞こえ始めた。
誰かが箱を抱きしめ、別の誰かが中身を一つずつ数えている。
ソウは椅子の背へ体を預けた。
魚を一匹食べたきりの腹が、また空いてきていた。
◇ ◇ ◇
名前を呼ばれたのは、窓から差し込む光が赤くなってからだった。
窓口へ向かうと、机の上に革袋が置かれた。
女が口を開き、中の硬貨を見せる。
「皆さんの証言が一致しました。山賊頭の討伐と、根城の制圧を確認できましたので、依頼の報酬をお支払いします」
「やっとか」
ソウが袋を持ち上げる。
硬貨が擦れ合い、重い音を立てた。
見慣れない紋様の金だった。
袋の口から覗き込み、隣のルーンへ見せる。
「これで足りるか」
「しばらくの生活費とサンライズへの船代なら、十分足りるじゃろう。港で船を探す必要はあるがの」
ソウはもう一度、袋を見た。
帰れる。
朝にはどうにもならなかったことが、今は掌に収まっていた。
「奪われた品は、こちらで持ち主への返還を進めます。捕らわれていた方々の滞在先についても――」
「このガキは、俺様と来る」
女が言い終える前に、ソウは足元へ目を落とした。
リナが服の裾を掴んでいる。
「知り合いだ。同じ町に帰る」
女はリナへ視線を合わせた。
「それでいい?」
リナは強く頷いた。
必要な確認を済ませると、女は宿の場所を教えてくれた。
広場から二本ほど通りを入ったところで、食事も出すらしい。
「助けてくださって、ありがとうございました」
帰り際、女が頭を下げた。
ソウは革袋の口を締める。
「仕事だろ」
それだけ言って、扉へ向かった。
◇ ◇ ◇
宿の食事には、塩が利いていた。
煮込んだ肉にも、豆にも、薄く焼いたパンにも、小川で食べた魚にはなかった味がする。
香辛料には少し鼻がむずついたが、温かいものを腹いっぱい食べられるなら文句はなかった。
リナは初めこそ黙って食べていた。
だが、皿が半分ほど空いたところで、ソウの肉を見た。
「一口ちょうだい」
「自分のがあるだろ」
「こっちの、大きい」
「同じだ」
そう言いながら、ソウは肉を一切れ、その皿へ移した。
向かいでルーンが笑う。
「甘いのう」
「うるせえ」
腹が満ちると、今度はリナの瞼が下がり始めた。
首がこくりと傾き、そのたびに目を開ける。ソウが席を立つと、慌てて手を伸ばした。
「どこ行くの」
「部屋だ。寝るんだろ」
リナは頷いたが、立ち上がっても足元がおぼつかなかった。
ソウは小さく息を吐き、屈んだ。
「ほら」
背中に、細い腕が回った。
階段を上りきる前に、肩へ寝息がかかり始めた。
◇ ◇ ◇
部屋の窓は、広場とは反対を向いていた。
向かいの白い壁が、月明かりを受けて青白く見える。
昼間あれほど耳についた人の声も、今は遠い。ときどき荷車の車輪が石畳を鳴らし、やがてそれも聞こえなくなった。
寝台では、リナが毛布を握って眠っている。
ソウはその寝顔を確かめてから、机に向き直った。
革袋を置き、肩から下ろした剣の布を解き、剣を取り出す。
小さな金属片が、机へ落ちた。
フェンリルファング。
鎖は何か所も切れていた。
狼の牙のように並んでいた刃も、半分近くが欠けている。残ったものにも亀裂が走り、一本は根元から斜めに曲がっていた。
ソウは柄を握った。
ごく弱く、魔力を流す。
鎖の一部が持ち上がった。
かちり、と音がしただけで、その先は動かなかった。
「やめておけ」
窓際から、ルーンが言った。
「そこで動かせば、破片が飛ぶぞ」
ソウは手を離した。
「……直らねえのか?」
「元のようには、もう無理じゃな」
ルーンが机へ近づく。
欠けた牙には触れず、その根元を覗き込んだ。
「元々はデュナメスで作られた剣じゃ。それをおまえさんがラグナロクで無理やり塗り替えたうえ、海竜王の攻撃まで受け止めた。最後には、トリシューラの《不動》へ何度も牙をぶつけたんじゃぞ」
「意外と根性ねえな」
「剣に根性を求めるでない」
ソウは椅子へ深く腰を下ろした。
机の上には、金と剣が並んでいる。
帰るための金は手に入った。
港へ行き、船を探せばいい。サンライズまで船を出してもらうだけなら、この報酬で足りる。
帰ったら、まずゲンとトウヤを探す。
勝手に死んだことにされていたら、文句を言ってやらなければならない。
それから、船を――。
そこで、考えが止まった。
白銀の軍艦。
自分たちの海へ入り込み、当たり前のように武器を向けてきた連中が、まだいるかもしれない。
ソウは机の上の牙を見た。
兵士の剣を噛み砕いた感触は、手に残っている。
盾も鎧も、こいつなら壊せた。
だが、海の底から現れたあの巨体は。
思い返した途端、部屋の静けさの中に、波の轟音が蘇った。
船が持ち上がる。
甲板が傾く。
踏ん張る足場ごと、海に奪われる。
海竜王リヴァイアサン。
あれがまだ、サンライズの海にいるとしたら。
ソウは掌を開いた。
昨日、剣を握っていた手だった。今はもう痺れてもいない。
だが、その一撃を受け止めた瞬間の重さだけは、忘れられなかった。
「……このまま帰っても、あいつをどうにもできねえな」
ルーンが目を向けた。
「海竜王か」
「ああ」
認めるのは、面白くなかった。
だが、銛を何本用意したところで、あの巨体を沈められる気はしない。
ようやく手にした剣も、この有様だ。
「船の連中はともかく、あのでかい竜には、今の俺様じゃ勝てねえ」
言葉にすると、余計に腹が立った。
ソウは眉を寄せ、机の上へ肘をつく。
ルーンは笑わなかった。
「それで、どうする」
「武器がいる」
ソウは答えた。
「俺様の力を入れても壊れねえやつだ。思いっきり振って、あいつに叩き込めるやつが」
窓の外から、夜風が入ってきた。
灯りの炎が揺れ、黒い鎖の影が机の上を動く。
ソウはルーンを見る。
「何か当てはねえのか?」
ルーンは、すぐには答えなかった。
欠けた剣から目を離し、珍しく考え込むように視線を落とす。
しばらくして、細く息を吐いた。
「……あるには、あるんじゃがのう」
「あるのか。教えてくれ」
「一人、腕のいい職人を知っておる」
ソウは椅子から身を起こした。
「なら、そこ行くぞ」
「話を最後まで聞かんか!」
寝台で、リナが身じろぎした。
二人の口が止まる。
少女は毛布を頬へ寄せただけで、また静かになった。
ルーンが声を落とす。
「……あやつは偏屈じゃぞ」
「剣を作れるんだろう?」
「作れる。腕は確かじゃ。じゃが、頼まれたからといって、素直に引き受けるような男ではない」
「金ならある」
「金を積めば済むとも限らん」
ソウは革袋を見て、それからルーンへ目を戻した。
「じゃあ、何がいる」
「それを本人に聞かねばならんのが、面倒なところじゃ」
「なら結局、行くしかねえじゃねえか」
ルーンは口を閉じた。
ソウが鼻で笑う。
「ここで顔しかめてても、剣は直らねえんだろ」
「……そういうところじゃぞ」
「何がだよ」
「おまえさんと、あやつの相性が悪そうだと思うのはのう」
ルーンは額に手を当てた。
「相性が悪かろうが、贅沢言ってられねぇ。まずは、会ってみてからだな」
机に散った刃の欠片を集め、剣と一緒に布へ戻す。黒い鎖を無理に曲げないように収め、端から包み直した。
「そんな欠片も持っていくのか?」
「何が壊れたか、見せた方が話が早えだろ」
最後の結び目を締める。
ルーンは少しだけ目を細めた。
「それは、そうじゃな」
ソウは包んだ剣を壁へ立てかけた。
その隣に、明日持っていく荷物を置く。
寝台から、小さな声がした。
「……ソウ、おじちゃん」
振り向くと、リナは目を閉じたままだった。
毛布の外へ出た手が、何かを探すように動いている。
ソウはそばへ行き、その手を毛布の中へ戻した。
「いるよ」
今度は、おじちゃんではないとは言わなかった。
リナの指が毛布を掴む。
寝息が、ゆっくりと整っていった。
ソウはしばらくそこに立っていた。
この子を連れて、あの港へ帰る。
また安心して魚をねだりに来られるように、邪魔な連中を海から追い出す。
そのために、まずは剣だ。
「明日、案内しろよ」
振り返らずに言うと、背後でルーンが小さく笑った。
「承知した。今度は、朝飯を食べてから出るぞ」
「ああ」
ソウは頷いた。
「塩の利いたやつをな」




