試験とかいう地獄の耐久レース
前夜。
夜11時、E塔裏の地獄コンテナ。
空気が、いつもと違った。ガソリンとオイルとパーツクリーナーの匂いではなく、"焦げた脳みそ"と"諦め"の香りが充満していた。
具体的には――エナジードリンクの空き缶が8本。付箋が貼り付けられた教科書が5冊。そしてテーブルの中心には、一台のノートPCがあった。
画面には「流体力学 過去問 奇跡のパターン」と検索された結果が映っていた。検索したのは加賀だ。ヒット件数は2件。どちらも役に立たなかった。
「……なぁ。明日の"流体力学"、公式全部覚えた?」
加賀がタオルを頭にかけたまま言った。
「覚えてたらここにいねぇ!!」と雅紀。
準が教科書を見ながら、死んだ魚の目で言った。
「文学部は『近代詩の分析』だぞ……詩よりも俺の人生が暗号だよ……」
「俺、日本史Aの"鎌倉文化"しか出てこねぇ……」と細田。
マイケルが元気よく顔を上げた。
「オー! ジャパニーズ・カマクラ! サムライ・コスプレ・タイム?」
「黙れ外人!!」
マイケルだけが普通の麦茶を飲んでいた。
「ワタシ、カフェイン耐性ゼロ。飲むと心臓が関越道走ル」
「それ飲むな」
テーブルの上はまるでピットインのようだった。ただし、車の代わりに人間の理性がオーバーヒートしていた。
午前2時――限界走行域へ。
「……あー無理。VTECかからねぇ」
細田が教科書を閉じた。
「脳がSOHCだからな」と加賀。
「眠気と覚醒の狭間で、ケモ耳の神が見えた」と準。
「病院行け」
「俺もちょっとわかる」と雅紀。
「わかっちゃダメだろ!!!」
そのとき、部室の扉がノックされた。深夜2時の訪問者は、呉福造だった。
「……お前ら、まだ起きてんのか。部室に**"理系の祈祷書"**みたいな本あるけど、なんだあれ」
「それ俺のです」と準。
「文学部が理系の祈祷書持ってんじゃねぇよ。エンジンよりも先に、脳のオーバーホールした方がいいぞ」
「……呉さん、今日一番いいこと言いましたよ」と朱音。
「なんでいるんですか朱音さん!!」
「差し入れです。おにぎり5個と、栄養ドリンク」
朱音が棒つき飴を口に含みながら、メモ帳に記録した。
「深夜2時、全員まだ生存。精神は瀕死」
試験当日――キャンパス・サバイバル。
翌朝9時、S・H・Bの5人が廊下に集合した。全員の目の下に、くっきりとクマが出ていた。
舞花が遠目に見て言った。
「……死人の集団?」
「動くゾンビです。今日は爆音じゃなくて静音で葬式ね」
加賀が前を向いた。「……行くぞ。単位は走って取る」
「かっこよく言うな。寝不足で顔が崩れてる」
〜1限:流体力学(加賀)〜
問題用紙を受け取った瞬間、加賀の目が止まった。
『問1:レイノルズ数を用いて乱流と層流を説明せよ』
(レイノルズ数……Re = ρvL/μ……。待て、これエンジン内部の流体挙動と同じじゃないか。吸気ポートの流れが乱流になると……VTECが……)
「VTECで吹っ飛ばせる……!!」
(違う。冷静になれ。これは流体力学だ。車じゃない)
加賀はシャーペンを握り直した。――5分後、寝ていた。
〜2限:近代詩の分析(準)〜
準は答案用紙を見た。
『問:現代詩の手法を用いて、自由詩を一篇書け』
準のシャーペンが動き始めた。
『走る アスファルトが光る ケモ耳は風を切る タイヤよりも柔らかく エンジンよりも熱く 我が魂はロータリーの如く――永遠に回る』
教授が回収しながら、一瞬止まった。「鈴木くん……これ、意外とアリだね」
採点結果:40点。赤点。
「ケモ耳の部分が減点対象でした」と後日教授が言った。
〜3限:日本史A(細田)〜
細田は試験開始前の10分間、目を閉じて念じていた。(鎌倉文化……禅宗……武士道……運慶快慶……出ろ……)
試験開始。
『問1:江戸時代中期の儒学者・新井白石について説明せよ』
(……新井白石。鎌倉は!? 俺の鎌倉は!?!?)
〜4限:物理実験理論〜
マイケルは物理が得意だった。
「センセー! トルクはエンジンのトルクと同じですか!?」
教授が答えた。「……物理的には同じ概念だね」
「ワタシ、完璧に理解シタ!!!」
マイケルだけが満点を取った。
試験終了後――E塔裏。
「……終わった。俺の単位が、レッドゾーン突入した」と加賀。
「俺はもうクラッチが切れない」と雅紀。
「脳が低回転域で止まった」と準。
「俺の答案、最後までVTECが入らなかった」と細田。
マイケルが元気よく言った。「100点!!!」
「うるせぇぇぇ!!!!」
舞花が腕を組んで見渡した。
「……今年もまた、留年フラグが林立してるわね」
「全開で爆死って言うのよ、それ」
朱音がメモ帳に書いた。
『加賀――試験中に睡眠。準――自由詩40点(ケモ耳減点)。細田――新井白石を知らなかった。マイケル――物理満点』
夕方、呉が顔を出した。
「……で、どうだった」
「来年こそ……車だけじゃなくて、勉強もチューニングする」
「どうせターボ付けてブローするだろ」
笑い声がコンテナに響いた。加賀はふと、空を見上げた。夕焼けが、関越方面に伸びていた。
(また夏が来る。補講があっても、オイル交換があっても――俺たちはここにいる)
「……よし」と加賀。「来週の走行会、計画立てるぞ」
全員が「おう」と言った。補講のことは、誰も言わなかった。
翌日。大学の掲示板に、成績不振者向けの補講案内が貼り出された。対象者の欄には加賀、雅紀、準、細田の名前があった。マイケルの名前はなかった。
マイケルからグループLINEが来た。
『ミナサン、ガンバッテネ!! ワタシ、ドライブ行クネ!!』
『ぶっ飛ばすぞ』(加賀)
『は?』(雅紀)
『待って』(準)
『乗ってく』(細田)
『OK!! レッツゴー!!』(マイケル)
補講は翌週だった。




